第四百八十一話

 床を跳ねるボールが今の持ち主の手元へと戻る。

 だがその手に収まるはずのボールを持ち主は再び地面へと叩きつけ、その反動で跳ねたボールが持ち主の手元へ。

 同じ行為の繰り返しに、しかし物言わぬボールは元より、周りにいる他の選手たちも何も言わず、各々が己の役割に徹する。

 変化が生じたのは硬直状態に移行してから十数秒後のこと。

 攻めあぐねている少年の手元へ戻ろうとするボールを掠め取るのは大蛇。

 両手足が存在しない、しかし胴の力は他の者たちを凌駕する彼は大きく開いた自身の口でボールを奪い取り、そのまま高速で這って行き、敵陣にあるゴールへと直接、ボールを叩き込む。

「うっしゃあ、これで更に点差が開いた!」

「つーか、さっきから言っているけどこれって反則だろう!?」

「そうだそうだ! そもそも手も足も使わない上に地面を這うとか無しだろ!」

「おいおい、種族差別か? 小せえ野郎どもだな。手も足もない奴がバスケをしちゃいけないなんて決まりが何処にあるんだ?」

「手足が無いからトラベリングも無いとか言って、口に咥えたまま高速移動する奴にそんなこと言われる筋合いはない!」

「手足が無くちゃバスケをしちゃいけないとか、差別発言はやめろと言っている!」

「差別じゃなくて反則するなって言っているんだ! こっちだけ一方的に不利な試合を強いられるとか、フェアプレイの精神に反するとは思わないのか!」

「思わない!」

「やるかコラァ!」

「上等だ、この機に上下関係をハッキリさせてやるよ!」

 バスケットボールを投げ捨てて、取っ組み合いの喧嘩を始める生徒たち。

 彼等のやり取りを体育館の隅で見学していた仁は、同じく時間が来るまで暇を持て余している様子の東間より缶ジュースを手渡される。

「さんきゅ」

「どういたしまして。にしても、彼等もよくやるよね。まああの組み合わせになった時点でこうなる気はしていたけど」

「前の球技大会の時から一悶着あったからな。懲りない連中だ」

「同意だけど、彼等も仁にだけは言われたくないだろうね。少なくとも僕が彼等だったら全力でツッコんでいるよ」

「そんな東間きゅんは授業中に缶ジュースとか買ってくる不良なのでした」

「説明、聞いてなかったみたいだね。予定を変更して、午後の授業は全部合同体育。それも二年生どころか一年生も巻き込んでの。で、試合中も含めて飲み物の購入、摂取は自由」

「ああ、成る程。どうして一年が混じっているのか、不思議だったが、そういうことだったのか。納得」

「本当に聞いてなかったんだね。もしかして、自分がどの競技に出るのかも忘れているとか、そういうオチはないよね?」

「そこまでボケているつもりはない。ところで理香ちゃんの姿をあちこちで見掛ける気がするのは気のせいだろうか」

「理香は下級生から人気あるし、色んなところで助っ人選手として出ているよ。対抗する形で華恋ちゃんも巻き込まれているっぽい」

「あー、あの二人、割とバチバチな関係だからな。今のところ、華恋ちゃんが大幅リードしているが、種目によっては理香にも勝ち目はあるだろうか」

「個人よりチームでの連携が求められる競技なら、ってところかな。まあ少しくらいのハンデなら、華恋ちゃんに乗り越えられないとも思えないけど」

「だな。ちなみに俺が唯一、後輩と認めているアイツは何処だ?」

「他のみんなも後輩と認めてあげなよ。あの子なら第二体育館で卓球しているって話をさっき聞いたよ。意外と活躍しているみたい」

「なんで知っているんだ、お前。さては俺に後輩ができたことを悔しがって、俺から後輩を奪うためにつけ回して情報を集めているとか!?」

「ジュース、奢りのつもりだったけど、有料にして良い?」

「ゴメンナサイ、東間様。我が愚かな妄想をお許しください。許して頂けるのでしたら今すぐに東間様の靴を舐め回しますので」

「本当にやったら顔面を靴底で踏みつけるから。っと、のんびりできる時間はそろそろ終わりみたいだね。僕たちも、外に出ないと」

「うみゅ。ようやく出番か。といってもまずは準備運動からだがな。良い子のみんなも悪い子のみんなも、準備運動をバカにしてはいけないよ。怪我をしてから後悔しても遅いのだから!」

 虚空に指を突き付ける仁の首根っこを掴んだ東間は外へ移動。

 そのままチームメイトたちと合流し、首根っこを掴まれて引っ張られたことに復讐心を抱き始めた仁の頭を小突く。

「何をする、東間。我が復讐計画の一部を知ったからといって、今更、貴殿に何ができるというのか。否! 何もできはしまい!」

「準備運動。本当に肉離れとか起こすよ」

「うい」

 促されるままにしっかりと体を解し、ついでに肩を作るため、東間と軽いキャッチボールを始める。

 仁が投手というわけではないが、野球とは極めて危険な球技。

 他の土地、他の国での野球はともかく、魔境で行う野球は例え高校生の試合だとしても油断は禁物。

 尤も、その言葉は単なる相手を侮るな的な意味合いではなく、油断すると本当に死ぬかもしれないという意味で使われており、中には遺書を残す者まで現れるほど。

 無論、本当に死者が出る確率は低い。

 万全の体制を整えておくのはもちろん、最悪、死にたてならば蘇生も可能。

 仮に時間が経ったとしても仁と保険医がいる以上、真の意味で死ぬことは無い。

 といっても五体満足で、自分の体のまま生き返れるのかと問われれば誰も何も言えなくなってしまうのも事実ではあるが。

「さて、俺たちのチームは俺と東間、神凪を除けばモブしかいないわけだが」

「みんな、まずはこのバカを仕留めることから始めないか?」

「異議なし!」

「異議。皆無」

「うーん。僕としても反対する理由は無いんだけど、最初から九人しかいない以上、始まる前に数を減らすのはあまり得策とは言えないんじゃないかな?」

「というか冗談だってわかっているのに、全員が全員、俺のことを殺る気満々なことには素直に引いてしまうんですけど」

「いや、お前、絶対に本気だったろ」

「俺たちのことをモブだって思っているだろ」

「しかも全員の名前と顔を覚えて上で」

「うん」

 躊躇いを持たずに頷いた彼の潔さに免じ、全員が一発ずつ、彼を殴ることが決定。

 関係ない東間や神凪はもちろん、当事者である仁自身も自らの手で自分を思い切り殴り飛ばし、開始前から瀕死の状態となる。

 対戦チームはそんな彼等に同情も何もせず、むしろ警戒を強め、勝利のために結束を固める始末。

 侮れない相手チームの結束力に、仁もまた対抗して結束を高めようと、試合開始直後に全ての共通の敵になろうとしては東間に押さえ付けられる。

「仁?」

「だって野球だよ? 殺し合いだよ? だったらありとあらゆる手段を用いて敵の油断を誘い、一気に殲滅しないと」

「野球はあくまで団体競技。君だけに全てを背負わせるつもりは無いから、安心して自分の役割を全うして欲しいな」

「そういえば俺って何処守備? 何番? エースで四番?」

「寝言は寝て言おうか。君は八番でライトだよ」

「チェー」

 あまり悔しがることなく、おとなしくポジションに付いた彼を見送った東間もまた自身のポジションにて気合いを入れ直す。

 控え選手がいない、野球という名の戦場で勝つ方法は主に二つ。

 一つは普通に点を取って点を取らせない、極々平凡な試合を行うこと。

 もう一つは相手選手を徹底的に叩きのめして、試合続行不可能にするか、ボロボロになった守備の穴を突いて大量得点するか。

 簡単なのは後者。しかも今回、お互いに控えの選手はいない。

 一人でも欠ければそこが大きな穴となり、個々の身体能力では格下と呼べる者たちでも十分に勝つ見込みはある。

 けれどもそれは言うまでもなくフェアプレイの精神に反する行為。

 仮に反則ではないとしても、それで勝利した者に何が残るというのか。

 所詮は学校で行われている合同授業。

 優勝しても賞金は無く、むしろ対戦相手を潰して勝利したという、周りから白い目で見られかねない事実が残るだけ。

 ならば下手な反則で勝利を手にするより、正々堂々と戦って敗北した方がまだ面目を保てるというもの。

「――まっ、そんな風に考える人や人外の方が少ないんだけどね」

 飛んできたボールをグローブでキャッチすると同時、飛来する木製バットを東間は仰け反って回避。

 飛んで行ったバットは地面を転がり、木にぶつかってようやく停止。

 ボールを打つとともに勢いよくバットを投げたバッターは東間が無事な姿を見て大きな舌打ちを漏らす。

「隠そうともしない、か。まあすぐにバレるような嘘の態度を取られるよりはマシなのかもしれないけど」

 次のバッターの殺る気満々な態度と覇気を見て、東間は深くため息をつく。

 案の定というべきか、次のバッターもその次のバッターもボール及びバットで東間を破壊しようと目論むも、彼の動きを捉え切れずに失敗。

 結果的に三者凡退となった相手チームであったが、戦意を損なうことはなく、むしろ更なる闘争心を燃え上がらせて仁たち――というか東間を睨む。

「さっきまでは僕たち、もしくは仁を警戒していたはずなのに、どうして僕を集中攻撃してくるんだろうか」

「そりゃお前がファーストだからじゃね? お前さえ潰せば、取り敢えずは出塁しやすくなるわけだし」

「それだけか? 俺の目には奴等が東間を目のかたきにしているように映るが」

「つまり東間きゅんは奴等の大切な物を奪って、それで恨まれているということなのだな。これなら納得できるZE!」

「納得しないでよ。そもそも僕が彼等の何を奪ったっていうのさ」

「ナニ?」

「うん。仁に訊いた僕がバカだってことは自覚しているけど、だとしても今の返しは酷過ぎるよ」

「俺自身もそう思った。だが奴等の狙いが東間きゅん一択ならば、付け入る隙は十分にあるということ。このまま東間きゅんを囮にして、守備で楽をしようぜ作戦!」

「それ、もし僕がやられたらどうするつもりなのさ?」

「安心しろ。ここには俺がいるんだぞ。俺がいれば、東間きゅんを直すことなど造作もないなり。この試合中、東間きゅんがどんな目に遭おうともファーストに立ち続けてもらうからそのつもりで夜露死苦ゥ!」

「みんなの意見を聞いても良いかな? 仁に賛成する人は挙手して。今すぐに僕がそこのバットで殴り潰すから」

 何故か試合で使用禁止にされているはずの金属バットを片手に、にこやかな笑顔で問う東間に敢えて逆らう意思を見せる者は居らず。

 だが仁の作戦を戯言と切り捨てたところで現実に影響を与えることは無く、彼等は自分たちの憎しみをぶつけるように東間を狙い続ける。

 時には空振りした状態でバットを手放し、彼を潰しに掛かっていく。

 そのような行いを何度もすれば当然、審判から注意が入る。

 が、それで戦意を削ぐような者たちではなく、それどころか更なる憎悪を噴出させ、遂にはピッチャーがボールを投げる前にバットを振り投げて東間を排除しようとする。

 そのバッターは当たり前のように退場を言い渡され、しかしそれでも彼等が懲りる気配は欠片もなく、いい加減にウンザリしてきた東間はタイムを取ってチームメイトたちと相談を行う。

「ねえ、このままだと試合にすらならないんだけど、どうする?」

「どうするも何も、このまま行けば向こうさんが勝手に自滅していくだろう。あの程度の連中の攻撃なら、東間の身体能力で十分に対処可能だし」

「それはそうなんだけど、ここまで恨まれていると流石にどうして僕のことを憎んでいるのか、その理由が気になって来るというか、とにかくスッキリしないんだよね」

「その気持ちはわからんでもないが、だからといってどうやって確認するつもりだ? 相手チームに直接、尋ねるか?」

「問題ない。こんなこともあろうかと、最初に東間が狙われた時に、一号に調査を頼んでおいた、放っておいても真実は判明する」

「そうなのか?」

「仁、いつの間に」

「だが一号って確かお前のところの機械人形だろう? 大丈夫なのか?」

「一号。信頼」

「うむ。俺はともかく、一号は信頼できる。その仕事ぶりにはこの俺ですら舌を巻くレベルだからな」

「お前がそこまで言うのなら信じても大丈夫そうだな」

「っていうか、自分で自分のことを信頼できないって言っているようなもんなんだが、お前はそれで良いのか?」

「じゃあ訊くが、お前等は俺のことを信じているのか?」

 不意の問い掛けにチームメイトたちの答えは沈黙。

 それが唯一の正解と言わんばかりに、何も言わなくなってしまった彼等に仁は号泣しそうになった己を律しつつ、おとなしく守備位置に戻ってから、無心で来ることのないボールを待ち続けた。

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