第五百三話

 駅で待ち合わせてから乗り込むまでの間にトラブルらしいトラブルは無し。

 各々が到着まで暇を潰すための道具を用意し、仁も理香も東間も席に座りながら己の時間を過ごす。

「にしてもアレだよな。最近はなんつーか、マイルドになったよな。これも時代の流れというものか。認めたくないものだな」

「……えっと、それは僕に話し掛けているの? それとも独り言?」

「独り言と言うには大き過ぎ、かといって皆に向けての演説としては小さ過ぎる。それすなわち我が友へと話し掛けていると解釈するべきなのでは? ボブは訝しんだ」

「ボブって誰? 機動戦士にでも乗っている人?」

「さて、乗ってくれれば嬉しいが、最後まで乗らないまま機動戦士に勝利して欲しいという気持ちもある。そんなことよりも東間きゅん、見てくれ、この漫画を」

「……?」

 開かれた漫画雑誌の一ページ。

 仁が指差したのは敵に自爆特攻を仕掛けようとしている仲間を主人公が止めているという、割とよくある場面。

 ありきたりと言えばその通りではあるものの、つまらない展開ではないため、わざわざ文句を言うような箇所ではない。

 といっても東間はその漫画を読んでおらず、前後の繋がりなどは不明。

 話の繋がりを無視して、唐突に自爆特攻でも行おうとしたのなら文句を言いたくなる気持ちもわからなくもないが、そのような荒唐無稽な真似をするのはギャグ漫画か打ち切りが決まった連載くらいなもの。

 雑誌の前の方に掲載されており、絵も上手くは無いが個性はあるので恐らくはそれなりに人気があるのであろうその漫画の一シーンの何処に不満があるのか。

 本気でわからない東間は目線で仁に疑問を投げ掛け、彼が理解してくれなかったことに不満の鼻息を放ちつつ、仁は解説を始める。

「この場面、起死回生のためにこの仲間は自爆しようとしている」

「うん」

「それを察知した主人公が仲間を止める。それはいい。別にそれ自体は王道展開だし、ここで止めなければ主人公ではないとも言える」

「まあそうだね。でも止めないタイプの主人公もそれなりにいそうだけど」

「そこは話の論点にしていないので割愛する。問題は、だ。自爆特攻しようとしている仲間の年齢だ」

「年齢? 普通の青年に見えるけど、それが何か? 実は物凄く高齢とか?」

「違う。見た目通りの年齢だ。俺が言いたいのは、どうして先人ばかりが犠牲になるのかということなのだよ。ほら、こっちにいる最年少の仲間、十代前半だが、何故にこの少女が自爆特攻をしないのだ!」

「して欲しいの?」

「して欲しいとかして欲しくないとか、そういう次元の話はしていない! 俺の不満は自爆するのはいつも男キャラなんじゃね? ってことなのだよ!」

「僕も全部の作品を知っているわけじゃないから何とも言えないけど、別に少女キャラだって自爆しているのもいると思うよ」

「東間きゅん。チミの言う通りだ。真なる戦士は己の身を犠牲にしてでも勝利を得ようとする、あるいは仲間のために己を犠牲にする。そこに男も女もない。老人も子供も全てが平等なり」

「はあ」

「だがしかし! 昨今は仲間の犠牲に厳し過ぎる。一昔前の漫画を見たまえ! 少年キャラが体にダイナマイトを巻きつけて自爆特攻するのが当たり前の世界! 俺が求めているのはそういう世界なのだよ! 自爆こそ正義! 自爆こそ無限の未来!」

「うん、君がいつもの君で安心したよ。ただ、あまり大きな声で騒がない方が良いよ。あんまり五月蠅いと理香が起きちゃうから」

「そういえば何故に理香ちゃんはお眠モード? 昨日、象が機械を押し潰す動画の見過ぎて夜更かしした?」

「ピンポイント過ぎて何処に需要があるかわからない動画だね。というか、新幹線に乗る前に理香が言ってたじゃないか」

「まったくもって聞いていなかったが、それが何か?」

「君に反省を求めても仕方が無いのはわかっているけど、それでも少しくらいは反省して欲しいって気持ちがある。まあいいや、とにかく、理香は昨日の部活で活躍して、ファンの女の子たちと色々あって疲れちゃったみたいだ」

「ファンの女の子たちと百合の花を咲かせたと?」

「それは無いだろうね。理香にそっちの趣味はないし、その一線を超えようとする者には他のファンの子たちが容赦しないから。当人の意思を無視したファンクラブに存在価値は無いってね」

「チミも中々に過激な思想。だがまあ、了承した。つまり理香はなんやかんやあって疲れているから、到着まで休んでいることにしたと」

「そういうことだけど――その不気味な笑みは何?」

「決まっているだろう。寝ている女子に対して男子がするべきことなど」

 邪悪の権化を顕現させたような、不気味過ぎる微笑みを顔に張り付けた仁は前方の席に座っている理香の隣の席へと移動。

 目にも留まらぬ速さで彼女の寝顔を高速撮影。

 同時に彼女の体に毛布を掛け、安眠できるようにと頭の後ろに枕を設置。

 更にはアロマを焚きつつ、痛みを感じない、しかし効果は出るよう絶妙な加減で人体のツボを押し、彼女の眠りを最大限サポートする。

「えっと、何をしているんだい?」

「理香がゆっくり休めるように全力を尽くしている」

「そのアロマは?」

「店で買った高級品を、アストロゲンクンシリーズとともに改造した物。ちなみに枕も同様に俺が改造したものだったりする。まだ試作品だが、例の『人をダメにするソファー』とかいう奴を参考に作ってみた」

「ってことはその毛布も?」

「これはただの市販品。十万ほどで購入したものだが、使い道が無くて困っていた」

「なんで買ったのさ」

「買いたかったから。東間きゅんにも覚えがあるだろう、何だかよくわからないけど唐突に買いたくなり、けれども買った時点で満足して使わなくなってしまった物が」

「確かに、そういう時もあるけど、だからって――うんまあ、君が良いのなら僕が敢えて口出しするようなことじゃないよね」

「そういうことだ。ああ、さっきの雑誌、読みたかったら読んで良いぞ。俺は適当に時間を見つけてから改めて読む」

「うん、わかった」

 甲斐甲斐しく理香の世話に励む仁に、生温かい笑みを浮かべた東間は不意に視線を感じて後方を確認。

 彼等の貸し切り、というわけではないので、当たり前だが他にも客はいる。

 中には迷惑そうに仁たちを見ている客もいたが、東間と視線が合った瞬間には目を反らしており、何よりも先程、感じた視線はそういうものではないとわかっているため、東間は不審の眼差しを継続。

 ただ、その何者かを発見することはできず、視線自体も既に消えているので彼の行為は無意味の可能性が濃厚。

 何よりもそんなことを続けて、他の客から不審者扱いされ、最悪、通報されては色々と面倒なことになるため、東間は心の奥底で警戒を維持しつつ、おとなしく着席して仁の読んでいた漫画雑誌に目を通す。

 割とありふれた少年漫画雑誌の内容は予想がつく展開のものが多い。

 とはいえ、奇を衒えば良いというわけではなく、王道には王道の良さがある。

 主人公が悪役を倒し、世界を救うのは陳腐ではあっても描き方次第で十分に面白味のある作品になるというもの。

 実際に読んでいて心が熱くなる作品が多く、読み終えた東間は感情の昂りを実感。

 だが調査を始める前から心を昂らせ過ぎてはガス欠になる危険がある。

 今はこの心の熱を仕舞い込み、後で燃やす際に使おうと読み終えた雑誌を仁が座っていた座席に置き、理香同様に自身も眠りに就く。

 彼が目覚めたのはそれから二十分程度経過した時。

 元より、深い眠りに就くつもりもなく、仮眠程度で済ませるつもりであった東間はしかし、予想以上に全身が回復していることに驚く。

 疲労を溜めていたつもりはなく、コンディションも通常状態。

 そのはずだったのだが、どういうわけか体が絶好調になっており、軽く肩を回して自分の体の状態を確かめる。

「おう、目覚めたか、東間きゅん。もうすぐ到着するぞいや」

「……ねえ、仁。もしかして何かした?」

「何のことだ。見ての通り、俺は理香に付きっ切りで――おっと」

 理香が小さく唸り始めた瞬間、仁は彼女に掛けていた毛布や枕、アロマなどを一瞬の内に全回収。

 彼女が眠りに落ちる前の状態に戻した後、自席に戻って漫画雑誌を読み始める。

「ねえ、ママ。あのお兄ちゃん、凄いね!」

「コラ、人を指差すんじゃありません! 失礼でしょう!」

「だってあのお兄ちゃん、もう一人のお兄ちゃんやお姉ちゃんが眠っている時に凄く一生懸命になって色々なことをしてたよ。良い匂いとかこっちにも漂ってきたし、それにアレってマッサージだったのかな?」

「そうねえ。よくわからないけど、あの子も調子が良さそうだし、もしかしたらマッサージの修行をしている子なのかもしれないわね。って、だから人を指差しちゃいけません!」

 後ろの方から聞こえてくる親子の会話。

 仁が自身に何かしたことを確信した東間は、けれども敢えて気付かないフリをしながら不意の疑問を投げ掛ける。

「そういえば、新幹線内でアロマってOKなのかな? 他のお客さんたちのところにも匂いが届いていたみたいだけど」

「文句を言われなきゃOKだ。法とかルールとかは気にしちゃいけないZE!」

「やっぱり違反しているんじゃないのかな? 別に調べようとは思わないけど」

「注意されたらその時に考える。もしくは謝罪する。なんにしても、無事にこの難局を乗り切れた。俺たちにとって大切なのはそれだけなんだZE!」

「難局、だったかな?」

 苦笑する東間に、仁は強気の姿勢を崩さない。

 無意味、というか意味不明な彼の態度に東間は吹き出しそうになるのを堪えつつ、両腕を天に向けて伸ばしながら意識を覚醒させた理香へと話し掛ける。

「おはよう、理香。よく眠れた?」

「……ええ、おはよう、東間。そうね。思っていたよりもずっと快眠できたみたい。てっきり、仁辺りが騒いで、五月蠅くて眠れないかもって思っていたけど」

「失敬だな、チミは。俺を何だと思っているのだね? んんっ?」

「幼馴染み。そして色々と常識外れな奴」

「その回答では六十点だな。もっともっと俺のことをよく知ると良い。そうすれば検定試験の際に有利になるZE?」

「何の検定試験よ」

「知らね。そんなこんな言っていたら到着しましたよっと。それでは降りる準備はできておりますかな、お嬢様、お坊ちゃま」

「お嬢様はともかく、お坊ちゃまはやめて欲しい」

「お嬢様もやめなさい。まったく、バカなことを言ってないで降りるわよ」

 荷物を手に、新幹線より降りる仁たち。

 無論、普通に降りるのではつまらないと言わんばかりに仁がわざと忘れ物をしようとしたが、先読みしていた幼馴染みたちは彼の荷物を確保済み。

 上を行かれた仁は心底、悔しがりつつも刹那で気持ちを切り替え、駅内を散策。

 何のためにこの地を訪れたのか、既に忘れていそうなほど浮かれ気分で歩き回る彼に理香と東間は肩をすくめる。

「なんか、子供みたいね。いえ、年齢的には私たち全員、まだ子供なわけだけど」

「仁らしい、の一言で片付けられるんだから、ある意味、凄いのかも?」

「その一言で片付けて良いのかは別問題でしょうに。にしても、本当にあの新幹線の寝心地は悪くなかった、いいえ、むしろ凄く良かったわね」

「そんなに良かったの?」

「ええ、全身に活力が漲っているというか、なんか夢の中で私の好きな匂いがしたような、そんな感じがするのよ。首の後ろも懲りが解れているし、高級ベッドで眠ったというよりむしろ温泉にでも浸かった気分かも」

「そっか。それは良かったね。僕も途中で眠っちゃったけど、疲れがすっかり取れたような気がするよ」

「そう。というか、東間もあの新幹線で寝たのなら私に感想を聞く必要は無かったんじゃないの?」

「それはそれ、これはこれってことかな。僕の感想と理香の感想は必ずしも一致するとは限らないし」

「まあそれはそうでしょうけど。こら、仁、いい加減にしなさい!」

 あまりにもはしゃいで回る仁を、遂に怒り出した理香が後ろから羽交い締め。

 それでも己の自由を優先しようとする彼の首筋に打ち込まれるのは東間が放った軽めの手刀。

 ただしいつも通りのつもりで打ちこんでも肉体が絶好調ならば話は別。

 結果的に加減を間違えてしまったことにより、普段とは異なる珍妙な鳴き声を発した仁は意識を失う。

 その事実に理香と東間は数秒ほど膠着するも、このままにしておくわけにはいかないと一刻も早い彼の回復を祈りつつ、駅を後にした。

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