第四百九十八話

 頬抓りとデコピンから始まる殺し愛。

 お互いがお互いを憎からず思っている、むしろ友情を超えた感情を持ったことさえあるかもしれない彼等は今、真っ向から対峙中。

 幼い頃からの付き合い故に手の内は両方とも熟知している。

 そもそもこれが初めての戦いというわけでもなく、そう簡単に決着がつかないこともわかり切っているため、不毛と言えば不毛な勝負。

 現況を鑑みれば、ぶん殴られても文句を言えない奇行。

 それでも彼等が戦いを優先しているのは、ある意味、周りの状況や書類の後始末などよりも目の前の相手の方が優先すべきかつ大切だからか。

 ただ、肉壁に囲まれている状況下での勝負は当たり前のように邪魔が入り、満足に戦えない仁と神凪は舌打ちしながら戦いの手を止め、周囲の触手を排除する。

 テンションが上がった彼等の実力は学生の中では上位に食い込むため、所詮は数が多いだけの触手など相手にならず。

 尤も、周り全てが敵と言える現状では百や二百、触手を片付けたところで無意味。

 襲い来る触手の群れに、仕方なく撤退を選択。

 逃げ場など無いに等しいのだが、適当に走り回る彼等に対し、何故か触手は追撃をやめ、壁や床の中へと戻っていく。

「……ふむ。よくわからないが、奴等が襲ってくるのには何か法則性でもあるのだろうか。詳しく調べてみたい衝動に駆られているぞ」

「時間。無駄。出口。探索」

「わかっている。だが神凪君よ、我等の戦いはまだまだ決着がついておらぬが、その辺りについて何か意見はあるかね?」

「脱出。優先。勝負。後日」

「むう。仕方あるまい。今は貴殿の言葉に従おうではなイカ。俺としてもこんな妙な肉に囲まれてくたばるのは御免だからな。どうせくたばるのなら女体の海に沈んでくたばりたいZE!」

「女体?」

「男体でも可。それこそが多様性の時代。男女分け隔てなく、接するのが真の平等なり。故に我は男も女も容赦なく潰す。逆らう者たちは皆殺しなり」

「男女。差別。興味。皆無」

「まあ河童からしてみたら人種差別とかマジでどうでもいいことだろうな。というか河童に人種の違いとかわかるのか?」

「興味。絶無」

「さいですか。まっ、魔境に住んでいる時点で差別なんて外の世界の出来事みたいなもんだからな。というかこんな話をしている場合ではなかった」

「同意。出口。発見?」

「そんな簡単に見つかるのなら、神凪君が入ってくる前に脱出完了している。まあ走り回ってみたところ、ここが生物の体内だということは間違いなさそうだ」

「生物。心臓。存在?」

「おっ、流石は神凪君。俺の言いたいことを理解しているねぇ。そう、素人ならここで口かお尻から脱出という安易な手段を取るだろう。しかし俺は敢えて、せっかく体内に侵入したのだから、心臓を潰すという選択肢を選びたい」

「心臓。破壊。体内。崩壊?」

「その危険性も確かにある。だが、その程度のリスクを侵さないで、何が冒険か!」

「冒険?」

「細かいことは気にするな。では、参ろうぞ、我が友よ」

「了承」

 鼻歌交じりに歩き出す仁の背中を眺めて、神凪は安堵の息を吐く。

 真剣に、真面目に取り組むことは決して悪いことではない。

 が、仁の場合、真面目過ぎれば仁らしさが失われ、却って戦力の低下に繋がる可能性がある。

 だからこそ神凪は彼の頬を弄るという挑発を行い、彼の調子を取り戻させた。

 といってもその後、勝負を始めたのは神凪にとっても想定外のこと。

 本当なら勝負など行わず、適当に流すべきだったのだが、それでも勝負を受けてしまったのはその場のノリを優先したためか、はたまた仁との勝負が楽しいと心から思ってしまっているからか。

 自分でも答えを出すことができない疑問。

 ただ、無理に答えを出さずとも、彼と何かするのは楽しいというのは真実。

 そこに疑いを挟む余地はない、ならばそれで良いと己を納得させた神凪の顔が仁の背中を衝突する。

「鈍痛」

「おっと、すまないな、神凪君。だが前を見ていないユーも悪いんだZE! と、親切心以外何もない言葉で忠告してみる」

「信用。皆無」

「酷いんだZE! でも素直な感想に心が躍るんだZE! とまあ、冗談はさておき、あそこを見ろ、神凪君」

 仁が指差した先にあるのは脈動する巨大な肉塊。

 人間の物とは似ても似つかない形と大きさであるが、響き渡る鼓動音は彼等の胸の内より聞こえてくる音と酷似したもの。

 ここが本当に生物の体内ならば、有ったとしてもおかしくない急所。

 それをまだ捜索を始めて少ししか経っていないのに見つけることができたのは僥倖と言うべきか、はたまた罠を警戒するべきか。

 仁は前者、神凪は後者を選択し、ほぼ同時に動き出すも仁は神凪に対して無警戒であったため、神凪の操る水の拘束が彼の動きを封じることに成功。

 両手両足を水の縄で縛られ、倒れて動けなくなった彼を神凪が見下ろす。

「神凪君よ、このようなプレイは俺の主義に反する。俺はいつもいつでも攻める側に回りたいのだよ。わかってくれるだろう、友よ」

「理解。簡単。暴走。却下」

「フッ。暴走だと? 甘いな、俺は面白おかしく戦いたいのだ。戦いにも礼儀作法が存在するように、戦いをエンターテインメントに昇華するためには、まず我等の手で様々な困難を乗り切る必要が生まれ、更には」

 仁の戯言に耳を貸すことなく、神凪は水で投擲槍を形成。

 大きく振り被って巨大な心臓目掛けて投げつけるも、心臓を守るように現れた触手によって水の槍が絡め取られてしまう。

「予想。的中」

 不敵に笑った神凪が指を鳴らした瞬間、水の槍が弾け飛び、千を超える棘となって四方八方から心臓を刺し貫く。

 一本一本は小さな棘だが、凄まじい数に刺された心臓からは大量の血が溢れ、そのまま限界を超えたように破裂。

 直後に壁や床が激しく揺れ始め、立っていられないほどの震動に仁と神凪は尻餅を突いてしまう。

「これはヤバいんじゃないでしょうか。今すぐに脱出しないと手遅れになる可能性が極めて高いと思われますが、如何に?」

「同意。出口。発見。早急」

「そうおっしゃられましても、出口が何処にあるのかわからない以上、どうすることもできませぬ。ああ、ここで我が運命は尽きてしまうのか。天よ、この私が何をしたというのですか。いえ、むしろ何もしていないからこのような仕打ちを? だとしたら俺はこれから天を呪い続けましょう。そして裁判を起こしたいと思います」

「その位置から右の壁を掘り進んでください。その先に出口があります」

「しかし天も所詮は人間が創り出した概念。天のみならず、神もまた人間が生み出した空想に過ぎない。ならば天も神も等しく人の下にいるべき神凪君、今、何か言いましたか?」

「否定。無言。戯言。会話。価値。皆無」

「戯言って。いや、だがさっきの声は確か聞き覚えが……ふむ」

 辺りを見回しても彼等以外には誰の姿もない。

 ただ、震動は刻一刻と大きくなっており、いつ崩壊が始まったとしても不思議ではないことだけは確か。

「なら、賭けてみるのも一興か」

「仁?」

「神凪君、俺は電波を受信したのか、妙な声を聞いた。その声によると、こっちに出口があるらしいのだが、どうする?」

「仁。回答。決定」

「うみゅ。話が早い。じゃあ手伝ってくれたまえよ!」

 大きな声で叫んだ後、肉壁の掻き分け作業を開始。

 神凪もまた水を操作して仁の手を防護しつつ、水の刃で肉壁を破壊。

 ひたすら真っ直ぐ、一直線に肉の壁を壊していった先にあったのは例の扉。

 見つけた瞬間に扉を蹴破り、転がるように脱出を果たした仁と神凪は、広がる青空に両目を細めて息を吐く。

「俺たち、どうにか脱出できたみたいだな」

「同意」

「俺たちは生きている。つまり俺の電波は正しかった。俺はこれから、電波を信じながら生きていくことにする」

「却下」

「祝福してくれないことに悲しみを覚え、そして割とマジで止めてくれたことに感謝感激の念を抱く。今なら俺、抱かれても良いかも」

「死ね」

「ストレートな罵倒が心に響く。良くも悪くもだが。まあいい、それで、俺たちの戦いの成果はどうなったのでしょうか」

 振り返った先にあったのは焼却炉――だった物体。

 外壁の隙間より漏れ出る血と肉。

 辛うじて焼却炉としての外観は保てているが、十数秒から数十秒後には血肉に塗れた何かになっていそうなほど、血と肉が染み出している。

 グロテスク、とまではいかないが、肉に対する食欲を失わせるのは十分な破壊力を有しているソレに仁と神凪はドン引きするが如く、距離を取って様子を窺う。

「強くはなかった、むしろ弱かったわけだが、どうする、コレ」

「質問。意図。不明」

「いやだって、触りたくないじゃん、あんな気持ち悪いもの。それに心臓を潰したわけだし、放っておいても勝手に滅びるんじゃなかろうか」

「残念だけど、そういうわけにはいかないわよ」

 割って入ってきた声は仁にとって馴染み深いもの。

 そしていつ、どのようなタイミングで現れたとしても驚くに値しない、神出鬼没で無茶苦茶な存在である実母に仁は抗議の眼差しを向ける。

「なによ、その目は。お母様に向けるべき眼差しじゃないわよ」

「この状況は確かに俺が招いたものだ。そこを否定する気はない。だがしかし、元凶という意味では我が母なのだと俺は断言したい」

「別に構わないわよ。というか、さっきまで校長とその件で話をして、もう既に交渉は終わっているもの」

「俺を好き勝手に使っていい権利を渡したとか言ったら割とマジで勝負を挑む。そして俺はおとなしく殺されるとしよう」

「マイサン? 貴方は母親を何だと思っているのかしら? 私の一番があの人であることが変わることはあり得ないとしても、その他大勢の虫けらよりも血を分けた息子娘が大切なのは当然のことよ」

「だったらその息子に変な物を押し付けて、ロクでもない状況を作り出させるような真似をするのはやめたまえ」

「愛するが故に試練を課すのよ。これもまた愛情、っと、そんなことより、脱出できたってことは心臓を潰したってことよね?」

「イエス。この俺の華麗なるテクニックによって腰砕けになった心臓を神凪君が無粋にも貫いたんだZE! あっ、はい、すみません。冗談です。神凪様が一から十まで全部やってくれました。だからそんな目で見ないでくれたまえ!」

 下手に出ているのか、上から目線なのか、いまいちよくわからない口調で謝罪する仁に神凪はジト目を崩さず。

 やがて耐え切れなくなった仁は緩やかに、無駄のない洗練された動きで土下座を行い、幼馴染みの友人に縋り付きながら謝り倒す。

 もはや見ていて気の毒になるくらい、情けなさ過ぎて目を背けたくなるほどにみっともなさに神凪と母親は憐みの眼差しで彼を見下ろす。

「なんというか、どうしてこうなってしまったのかしらって言いたくなるくらいには情けない格好ね」

「それがどうした。恥も外聞も俺にはどうでもいい。俺はただ、目的さえ遂行できればそれで良いのだよ。そうじゃないのかね、母親?」

「まっ、目的のためなら手段を選ばない、って風に見えなくもないわね。かなり好意的な見方をする必要はあるけれども。って、そんなことを言っている場合じゃなかったわね。ったく。話が逸れ過ぎたわ。そのせいでもう復活したみたい」

「復活?」

 息子の問いには答えず、母親は彼等の背後を指差す。

 その行為が何を意味しているのか、確認するまでもなく理解できることであったが、現実を受け止めたくない仁たちは敢えて明後日の方角を見やる。

 何も無い、綺麗な空だけが彼等の瞳に映るも、両耳に届く肉の蠢く音が仁たちを現実へと引き戻す。

「言い忘れていたこととして、例え全壊しようと放置で再生するから、トドメを刺すつもりなら再生不可能なくらい粉微塵にしないと意味ないわよ」

「具体的には?」

「そうね、一欠片はもちろん、煙にすることもアウト。文字通り、完膚なきまでに殲滅しなさい。でなければ話にならないわ」

「だ、そうだ、神凪君よ。我々の戦いはまだ始まったばかりらしい」

「面倒」

「心の底から同意するが、だからといって放っておくわけにもいくまい。しかし成る程、だから母親は俺にあんなことを言ったわけか。それはつまり、今の俺の火力では奴を殲滅し切れないという確信があってのこと」

「ちょっと違うわね。その気になれば滅ぼすこともできなくはない、けどそれをやったら周りに甚大な被害が出るからやりたくてもできない。違うかしら?」

「まったくもってその通りなり。だが、少なくともあの化け物たちはいなくなっているということは、心臓を潰したことで奴等は一網打尽にできたと思われる」

「その通り。だから最後の詰めの甘さを除けば、まあ及第点はあげるわ。合格点目指して、また頑張りなさい」

 あくまでも他人事として、干渉する気のない母親は軽く手を振りながら数歩後退。

 そんな彼女を愛憎入り混じる眼差しで見つめた仁は諦めたように後方を確認。

 案の定というべきか、崩壊していたはずの焼却炉だったモノは形を崩しながらも安定を取り戻しており、放っておいても滅びるような気配は無し。

 焼却炉だったモノが健在であることを認識した仁と神凪は大きなため息を吐き、今度こそ完全に葬り去るための行動を開始した。

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