第五百四話

 駅から出て、人がいない場所で仁を介抱。

 理香が行うと逆効果になる可能性が大なので、彼女は見守ることに徹し、東間が持ち前の手際の良さを発揮。

 結果、割とすぐに意識を取り戻した仁であったが、目覚めると同時に鈍い痛みを感じて表情を一瞬だけ歪める――

 はずだったのだが、視界に心配そうな顔をしている理香が入っていたため、気合いと根性で表情筋を固定。

 痛みなどガン無視し、普段通りの態度で大仰な復活を遂げる。

「フッ。この俺の不死身の肉体にダメージを負わせるとは、流石は我が幼馴染みたちと褒めてやろう」

「仁、大丈夫?」

「見ての通りだよ、東間きゅん。褒めてやろうと言ったが、所詮は脆弱な生物たちの貧弱な一撃。この俺にダメージを与えられても、倒すにまでは至らなかったな」

「ついさっきまで気絶していたように見えたのは僕の気のせい?」

「アレは意識を失ったフリだ。実は最初から最後まで起きていたのだよ。そして長ネギのことを考えていた」

「なんで?」

「長ネギって風邪に効くのかな?」

「訊いているのは僕の方なんだけど。まっ、いつも通りみたいで安心したよ。ねえ理香もそう思うだろう?」

「えっ? え、ええ。そうね。仁、大丈夫、よね?」

 不安そうに尋ねる理香に、仁が返すべき答えは一つ。

 縦横無尽、華麗な動きで彼等を翻弄しつつ、理香の目の前で立ち止まると恭しく一礼を行う。

「とっても痛かったです。お詫びとして土下座をするのだ」

「わ、悪かったとは思っているわよ。でも急に土下座とか言われても」

「ホッホッホッ。甘い! 甘いねえ! 甘い甘い甘い! 生クリームを使っていないブラックコーヒーより甘い!」

「ブラックコーヒーに生クリームは入ってないよ」

「むしろ入れちゃダメでしょ。ブラックなんだから」

「じゃあサーターアンダギー」

「確かドーナツの一種だっけ? 食べたことが無いからよく知らないけど」

「なんじゃも!? 東間きゅん、チミは正気かね!? それとも狂気に身を委ねたことで己の内なる記憶を抹消してしまったのかね!?」

「ねえ、理香。翻訳をお願いしても良い?」

「えっと、たぶんだけど東間の中にサーターアンダギーを食べた記憶があるって言っているんじゃないかしら?」

「仮に僕の中にそういう記憶が本当にあるとして、どうして仁がそのことを知っているのさ」

「そりゃもちろん、東間きゅんたちが寝ている間に俺が記憶捏造装置で新しい記憶をどんどん植え付けているからだとも」

「そんな装置、いつ発明したの?」

「三ヶ月後に開発、そのまま破棄して何者かに悪用される予定です。これによって世界に多大な被害が生じるのです」

「まさかの未来の予定だったわね。というか、そんな物を作ってどうするつもり?」

「どうもしないが。さっきも言ったが、誰かが悪用して世界を混乱させてくれるのを祈るのだよ。こんなにもつまらない、平和な世界に用はない。我が求めているのは混沌と破壊。世界はもっと無秩序になるべき!」

「てい」

「はう!?」

 先程の失敗を考慮した、絶妙に加減された一撃。

 痛みを生じさせないレベルの手刀を受けた仁は昏倒し、数秒後に復活。

 目覚めてからの一連のやり取り、全てを忘却の彼方へと追いやったが如く、爽やかなる笑顔で明後日の方向を指差す。

「さあ、行きましょう、皆さん。世界はこんなにも希望に包まれているのです。私たちはこの希望を胸に、絶望に挑まなければなりません。それが魔王の血を引く私たちの為すべきことなのです」

「どうしましょう、東間。今度は上手くやったつもりだったけど、別方向にバグっちゃったみたい」

「放っておけば勝手に直ると思うけど、それにしても魔王云々とか久しぶりに言い出したね。最近はそういうありきたりなファンタジー系のRPGはやっていなかったと思うんだけど」

「うむ。俺自身、よくわからんことを口走ったと感じている。そもそも東間きゅんが魔王の血筋とかあり得んよな」

「そうね。どちらかと言うと勇者の血筋って感じよね。こう、表向きは社交性が高くて周りからの評判も良いけど、裏では極悪非道なことを平然とやっている系な」

「君たちは僕のことをどう見ているの?」

「鬼畜外道」

「女泣かせ」

「どっちも違うって断言しておくよ。まったく、僕たちは遊びに来たわけじゃないんだから、あんまり時間を掛け過ぎちゃ」

「おっと、向こうに何やら人だかりが。理香ちゃん、行ってみようZE!」

「はいはい。行ってあげるから、そんなに焦らないの」

「……僕ってこういう扱いだったっけ?」

 自身を放って駆け出す幼馴染みたちの背中を見送った東間が吐くのはため息。

 深く深く、幸せという物に意思があるのなら絶対に近づこうとしないくらいには盛大なため息を吐き出した東間は、沈んだ気持ちのまま、仁たちの後を追う。

 といっても彼等が向かった先、人だかり自体がそんなに離れた場所ではなかったので追いつくのは容易。

 主に大人で構成された人間の群れの端の方から、跳躍を駆使して彼等の視線の先にあるものを確認しようとする仁の健闘を心の中で称えつつ、東間は人混みを掻き分けて奥へ奥へと進んで行く。

「あっ、東間きゅん、ズルい!」

「別にズルくはないでしょう。というか、そもそもアンタはなんでそんな妙な確認方法を取ったのよ」

「だって人混みを掻き分けて中に入るとか、普通過ぎてつまらないんだもん!」

「だもんって、まあ良いわ。全員で行く必要もないし、東間に任せましょう」

 後方から聞こえてくる幼馴染みたちの声に、東間の中で再び湧き上がるため息をつきたくなる気持ちを堪え、進み続けた彼は程なくして人混みの出口へ到着。

 広がっているのは無残な光景。

 引き裂かれた自動車と、車内に広がっている血の海。

 ただ、大型の獣に捕食でもされたのか、車の中には肉片一つ残っておらず、それ故に現実味に欠けた光景となっている。

「……外も内も物騒、ってことか」

 漏れたつぶやきは野次馬たちの発する雑音の中に紛れて霧散。

 また、遠くから鳴り響くサイレンの音に、これ以上、この場に留まる理由は無いと再度、人混みを掻き分けながら来た道を戻っていく。

「お帰りなさい、東間。それで、何があったの?」

「引き裂かれた車と死体の無い血の海」

「凄くわかりやすい回答ね。でも死体が無いってどういうこと?」

「さあ? 食べられたのか、それとも何処かに連れて行かれたのか。不思議なのはそんなに離れていない場所なのに、それらしい音が聞こえてこなかったって点だよね」

「うむ。もしも車が引き裂かれたんだとしたら、相応の大きな音が聞こえてくるはずなり。それが聞こえないということは、我等の聴覚が衰えたか、雑談に夢中になり過ぎて聞き逃したか、犯人は音を立てずに事を為したか、いずれかなり」

「一番、可能性が高いのは三つ目だね」

「まっ、仁や東間はともかく、私は私の耳に自信があるもの。少なくともあのくらいの距離ならそんな派手な音を聞き逃したりはしないわ」

「失敬な。我とて聴覚には自信があるなり。まあそんなことは置いておくとして、東間きゅんよ、車が引き裂かれているのなら、周りに被害は出ているのかね?」

「それが不思議なことに、被害らしい被害はないんだよね。走行中に壊されたのなら事故を起こしていても不思議じゃないはずなのに」

「そういえば、ガソリンの臭いとかもしないわね。それになんというか、奇妙な感覚がするというか、うーん」

「ふむ。ガソリンの臭いがしないのはEVだからとかでは? いや、車に興味はないし、実際のところはどうなのか知らんが」

「そうそう。奇妙と言えば、血の海が広がっていたのにほとんど血の臭いがしなかったんだよ。窓ガラスも壊れていたから、密閉空間になっていないし」

「にゅ? それはつまり、血の海に見えたものは実は血ではないとかか?」

「わからないけど、なんというか色々と不思議な現場だったよ。だからかどうかはわからないけど、集まっている人たちも変に冷静だし」

「スマホで自撮りしている人もいるくらいだし、なんか見世物の一種扱いになってないかしら?」

「むう。魔境の外もいつの間にか修羅の国も真っ青な混沌なる世界になっていたのかもしれぬな」

 魔境で育った子供たちが、大人たちの異様な対応に戦々恐々としている中、到着した警察が迅速な処理を開始。

 手慣れた様子で無人の車を運び、野次馬たちに解散するよう指示。

 まるで今回が初めてではないような様子を見せる警官たちに、仁は詳しい話を聞こうと歩み出す。

「ストップ、何をするつもりかな?」

「無論、犯人をボコボコにするつもりだが」

「わかったの? 誰の仕業か」

「当然だとも。見たまえ、彼等の冷静を通り越した冷徹な対応を。アレは全てを知る者たちの態度なり。すなわち犯人は警察組織そのもの。自分たちにとって不都合な真実を知る者たち、生きていては都合が悪い者たちを始末し、その後片付けを行うことで証拠隠滅を図っているのだ」

「その根拠は?」

「この紫色の脳細胞が訴えているのだよ」

「東間、行くわよ。このバカが暴走したら私たちまで捕まるかもしれないし」

「最悪、切り捨てれば問題ないと思うけど、まあ仁がいないといざという時に盾にできないし、不便だからね」

「HAHAHAHAHAHA! 俺は今、泣いていいと思いマッスル。しくしく」

 わざとらしい嘘泣きをする彼を引きずりながら、理香たちは野次馬集団とともにその場を後にする。

 なお、解散するのに不平不満が漏れない点から、彼等にとってもこれが既に日常の範疇に含まれている出来事だということが判明。

 とはいえ、死体こそないが異常事態であることに変わりはなく、移動中に理香はスマホでニュースを閲覧。

 恐らくはこの事態に関連しているであろう記事を発見し、目を通す。

「フーン。どうやらさっきの、ここ最近じゃよく起こっていることみたい」

「最近ってどれくらい前から?」

「初めて見つかったのは二週間前。その時はかなりの騒ぎになったようだけど、壊された車は元々が廃車、しかも中にあった血の海は血じゃなくてもっと別な物だということがわかったらしいわ」

「別な物って?」

「さあ? その辺りについては何も書かれていないわね。ただ、血じゃないって明言しているから、そこは嘘じゃないってことでしょう」

「成る程。ちなみに今日までに何回、同じようなことが起きたの?」

「さっきのを含めてこれで十二回目ですって。場所もランダムで法則性は無く、共通しているのは引き裂かれた廃車と赤い海が唐突に見つかるって点」

「唐突に見つかる?」

「そうとしか言いようが無いんらしいわよ。なんでも、通行人が普通に歩いているところに、いきなり廃車が現れるらしいわ。誰が置いたのかはもちろん、引き裂かれた理由も赤い海も何もかもわからない謎の事件」

「分類はあくまで事件なんだ」

「事故でこうなるのはあり得ないし、殺人じゃないにしても道のド真ん中にいきなり廃車を捨てて行くんだから、迷惑この上ないでしょうしね」

「うむ。下手をすれば事故に繋がりかねないしな。まあそういうことが起きたという話は今のところ、無さそうだが」

「そうみたいね。って、仁、どうしてアンタがそんなことを知っているのよ」

「引きずられながら恐らくは理香を同じニュース記事を見ているからだが」

「引きずるのも体力使うから、正気に戻ったのなら自分で歩いて欲しいんだけど」

「軟弱な。そんな様でハーレムを維持できるのか? その程度の体力では二、三人を満足させるだけで終わってしまうぞ」

「ハーレムなんて作った覚えは無いんだけど」

「二、三人は満足させられるのね」

「理香、仁の発言の問題点はそこじゃないよ」

「まあ相手にもよるだろうがな。例えば我が愛しのマイシスターが相手ならば、満足させた頃には東間きゅんがダウンしているだろうし。貴様、俺の妹に手を出すとは良い度胸だな! 如何に東間きゅんでも許されることと許されないことがあるのだよ!」

「……ハァ」

 ツッコむのも疲れたらしい東間が吐き出す、先程よりも更に深くて大きいため息。

 無論、それだけで終わったりはせず、喚き散らす仁を黙らせるための一発を放つことも決して忘れない。

 そして己に非があることを自覚している仁は彼の大振りな拳に対して何もせず、全てを受け入れて沈黙。

 静かになったところで東間もスマホを確認。

 彼等が読んでいたニュースに改めて目を通し、面倒臭そうな事件の捜査及び解決をしなければならない警察官に同情の念を抱いた。

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