第四百八十三話

 後輩の少女に引っ張られて保健室へと連行される仁を見送った東間たちは審判に事情を説明し、選手の補充許可を貰う。

 ただし次の試合が始まるまでという制限時間付き。

 当然、時間に間に合わなければ不戦敗。

 その条件を呑んだのは十分以内に見つけられる自信があるからか、はたまた八人で試合に臨んでは勝ち目がないと踏んだためか。

 いずれにせよ、仁の抜けた穴を埋めるべく、東間たちは既に敗北して暇そうにしている者たちに片端から声を掛けていく。

 だが皆、疲労が残っているためか、彼等の誘いを拒否。

 関連の無い、そもそも顔見知りですらない後輩や同学年生たちはもちろん、知人友人たちにまで断られるとは思っていなかった東間たちは一旦集合。

 軽く話し合いを行い、無差別ではなく一点集中に賭けることを決める。

「それで、ターゲットは何処に?」

「今は確かテニスコートにいるはずだよ」

「選んだのってバスケじゃなかったか?」

「優勝して暇になったから、他の試合も荒らして回っているって」

「傍迷惑だな、おい」

「仕方がないよ。それに挑戦者も後を絶たないって話だし、相手側からしても良い機会なのかもしれない」

「まあ、伊達に二年生最強と呼ばれていないからな。真っ向勝負であの鬼番長に勝てるような奴はいないだろうし」

「番長って、古臭いな、おい」

「古臭くても華恋には合っているだろう? 三年生も含めて、アイツこそ正にうちの学校の番長だろう」

「まっ、本人がそう呼ばれることを望んでいるかは別だけどね」

「んじゃ、神凪。説得よろしく」

「何故?」

「お前が適任だからだよ。むしろお前以外じゃ確実に説得に失敗する」

「だね。神凪君、お願いできるかな?」

「……了承」

 渋々ながら、というのが態度と表情でわかるくらい、乗り気ではない神凪を華恋の元まで連行。

 残された時間はそう多くは無く、急いでテニスコートへ赴いた彼等を出迎えたのは炎の剛速球。

 比喩などではなく、摩擦熱で燃え盛っているテニスボールはネットを焼き尽くしてコンクリートの壁に激突。

 凄まじいクレーターを残しながら焼滅し、あまりの威力に対戦相手は腰を抜かして戦意を喪失。

 白旗を上げる対戦相手に、華恋はつまらなさそうにため息をつく。

「んだよ、もう終わりか。手応えがねえな」

「いくら何でも一年相手に大人げないぞ、華恋」

「別に良いじゃないですか、先輩。生意気な口を叩いた一年坊主にはこれくらいがいい感じの薬になるんですよ」

「言いたいことはわからないでもないが、下手にトラウマでも作ってしまったらテニス恐怖症になりかねないぞ」

「いや、この場合はテニスというか華恋恐怖症になるんじゃ?」

「この程度のことでトラウマになるような奴に、大会出場なんて不可能ですよ。地区大会でさえブラックホールを生み出したり、千手観音を創り出したり、隕石を降らせたりする奴が出てくるんですから」

「……俺たちがやっているのってテニスだよな? SFに出てくるような超兵器の実験テストとかやっているわけじゃないよな?」

「何を言っているんですか、部長」

「当たり前じゃないですか。というか、どうして俺たち、授業中なのにテニスコートで話しているんでしょう?」

「知らん」

「まっ、良いんじゃないですか。先輩方は練習試合が控えているんだし――おっ」

 ラケットを弄びながら次の対戦相手の物色を行っていた華恋の視界に東間が入る。

 獲物を見つけて舌なめずりを行うのは三流の所業。

 されど絶対的な実力を有した、狩人にして捕食者が行えば、獲物にとっては恐怖の光景と化す。

 といっても東間は獲物になる気はなく、やる気満々の彼女に肩をすくめながら声を掛ける。

「やあ、華恋ちゃん。調子は良いみたいだね」

「別に。こんなもん、インフルエンザに罹っていようができることだぜ。まあ運動をして体が熱くなっているのは確かだけどよ」

「おい、アレで全然、本気じゃないってマジか?」

「マジだろうな。身体能力だけで相手を捻じ伏せるんだから、どんなスポーツをやってもそりゃ凄いことになるよなー」

「基本ルールを覚えて、基礎中の基礎を学べばそれだけで全国大会で優勝できそうだよな。流石に世界は無理だろうけど」

「そうか? 華恋なら世界でも簡単に優勝できそうだが」

「そりゃ、未成年という括りならトップレベルではあるだろうが、それでも世界には華恋以上の猛者がいるって話だ」

「んー。吸血鬼とか魔女とか、そういうのはいても不思議じゃないが、酒呑童子の跡継ぎに勝てるような人外がいるのか?」

「人外じゃねえよ。人間だ。ほら、人間の中にも東間とか理香とか、ああいう化け物も多いだろう? それが世界視点になれば、更に強い化け物がいても何も不思議なことはねえだろうし」

「聞こえているぞ、てめえ等。陰でコソコソ下らねえことを言っている暇があるなら私が鍛えてやろうか?」

「遠慮しておきます!」

 獰猛な捕食者の笑みを前に、東間と神凪以外が姿勢を正して整列。

 自分の意思を明確に伝えることができるのはある種の強み。

 が、歯向かう気さえ持っていない者たちが強者と呼べるのかは別の話であり、呆れた様子の華恋は頭を掻きつつ、東間に予備のラケットを投げ渡す。

「えっと、華恋ちゃん?」

「どうせ、仁が保健室に連れて行かれて人数が足りなくなったから、私の力を借りたいとか、そういう用件だろう? だったら私からの条件は一つ、私に勝ってみせろ」

「いや、華恋ちゃんに勝てるほど強かったら華恋ちゃんに頼む必要が」

「個人競技ならそうだろうが、チーム競技なら話は別。違うか?」

「……その通りなんだけど、華恋ちゃんを説得するための神凪君がいるってわかっているよね?」

「マジで言っているのならぶん殴る。冗談で言っているなら蹴り殺す」

「どっちでも同じような結末と。やっぱり、こんなことで神凪君を利用するのは気に障ったのかな?」

「勘違いすんな。そこはどうでもいい。私がムカついたのは、あの野郎を使えば私が言うことを聞くと思っている、そのクソ下らねえ根性だ」

「あー、うん。つまりは怒っているってことだね。それで試合をしろと」

「試合っつーか勝負だ。本当は試合で決着をつけてえところだが、私を勧誘しに来たってことは試合がまだあるってこと。ってことは、なるべく急いで戻らなきゃならねえって考えるのが自然だろう?」

「成る程。話が早くて助かるよ。で、どういうルールで勝負を?」

「一球勝負。基本的なテニスのルール通りで、先にポイントを取った方が勝ち。お前が勝ったら協力してやる」

「華恋ちゃんが勝ったら?」

「私が勝つこと前提だから、特に何もねえ、と言いてえどころだが、そうだな。その時はてめえと本気で戦ってみてえ」

「そういうのは理香、もしくは仁に言って欲しいんだけど」

「アイツ等ともいずれは決着をつける。だが今はてめえだ、東間。まさか私にバレてねえと本気で思っているわけじゃねえよな?」

「何のことだか、僕には見当もつかないんだけど?」

「……まあいい。てめえの人生だ。横槍を入れるつもりもねえし、踏み込むのが誰になるかは知らねえし、興味もねえ。だが、私が言った条件は呑んでもらうぜ? じゃねえとそもそも協力しねえ」

「わかったよ。その条件でOKだ。でも、僕が勝ったらちゃんと協力してよね」

「ハッ! この私を誰だと思っていやがる? 私が約束を守らねえ、なんてことはあり得ねえ。そんな恥知らずな真似をするくらいなら舌を噛み切って死んでやる」

「冗談でも何でもないところが、君の怖いところだよ」

 首を左右に振りながら回り込むようにコートの反対側へ移動。

 テニス部員よりボールを投げ渡され、かつて読んだことがあるテニス漫画の見様見真似でボールを地面にバウンドさせる。

「そういえば、サーブは僕で良いの?」

「それくらいのハンデはくれてやる。言っておくが、私の方が強いってことに私は疑いを持っていねえからな」

「僕もその点に関しては疑いの余地はないと思う。でもまあ、強いから勝てるわけじゃないのが戦いってものだよ、ね!」

 思い切り打った渾身のサーブは華恋の横を通り過ぎて行く。

 などと簡単に決着がつくはずもなく、ボールが再び何処かへぶつかる前に追いついてみせた華恋が振るったラケットよって力強く打ち返される。

 反対側へと飛んできたボールに、素早い反応を示した東間は全力でボールを打ち返し、華恋もまたボールを打ち返す。

 その繰り返し。どちらも譲らぬ一騎打ち。

 先程のように摩擦熱で燃え盛るボールも、とんでもない軌道を描いて明後日の方向へと飛んでいくボールも、果ては恐竜の幻影を宿すボールも。

 全てを東間は淡々と打ち返していき、そんな彼の様子に華恋が舌打ちを漏らす。

「部長、あの二年生、凄くないですか?」

「ああ。華恋は間違いなく勝負を決めに行っている。いや、一球勝負なのだから手加減する必要が無いのは当然の話だが」

「でもあの二年生、確か東間とか呼ばれていましたっけ。アイツ、華恋の必殺打球を全て打ち返していますよ」

「しかも単に打ち返しているわけじゃない、華恋の技の全てを無効化して、最低限の動きで打ち返しています」

「本来、テニスは力と速さ、そして技が重要となるスポーツだ。故にこそ恐るべき身体能力と、常軌を逸した学習能力の二つを併せ持つ華恋はその気になればいずれ世界を手にできる器と言って良い」

「唯一、足りないものがあるとすれば情熱、でしょうね」

「仕方がない。華恋の才能はテニスのみに対してのものではない。他の競技をやっても恐らくは世界を手にできる。何故ならば華恋の能力はどれか一つに対して限定されたものではないからだ」

「なんでもできるから何にも情熱を持つことができない、ですか」

「言っておくが、同情するようなことではないぞ。何より、華恋のすぐ傍には父親というあまりにも大きく、分厚い壁が存在しているのだから。華恋は常に非常に高い目標を目指し続けていると言える」

「うん、まあ。華恋の凄さはわかりましたけど、そんな華恋とまともにやり合えるというか、全て無効化できるあの子は何なんですかね?」

「わからん。いや、東間という名前自体は聞き覚えがある。確か学校一の変人で変態であるあの影月仁と一緒にいることが多い、幼馴染みの男子がそんな名前だったような気がする」

「つまり金魚の糞ですか」

「おい、その言い方、失礼にも程があるぞ。本人に聞かれたら普通に殴られてもおかしくない」

「俺たちは彼のことを何も知らない。なのに勝手な評価を付けるのはお門違いだ。そもそもあの強さを目の当たりにして、よくそんなことが言えるな」

「……ちょっと口が滑っただけなのに」

「口を滑らせるタイミングを誤ったな。まあ、俺の言い方も悪かった。ただ、それくらいしか知らないのも事実だがな」

「そういえば影月仁って華恋の幼馴染みでもあったんだよな。それにあの葵理香も幼馴染みだって聞いたことがある」

「理香って、あの色んな部活、大会で優勝しているあの理香か? そんな連中と幼馴染みって大変だったんだな、あの東間って奴」

「それも推察するしかないわけだが――ッ!?」

 勝負の邪魔にならないよう、端の方で解説していたテニス部員たちを襲うのは華恋が打ったテニスボール――の余波。

 巻き起こる風圧と衝撃によって大地が大きく揺れ動き、まともに立っていられず、尻餅を突いた彼等を襲う氷結の槍。

 何をどうしたらそのような物が飛んでくるのか、小一時間ほど問い詰めたくなる氷柱の如き形をした氷の雨より彼等は逃げ惑う。

「華恋ちゃん、耳が良いのも困りものってところかな?」

「五月蠅え。てめえも、金魚の糞呼ばわりされたのに怒らねえとか、腑抜けか?」

「んー。まあ傍から見たらそう思われるのも仕方がないかなって。もちろん、四六時中一緒にいるわけでもないから、その評価は嬉しくは無いんだけど」

「だったら反論くらいしたらどうなんだ? じゃねえと、他の連中にもそんな風に思われちまうかもしれねえぞ」

「華恋ちゃんは相変わらず、友達想いの優しい子だね。でも僕は大丈夫。僕のことをちゃんと理解してくれている人たちがいるから」

「ハッ! だったらもっと、全力を出して挑んで来いってんだ!」

 跳び上がった華恋が放つのはテニスボールが耐え切れなくなるほどの強烈な一撃。

 華恋の渾身の一球に、東間は焦らず、普通に打ち返す。

 並の人間、人外が同じことをすれば確実にラケットが壊れ、腕の骨が折れる、下手をすれば腕が千切れ飛ぶレベルの剛球。

 それを難なく打ち返し、ポイントを先取した東間はほんのり疲れたような息を吐きながら軽く肩を回した。

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