第四百九十三話

 顎を蹴り砕かれた謎の化け物が行うのは変異。

 四肢と呼べる部位は珍妙な形となり、そのまま縮小。

 短い触手のような手足は果たして、どのような役割を果たすのか。

 それがわかっているのは変異を果たした謎の化け物だけ。

 尤も、明らかに言語を介するような様子は見せておらず、手足から養分を吸収したが如く膨張した胴体の腹部部分が二つに裂ける。

 血塗れの裂け目より露出するのは人の口。

 歯並びがよく、歯科医が診察したら褒められそうなくらいには整然とした口腔内であったが、その大きさは成人男性数人程度なら丸呑みにできそうなほどのもの。

 そして何よりも驚くべきはその跳躍力。

 手足を失ったことで動けなくなったはずなのだが、何処に力を込めているのか、天高くへと跳ね上がった謎の化け物は大きく開いた口で小学生たちと理香を呑み込まんと落ちてくる。

「へえ、良い度胸じゃない」

 醜悪な謎の化け物が突っ込んでくるのに対し、理香は余裕の笑みを崩さない。

 先程の一撃で相手の力量を把握したのか、はたまた化け物と言えど、強い者と戦えることに喜びを見出したのか。

 ただ、現状を踏まえると彼女に全てを任せるのは悪手。

 加勢など彼女は望んでいないことを理解していながら仁は東間と目配せし、同時に動き出す。

 東間が担うのは小学生たちの避難及び救助。

 有無を言わせぬ早業で次々に子供たちを運んでいくという、状況次第では誘拐犯と間違われそうな行為を、黙々とこなしていく。

 一方で仁が任されたのは謎の化け物の排除。

 落下中のその巨体を、懐より取り出したガトリングガンで蜂の巣にする。

 穴だらけにされた謎の化け物は地面に墜落後、更に変異。

 今度はスライム状の体となり、アメーバのように蠢きながら周囲にあるものを次から次へと取り込んでいく。

「ふーむ。死ぬことをトリガーにして変異を遂げる系の化け物か。ただ、変異の際に死因に対する耐性を得る、といった感じではなさそうだな」

「ちょっと仁、何を割り込んでいるのよ。アレは私の獲物よ」

「理香ちゃんよ、我等が優先すべきは子供の安全確保なり。小学生では手に余ると判断した以上、速やかに始末するのが我等が役目。通報も既に完了している」

「私一人じゃ勝てないって判断したってこと?」

「否。理香ちゃんよ、今日が休日なら我も何も言うまい。理香ちゃんが窮地に陥ったなら排除するが、そうでないのなら愚かな群衆より見物料を稼いでいたであろう。見世物としてもちょうど良さそうだったし」

「私を見世物扱いしないで」

「今のは例えの一つなり。気にしないで欲しいなり。コホン。話を戻すが、それはあくまでも休日での話なり。だが今は平日、しかも我々は遅刻しないように学校へ向かっている途中なり。なれば早急に始末するのが得策」

「……まあ、言いたいことはわかるわよ。私だって遅刻したいわけじゃないし、貞娘先生に無用な心配を掛けさせたくないもの」

「然り。だがリューグが相手なら話は別。ストレスによって奴の胃を穴だらけにすることは私の長年の夢でした。その大望の邪魔をする者たちには塩を!」

「しょっぱくなりそうね。で、どんどん広がっているみたいだけど、どうするの? さっきまではまだしも、私も今のアレには触りたくないんだけど」

「うみゅ。俺の直感も囁いている。今、物理的な攻撃は無意味と。何もかも吸収されてしまうのがオチだと」

「ってことは、選択肢は一つしかないわね。割り込んできたんだから、最後までちゃんと片付けなさい」

「もちろん、そのつもりだとも」

 ガトリングガンを懐に入れた彼が代わりに取り出したのは液体窒素噴出機。

 何もかもを凍て付かせる氷結の息吹はスライム化した謎の化け物を凍り付かせ、動きを完全に封じる。

 ここで砕いてしまえばそこから更なる変異を遂げるであろうが、言い換えれば砕きさえしなければ復活できないということ。

 仁は目の前の変異する謎の化け物を研究材料にしたいという、内より生まれし欲望の囁きを圧殺。

 理香の手前、好き勝手にやり過ぎるのは許されず、また彼女に害が及ぶ可能性を考慮すればたどり着く答えは一つだけ。

 液体窒素噴出機を懐に入れ、交換する形で取り出したのは掃除機。

 見た目も役割も掃除機そのもの。ただし、出力と中身は別物。

 ブラックホールに直結する穴を内蔵した掃除機は氷漬けの謎の化け物を砕くことなく、跡形もなく吸い込む。

 荒らされた跡、戦闘の痕跡以外、謎の化け物がいたという証が何一つ残ってはおらず、文字通り掃除を終えた仁は名残惜しそうな表情で掃除機を片付ける。

「えーっと、私としては氷漬けにするところで終わりだと思ったのだけれど」

「まさか。そんな中途半端な真似はしないでござるよ。やるからには徹底的にが我の主義なもので」

「じゃあなんで氷が砕けなかったの? 明らかにその吸引口よりもあの化け物の方が大きかったのに」

「吸い込む際に対象を傷付けず、元の形を保ったまま呑み込むようにと改造したから。少し苦労したが、改造してからどうせ送る先はブラックホールなんだから、わざわざ元の形を留める必要なくね? ということに気付いたのは内緒でござりまする」

「……まあいいわ。東間もそろそろ戻って来る頃でしょうし、通報したっていうのなら、警察が来る前にさっさと行きましょう」

「警察から逃げるように去って行く理香ちゃん御一行様。もしや理香ちゃんが何か犯罪を犯していて、警察に追及されたくないから、早めに逃げることを提案している可能性が存在しているのでは!?」

「単に遅刻したくないだけよ。毎回のこと――とは少し違ったみたいだけれど、今のところ、わかっているようなことはないわけだし」

「詳しく調べれば何か出てくるかもしれませぬ。尤も、ブラックホールの中を調べる勇気が理香ちゃんにあるのなら、の話だが」

「私が戻って来られなくなったらどうするの?」

「地獄にいようが別惑星にいようが、必ず追い駆けて連れ戻すだけだが」

「……バカ」

 真顔で言い切った仁に、若干、頬を赤く染めた理香は照れ隠しで顔をそらす。

 彼女が何故照れているのか、わかっているのかわかっていないのかは定かではないものの、仁は特に気にする素振りを見せない。

 そのことに僅かばかり苛立ちのようなものを覚えた東間であったが、遠くより聞こえてくるサイレンの音によって時間がないことを察知。

 仁や理香に声を掛け、全員でその場を離脱。

 時間もあまりないことから急いで学校へ向かい、ギリギリのところで教室内へ駆け込み、席に着く。

「ふいー、危ないところだったぜ。流石は俺、ギリギリの見極めもこなせるとは。この技法は誰にもマネできない神秘の技法」

「はいはい。意味不明なことを言わない。まっ、確かによく間に合ったわねと自分で自分を褒めたくなる気持ちは、わからないでもないけど」

「あんまりこういうことはしたくないよね。色々な意味で心臓に悪いし。まあ今回はちゃんと事情があるから、仮に遅刻しても小言は少なかったと思うよ」

「そうでもない。特に俺のところは今、母親が帰還中だからな。あの程度の雑魚相手に時間を掛け過ぎとか言われかねない。まったく、何処から発生したのかは知らんが、傍迷惑な生物だった」

「確かに、この辺りではあまり見ないような奴だったよね。外来種なのは間違いなさそうだったけど」

「突然変異の可能性も否定し切れないわよ。もしくは保険医辺りが作った失敗作とかいうこともあり得るかしら」

「さて、もし保険医の作った失敗作ならば、俺のところに情報が無いのはおかしな話とではあるが。っと、そろそろ始まるか」

 鳴り響くチャイムの音と同時に開け放たれる扉。

 担任の貞娘先生が始めるホームルームが本日の学校生活開始の合図。

 何事も無く、穏やかに過ぎていく授業の時間。

 いつものように時が過ぎて行き、いつものようにリューグをからかって逆襲される仁であったが、その様子は傍から見て僅かばかり違和感を覚えるもの。

 登校中は特に感じ取れなかった違和感に理香と東間が同時に気付き、次いで神凪や次光、黛や黒澤も彼の様子に不可思議な何かを感じ取る。

 ただ、問い詰めてもはぐらかされるであろうこともわかり切っていたので誰も追及は行わず、そのまま昼休みに突入。

 超速で昼食を終えた仁は神妙な面持ちで封筒を取り出す。

 昨夜、母親より任され、結果、返り討ちに遭ってしまった悍ましい書類。

 彼女がいなければ本当に昇天していたかもしれない、それほどまでに恐ろしい書類の封印を解き放とうとする彼の腕を掴んだのは黒澤の手。

 真剣そのものな彼女の眼差しに、仁は思わず息を呑む。

「仁さん、それはダメです」

「委員長、これが何か知っているのか?」

「知っているわけではありません。ただ、それからは良くないものを感じます。それに読んではいけないものだと、読めば後悔することになると、私の中の何かが訴えているのを感じます」

「成る程。ちなみに俺も母親からは手渡されただけなので、この書類が何なのかについての情報は何も無いのだよ。わかっているのは昨日の夜、この書類のせいで死に掛けたという事実だけだ」

「やはり、ですか。恐らくは仁さんだからこそ、その書類を読んでも生き延びることができたのでしょう。他の方が目を通せば、即死は免れないかもしれません」

「ええっと、委員長、さっきから凄く物騒な会話をしているなーって感じがするんだけど、私の気のせいじゃないわよね」

「気のせいじゃないと思うよ。何せ僕も同じような感じがしているから。神凪君はどうかな?」

「同意。全面」

「えっと、仁っちがまた何かやらかそうとしているってこと? それならもしかしなくてもスクープのチャンスだったりする?」

「黛さん、写真は取られない方が良いですよ。下手に撮影などしてしまえば、黛さんの精神が崩壊しかねませんから」

「アハハ! 委員長ってば冗談が上手いんだから! ……冗談、だよね?」

 微笑みの中にある瞳は欠片も笑っておらず、彼女の発言は真実であるとその場にいる全員が確信する。

 ただ、警告されてなお仁は封筒から手を放そうとはしない。

 昨夜のリベンジ、そのためだけに彼は死地へと向かおうとしている。

 バカと言われればそこまでであり、彼自身、自分が愚かな真似をしようとしていることは自覚済み。

 それでも止まれないのは男の子としての意地を優先しようとしているため。

 できないものはできないと、簡単に諦めて敗北を認めるのは悔しいから。

 単純明快で、だからこそ厄介な彼の心を見抜いた黒澤は彼の腕を解放。

 許可が下りたと判断した仁の手より封筒を奪い取り、教室より出て行こうとする。

「ちょっ、ちょっと待ちたまえ、委員長! 流石にそれはどうかと思うのだがね!?」

「何のことでしょうか?」

「何のことって、その書類だよ! 我は意地と誇りを持って苦難に挑まんとしているのだよ! それを笑いながら奪って何処へ持って行こうというのかね!?」

「焼却炉です。跡形もなく燃やし尽くしてしまえば、人体に悪影響を与えることは無いでしょうから、炎は正義の象徴、と言ったところでしょうか」

「正義も悪も炎には関係ないなり! 燃やし尽くすだけなりよ! 理香ちゃん、理香ちゃんからも何か言ってやって欲しいです!」

「え、ええっと、何が何やら、付いて行けないんだけど、委員長、さっき仁が死に掛けたとか言ってたけど、本当なの?」

「まず間違いないかと。これは本当に悍ましいものです。目を通せば死が訪れます。仁さんのお母様については私も少ししか知りませんが、その方ほどの心身の強さが無ければ耐え切れません。下手をすると、理香さんのお義父様でさえ、負傷する可能性があります」

「仁、燃やしちゃいましょう。おばさんには申し訳ない気持ちもあるけど、だからってそんな危険物は私も見過ごせないわ」

「僕も同意かな。そもそも仁、君はアレで何をしようとしていたのさ?」

「いやー、これだけ人や人外が集まっている学校内なら、母親の代わりができるほどの治癒術が使える輩がいるかもしれないから、チャレンジしてみようかなって」

「却下です。仁さんが何をしようと、それは仁さんの自由ですが、大切なクラスの仲間が自殺を行おうとしているのを黙って見過ごすわけには参りませんので」

「いやでもだな」

「仁さん?」

「……はい」

 笑顔を崩さず、有無を言わせぬ迫力を発揮する黒澤に、仁は敗北を認めざる負えなくなってしまう。

 援軍を請おうにも、理香を始め、周りの者たちが黒澤側に回っており、彼の男の子としての意地を応援しようとする者は皆無。

 それはつまり、彼に死んで欲しくないという意思の表れでもあるのだが、リベンジを果たす機会を失ってしまった仁は拗ねたように隅っこで膝を抱えながら座り込み、床にのの字を書き始める。

 その間に黒澤は封筒を持って外にある焼却炉へ向かい、躊躇うことなく封筒ごと中の書類を焼き尽くした。

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