第四百八十九話
光の線に絡め取られた死霊の集合体は身動き一つできなくなる。
網のように細かいわけではなく、一つの肉体を持っているわけでもないにもかかわらず、線の隙間から死霊たちが出て来ないのは光そのものに拘束する力が宿っているからか、はたまた分離能力は持っていないのか。
ただ、身動きを封じられたからといって死霊の集合体を退治できたわけではない。
光の線の力も札に宿った有限のもの。
であるならば時間経過で拘束は解かれ、再び動き出すのは必然。
陰陽師風の少年もそれを理解しているのか、わざとらしく疲れたようなポーズを取り、仁の肩に手を乗せる。
「僕にできるのはここまでだ。後は君に任せようと思う」
「ざけんな。引き受けたからには最後までキッチリこなせ」
「女の子を背負うという役得を味わい尽くしたいという気持ちはわからなくもないよ。でも僕にだってできることとできないことはあるし、そもそも役得というにはその子は胸が――」
言葉を止めたのは陰陽師風の少年が何かを感じ取ったため。
無論、意識がなく、仁に背負われている状態の理香に何かすることは不可能。
それでも彼は自身の直感に従い、一度、咳払いをしてから話を変える。
「まあ君の言い分にも一理ある。このまま放置するのも忍びないし、ここは僕も久しぶりにサービスしようじゃないか」
「ドケチ」
「ケチは商売人の鉄則だよ。人によって大なり小なりと異なりはするけれども、ケチじゃない商売人は何処かで必ず破綻する」
「それは少し偏見が過ぎる気もするが」
「そうでもないよ。実際、商売っていうのは如何に利益を出し、損失を減らすかの戦いなんだから。札だって安くはないし、僕も可能な限り経費は削減したい。特にこんなお金にもならないような仕事はしたくないっていうのが本音だ」
「義理人情も商売には必要だ。情けを掛けることで、巡り巡って客が来ることだってあるとは思わなイカ?」
「否定はしないよ。だからこうやって、友達を助けているんじゃないか。ちゃんと僕のためにお金を稼いでおくれよ?」
「お前に貢ぐ気は欠片も無い。そもそもそんなに金を稼ぎたいのなら、ホストにでもなれば手っ取り早いんじゃないのか? 顔もまあ、幼さはあるが良い方だし、夜の仕事はお前には向いてそうだぞ」
「その意見はホストをバカにし過ぎだよ。顔が良いだけの人間なんて数え切れない。まあ女性を騙して金を貢がせるくらいなら、できなくも無いと思うけど」
「そっちの意見は女性をバカにし過ぎじゃないだろうか」
「どんな言葉も聞かれなければ問題は無いよ。さて、準備も整ったことだし、手早く済ませるとしよう」
袖の中より取り出した札を天高くに放った陰陽師風の少年は両手で印を結び、囁くように何かを唱え始める。
呪文のような、お経のような、素人には判別できない詠唱は数秒で終わり、先程とは異なる淡い光が辺り一帯を包み込む。
先刻の強烈な光が太陽ならば、今現在放たれている光は月か。
優しい光に暴力性はなく、しかし死霊の集合体は苦しみの声を発しながら少しずつその体積を削られていく。
「フゥ。後は邪魔さえ入らなければ時間経過で浄化が完了するはずだ」
「フラグか? フラグ建築か? これ以上の面倒事は真面目に勘弁願いたいが」
「僕がそんなミスを犯すとでも? まあ君の力を借りられるのなら、遠慮なくミスをしてあげるけど、今の君じゃ無理そうだから、ちゃんと周囲にも気を配っているさ」
「とか言いながら不意を突かれた一撃に対処できず、グハァ!? となるのがお約束というものなのだぞ」
「それも悪くないんだけどね。実際、他にも手駒がいるなら、死んだふりでもして後始末を押し付けたいところだけど――」
死角から飛び出し、腹部を貫通する長く鋭利な凶器を他人事のように、陰陽師風の少年は冷めた眼差しで見下ろす。
鞭のようなしなりを持つ、謎の凶器は確かに彼の内臓を貫いているはずなのだが、陰陽師風の少年は気にも留めず、取り出した札を凶器に当てる。
途端、まるで炎に投げ入れられた氷が如く、謎の凶器は見る間に蒸発していき、跡形もなく消え去って行く。
その直前、根元が完全に消失する前に物陰に潜んでいた何かが逃走したのを仁は目撃するも、敢えて追撃は行わず。
不意打ちを仕掛けてきた何者かの気配が完全に消えた後、思い出したように口から血を吐き出す陰陽師風の少年に、懐より取り出したタオルを投げ渡す。
「ありがとう。でもまさかとは思うけど、これ、使い古しじゃないよね?」
「安心しろ。使わずに放置されていた予備のタオルだ。洗ってからさほど時間は経過していないし、使ってもいないからたぶん綺麗なはず」
「なんだか心配になる言葉だけど、僕も寛大な心の持ち主だから、大丈夫だと思いながら使うことにするよ」
「うむ。存分に感謝するが良いぞ。というかお前、どうして生きているんだ? 誰がどう見ても確実に死んでいるだろうに。仮に即死を免れていたとしても、倒れて動けなくなるのが人間という生物だぞ」
「それは簡単。僕は人間じゃないからね。腹を貫かれたくらいじゃ死なないのさ」
「成る程。納得したぞ」
「納得されちゃったかー。言うまでもないことだけど、冗談だからね。僕はれっきとした人間だし、人外とのハーフとかでもないから」
「バカな!?」
「バカはそっち。まったく。失礼しちゃうな。大体、友達が腹を貫かれたんだよ。君はもっと怒ったり、慌てたり、涙を流しても良いんじゃないのかな?」
「お前が倒れて、遺言を残していたらもしかしたら泣きはしたかもしれん。主に喜びの涙を流す自信がある」
「うーん。この人でなし。僕の見込み通りと感心したくなるよ。こうでなければ僕と付き合うことはできないからね」
「まっ、冗談はさておき、マジでどうなってんだ? 確実に貫かれたはずだろう? それなのにどうして平然としていられるんだ?」
「簡単だよ。アレが貫いたのは僕の体じゃなくて亜空間だから」
「まるで意味がわからんぞ」
「不意打ち対策として僕は事前に色々な札を体に張ってあってね。その一つがもしも僕の肌に害意や悪意を持って触れる物があったら、自動的に空間に穴を開けるようになっている。まあ簡単に言うと青いタヌキ型ロボットが使っている、なんでも通り抜けられる輪っかみたいな感じかな」
「んじゃその血は?」
「その札が発動した時に、連動して発動する血糊札。僕に致命傷を負わせたと錯覚させるのが主な目的。そういう奴って大体が油断してくれるからね。手痛い反撃で逆転するってわけさ」
「成る程。だから無傷だけど服はキッチリ貫かれて、血糊で汚れているわけだ。それなりに高そうだが、良いのか?」
「ダメに決まっているだろう。誰だか知らないけど、爬虫類の分際で僕のお気に入りの商売服を台無しにしてくれたんだ。生皮を剥いで売り捌いた後、肉屋にでも持って行こうと考えているよ」
タオルで自身に付着した血糊を拭き取りながら、笑顔で言い切った陰陽師風の少年の瞳に嘘の色は無い。
彼が紡いだ言の葉は真実。そして仮に肉屋で引き取られなかったらもっと悍ましい結末が待っているのであろうと、想像して身震いした仁は襲撃者が無事に逃げ遂せることを祈る。
「ねえ、仁。君は友達よりもあんな爬虫類のことを心配するの?」
「それはお前が普通に恐ろしいことをほざいているから――うん? どうして相手が爬虫類だってわかるんだ?」
「それはもちろん、君と再会する前に、爬虫類型の人外と遭遇して。電車賃が思っていたよりも高かったことにムシャクシャしてたから、サンドバックになってもらったんだけど、さっきの尻尾がその時の人外と同じものだったから」
「つまりお前が通り魔的なことをやって、その報復に相手が襲い掛かって来たと。全面的にお前が悪いってことは理解しているのか?」
「ここは魔境だよ? 自分で自分の身も守れないような奴が、夜に活動するなって口を酸っぱくして言われているじゃないか。それが嫌なら護衛を雇うなり、創意工夫を行えって。それを怠ったんだから、向こうが悪いとさえ言える」
「確かにそれが魔境の暗黙の了解ではあるが、だからといってストレス発散のために誰かを襲っていい理由にはならない」
「相手が人なら僕も自制したけど、人外相手なら自制する理由も必要もない。陰陽師とはそういう生物だ。違うかな?」
「……お前以外の陰陽師とほとんど会話したことは無いから断言はできないが、違うということだけはわかるぞ、似非陰陽師め」
「アハハハハハハ。細かいことは置いておくとしようよ。そもそも、僕がイラついたのは電車賃が思ったよりも高かったから。つまりは鉄道の、ひいてはこの国のせいであり、あの人外は国の犠牲者なんだよ」
「凄いな。自分の八つ当たりの責任を国に押し付けるとは。そういう奴がいないとは言わないが、珍しくはあるぞ」
「細かいことは置いておくってさっきも言ったよ。それより、土地の浄化もそろそろ終わりそうだし、早くその子を家まで送り届けないと。君だってまた変なのに襲われたくは無いだろう?」
「そうだな――って、もしかして付いてくるつもりか?」
「両腕が使えない君を放って、何かあったら僕が困るからね。サービスで護衛をしてあげるって言っているんだから、感謝してくれていいよ」
「絶賛、恨みを買って追われている奴が近くにいる方が危ない気がするのは俺の気のせいなんかじゃないと確信をもって断言できるが」
「どっちもどっち、だよ。それに僕無しで変なのに絡まれたらもっと大変になるかもしれないし、逆に僕と一緒にいて爬虫類型に襲われたとしても、僕たちなら切り抜けられる。違うかな?」
「あー、うん。そうなんだよなー。どうして神はこんなのに陰陽師としての才能を与えてしまったのか。神の失敗ってやつなのかねー」
「本人の目の前で失敗作呼びとか、君って本当に歯に衣着せぬ物言いが好きだよね」
「相手は選ぶ。マジでヤバい奴には衣を着せることもある。まあ長持ちはしないとても薄い衣だが」
「やれやれ。君も、もう少しその性格を矯正した方が良いんじゃないかな?」
「お前にだけは言われたくない」
無表情、無感情で返した仁は理香を背負い直し、道場を目指す。
能天気に、勝手に付いて来る陰陽師風の少年は式神らしき物体を取り出し、一人遊びをしながらも仁の後方、三歩分の距離を維持。
寸分違わず同じ距離を維持しながら付いて来る彼のよくわからない拘りに、仁は呆れるべきか感心するべきかを悩み、最終的にくだらないことと切って捨てる。
幸いにも爬虫類型の人外や死霊、悪霊、化け物の類いに再び遭遇することはなく、無事、道場前に到着。
まだ道場に残っていた師範代に理香を引き渡し、彼女の寝顔に癒された仁は悪辣な笑みを浮かべている陰陽師風の少年に拳を振るう。
「ちょっと、いきなり何をするのさ。ビックリしたじゃないか」
「とか何とか言いながらちゃんと避けているじゃなイカ。殴られる覚悟を決めていたのならキッチリと殴られろ」
「そんな覚悟を決めた覚えは無いよ。僕はただ、君が安らぎを得たような、小さな微笑みを浮かべていたからからかって遊びたくなっただけ」
「お前みたいなのに付き纏われていると、ストレスが溜まるんだ。俺はもっと自由に、俺の方が周りの奴等を振り回したいんだ。要するにお前みたいに俺よりもフリーダムな奴は邪魔なのだよ」
「僕は別にフリーダムじゃないよ。どちらかというと縛られている方さ。そう、お金という名の呪縛が僕を縛り付けて離さない。僕は不自由な、籠の中の鳥さ」
「金で汚れ切った翼の鳥は鳥籠の中で金に埋もれて絶命した方が世のためだろう」
「それはそれで素敵な最後だと思う。一度、札束プールとか泳いでみたい」
「師範代、どう思いますか、この金の亡者。今の内に始末しておきませんか?」
「物騒なことを言うな。友人――かは知らんが、まあ個性的な奴ではあるようだし、大切にしたらご利益があるかもしれないぞ」
「その通りだよ、仁。君もこのおじさんの言うことに従って、僕を敬い、大事にしてお金を払うべきだ」
「そんなことを言った覚えは無いんだが。取り敢えず、理香を寝かせてくる。送り届けてくれて感謝しているぞ。あと、お前も夜更かしせず、早めに帰るんだな」
「ういっす。師範代、お休みなさいっす」
「ああ、お休み」
一礼する仁に手を振りながら師範代は家の中へと姿を消す。
ようやく、自由の身になった仁は自身の掌を見つめ、少しだけ残念そうなため息を吐き出しつつ、自身の様子を見ながらまたも厭らしい笑みを浮かべる陰陽師風の少年が余計な発言をする前に自宅へ向けて歩き出した。
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