第四百八十七話

 理香の一撃によって本格的に火が点いた華恋はお返しの一発を放つ。

 避けようと思えば簡単に避けられるそのボールを、理香は敢えて真っ向から受け止めた上でコートの向こう側へと返してみせる。

 肉を切らせて骨を断つ、とでも言えば良いのか、鼻血を垂らしながらもポイントを奪ってみせた彼女に華恋は更なる闘志を燃やす。

 が、彼女たちの死闘は唐突に、決着がつく前に終了となる。

 理由は単純明快、理香と華恋が行っていたのはバレーボールであったため。

 剛力、怪力によって放たれる一発は、ボールそのものの耐久力を大きく逸脱していたものがほとんど。

 そのため、通常ならばあり得ない速度で球が消費されていき、繰り返していけば残球が尽きてしまうのは自明の理。

 尤も、そのような理由で決着をつけられなかったことに納得できるほど彼女たちはおとなしくなければ割り切れる大人でもない。

 バレーボールが引き分けに終わったならば、他の競技で決着をつければいいと、ありとあらゆる方法で勝負を行う。

 結果、体育館のみならず、校庭や校舎にも多大な損壊を出し、頭が冷えた頃には校長を始め、教員たちから説教を受ける羽目に。

 無論、それだけで終わるはずもなく、呼び出しを受けた師範と酒呑童子がボロボロの学校と正座させられている娘たちを見て事情を察し、雷を落とす。

 見ていて気の毒になるくらい縮こまる理香と華恋であったが、下手に擁護すれば飛び火するのは確実。

 何より、勝負に夢中になり過ぎて学校を破壊したのは紛れもない事実であり、日が暮れるまで続いたお説教に心身ともに疲弊しきった彼女たちは、罰として学校の修繕作業を言い付けられる。

 けれども怪力無双を誇る反面、器用さはそこまで高くない華恋と、器用不器用を超越した次元にいる理香に修繕作業など任せたところで結果は目に見えており、そこに関しては教師や親たちもまったく期待していない。

 それでも彼女たちに修繕を任せたのは、理香たちが誰に頼るか、縋り付くかを理解しているため。

 普通に依頼したのでは、悪癖である悪ふざけを始める危険があるものの、理香や華恋の評価に直結するとわかった上ならば迅速に事を進めるのが彼という存在。

 それはそれは癪に障る、とんでもなく不快かつ調子に乗った笑みを浮かべる仁に対し、殴りたいという衝動を堪えながら理香と華恋は頭を下げる。

 彼女たちの懇願を受け、天狗が如く鼻を伸ばした仁であったが、最初から断るつもりが無かったことは誰の目から見ても明らかであり、ついでに後輩の少女の前ということもあって、さほど引き延ばしたりはせず、さっさと修繕作業を開始。

 といっても彼が何かするわけではなく、懐から取り出した謎の風呂敷を、懐中電灯のような物が放つ謎の光で巨大化させ、校舎及び校庭を包み込むこと三秒。

 剥ぎ取られた風呂敷の下から現れたのは建てたばかりと言われても納得してしまうほど綺麗に整った校舎と校庭。

 少なくとも外から見る限りでは、傷一つない校舎に東間たちはノーリアクションであったが、後輩の少女だけは驚愕し、口を半開き状態で佇んでしまう。

「どうした、後輩。俺の美技に酔ってしまったのか?」

「……えーっと、先輩、今、何をしたんですか?」

「時間逆行」

「冗談ですよね?」

「さて、な。大切なのはここに学校が復活したという事実だけだろう。ちなみにあくまでも校舎の時間を戻しただけだから、中にある物の時間は戻っていないぞ。だから教科書とか置き忘れていたとしても机とかはそのままだから安全安心なり」

「いえ、そういうことを聞いているんじゃないんですけど」

「ならばこの『なんでも大きくしてしまう光線を放つ懐中電灯』について知りたいのか? だが原理を説明するとなると、予備知識が不可欠だ。まずはこれ等の本を熟読して内容を理解することから始めると良い」

 自身の作品に興味を持たれたことに気を良くしたのか、仁は懐より数冊の分厚過ぎる本を取り出し、彼女に手渡そうとする。

 だが表紙だけでも難解であることがわかり、加えて半端な辞書よりも分厚い本を前に後輩の少女は尻込みしてしまい、受け取りを拒否。

 残念そうにしながらも本と作品を懐に収めた仁は、口惜しそうにしている理香と華恋の眼前に立つ。

「で、終わったわけだが、何か言うべきことがあるんじゃなイカね? んんっ?」

「……ありがとう、ございました」

「この御恩は、忘れません」

「貸し一つ、いや二つ分くらイカ? あるいは三つ分でも可。まあ何にしても、あんまり図に乗っていると物理的な一撃を入れられそうだし、それはそれで美味しい展開と言えなくもないが、あんまり遅くなるとこれからの予定に支障が出そうなので控えておくことにしよう」

「これからの予定?」

「なんだ、何かあんのか? とっくに放課後っつーか、良い子は帰って晩御飯でも食べている時間だぞ」

「この学校に良い子なんて数えられる程度しかいないだろう。という真実は横に置いておくとして、説教を受けていたお二方は知らないだろうが、球技大会お疲れ様ってことで、焼肉に行くことになったのだよ」

「行くことにって、誰と誰で?」

「一年と二年全員」

「マジか。訊いてねえっつーか、全員が入れるような店はねえだろう?」

「流石にそこまで大きな店は確かに無い。だから数を分けてそれぞれ焼肉に行くことになったのだよ。ぶっちゃけ強制連行だから不満を漏らす奴も少なくなかったが、委員長が黙らせたっぽい」

「良いのか、それで」

「さて、委員長にしては珍しいとも言えるが。何にせよ、マジで行きたくない奴は社交辞令的な付き合いをしてさっさと帰るだろうから、問題は無いだろう。ちなみに俺はどうせお前たちに縋り付かれるだろうからって、二人を店まで連れて行く係に任命されてここに残っているのである」

「あっ、私は先輩だけだと心配だからって、付いているように言われました」

「そ、そうなの。ありがとう。でも、貴女も大変よね。このバカの監視を任せられるなんて」

「いえ、そうでもありませんよ。先輩、一見してふざけているし、実際にアホみたいなことをすることが多々ありますけど、上手く操縦できれば役に立ちますから」

「ハッハッハッ。後輩よ、今の発言に俺は涙を流したくなったんだが」

「冗談ですよ、先輩。頼りにしていますから、これからもよろしくお願いします」

 微笑む後輩の少女に、釣られるように仁と理香も笑みを浮かべるが、理香の笑みには何処となく強がりのような、暗い何かが見え隠れする。

 ただ、そのことに気付いた者は誰も居らず、理香自身にも自覚は無し。

 そしていつまでも話をしていて、焼肉という名の夕飯を食べ損ねるのは大暴れの結果、半端ではないカロリーを消費した理香と華恋にとって決して犯してはならない過ちと言えるので、話をそこそこに仁の案内の下、お店へ急ぐ。

 当たり前のことながら、彼女たちの到着を待っているほどおとなしい生徒は皆無。

 そもそも理香も華恋も自業自得で遅れたに過ぎず、仁たちには多少、同情の念が向けられはするものの、焼肉の魔力に勝るほどのものではない。

 学生たちによるお店の貸し切り。

 他の客の姿が見当たらないのは空気を読んでか、はたまた五月蠅過ぎて迷惑千万だったからか、それとも金の力で本当に貸し切りにしたのか。

 理由は定かではないが、腹を空かせた獣たちにとってはどうでもいいこと。

 早速、彼等の輪の中に参戦――というより焼かれた肉を奪い取るために乱入した戦乙女二名を眺めていた仁と後輩の少女は、隅の方でその戦いを見守っていた神凪と合流する。

「よっ、神凪君。楽しんでいるか?」

「肯定。焼肉。美味」

「そいつは何より。まっ、こういうところで食べる料理っていうのは、何かしらのブーストみたいなのが掛かっているのか、普段より美味しく感じるんだよな」

「肯定」

「で、神凪君は密やかに肉を確保して、ついでにきゅうりも確保して食べていると。俺たちの分はありますかな?」

「肯定。確保。容易」

「流石。んじゃ後輩よ、俺たちも食べるとするか」

「それは良いんですけど、先輩、あの人たちは止めなくて良いんですか?」

「まあ理香も華恋ちゃんも、雷が落ちた矢先に同じようなことをするほど愚かではないからな。放っておいても店が壊れるなんて事態にはならないだろう」

「そうかもしれませんけど、でも万が一ってこともありますよね?」

「その通りだが、それならお前が止めに行くか、後輩よ。お前がやりたいというのなら応援くらいはしてやるが」

「私が、ですか」

 問われた後輩の少女は改めて焼肉争奪という名の戦争を眺め、熾烈な激戦を繰り広げている彼等の間に割って入る自分の姿を想像。

 ボロ切れにされるか、気付かれることなく轟沈するかの二択であることを確信し、力無き正義の無力さを思い知ったことで仁の隣に座り込む。

「すみませんでした。私が間違っていました」

「後輩よ、それは違う。お前は何も間違っていない。ただ、間違いを正すだけの力がお前にはないというだけだ。物理的にもっと強くなるか、策を巡らせられるように成長すると良いぞ」

「うーん。先は長そうですね。元々、私は先輩方に解決してもらったアレのせいでここに来たようなものですから」

「原因、動機などどうでもいい。問題はこれからどうするかなのだよ、後輩。俺や神凪君を見たまえ。どれだけ惨めな思いをしても、決してへこたれることなく前を向いて歩いては轟沈しているではなイカ」

「轟沈している時点でダメダメじゃありませんか?」

「言っておいてなんだが、俺もそんな気がしてきた。と、そういえば神凪君、お主一人だけなのか? 次光や美鈴は別の店にいるという情報を既に仕入れてはいるが、東間きゅんもこの店にいるはずではないのかね?」

「東間。連行。死闘。勃発」

「なぬ?」

 神凪が指差す方向は店の外。

 窓を開けて外を見れば、駐車場にて屍が如く転がっている生徒たちと、困ったように頬を掻きながらため息をついている東間の姿を視認。

 東間もまた仁の存在に気付き、安堵の笑みを浮かべて店の中へと戻り、彼等との合流を果たす。

「仁、良かった。無事に終わったんだね」

「無事も何も、ただ学校を直すだけの作業だからな。俺にとっては容易いことなり」

「理香たちの手であそこまで壊された校舎や校庭を、元手無しで直せるんだから凄いの一言に尽きるよ」

「失敬な。元ではあるぞ。この俺様を動かしたという、この俺様の貴重過ぎる時間を使ったというあまりにも世界的に大き過ぎる損失をどのようにして埋めるのか、今こそリューグの手腕が問われる時!」

「リューグ先生だけに責任を押し付けるのは可哀想だからやめてあげなよ」

「甘いぞ、東間。リューグならば問題無し。俺はそう信じている。そして俺の信頼に応えることこそがリューグにとっての幸せなのだよ」

「先生が聞いたら泣いて呆れてため息をつくだろうね。でも、なんだかんだで仁の期待に応えそう」

「うみゅ。俺も少しなら手助けしてやらんことも無いしな。というか東間きゅんよ。お主こそ何をしていたのだ? あんな一昔前の不良でもやらないような無差別暴力を振るうなど、お前らしくもない所業なのでは?」

「あー、僕もできればやりたくは無かったんだけど、ほら、今日、僕に妙な敵対心を抱いていた人たちがいたじゃない?」

「確かエルフとか妖精とかに妙な執着を持っているとかいう連中だったか? そいつ等に因縁でもつけられたのか?」

「簡単に言うとそんな感じだね。まあ仲良くしているのは確かなんだけど、だからといって恨まれるのは筋違いだよって、言葉を尽くしたんだけど」

「結局は受け入れてもらえず、力で黙らせる羽目になったと」

「その通りなんだけど、僕だってこういうことをやりたいわけじゃないって、言い訳をさせてもらっても良いかな?」

「お前は暴力を振るうことをあまり好まぬ性質であるからな。まあ好まないだけで俺たちの中でも暴悪さ、極悪さは図抜けているから、後輩も気を付けるんだぞ」

「わかりました」

「わからないで! お願いだから妙な目で僕のことを見ないで! いつもみたいな仁の冗談だからね!」

「ハッハッハッ。後輩に警告をするのは先輩として当然の務めだと思わなイカ?」

「思わないよ! そもそも後輩の子に変な先入観を持たせないでよ!」

「まあまあ。肉でも食べて落ち着くが良い。そうすれば何もかも上手く行くぞ」

「何が上手く行くのさ。まったくもう」

 差し出された焼肉を、東間は仁を睨みつつ齧り付く。

 焼肉の美味しさが全てを水に流す、などと都合の良いことにはならないが、食事中にあまりにも騒ぐのはマナー違反と判断したのか、東間は黙々と肉を頬張り、苛立ちや不満と一緒にコーラで咽喉の奥へと流し込んだ。

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