第四百八十六話
鬼と人、種としての身体能力の差は大きい。
努力で埋められる差など差とは呼べず、根本的な部分で敵わないものは敵わないため、どれだけ己を鍛えようが無駄。
ある程度は差を縮めることができるとしても、匹敵することは絶対に無い。
そのことは理香も、他の者たちも理解している。
華恋自身、重々承知しているので卑怯な手段、謀略にて勝利を得ようとすることに怒りは覚えても否定はしない。
強者が牙を研ぎ、弱者が知恵を研ぐのは生存競争の中で必要なこと。
だからこそ華恋は手を抜かない。
己の持つ全ての力で、真っ向からライバルを蹴散らす。
認めているからこその行為に、仁ならば不平不満を漏らし、東間ならば苦笑いし、そして理香は悔しさを滲ませる。
どれだけチームプレイを磨こうと、連携で勝負を挑もうと、絶対的な個の力の前では何の意味も無い。
それは野球の、他の球技で既に証明されており、諦めずに食い下がったところで現実を変えることは不可能。
息を切らし、疲労困憊となる敵チームを前に、華恋は軽く鼻を鳴らす。
「おいおい、まさかこれで終わりか? 拍子抜けさせんじゃねえよ。私はもっと楽しめると思って参戦してやったんだぜ?」
「何をバカなことを言っているのよ。まだまだ、これからに決まっているじゃない」
「強気なのは結構だけどよ、息が上がっているし、何よりも覇気を感じねえぞ。そんな様で私に勝てると思ってんのか?」
「……一応、そっちもチームなんだから、私じゃなくて私たちって言うべきなんじゃないかしら?」
「それもそうだな。ルール上、私一人じゃ攻めるのは難しい。つーわけで、私たちに勝てると思ってんのか?」
「もちろん。勝てると思っているから、私はこうして立っているのよ。負けていたら這い蹲ったまま、起き上がれなくなっているわ」
「成る程な。そいつは楽しみだ!」
華恋がスパイクを放つたびに壊れていく体育館。
既に観衆の大半は避難しており、残っているのは彼女たちの戦いに興味がある一部の物好きと教師陣だけ。
その一部の物好きに含まれている仁たちは、明らかに調子に乗っている、調子に乗ることが許されている華恋の暴力に、感心を示す。
「うーむ、華恋ちゃんは絶好調なり。俺たちではもはや手の届かない領域にまで駆け上がってしまったのだな。我、悲しみを背負うなり」
「元々、彼女が僕たちよりもずっと強いのはわかり切っていたことだよ。しかも恐ろしいのは、本気を出しても全力を出しているわけじゃないって点だし」
「華恋。二年。最強。議論。余地。皆無」
「うむ。そして理香がなんとか食い下がるのはいつものこと。ぶっちゃけ理香がいなかったらあのチーム、とっくに折れているだろうし」
「仕方がないよ。むしろあの状況で折れる気配がまったく無い理香の方が異常と言えるわけだし。僕たちの幼馴染みたちは本当に凄い精神力の持ち主だ」
「いきなり何を言い出すんだ、東間きゅん。そんなことは前々からわかっていることだろうに。ハッ! もしや東間きゅん、幼馴染みにフラれた腹いせに、もう一人の幼馴染みであるフラれた相手の妹を標的にするつもりなのか!?」
「アハハハハハ。フラれていなければ告白した覚えも無いし、そもそも理香に妹なんていないだろう」
「そうか? 俺的には三姉妹な感じがするんだが。こう、双子として生まれて、後々に妹が一人、誕生した的な。それも腹違いな妹が」
「また随分と面倒な構成の家族だね。それに双子として生まれたのなら、片割れがすぐ近くにいるはずじゃないか?」
「そこはほら、理香だけ赤ん坊の頃に手違いか何かで家族から引き離されて、そして師範に拾われ、後に片割れと再会、互いに相手の正体を知らないまま、よくわからないけど惹かれ合い、宿敵となるみたいな?」
「話としては良くあることだけど、それ、理香に言ったら怒られるよ?」
「わかっているとも。我が妄想を理香にぶちまけるつもりはない。それに理香には師範や師範代、門下生たちという立派な家族がいる。今更、俺の閃いた設定など必要あるまいて。まあ、本当に家族がいたら複雑な感情を抱きつつ、最終的に喜ぶのが我が愛しき幼馴染みだと思うがぁぁぁっ!」
飛んできた流れ弾を紙一重で回避。
加減を間違えたのか、敢えて勝負を長引かせて楽しもうと思っているのか。
後者の可能性もあり得なくはないが、勝負の最中に遊び過ぎるような悪癖を持っていない華恋の行いとしては考え難いので、単に失敗しただけと判断した仁は後方の壁が壊れ、ボールの残骸が校庭に落ちるという惨状に息を呑む。
「なんか、さっきよりも更に威力が上がっているような気がする」
「調子が上がってきたってことじゃないかな? 華恋ちゃんもテンションに左右されやすい性質だし」
「ってことは、まだまだ更に強くなっていくってことですか? 確かに、二年生最強の鬼がいるって噂話は一年生の間でも有名ですけど、それにしたって華恋さん、強過ぎじゃありませんか?」
「まあ、な。俺も時々、ドン引きしたくなるような強さを見せてくれるのが華恋ちゃんという生き物だし。それに華恋ちゃんもまだまだ発展途上。他の人や人外たちも成長の余地があるとはいえ、現時点及び成長速度と成長限界において、華恋ちゃんに並び立つ者は無し。正に恐るべき鬼の首魁の後継者よ」
「といっても、あくまで二年生の中で最強ってだけだから、この学校で最強ってわけじゃないことは覚えておいてね」
「待ってください。三年生ってそんなに強い人が多いんですか!? 一年しか違わないのに、アレよりも!?」
「人じゃなくて人外だけどな。それに最強じゃないだけで、間違いなく現時点でも上位に食い込めるぞ、華恋ちゃんなら」
「世界。広大。華恋。最強。疑問」
「大人たちを含めても強い方ではあるのは間違いないんだけどね。っと、危ないよ」
「えっ?」
飛んでくる流れ弾が向かう先にいるのは後輩の少女。
呆けている彼女はかつて持っていた体質以外は年相応の少女でしかなく、当然だが高速で飛来するボールに対応できるような身体能力は持ち合わせていない。
そのため、東間は彼女を庇う形で仁の方に突き飛ばし、為すがままの後輩の少女を仁は己の体で抱き留める。
「大丈夫か、後輩よ」
「は、はい。ありがとうございます、先輩方」
「気を付けた方が良い。当たり所が悪いと本当に死ぬから」
「冗談、じゃありませんよね?」
「うむ。運が良ければ即死、運が悪いと苦しみながら死ぬことになる。それが華恋ちゃんが放つ死の魔球!」
「全然笑えないですよ、それ。というか、さっきからなんだかアウト球が多くありませんか? まさか狙っている、ってわけじゃありませんよね?」
「その可能性は低いはずなんだが、もしかすると戦いを愉しむあまり、肉体の制御が利かなくなっているのかもしれん」
「テンションが上がり過ぎて暴走しているってこと? 考えられなくはないけど、あの華恋ちゃんがそんな初歩的なミスをするのかな?」
「戦闘狂な一面もあるし、それにハイテンションも過ぎれば暴走状態と化す。通常の戦闘ならその程度、華恋ちゃんのセンスでいくらでも対処可能だが、バレーに青春の全てを捧げているわけでもないし、何よりも理香が対戦相手なことで、昂る己の気持ちを抑え切れなくなっていたとしても不思議ではない」
「結果。戦況。硬直。理香。幸運?」
「どうだろうな。圧倒されていることは確かだし、少しずつ食らい付けていっているとはいえ、力量差は歴然。これを覆すのには時間が足りなさ過ぎる」
「いっそ、僕たちが乱入でもすれば、華恋ちゃんに勝てるかもね。そんなやり方で勝てたとしても、理香は絶対に喜ばないだろうけど」
「ハァ。なんというか、幼馴染みでも色々と複雑なんですね?」
「後輩よ。その反応はよくわからないけど、取り敢えず、同意しておこうという感じにしか聞こえんぞ」
「その通りですから、特に否定する気はありませんけど」
「うみゅ。それで良い。我が後輩が素直なことに俺は喜びを覚える。このまま全力で抱き締めて、銀河を超えて果ての果てまで連れて行ってやろうか?」
「絶対に嫌です」
「アッハッハッハッハッ」
満面の笑顔で否定された仁は乾いた笑い声を漏らす。
近くで、あるいは冷静な目線で見れば仁が悪ふざけをして、後輩に怒られているという、ただそれだけのこと。
だが疲労と高揚感、焦燥と反骨心に包まれ、冷静沈着に物事を判断することができなくなっている者が中、遠距離からその光景を目撃したならば、別なことをしているように見えてしまう。
要するに、理香の目には彼等が笑いながら抱き合っているように映ってしまい、少しでも冷静になれば仁がいつものように悪ふざけをしているだけとわかったのだが、今の彼女に冷静になる余裕は欠片も無し。
結果、湧き出すのは黒い炎。
己自身でも制御できない、形容し難い感情。
それが何なのかは彼女にも説明できない。
説明できないが――握り締めた拳から物理的な黒炎が噴き出しそうになるくらい、彼女が纏う気配は異質な物と化す。
「り、理香?」
「なに?」
「――いえ、なんでもありません」
「そう」
簡素な言葉に込められている感情は無。
少なくとも理香自身は何の感情も含んでいないつもりであったが、チームメイトたちはいつ爆発するかわからない不発弾を扱うが如く慎重に、それでいて気付かれない程度に距離を取る。
そんな彼女たちの動きに理香が気付いているか否かは不明だが、周りのことなど気にも留めずにゆっくりと体勢を整え、華恋を睨む。
「ハッ。少しはマシな面になったみてえだな?」
「何の話? 私は何も変わっていないわよ」
「まっ、そういうことにしておいてやるか。まあでも、すぐまたコートチェンジしちまえば、てめえもアイツ等のことを見ずに済むんじゃねえか?」
「だから何の話? 奇妙なことを言ってないで、試合に集中しないと、潰すわよ?」
「……へえ」
挑発の意図が感じられない、極々自然に紡がれた言葉。
言い換えると本気の、心からの発言であり、華恋は心と体の熱を高め、渾身のスパイクを放つ。
無論、あくまで勝つことを目的としており、相手を叩きのめすことは二の次であるため、狙うのは誰もいないコート内の床。
更に速度を上げたボールに誰も付いて行くことはできず、罪もない床が八つ当たりを受けるように破壊される。
はずだったのだが、先程まで確かに反応できていなかったはずの理香が華恋のスパイクをブロック。
予想外の反応速度と見事に跳ね返されたボールに華恋は驚愕を隠せず、対応が遅れてしまい、ポイントを奪われる。
愕然とする両チームの選手たちの内、平然としているのは理香ただ一人。
華恋もすぐさま気を取り直し、闘争心を昂らせながらも拭えない恐怖を覚え、己の顔を殴りつける。
「うっし。やるか」
いきなり振るわれた己への一撃。
時間経過によって我へと返っていた彼女のチームメイトたちは、唐突な華恋の振る舞いに困惑するが、華恋は自信満々な笑顔で手を振り、彼女たちを鼓舞する。
「言っておくが、ああなった理香は強えぞ。気を引き締めねえと、私たちが負けるかもしれねえ。気合いを入れ直せ」
「ああなった、って、華恋、前にもあんな状態の理香を見たことがあるの?」
「ああ。久しぶりに見たというか、前よりも黒くなっているというか、とにかく以前よりも危なっかしい感じだが、それでも強えことに変わりはねえ」
「えっと、どういう意味なのか、説明してくれない?」
「悪いが、私にも上手く説明することはできねえ。何にしても、感情で強くなるのは人も人外も変わらねえってところか」
「えーっと、華恋への悔しさのせいで自分にキレたとか?」
「さあな。答えを知っているのはアイツ自身――いや、アイツもよくわかってねえのかもしれねえが、似たようなことになったら、私も同じ感じになるかもな」
曖昧に答える華恋に、チームメイトたちはそれ以上の追及は行わず。
ポイントは圧倒的に勝っており、優勝まであと僅かだという事実も変わらない。
ならこのまま押し切るだけと、華恋が打ちやすいようにボールを上げ、期待に応えるように彼女は強烈な一発を打つ。
が、理香はボールの行く場所を先読みしており、体ごと退いて威力を殺すことでレシーブを成功させると味方にトスを上げさせ、スパイクを返す。
風を切り裂いて飛来するボールに華恋は追いつくも、レシーブする彼女の両腕の上で高速回転したボールは勢いのまま跳ね上がり、その下顎を打ち抜いた。
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