第四百八十二話
滞りなく進行していく合同体育の授業。
たった一年、されど一年という能力の差を見せつける二年生と、彼等に負けまいと意地を張って無理無茶をする一年生。
結果、怪我人が続出するも、何故か反則は取られない。
まるで何処かのサッカー漫画の影響でも受けているが如く、明らかにルール違反を犯していても咎められることの方が少ないため、不満を持つ生徒が続出。
尤も、片方のチームが贔屓されているわけではなく、純粋に反則とならないだけであるため、ラフプレーを行う者たちが増えていくのは自然な流れと言えるか。
流石に全力で相手を殴るなど行えば見過ごされることはないが、割と遠慮容赦情け無用な無法地帯と化す試合が多い。
ただし、罪には罰を、と言われているように無法には相応の報いが待っている。
それは校庭の片隅で煙草を吹かしながら尋常ならざる瞳で生徒たちを見つめている保険医の存在が証明しており、彼女の視線に気付いた二年生たちは如何に怪我をしないか、授業を滞りなくやり過ごせるか、そして最悪の場合を想定して仁を味方に付けることだけを考えて試合に臨むようになっていく。
だが保険医の怖さをまだ知らない、無謀な一年生たちや保険医に気付いていない二年生たちは己の欲望に従うように暴れ回る。
試合にならなくなっても構わないと、暴れ狂う生徒たちに教師たちが対応するのは一線を超えた時だけ。
それ以外は基本的に自由。
その方針に納得がいかない教師もいるものの、教師は教師で基本、自己の判断に任せられているため、自然と止めようとする者と傍観する者などに分かれていく。
そして生徒たちを止める派であるリューグは暇そうにバッターが空振りする姿を眺めている仁の下へと駆け寄る。
「なんだリューグ、お前もいたのか。いるならいるで声を掛けてくれれば全力で弄りまくってやったというのに」
「教師を弄るな、バカ者。そもそも本来は無関係なはずだったんだが、人手が足りないと駆り出された。そんなことよりも仁、そろそろお前の力を借りたい」
「何故にこの俺がお前に力を貸さねばならぬ。そういう話はマネージャーを通して行うべきだとお父さんに教わらなかったのかね?」
「生憎と。俺の父親は誰なのかわからなくてな。生徒の自主性を重んじるというのは結構だが、毎度のように暴走されると収拾がつかなくなる」
「そんなのいつものことだろう。毎回のように暴走しては収拾がつかなくなって、そして全ては灰燼に帰す。それが我が校の風習。そして我が校の伝統なり!」
「いつからそんな物騒な風習、伝統ができた。っと、東間、お前からも言ってやってくれ。毎回毎回、全てが終わってからの事後処理が面倒極まりないんだ。今の内に手を打っておくことの大切さはお前たちにもわかるだろう?」
「先生の言っていることもわからなくは――あっ、危ない!」
東間が声を張り上げる寸前に飛んでくるのは硬球。
ランナーに対する牽制、にしてはあまりにも方向がずれている、東間目掛けて放たれた剛速球を、リューグは片手で受け止める。
「こっちもこっちで物騒だな。なんだ、仁がまた何かやらかしたのか?」
「失敬な。今回は俺狙いじゃない。東間狙いだ。尤も、東間自身も何をやらかしたのか自覚していないようだから、逆恨みの可能性が濃厚なり」
「そうなのか? そういえば、アイツ等の顔、覚えがあるな」
「そうなんですか?」
「いや、教師が生徒の顔を覚えるなんて当然だろう。むしろ顔と名前を覚えられない教師の方が問題大有りなり」
「担当クラスの生徒ならともかく、一教師が全生徒の顔をいちいち覚えたりなんかしないものだ」
「そういう問題発言は保護者とかに付け入られる隙となるぞ」
「フン。そんなくだらないことを話す暇があるならこちらの給料を上げろと言いたくなる。こっちだってボランティアでやっているわけじゃないんだからな」
「こんなことを言っておりますが、リューグは割とツンデレなので実は全生徒の顔と名前と特徴を丸暗記していても不思議はないのです」
「誰がツンデレだ。それにせめて校内では先生を付けろ。アイツ等は前に話を聞きに来たことがあるから、覚えていただけだ」
「話?」
「リューグに恋バナなどしても無意味だというのに。リューグにあるのは男性経験だけで女性経験など皆無! ハッ! もしやリューグがどんな男性の相手をしたのか、何処をどういう風に弄ればアヘ顔を晒すのかなどを事細かに――」
振り下ろされるのは剛腕より繰り出される鉄拳。
人間の限界を超えた一撃の、直撃を受けた仁は沈黙を強制。
他の生徒ならば体罰だと、リューグを責める者たちが多数派を占めていたであろうが、相手が仁なら話は別。
口喧嘩は拳を先に出した方が負けと言われるが、仁に対しては拳を振るった相手側が同情、あるいは称賛される。
ただしそれは仁という存在の性質を周りがよく理解しているからに他ならない。
彼はわざと殴られるようなことを、相手を小馬鹿にしきったような態度を見せ、制裁を受けるまでが一セット。
逆に彼が相手を殴るなどした場合は、それも殴られた者が倒れて動けなくなるほどの重傷を負った時は、相手側に非があると認識される。
今回はリューグが自身を殴るような発言を周りによく聞こえるような音量で言ったため、リューグは躊躇いなく彼を殴った。
これもある種の信頼関係と言えるだろうかと、なんとなく彼等のことを羨ましいと思った東間は脳裏を過ぎた考えを否定するように首を振り、話を戻す。
「あの人たちは先生に何を訊きに来たんですか? まさか授業の質問、とかじゃありませんよね?」
「それならそれで喜んで答えてやるんだが、お前と仁と三人で――ああ、そういえば紗菜もいたか、とにかく四人で妖精やらエルフやらがいた工場の調査を行った時のことは覚えているか?」
「もちろんです。なんだかよくわかりませんけど、僕は彼女たちに好かれてしまったみたいで、家に遊びに来たり、招かれたりもしていますから」
「そうか。だとしたらそれが原因かもな」
「原因?」
「アイツ等、確か『妖精を愛でる同好会』とか言う、妙な会のメンバーらしくて、とにかく妖精やらエルフやらに幻想を抱いているそうだ」
「そんな同好会、聞いたこともありませんけど」
「非公式の同好会らしいからな。そもそも同好会とすら認められていないらしい。でだ、工場に行った時のことを事細かに尋ねられて、答えてやった」
「それが原因ってことは、もしかして妖精たちと仲良くしている僕のことを嫉妬しているとかですか?」
「その可能性は捨て切れない。といっても確証はないし、答えを知っているのは当人たちだけなんだろうが。まあお前に心当たりがないのなら、アイツ等に直接、尋ねるしか答えを知る方法は無いだろう」
「ところでリューグ、向こうの方で他の先生方が応援要請に気付かないことに腹を立てているぞよ」
「なにっ!? いや、そういうことは早く――クッ!」
怒りのオーラが立ち昇っている方向へ走っていくリューグへと手を振っていた仁は、東間に向かって再び飛んできた硬球を掴む。
かなりの威力で殴られた硬球は仁の掌に無事、収まったものの、回転による摩擦熱によって軽い火傷を負わせる。
「ねえ、仁。さっき、リューグ先生が言っていたことって本当かな?」
「知らん。それに真実かどうかはたいした問題じゃない。ここで必要なのは相手がそういうつもりならこっちも容赦しないっていう、覚悟と冷徹さだ」
「あんまりやり過ぎない方がいいよ。結局、大変なのは残された側なんだから」
「わかっている。なあ、野郎ども」
仁の言葉にクラスメイトたちは応えず、代わりに見せるのは獰猛な笑み。
獲物を見つけた猛獣が如き、鋭い眼光が対戦チームへと向けられる。
が、相手チームは東間以外、眼中にないらしく、自分たちが獲物と認識されたことに気付く素振りさえ見せず。
嘗めている、というわけでは決してないのだが、相手にされていないという事実は変わらないため、余計にやる気を出した仁たちは自分たちの野球――という名の暴悪なる所業を開始。
もしもこの場に野球の神なる存在がいたならば、確実に仁たちへ天罰を下していたであろうあまりにも非情な行い。
それに抗えるだけの力を持っている者はチーム内に存在せず、最終的に対戦相手が試合放棄したことで仁たちの勝利に終わる。
「うーん。一番の被害者だった僕が言うのもなんだけど、これって勝ちとか言っちゃダメなタイプの勝利だと思う」
「勝てばいい。それが全てだ。卑怯だの汚いだのという罵りは成果の前に宙へと消えてなくなるのみ。結果さえ出せば誰も文句は言わんのだよ」
「過程を経ないで結果は出ないけどね。あの人たち、全員、保健室送り決定か」
「お望みとあらばアイツ等全員、美少女に作り替えても良いぞ。元の姿形もデータとして残しておけばいつでも戻せるし」
「そんなことを本当にやったら本格的に付き合いを解消しようかなって思いそうだからやめて欲しいかも。そもそも、あんな勝ち方をしちゃったせいで、一年生たちが怯えているよ」
「まったくです。先輩、容赦しなさ過ぎですよ」
「むう。野球は団体競技だし、俺だけを責められても困る。確かに俺はエースで四番でキャプテンだが、だからといって全責任を俺に押し付けるのは間違っているぞ」
「そうなんですか?」
「仁の妄想だから、聞き流していいよ。開発した物と生命力はともかく、純粋な身体能力は精神状態に大きく左右されるからね。こういう時の仁はあんまり役に立たないって感じかな」
「先輩もブレが大きいってことですね」
「芯はブレないが色々なところはブレブレなのがこの俺よ! ところで後輩、何故我がチームにシレッと混じっているのかね?」
「うん? あっ、本当だ。こんにちは」
「こんにちは、先輩方。私の方が一段落したんで、様子を見に来ちゃいました」
「ほう。確か卓球をしていたんだったか。どうだ? 我が後輩ならば当然、全戦全勝で負け犬どもを踏み躙りながら高笑いしてきたのであろうな」
「先輩は私を何だと思っているんですか? そもそも私と試合したがる人なんてそんなにいませんし、トーナメントの時だって、私と試合すると不幸になるからって、辞退する人もいたんですよ。そのおかげで本当に優勝しちゃったんですから、もう笑うしかありませんよね。アハハハハハ」
乾いた笑いと一滴の涙。
彼女がどのような気持ちで今の話をしたのか、その場にいた全員が察し、腫れ物に触るような態度を取り始める中で仁だけは意に介さず、腕組みをしながら自慢げに大きく頷く。
「流石は我が後輩だ。高笑いと踏みつけを覚えていないのは減点だが、それ以外は悪くない。合格はくれてやれないが、及第点はやろう」
「ありがとうございます?」
「うむ。感謝し、存分に我が威光の前に平伏すが良い。そうしたら我が寵愛をくれてやらんこともないぞよ」
「あっ、要りません。真面目に」
疑う余地のない明確な拒否。
腕組みしたまま固まってしまった仁の表情筋は動いていないものの、それが痩せ我慢だと東間は瞬時に見切り、停止してしまった友の代わりに話の続きを促す。
「でも、本当に様子を見に来ただけなの? それとも実は仁に用があったとか」
「あっ、用と言えば用ですね。その、普通の卓球に満足できなくなったとかで、一部の人や人外たちが卓球? 勝負をやらかしてしまって」
「それで第二体育館が壊れて、怪我人が出たとか?」
「いえ、その時は怪我人は出なかったんですけど、卓球台やラケットが壊れて、その破片を片付けている最中に傷を負っちゃった子がいたんです。その子、今朝からあまり体調が良くないらしくて、念のために保健室に行った方が良いって話になったんですが、そうしたら二年生の先輩が凄い顔で止めてきて、どうしても行くなら先輩を連れて行けって言われたんです」
「……あー、そういうことか。仁、出番だよ。言い換えれば可愛い後輩に良いところを見せるチャンス到来だよ」
「――つまりメソポタミア文明が滅んだのはフンババとヒュドラがペントラゴン王と手を結んだからであって」
「はいはい。正気に戻ろうね」
手刀一閃。
一瞬の内に視界を暗転させた仁はすぐさま意識を回復。
何が起きたのか、説明を求める仁に後輩の少女は今さっきの話を再び繰り返す。
面倒臭そうな素振りを見せず、むしろ仁と話すのが楽しいと言わんばかりに生き生きと説明を行う彼女に東間は理香の顔を思い浮かべながら静かに微笑んだ。
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