第五百二話
入院生活を何事もなく過ごし、退院して早三日。
彼のしぶとさは誰もが知るところであるため、少なくとも表面上は心配していた者は居らず。
なお、そのことで仁が拗ねてしまい、理香と東間が面倒臭そうに宥めるなど騒動とも呼べないような一悶着が発生。
尤も、彼も本気で拗ねたわけではないのであっさりと収束し、いつもの日常を過ごしていく中で仁は校長からの呼び出しを受ける。
話の内容は新しい仕事について。
断るという選択肢も有ったが、母親が元凶とはいえ、自身にも過失があったことを素直に認めている仁は最初から多少の無茶振り程度なら聞くつもりでいたため、校長からの依頼を承諾。
魔境の外にある、とある廃ビルの調査という、むしろ何も起こらない方が不思議な仕事内容に嘆息しつつ、友人たちに協力を頼む。
結果、応じてくれたのは理香と東間の二名。
他の者たちは生憎と手が空いておらず、仁は軽く文句を言いつつも放課後、空き教室に集まってくれた理香と東間に今回の依頼について話す。
「――というわけで、今回は廃棄されたビルの調査だそうです。簡単そうな仕事だと思った奴はこういう時に面倒なのが出る可能性が高いということを思い知るといい」
「簡単な仕事を校長がアンタに回すわけないじゃない」
「そうでもない、と言いたいけど、まあ簡単な仕事は一年生の方に回されるよね。僕たちは二年生なんだから、多少なりとも難しい仕事を回されるのが当然かも」
「そもそも学生の身で仕事をするというのは如何なものか。ぶっちゃけ学校公認のアルバイトみたいなものではあるのだが、だとしても安月給過ぎます。月給を高めるべきと要求せざるを得ない」
「このバイト、月給制だったかしら?」
「基本的に成功報酬だね。失敗しても前金を貰える時もあるけど」
「なんだ理香ちゃんに東間きゅんは知らないのか。あの校長は裏でガッポガッポと儲けており、その金を生徒たちのための設備投資に回しているということを。私利私欲のために金を使うとは、なんて悪い校長なんだ」
「生徒たちのために使っているのなら問題ないんじゃないの?」
「むしろ良い校長先生だと思うけど、仁的にはどの辺が私利私欲に見えるのかな?」
「生徒たちの喜ぶ顔が見たい。それは紛れもなく校長の欲望。その欲望のために金を使うというのなら、私利私欲のために使っていると言って過言ではない!」
「物は言いよう、ね」
「ある意味、正しいのかもしれないけど、それを私利私欲と言ってしまいと世の中の慈善事業のほとんどが私利私欲になってしまう気がするよ」
「当たり前だ。ボランティアというのは何処まで行っても自己満足。そもそも自分がそうしたいからしているのであって、義務を押し付けられているわけでもあるまい。それなのにグチグチと文句を言う方が間違っている。それならば最初からボランティアなどするべきではない! ボランティアをして良いのは、自分の仕事に自分だけで満足できる者だけだ!」
天へと向けて突き出されるのは人差し指。
理香とも東間とも視線を交わらせず、明後日の方向を見つめて適当な言葉を並べる仁に理香と東間がほぼ同時に肩をすくめる。
「またよくわからないことを言い始めたわよ」
「放っておいていいんじゃないかな。それより、帰ったら旅支度をしないとね。休日が潰れるのは痛いけど、三人で魔境の外に出掛けるのは久しぶりな気がするから、楽しまないと損ってね」
「遊びに行くわけじゃないわよ、東間」
「そうだぞ、東間きゅん。実は前々から冥土喫茶なるものに行ってみたかった。普通のメイド喫茶だったら飽きるほど行ったんだが、どこもかしこも似たり寄ったりな出来栄えで量産型って感じが拭えなかった。だがしかし、この冥土喫茶なるものは何かが異なると俺の中の何かが叫んでいる! だから廃ビルとかどうでもいいから、我等で行ってみようと思いマッスル」
「メイド喫茶に通ってたの?」
「っていうか、まだあったんだ、メイド喫茶。てっきり、ブームが過ぎたからなくなったものだとばかり」
「東間きゅん。ブームが過ぎても一定の需要がある限り、そう簡単に滅びたりはしないものだよ。意外としぶといのが人間という生き物なり」
「それとこれとは関係ないでしょうに。まっ、良いわ。それじゃあ今日は解散で、明日の朝、駅前に集合ね」
「それはつまり、この俺に大遅刻をしろと暗に言っておられるのですかな?」
「起こしに行ってあげても良いけど、私が着いた時にまだ寝ていたらその顔を思い切り殴るわよ?」
「美少女な幼馴染みが朝、起こしに来てくれるという二次元的シチュエーションなのにあまり喜べないのは理香ちゃんが暴力的だからなのか、それとも俺が実はそういうシチュエーションに飽きてしまったからなのか、どちらだと思う?」
「たぶん前者だね。理香も、いくらなんでも朝から半殺しはダメだよ。殺るのなら徹底的に、頭に思い浮かべた瞬間に行動を終えていないと」
「止めているような口調で実は殺せと訴えている東間きゅんに愛を抱く」
「気持ち悪いから拒絶するよ」
「だったらその愛を私が代わりに受け止める!」
窓ガラスを突き破って現れた乱入者に、仁も理香も東間も眉一つ動かさず。
ただ、彼女が何か仕出かす前に迅速に行動を起こし、瞬く間に無力化する。
想定外の動き、予想外の反応の速さに目を丸くしつつ、敬愛する兄とその友たちの見事な連携を紗菜は心から称賛する。
「あにぃ、いつの間にこんなに進化していたの? 理香さんや東間さんもだけど」
「いや、実はアストの奴からさっき、連絡を受けてな」
「空き教室に入ってから大体十分くらい経った頃に紗菜ちゃんが乱入するって」
「正直、眉唾な話だったけど、アストのことは信用できるから心構えだけはしていたのよ。だからこそすぐに対応できた」
「わかったか、妹よ。お前の動きはアストに読まれていたということだ。実力で勝つことはまだ無理だが、それでも先読み合戦ならアイツの圧勝かもな」
「当然よ、あにぃ。私の動きは素直で読みやすいし、欲望に忠実に動いているんだから、どうしても直線的になる」
「それがわかっていながらどうして直さない、なんて問うのは無粋か」
「フッ。本気で尋ねているんだとしたら、あにぃは未熟としか言いようがないわね。私の動きが単純? 簡単に読める? 直線的過ぎる? 私からしてみたらだからどうしたって話よ。だって私の動きには」
無力化されたにもかかわらず、自信たっぷりな紗菜が最後まで言葉を紡げなかったのは仁が彼女の意識を刈り取ったため。
白目を剥いて気を失った彼女の全身を縄で拘束後、仁は狩ってきた獲物が如く実妹を肩に担ぎ上げる。
「どうして紗菜ちゃんの話を途中で終わらせたの?」
「理香もわかっているだろう。紗菜の奴は無力化した程度じゃ止まらない。それどころか調子付かせたら本当の意味で誰にも止められなくなる」
「さっき僕たちが対応できたのも、事前に知っていたことと紗菜ちゃんが驚いて動きが鈍っていたこと、そして何より紗菜ちゃん自身が本気を出していなかったからでしかないから」
「わかっているわよ、そんなこと。ったく、中学生にスピードで負けるとか、別に速さ自慢したいわけじゃないけど、悔しい気持ちは隠せないわね」
「その辺り、兄としてはどうなのかな?」
「紗菜は自慢かつ最愛の妹だが、それが何か?」
「仁って僕たちが想像しているよりずっとシスコンだよね」
「そして親バカでもあるわ。特に自分の作品への愛着が凄い」
「言っておくが、全ての作品を平等に愛しているわけじゃないぞ。無論、愛していない作品など一つもないが、だとしても優先順位はどうしても生まれてしまう。アストロゲンクンシリーズと他の作品とではどうしても愛の大きさに差が生まれる。そう、この世は平等ではない。生まれた時から差が生じており、故にこそ――」
「っと、私、部活の助っ人を頼まれていたのよね。そろそろ行かないと」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「わかっているわよ。すぐに大怪我を負う何処かのバカを監視するためにも、部活で怪我なんてしていられないもの」
手を振りながら窓より飛び降りた幼馴染みを見送った東間は、理香が去ったことに気付かず演説のようなものを続ける仁の頬を掴み、思い切り伸ばす。
激痛、とまではいかないが、相応の痛みを生じさせる行為によって仁は正気を取り戻し、東間の手を引き剥がしながら犬歯を剥き出しにして威嚇を行う。
「この距離だと、流石にちょっと怖いかも」
「東間きゅんよ。我を正気に戻すのであれば他にやりようがあったのでは?」
「あるかもしれないけど、他のやり方は素直に面倒臭いから。それに、君だって痛みを伴うやり方の方が好きなんだろう?」
「それは大いなる誤解を生む発言なのだよ。俺は痛いのが好きだと思ったことは数回程度しかない。確かに世の中にそういう人種がいることは否定できず、己を被害者と思うことにある種の快楽を得る者たちもいる。だがこの俺はそんな劣等どもとは根本的に異なっており」
「てい」
懲りずに己の世界へ埋没しようとする仁に向けて放たれる一撃。
無防備な腹部を直撃する、軽い掛け声とは相反する重い一発に仁は膝から崩れ落ちそうになるのを辛うじて堪える。
「おお、紗菜ちゃんを担いでいるのに耐えるんだ。ちょっと驚いたかも」
「と、東間きゅんよ。見た目に反するそのパワー、一体どこで身に着けたのだ!」
「僕も日々、努力は欠かしていないってことだよ。さて、明日の準備のためにもそろそろ帰らないと。仁、もう一度言うけど、遅刻は厳禁だよ」
「もう一度っていうか、遅刻厳禁はこれが最初でござる」
「そうだっけ? まあどっちでもいいよ。とにかく、理香に起こしてもらいたいなんてバカなことは考えないでね。じゃないと、僕が起こしに行って、永遠の眠りに就く羽目になるかもしれないよ?」
「ねえ、東間きゅん。もしかして怒っている? 実は最初からずっと怒っていましたとかそんなオチだったりする?」
「どうしてそう思ったの?」
「だってなんかいつもより物騒なんだもん。それに重いパンチを放ったりするし、もしかして怒りのパワーに目覚めたか、もしくは別人が東間きゅんに化けているとか戦いは既に始まっていました展開!?」
「仮に別人が化けていたとして、君はそれを見破れないの?」
「いんや。理香と東間に関しては俺は本物と偽物を見破れる。確実に」
確信に満ちた言葉に感情は込められていない。
否、正しくは絶対の自信だけが込められており、それ以外の一切の感情が存在しておらず、彼の言葉を聞いた東間は照れ臭そうに笑顔を零す。
「うん、まあ、それで良いかな。今のところは」
「なんだか妙に伏線っぽい発言をしておられますが、ぶっちゃけ俺にとっては関係ないと割り切ってしまってもOK?」
「うん、OKだよ。あくまでも僕の問題というか、僕が解決しなくちゃいけないことだからね。君は気にしなくて良いよ」
「それはいずれ関係することになりますよ的な発言かな? まっ、それは冗談だとして、協力を求めるというのならいつでもウェルカムなり。冗談抜きで」
「わかっているよ。協力して欲しくなったらちゃんと言うから、安心して。でもまあそんなことにはならないと思うよ」
「その心は?」
「君の目の前にいるのは、僕が誰よりも信頼して、頼りにしている影月仁という男の幼馴染みで親友を自称している男だから。だったら、自分の問題くらいは自分で解決できないと、誰かさんに顔向けできない」
仁と同じく確信に満ちた声音で、東間は真正面より堂々と告げる。
不意打ち気味に絶賛に近い評価を受けた仁は数秒固まり、大きく深呼吸を行ってから再起動を果たす。
「その反応、驚いてくれたみたいだね」
「うむ。驚いた。東間きゅんがそんなことを言うなんて、割と真面目に偽物なんじゃないかと思ってしまうくらいには驚いてしまった」
「フフッ。それは何より。じゃあまた明日」
後ろ手を振りながら、理香同様に窓より外へと降り立つ東間を仁は無言で見送る。
ついでに何故閉じられているわけでもない扉より出て行かず、わざわざ窓から飛び降りて行ったのかを考えてみたが、答えらしい答えを見つけることは叶わず。
ならば自身も同じ真似をすれば自然と答えが見つかるのではと、紗菜を担いだまま窓より華麗に飛び立ち、無駄に決めポーズを行ったせいで着地に失敗。
衝撃で全身を震わせつつ、空き教室が二階であったことに心底感謝しながら靴箱へと赴き、靴を履き替えて下校した。
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