第五百一話

 己の調子を取り戻すことが最優先事項。

 というのが仁の本音ではあるのだが、目覚めたばかりかつ疲労感が残っており、加えて怪我が完治したわけでもないので本調子を取り戻すことは極めて困難。

 付け加えると動こうと思えば動けるが、すぐ近くで眠っている理香を起こすのは彼の本意ではない。

 そういう意味では会話自体、控えるべきなのだが、母親の方は理香が起きようと寝ていようと構わないという姿勢を崩しておらず。

 ならばせめて声の音量を大きくしないようにしようと己に言い聞かせ、仁は母親の方から窓の外へと視線を移す。

「それにしても、今日も良い天気だ。洗濯物がよく乾くだろう。しまった。一号に命じて洗濯物を干すよう言うべきだったZE」

「話をそらすにしても、もう少し、どうにかならなかったの? それに一号は言われなくても洗濯くらいはするでしょう」

「誰が話をそらそうとしていると? 俺は興味津々だぞ。母親と校長のマジバトルとか、戦勝記念パーティーって何だとか、色々と気になることは山ほどあるのだよ」

「あっ、もしかして自分たちが眠っている間にパーティーを開いたことが気に入らないのかしら。ごめんなさいね、こっちも色々と忙しくて、我が息子が回復するのを待っていることができなかったの。今度、美味しいご飯を作ってあげるから、それで帳消しにして頂戴」

「そこはどうでもいい。どうせ物騒なことこの上ない集まりだったろうし、よくわからないが魔王とやらが乱入したことでお開きになったんだろう?」

「バカなことを言わないで。たかだが魔王一匹が出て来た程度でパーティーをやめるなんてアホなことをするわけないでしょう。それにこの私に喧嘩を売ったってことがどういうことかはアンタもわかっているでしょうに」

「……ああ、殺したのか。だが料理が血や臓物で汚れたら食欲も失せるのでは?」

「バカねー。会場で殺すわけないじゃない。大体、相手は幻影よ。流石に幻影を介して本体を仕留めるのは私でも骨が折れるわ。だから幻影から本体の位置を探って、彼の居城で血祭りに上げてやっただけよ」

「結局、殺しているじゃなイカ。いや、母親に喧嘩を売った以上、そうなることは目に見えていたから驚きはしないが」

「だから殺してないわよ。半殺しにして四肢をもぎ取った後、壁に埋め込んで栄養補給と排泄だけ自動的に行われるようにしてあげたの。芸術品として、それなりの値段で売れるようになるかしら?」

「俺の母親がガチ外道で息子として滅茶苦茶怖いですっと。で、今の話は何処までが本当で何処までが嘘なんだ?」

「それくらい、自分で見抜きなさい、マイサン。ただ、相手の言葉を全て信じるのは愚か者のすることだって口を酸っぱくして教えてきたわよね?」

「…………」

 その顔からは真偽の程は窺えない。

 あるいは、父親ならば彼女の言葉の真偽を見抜くことができるかもしれないが、少なくとも実子である彼にはそれを行うことは不可能。

 ただし、彼女の言葉の中で彼女にできないことは何一つない。

 やろうと思えば本当に相手を壁に埋めることも、栄養補給と排泄以外は何もできなくなるようにすることもできる。

 仁の母親はそういう存在。

 もしも父親という枷、あるいは首輪と呼べる存在がいなければ世の中がどのようなことになっていたか。

 想像できるとしても想像したくない光景に仁はドン引きしつつ、ため息をつく。

「OKだ。取り敢えず、今の話も忘れよう。うん。俺、忘れるんだぞ」

「それだけで忘れられるんだから、ある意味、凄い子よねー。そういう技術は私も持っていないから欲しいかもしれないわ」

「天上天下唯我独尊を地で行っている母親に忘れたい記憶なんてあるのか?」

「そりゃあるわよ。例えば、何処で教育を間違えたのか、異様なほどに発情している愛すべき娘の痴態を見てしまった時とか」

「あー、それはわかる。確かにそういう記憶は忘れたいと思うかもしれない。うん、母親に共感できた。やはり俺たちは親子か」

「うんうん。仲良きことは美しきかな。というわけであにぃ、理香さんと一緒にお持ち帰りしていい? むしろこの場でグヘヘヘヘヘな展開も有り?」

「はいはい。はしたないことを言わないの。でないとこうなんだから」

 いつの間にか復活していた紗菜に母親は欠片も動じず、彼女が動き出す前に頭を鷲掴みにして握り締める。

 中身が漏れ出ても不思議じゃないほどの剛腕による締め付け。

 悲鳴を上げることさえできないまま、再び落ちた紗菜を捨てた母親は微笑む。

「再生能力だけは私に匹敵するかもしれないわね。尤も、私の場合は傷付くこと自体が稀なんだけど」

「ってことは紗菜は母親の因子を濃く受け継いでいるってことか? つまりは母親こそが紗菜の発情の原因である可能性が」

「否定はできないわね。私の細胞が変な形でこの子に引き継がれて、結果的に性欲が盛り盛り状態になってしまったのかも。ああ、責任を感じてしまうわ」

「責任を感じているのなら、今からでも対処療法を考えるべきでは?」

「これもこの子の個性の一部になっているから、今更、何をしても手遅れよ。それにこれはこれで面白そうと思っている自分がいることも否定できないわね」

「面白いとかつまらないとかそういう次元の話じゃない気がしまする」

「わかっているわよ。今のは冗談。まっ、アンタもそれくらい話せるのなら、もうだいぶ回復したんじゃないかしら?」

「なら退院か」

「そう急かないの。怪我が完治したわけじゃないし、ここの先生には私も借りがあるから、あまり迷惑を掛けるわけにはいかないのよね」

「そうなのか? 母親が借りなんて、珍しいな」

「出産は、私一人で行えるものじゃないのよ。特に安全に子供を産みたいのならね」

 ウインクする母親に仁は腕組みをしながら考えるように唸り声を漏らす。

 彼女の言う通り、出産は確かに一人で行うべきことではない。

 状況次第ではそのようなことを言っていられない場合もあるが、設備や人手に問題が無いのならサポートは必須。

 だが仁の母親は誰の目から見ても明らかに普通ではない。

 仮に彼女が単独で出産を行おうとしても不思議なことは何もなく、むしろ誰かに借りを作るくらいなら夫と二人で出産を済ませるのではないだろうか。

 などという仁の思考を見透かすように母親は柔らかく微笑み、紗菜にしたように彼の頭を広げた掌で掴む。

「仁? 私だって子供たちのためにできる限りのことはするつもりよ。自分のプライドを優先して、安全に産める機会を逃すような真似、するわけないじゃない」

「などとおっしゃっている方が握っているのはその愛すべき子供の頭なのですが。それと失言に対しての制裁は受け入れるべきだとしても、考えただけでお仕置きするのは流石に人としてどうなのでしょうか」

「あら、私のことを人扱いしてくれるの? ありがとう、母親想いの息子を持って私はとても幸せよ」

「HAHAHAHAHA! そんなことを言っている御方の掌の力が強まっている気がするのは俺の気のせいなのでしょうか?」

「段々と余裕がなくなってきたようね。まっ、紗菜と違って暴走しているわけじゃないようだから、このくらいで勘弁してあげましょう。ちなみに口に出したら半分くらい失うから、覚悟しておきなさいね」

 何を半分失わせる気なのか、問う気になれないのは問うまでもないことだからか、はたまた純粋な怖れが勝ってしまったからか。

 少しも笑顔を崩していない母親の掌が離れていくことに恐怖と安堵が同時に湧いてくるのを実感した仁は、彼女の気をそらすべく無理やり話を戻す。

「で、母親、校長とのバトルはどうなったんだ? やはり校長の一撃で悪しき女は焼き尽くされ、世界は救われたのか?」

「私、こう見えても幾度となく世界を救っているんだけれど。息子にそんな風に言われると悲しくなっちゃう」

「すみません、謝りますから頭を潰そうとするのはやめてください」

「素直でよろしい。そもそも、私と校長がガチバトルしたらどうなるかなんて訊くまでもないことじゃないの?」

「校長に勝ち目がないことはわかり切っている。だが、だからこそ興味深い。生徒を守るための負け戦だとしても、勝算がまったく無いまま、戦いを挑むような――」

 言葉を区切った仁の脳裏を過ぎるのは、自身との将棋勝負にて負け続けている校長の姿。

 下手の横好きを体現したような、ひたすらに無策で挑んでは返り討ちにされている彼女が果たして、勝算など考えるであろうか。

 己の問いへの答えはすぐに湧いてきたため、咳払いをした仁は話題を変える。

「古の幻獣が襲い掛かって来たと言っていたが、撃退できたのか?」

「素晴らしいくらい一瞬で私と校長との戦いについての興味が霧散したわね。これも私や校長の教育の賜物かしら」

「どうせ、一撃で校長を倒したとか、そんなオチだろう。それよりも古の幻獣はどうしたんだ? 流石の母親でも、古の幻獣が相手ならワンパンとはいかないだろう」

「ワンパンで倒せるほど、九尾の狐は甘くないわよ。まあでも、確かに古の幻獣の方が苦労したわね。そもそも私とアイツとじゃ戦っても千日手にしかならないわ。どちらかが諦めるまで戦わなければならなかったんだけど、ちょうどその時、封印が弱まった影響で千年前に封印された初代がしゃどくろが復活してしまって」

「待てい。なんだその面白ワードは。聞いていないぞ」

「言ってないんだから当たり前じゃない。まあ初代がしゃどくろのおかげで古の幻獣を退けることができたんだから、感謝はしているわ」

「そんなに強かったのか、初代がしゃどくろとやらは」

「いいえ。古の幻獣がウザがってパンチ一発でバラバラにした後、良い出汁が取れそうってウキウキしながら帰ってくれただけ」

「さっきから肩透かしな話ばかり聞かされていて、流石の俺も苛立ちを覚える。もうちょっと燃える展開の話は無いのか?」

「現実はフィクションとは違うのよ。面白かったり、熱くなるような展開ばかりじゃないの。大体、熱い展開を求めるのならアンタはとっくに死んでいるわよ。そしてその死の悲しみを乗り越えて、みんなが成長するの」

「そういうのはもっと頼りがいのある、大人なキャラの仕事だろう。俺は子供な上に頼り甲斐がなく、しかもワガママでどちらかと言えば足を引っ張るタイプ。だから俺がくたばったところで誰の成長にも繋がらない」

「知らぬは本人ばかりなり、ね。まっ、その辺は私としては真面目にどうでもいいことだから、別に構わないんだけど」

「あにぃは自分が割と人望があり、みんなに好かれていることを自覚するべき。そうすれば私の狩りももっとスムーズかつ大量ゲットが可能になるのに」

「貴女はもうちょっと自重しなさい」

 当たり前のように復活した紗菜の頭を即座に掴んだ母親は呆れの表情を見せる。

 が、三度目の正直、というわけではないだろうが、流石の紗菜も短期間で三回も頭を握り潰されそうになるのは嫌なのか、全力で抵抗。

 想定以上の力を発揮されたことに驚いた母親は彼女の逃亡を許してしまい、部屋の外へと逃げ出した紗菜のことを感心の吐息を漏らす。

「母親、紗菜のことを放置していいのか?」

「思っていたよりも強い力を発揮したわね。火事場の馬鹿力? それともこれだけの力を隠していたのかしら?」

「感心するのは別に良い。だが俺の声に耳を傾けて欲しい。紗菜の奴、病院だろうが何処だろうがお構いなしにヤろうとするぞ。流石に相手は選ぶ――と思いたいが、だとしても面倒事を起こす危険が高い」

「そうね。娘が迷惑を掛けたらあの人に申し訳ないし、早めに止めるに越したことは無いわ。というわけで、紗菜を捕まえてきました」

「は?」

 立ち上がった母親の手が掴んでいるのは紗菜の首根っこ。

 母親から一瞬も目を離さなかった仁はもちろん、捕らわれの身となった紗菜自身も何が起きたのか理解できていない様子で目を丸くしている。

 息子と娘、同じような反応をしている子供たちにしてやったりと喜びの笑みを浮かべた彼女はそのまま紗菜を絞め落とし、もう片方の手の人差し指で仁の額を突く。

「そろそろ話し疲れた頃でしょう? 私も、ちょっと余計なことを口走っちゃった気もするし、理香ちゃんは私がちゃんと家まで送り届けてあげるから、安心してお眠りなさい」

「ちょっと待――」

 口答えする間も与えられず、仁の意識は急速に暗闇の中へと沈んでいく。

 それでも抵抗の意思を見せる彼に母親は喜びの笑みを深めるも、抗うこと自体は決して許さず、仁の意識を闇へと送り込んだ。

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