第四百八十五話
大盛り上がりのバレーの試合は正に死闘と呼ぶに相応しい、五分五分の戦い。
点を取られては取り返して、互いに一歩も譲らず、弾丸の如き速度で飛ぶバレーボールは直撃すれば骨折するかもしれないほどの破壊力を有する。
先程はたまたま、無駄に頑丈な仁だったから鼻血程度で済んだ、というのが観戦者共通の認識。
というより彼でさえ、鼻血を出したという結果により、観戦している二年生たちの中に緊張感が生まれ、彼等の影響により、一年生たちも気を引き締めている。
そういう意味では仁が直撃したという事実は大いに役立っていると言えるかもしれないものの、当の彼自身は憮然とした表情で試合を睨む。
彼が不機嫌なのはいつまた、ボールが飛んでくるかわからないという不安のためか、はたまた自分たちの方にボールが飛んでくると確信し、無理やりに距離を取っている観衆の態度が気に入らないからか。
どちらにしてもここは何か声を掛けた方が良さそうと、東間が口を開いた瞬間、後輩の少女が仁に話し掛ける。
「あの、先輩! 先輩ってやっぱり凄いです!」
「後輩よ。慰めの言葉は要らんぞ。自分のことを情けないとか、自虐的な発想をする気は毛頭ないが、だからといって無意味に褒められてもそれはそれでイラつく」
「慰めとか、無意味とかじゃありません! だって、あんなに凄い速いボールを無防備な状態で受けて、それでも普通にしていられるんですから! 私だったら、たぶんあの地獄の保健室へ逝くことになっていたと思います!」
「後輩は華奢だからな。体質の問題が無かったら外の高校に通っていただろうし。何だったら、今からでも転校しておくか?」
「嫌です! だって、完全に解決したわけじゃありませんし、それに私自身ももっと体も心も強くなる必要がありますから! 自分を鍛えるのならこの学校に通うのが一番だと思うんです!」
「確かにこの学校は色んな意味で難易度が高いが、安全という意味なら間違いなく外の高校に通うべきではなイカ?」
「さっきも言いましたけど、私は強くならないといけないんです! だから先輩、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
「お、おう」
真正面からお願いされ、狼狽えた様子を見せる仁に東間は感心を示す。
不純物の一切ない、純粋な懇願に彼は慣れていない。
頼られることはあっても、大抵が打算や他に頼れる者がいないからなどという消去法、あるいは幼馴染みや顔馴染みなど、親しい者からの願い。
今回のように、知り合ってから間もない者に、純粋に頼られる機会はほとんど経験したことが無く、だからこそ狼狽と照れが生じている。
無論、基本的に図太い彼は慣れるのも早いので、一回か二回、似たような経験を積めば狼狽えも照れも無くなるであろうことを断言可能。
尤も、慣れれば躊躇いなどが無くなるのは誰もが同じことなので、彼が特別ということではないのだが。
「東間」
「うん? なに?」
「殺気」
「ああ、うん。やっぱり神凪君も気付いていたのか。今は試合に集中しなきゃと思っていても、どうしても気になっちゃうんだろうね」
「消失。理由」
「一年生相手に大人げないと考えているから、もしくは自分はそんな狭量じゃないと言い聞かせているから。何にしても、試合をやめてそういうことをすることはないだろうし、今は放置で良いと思う」
「本音」
「下手に関わると巻き込まれそうだから、面白そうではあっても首を突っ込まない方が良いんだろうね。まあ神凪君がどうしてもって言うのなら、僕は止めないけど?」
「恐怖。関与。否定」
「それが賢明ってところかな。まっ、理香は心配し過ぎだとも思うし、それに怒りで身体能力が上昇することは多々あるから、これはこれで試合に有利に働くことがあるかもしれないよ。尤も――」
飛来するボールを、手を伸ばして受け止めた東間は掌から煙が上がるのを実感。
幸いにも火傷には至っていないが、痛いことには変わらず、ハッとした様子で謝罪の動作を行う理香に苦笑しながら手を振る。
「無意識の内に、こんな感じでこっちにボールが飛んでくる可能性は否めないけど」
「同意。嫉妬」
「理香も女の子だからね。そこは仕方がないところがあるかもしれない」
「おう、何を話しているんだ、東間。というか、さっきのよく受け止められたな。もしかしてボールの軌道を完全に読み切ったのか?」
「そういうわけじゃないけど、ある程度、警戒していれば受け止めるくらいはできるよ。仁だって、この程度のことは簡単にできるだろう?」
「もちろんだ。だが俺は常に油断する。慢心する。相手を侮り、窮地に陥る。そんな俺が、飛んできたボールに正確無比に反応できるだろうか。仮に反応できたとして、体を張って受け止めることを選択しないと誰が言えようか!」
「うん。そういうのを悪癖と人は呼ぶんだよ。今の内に直した方が良いって、僕から進言しておこうか?」
「その進言はありがたく受け取らせて頂く。が、しかし、そんな言葉でこの俺が止まると本気でお思いかな? 東間きゅんよ」
「まあ無理だろうね。君ってほら、殺しても直らないというか、三回くらい死なないとその性根はどうにもならないって感じだし」
「三回。否定。最低。百回」
「百回でも足りん。俺の性根は無間地獄に堕ちたとしても決して直らん。だってそれが俺という生き物だし」
「先輩、自虐しないんじゃなかったんですか?」
「自虐ではなく厳然たる事実なり。逆に訊くが、お前等は俺の性根が直る可能性が欠片でもあると思っているのか?」
「まさか」
「絶無」
「だ、大丈夫ですよ、先輩! 頑張ればできないことは無いって、何かのドラマで観たことがありますから! きっとできますって!」
「うむ。二人の反応は予想通りだとして、後輩は本当に良い子だ。ご褒美にチューでもしてあげよう」
「やめてください。訴えますよ」
「凄く冷たい目で拒絶された。自殺を図ろうと思いマッスル」
「どうぞ」
「絞首台は向こうにあるよ」
「何故?」
「さあ? 誰かが趣味で使っているんじゃないかな?」
「趣味で絞首台を使う奴がいたら、この学校、別ベクトルでヤバいぞ」
内容はともかく、傍目からは和やかに行われているように見える会話。
楽しそうな彼等の輪の中に、入りたくても入れない、そんな気持ちの理香は自分自身を殴って気合いを入れ直す。
今は試合中。仁たちの存在が気にならないわけではないものの、他に気を取られて敗北を喫すれば自分で自分を許せなくなってしまう。
何よりも自分を応援している後輩の女生徒たちや、ともに戦う戦友たちに顔向けできないような真似はしたくないと、自身を奮い立たせつつ、殴った衝撃で切ってしまった唇より流れ出る血を手の甲で拭う。
「理香、大丈夫?」
「大丈夫。心配させてごめん」
「向こうが気になっているようだが、後にしろ。油断すればあっという間に負けへの下り坂を転げ落ちて行くことになるぞ」
「そうそう。まっ、理香が使い物にならなくなったとして、私たちだけで十分、巻き返すことはできそうだけど」
「言ってくれるじゃない。でもまあ、私もまだまだね」
戦友たちの励ましの言葉に、強気の笑みで応える。
そんな理香の様子を見て相手チームも強気に笑いつつ、目で合図を送り合う。
「確実に勝つためには、他に方法はないかしらね」
「ちょうど、他の試合も終わったみたいだし、ここは一つ、やりましょうか」
頷き合った彼女たちは審判に選手交代を宣言。
今更、控えの選手に交代――というより、控えの選手など存在しないはずの状況下での選手交代宣言に、理香たちは訝しむも、指名された選手の名を聞いて息を呑む。
「そう来るかー。セコいとは言わないけど、卑怯じゃないかしら?」
「生憎と。決勝で勝つためには手段を選んではいられないの。例え卑怯汚いと罵られようとね」
「というか、ルール上有りなの? そもそも選手じゃない人と交代するとか」
「そこは学生ルールとして有りにしてもらうわ。というか、理香だって正式な選手じゃなくて途中から交代して入ったじゃない。それと同じことよ」
「そこを突かれると痛いわね。それに、やり合いたい気分でもあったわけだし」
「ああ。ぶっちゃけ見ているだけじゃ暇だったからな。ルール違反じゃねえのなら、喜んで参戦してやるぜ?」
獰猛な獣の笑いを見せながら、コートの中に入って来たのは華恋。
軽く腕を回し、バレーボールを手に取って感触を確かめつつ、何気なく上に投げると跳び上がってスパイクを放つ。
先程までもプロでも通用するような、ハイレベルな攻防であったが、華恋が打ったボールはそんなものとは比較にならない速度と威力で飛んでいき、壁を貫通。
体育館に穴を開けてしまった彼女はほんのりバツが悪そうな顔をしつつ、咳払いをして気を取り直す。
「あー、つーわけだ。理香、まあてめえなら死なねえとは思うが、注意はしとけ。てめえを殺したらマジで仁の奴に殺されるだろうしな」
「安心して。こんなことじゃ私は死なないわよ。それに仁が仇討ちをやろうとしても、返り討ちに遭うだけじゃない?」
「それは仁の奴が正面から挑んできたらの話だろうが。手段を選ばなくなったら一番ヤバいのはアイツだってことは、てめえもよく知ってんだろう?」
「そりゃ、あのバカが作った作品は、私たちの理解の外側にあるものも多いから、ヤバいというのは理解できるわよ。けどそんな物を使ったらそれこそ、上の人たちを敵に回すことになるんじゃないの?」
「そんな打算、自分の危機なんてものを考える仇討ちなんざ存在しねえよ。一度、やると決めたら止まらねえのが仇討ちってもんだ」
「何処の知識?」
「私が好きな時代劇」
「あー、確かに華恋ってそういう系が好きそうだものね。私も好きだけど」
「ケッ。どうせてめえはイケメン俳優とか見てキャーキャー騒いでいるだけだろうが。それともなんか刀が擬人化? とかいうやつを見て騒いでんのか?」
「偏見が過ぎるわね。大体、イケメンを見て騒いでいるのは華恋の方――ではないわね。華恋はイケメン好きってわけじゃないもの。それは見ればわかるわ」
「……なんでそう思った?」
「さあ、なんでだと思う?」
再開前から火花を散らす理香と華恋。
喧嘩友達と呼称するのが一番合いそうな、彼女たちのやり取りに、しかし理香の戦友たちは半ば諦めの空気に包まれている。
華恋は二年生最強。酒呑童子の後継者。
そんな彼女に正面から喧嘩を売れる理香は確かに、尊敬すべきであり、実際、彼女の世話になっている一年生女子たちは尊敬の眼差しを向けている。
だが喧嘩を売れるからといって勝ち目があると、戦いになるとは限らない。
先刻のスパイクを見てもそれは明らか。
レベルの違いを見せつけられた彼女たちがまだ完全に折れていないのは、バレーが個人競技ではないからに他ならず。
尤も、野球の時もそうだったように、華恋は単独でも何も問題は無い。
流石にルール上、自分でトスを上げて自分で打つことはできないが、誰かにトスを上げてもらえば問題無し。
どれだけ下手くそであろうとネットより上にボールが行けば、それを叩くだけで点数を獲得できる。
ブロックが何枚あろうと関係ない。むしろブロックしようとすれば腕の方が壊れてしまい、負傷するのを恐れて反応が遅れていく。
理香だけは恐れずに挑むものの、彼女だけで華恋のスパイクを防ぐことは不可能。
そもそも彼女は打つコースを変える必要さえない。
ただただ、上げられたボールを相手コートへと叩き落とす。
それだけで相手を圧倒でき、他の五人はとにかくトスを、ボールを高く上げることに集中すればいい。
唯一の難点は、ボールを打つたびにボールと床が破損するという点。
理香が相手だからか、必要以上に力を込めてしまっている華恋の中より一時的に加減という二文字が消失してしまっており、更に圧倒されながらも食い付こうとする理香の姿勢にますます、己の中の熱を高めていく。
後々、修理代の請求と体育館を壊した罰、何よりも父親の酒吞童子より大目玉を貰うことになるであろうことは疑う余地無し。
そのことを彼女に告げれば相応に動きが鈍くなりそうではあるが、それは理香の望む勝ち方ではなく、小細工を弄すれば彼女の怒りを買う危険さえあるので、敢えて告げようと思う者はいない。
だからといってこのまま手をこまねいていれば敗北は必至。
起死回生の手札を探したところで、強大過ぎる個の前に打つ手は無し。
歯痒そうに唇を噛み締める理香は、高過ぎる壁を前に闘志を滾らせ、けれども華恋は容赦なく、彼女のブロックを貫いてスパイクを決めた。
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