第四百九十四話

 中に入れた物を灰になるまで焼き尽くす。

 それが焼却炉の仕事。特に魔境では完全に焼き尽くすのにかなりの火力が必要となる多々あるため、この学校に備え付けられている焼却炉の火力も並ではない。

 例え耐燃性、耐炎性に優れた紙であろうと問題なく燃やし尽くせる。

 そのことに疑いの余地はない――が、書類が完全に灰になったであろうことを確信してなお黒澤の顔は曇ったまま。

 全身に走る悪寒は拭うことができず、黙して閉じられた焼却炉の扉を見つめる。

 そんなことをしても意味がないと重々承知の上で、彼女は言いようのない不安に駆られ、焼却炉の扉を開けようと手を伸ばす。

 寸前、何者かが伸ばされた彼女の腕を掴み、その拍子に我へと返った彼女はすぐ傍に控えていたメイドを見て安堵の息を吐く。

「すみません、助かりました」

「いいえ、これが私の役目ですので」

「それにしても、一体何だったんでしょう、この感覚は」

「私からは何とも。ただ、今はこの扉を開けてはいけません。それをしてしまえば取り返しがつかないことが起きる。それだけは断言できます」

「私もそう思います。ですが、だからこそ何故、私はこの扉を開けようとしてしまったのかがわかりません」

「お嬢様のご様子から判断致しますと、正気を保ちながら無意識を操られていたと思われます。あの書類には人を操る何かがあるのでは?」

「私もまだまだ、ということですか。使う側に立つべきなのに、変な物に操られてしまうとは、お父様やお母様に知られたら叱られてしまいますね」

「仕方がないことかと。私も、あの封筒に触れていたら危なかったかもしれません。それくらい危険な物でした」

「仁さんはそんな物を教室内で開けようとしていたのですから、反省して欲しいところですね。まあ、昨夜死に掛けたという話ですから、罰は既に受けていると言えるかもしれませんけど」

「いずれにせよ、あんな危ない物を子供に渡す親の顔が見てみたい、というのが私の本音です」

「フフッ。会いに行くことはできますよ。いっそのこと、挨拶に行ってみては?」

「……機会があれば」

 言外に、絶対に行かないという意思表示をしてから一礼したメイドは姿を消す。

 何処にいるかはわからないものの、傍で控えている、もしくは遠くから見守っていることを知っている黒澤は柔らかく微笑みながら改めて焼却炉を見る。

「しばらくは、使わない方が良さそうですね」

 使いたい人、使わなければならない人々に迷惑を掛けてしまうことを心の中で謝罪しながら、黒澤は校長に連絡を取り、使用禁止命令を出すように懇願。

 二つ返事で応じてくれたことに頷きつつ、教室へ戻ろうとした彼女の足が止まる。

「これはまた、悪足掻きが過ぎますね」

 立ち止まった彼女の視界に映るのは変容した世界。

 真っ赤に染まった空とよくわからない黒い影の群れ。

 そして何処かで見たことがあるような魔法陣が校庭の真ん中に大きく描かれ、そこから這い出てくる無数の青白い腕が黒澤へと伸びてくる。

「異世界に引きずり込まれた、は可能性が低過ぎますね。となると幻覚、ですか。大元を叩かなければ元に戻らないのが定石ではありますが、大元は既に処分済み。でしたら時間経過で元に戻るでしょう」

 口に出したのは己を鼓舞するためか、それとも事実を確認することで己の意思を確固たるものとするためか。

 捕まれば殺されると、理性と本能が同時に訴えかけてくる警告を完全無視。

 堂々と突き進む彼女を青白い腕が捕まえるが、それでも黒澤は意に介すことなく突き進み、校舎へと入っていく。

 世界同様、校舎の中も変容しており、全身の皮を剥ぎ取られながら蠢く人や、増殖していく口に肉体を蝕まれている人外など、地獄絵図と形容するに相応しい光景が広がっている。

 それ等全てを黒澤は無視していく。

 助けを求められようが、怨嗟の声が脳内に轟こうが、手足を掴まれようが。

 彼女は何もかも気に留めず、自分のクラスに戻ると己の席に腰を下ろす。

 周りから発せられる怒号と悲鳴、憎しみと悲しみと苦しみの声を聞き、しかし黒澤は軽く周りを見回してから小さく口を開く。

「すみません、少し幻覚に苛まれているようです。正気に戻るためのお手伝いをお願いできますか?」

 響き渡る無数の声と比較して、あまりにも小さ過ぎる声量。

 何処かに届くことも無く、一瞬で搔き消されたであろうその言葉を発してから数秒ほどで彼女の周囲の景色が一変する。

 見慣れた教室、見慣れた学友たの顔。

 心配そうに自身を見つめる彼等を安心させるべく、自信と黒さに満ちた笑みを浮かべて軽く頭を下げる。

「ありがとうございます。助かりました」

「委員長、大丈夫?」

「一応、幻術解除の魔法を使ったけど、何処か変だったりしない?」

「いえ、元々、最期の悪足掻き程度の意味しかない物でしたから。といっても、まだ油断はできませんが」

「流石は魔女っ娘、この手の呪いとかを解くのはお手の物だな」

「いや、仁っちさぁ、自分が変な物を持ってきたせいで、委員長が大変なことになったっていう自覚ある?」

「ありますとも。今なら全裸で土下座しても構わないぞ。俺の体に照れるところなど何もないのだから!」

「したら切り落とすわよ?」

「というわけで全裸土下座は無理です。普通の土下座で勘弁してください」

 黒澤の前に跪き、見事な土下座を披露する仁に向けられるのは憐みの眼差し。

 彼女自身はまだ何も言っておらず、先手必勝と土下座したところで許して貰えるとは限らない。

 そもそも黒澤は別段、謝罪を求めておらず、誤魔化すように苦笑を漏らす。

「委員長が困っているみたいだね」

「謝罪。意味。皆無?」

「そんなことはないと思うよ。ただ、別に謝って欲しかったわけじゃないんじゃないかな? ほら、委員長的にはクラスメイトを危険に晒す物を取り除いただけって感じだし、義務をこなした程度の気持ちなんじゃないかな?」

「なんだ。つまり俺が土下座する必要など無かったということだな。まったく、チミたちのせいで土下座が無駄になってしまったではなイカ。反省しているのかね? 反省しているのなら、俺の足を舐めて服従を誓いたまえ」

「仁さん?」

「ゴメンナサイ。調子に乗りました。このゾウリムシが全ての元凶であり、反省しなければならないのはこの私だけです。どうかご慈悲を」

「どうしてこのバカは同じことを繰り返すのかしら? 学習能力は低くないどころか凄く高いはずなのに」

「学習した上で同じことを繰り返すって、普通に学習能力が無い人よりも性質が悪いよね。だって本当の意味でどうすることもできないわけだし」

「そこが仁さんの魅力――というのは過言かもしれませんが、仁さんらしさであることに間違いは無いのでしょうね」

「まっ、そこは委員長の言う通りかもしれないわね」

 肩をすくめながら微笑む理香に、黒澤は屈託のない笑みを見せる。

 仁に対して色々と思うところがあるのは確かかもしれないが、だとしても理香のことを友として好いている気持ちに偽り無し。

 そして何よりもこのクラス内で惨事が起きることを回避できた。そのことを思えば幻覚に苛まれたことなどたいした問題ではない。

「ところで委員長、あの封筒は結局、どうしたの?」

「焼却炉で燃やしました。あんな危険な代物、残しておいてもこの世界に害を為すだけですので」

「そっかー。だからあっちの方で騒ぎが起きているのねー」

「騒ぎ?」

 クラスメイトの一人が指差すのは窓の外。

 焼却炉の方向だと皆が気付き、視線をそちらへと向けてみれば、全員の瞳が巨大な肉塊が膨張している姿を捉える。

 膨れ上がった肉塊は徐々に姿を変え、幾つかが本体より分離するが如く切り離されると地面に落ちた直後に変形。

 異常に大きな胴体に、小さな触手のような物を生やし、二つに裂けた腹部部分より綺麗な歯並びを覗かせる。

 それ等、謎の化け物たちは手足の無い体で大きく跳躍し、校舎に衝突。

 災害級の地震が発生したが如く校舎全体が大きく揺れ、一部の生徒が悲鳴を上げながら床に倒れる。

「仁!」

「ああ、少し形は異なるようだが、今朝の化け物と酷似している。成る程、見たことのない化け物だと思ったら、まさかあの書類から発生していたとは」

「ってことは、小学生たちが追い詰められた原因はアンタってこと?」

「失敬な。少なくとも登校中にあんな物が出ていたらどのタイミングであろうと気付くし、真っ先に襲われたのは俺だろう。恐らくは母親の手元にあった時か、もしくは昨夜、俺が意識を失った後に生まれたのが小学生たちが戦っていた個体だろう」

「でも、あの時の化け物は倒された後に姿を変えていたよ?」

「そこは知らん。別の何かに寄生でもしていたのか、あるいは姿を偽装していたのか。既に終わってしまったことに興味はない」

「で、どうするのかしら? 身から出た錆である以上、責任は取るんでしょう?」

「無論。もしも俺のせいだって感じになったら、受験勉強などで忙しい先輩方に殺されかねない。ここは何としても汚名返上をしなければ」

「要するに?」

「働いていますよアピールをして、ご機嫌を取らないと俺に未来はない」

「まっ、このままだと僕等も危ういわけだし、手伝うよ」

「ただし、捕獲とかそういうのは無しよ。危な過ぎる存在ってことは既に証明されているんだから。それでも捕まえるとか言い出すなら、アイツ等の餌という名の囮にするわよ」

「ういっす。委員長にも目を付けられているし、虎穴に入ってエイリアンを回収するような趣味は無いっす。というわけで殲滅しますっす」

「そう来なくっちゃ。まっ、先手はあっち側に奪われちゃったみたいだけど!」

 仁たちが戦闘体勢に移行する前に、体当たりの衝撃で窓ガラスが四散。

 次いで謎の化け物たちの口より卵のようなものが吐き出され、すぐさま割れたそれ等の中よりムカデのような足が生えたオタマジャクシのような生命体が誕生。

 学校の壁を張って割れた窓から中へ侵入、謎の化け物と同様の綺麗な歯並びを見せつけながら自分たち以外の生命体へと襲い掛かって行く。

 攻撃方法は至極単純、ただ獲物の体に這い上がって肉を食い千切るだけ。

 シンプルではあるが、グロテスクな生物にやられると肉体だけではなく精神にも多大なダメージを与える攻撃方法。

 幸いにも毒などは持っていなさそうではあるが、顎の力はかなりのものらしく、職員室に入って来た化け物たちの対処を始めた虎型の人外先生の強固な皮膚と頑強な肉体をも食い千切ってしまうパワーを発揮。

 単独ならたいした脅威にはならないが、吐き出された卵は一つ二つではなく、軽く三桁を超えている。

 無数というには物足りないが、いちいち数えるのが面倒なほどには大量。

 教室内に入り込んできた醜悪な化け物たちに、一年生は半数近くが悲鳴を上げて逃げ惑い、二年生は不快に思いながらも協力して迎撃開始。

 三年生は迷惑そうな表情で、面倒臭そうに無視。

 ただ、近寄って来た者たちには容赦せず、化け物たちを個別に排除。

 それでも数が数だけに、個々人でどうにかするにも限界があり、最終的に協力して退治していくことに。

 肉塊が発生してから僅か数分足らずの出来事。

 校内全体を巻き込む大事になってきたことに、仁は割られた窓より吹いてくる風を浴びながら黄昏れる。

「フッ。神よ、この私が何をしたというのですか。こんなにも善良で、特に他人に迷惑を――割と掛けてきた生だと実感はしておりますが、だからといってこんな変なことになるなんて、誰が想定できましょうか」

「はいはい。愚痴を言ってないで、アンタも早く参戦しなさい」

「だって! もうどうやったって誤魔化せないじゃないですか! 先輩方を怒らせたらどうなるか、理香ちゃんだってわかっているだろうに!」

「同情はするわよ。まあでも、あんな物を学校に持ってきたアンタの自業自得ってことで諦めなさい」

「まさかこんなことになるとは。うう、如何に俺が不死身であろうと、三年生たちの私刑を受けて五体満足でいられる保証は無し! ああ、せめて最後の晩餐を!」

「悲壮。何故。事件。普段。変化。絶無」

「その場のノリと勢いで生きているのが仁だからね。今は三年生に恐怖している自分に酔っているって感じなんじゃないかな?」

「仁っちって本当に、自由というかなんというか。まっ、次回の新聞に載せるネタを提供してくれたから、割と感謝しているんだけどねー」

「あんまり変な風に報道しないでよね。仁はともかく、そのせいで僕たちが巻き込まれることがあるんだから」

「わかってる、わかってる」

 本当にわかっているのかと問われれば首を横に振りそうな、胡散臭い笑いを浮かべている黛に、東間は呆れの吐息を漏らす。

 尤も、下手に悲鳴を上げられたり、パニックに陥られるよりはマシと言えるため、東間は飛び掛かってくるオタマジャクシの化け物を殴り潰しながら、戦えないクラスメイトたちの避難経路の確保を優先することにした。

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