第四百七十九話
まばたきをしている間に移り変わっていく景色。
数十体の竜も所詮は仁の妄想の産物であり、彼が望めば消えるのも当然。
ただ、単純に竜が消えれば全てが解決というわけではないことは、変化する風景が証明してしまっている。
仁が目覚めれば夢の世界の全てが消滅するものの、外部からの刺激が無い限り、彼が自然に目を覚ますのを待つしかないのが現状。
もはや放置して帰るべきではないかと、よくわからない何かが考えている時に当の仁は変わり行く夢の世界を前にして満足そうに頷く。
「これこそ混沌。我が望み。我は秩序の敵なり」
「……うん、まあ、誰かの夢に対してツッコミを入れるのは野暮な行為だってことは僕だって重々、承知しているよ。でも、これは流石に色々と言いたいかも」
「何故だね? こんなにも素敵な空間の何処に不満があると? あるいはユーもこの世界の一員になりたいとかかね?」
「それは絶対に嫌だ。こんなわけのわからない世界に取り残されたりしたら、一週間も保たずに発狂する」
「甘いな。俺ならば五秒は正気を保てる自信があるぞ」
「つまりもう既に発狂していると?」
「当然だ。こんな地獄を目の当たりにして狂わない奴がいたとしたら、それはそいつが最初から壊れているという証に他ならない」
「その言い分だと、僕は異常者ってことにならないかな?」
「寝ている俺の夢に潜入できる奴がまともな奴なのか?」
「……悔しいけど、言い返せない」
歯痒そうに――実体も何も見えないのであくまで感覚的にだが――表情を歪めるよくわからない何かに仁は勝利を確信して拳を突き上げる。
同時に夢の主に呼応するかの如く、地面からマグマが噴出。
辺り一面を呑み込んでいく、超高温の溶解した岩の塊たちに、仁は掌から炎を噴出させて焼き尽くす。
「何それ?」
「夢の中なら何でもできる。というわけでマグマを炎で焼き尽くしてみました」
「それは見ればわかるけど、なんでわざわざ燃やしたの?」
「ある漫画の影響、とだけ言っておこう。俺はあの展開に納得していないのだよ。どうして炎が溶岩如きに負けるのか。使い手の力量差と言われたらそこまでだが、本来ならば炎はマグマ如きに負けたりはしない!」
「熱や規模にもよると思うけど。例えば、安っぽいマッチの火と活火山だと勝負にならないだろう?」
「それはわかる! わかってしまう! 故に力量差と言われてしまえば納得せざるを得ない! だがしかし! 好きなキャラにはもっと活躍して欲しいと願うのはそんなに悪いことだろうか! 否! 俺は推しキャラが活躍する未来を望む!」
「そんなこと言われても。どのキャラをどんな風に活躍させるか、何処でどういう形で退場させるかは作者の自由だよ。それに死という形で退場するからこそ面白くなる物語も多いわけだし」
「殺せばいいというものではない! 生かしてこそ使い道はあるのだよ! 安易な悲劇が必ずしも良作になるわけではない!」
「誰でも彼でも生かせばいい、ハッピーエンドなら名作になるわけでもないよ。実際に悲劇だからこそ評価されている作品も多い」
「うむ。そこに関しては終わることなき議論になるから横に置いておく。ちなみに悲劇で終わっておきながら、後日談的作品でハッピーエンドな終わり方をするのは気に入らないと明言しておく」
「はぁ」
「例えば最終回で主人公が死んだ作品。後々、生き返ってそのまま生き続ける系はかなり嫌いなり。そこは死んでおけよと。余計なことをするんじゃねえよと、図書館でツッコミを入れたら追い出された苦い記憶がある」
「自業自得で追い出されたから作品全体に恨みを持つようになったってこと?」
「そこまで矮小なつもりはない。ただ、綺麗に終わった作品に蛇足は不要と言っているんだ。他にも結末が読者の想像にお任せする系の物語の後日談も嫌いだ。何のために結末を想像させる終わらせ方にしたんだよと言いたくなる」
「君の嗜好はどうでもいい、とまでは言わないけど、僕は何の話に付き合わされているんだろうという気持ちにはなる」
「いや、こんな話をできる奴ってそうは居ないし。言おうと思えば神凪君や東間たちに言うこともできるんだが、彼奴等は苛烈なツッコミを入れてきて、俺の強化ガラス製のハートを粉々に打ち砕こうとしてくるんだもん」
「なんで僕なら良いのか、理解できないんだけど。僕だってツッコミを入れているわけだしね」
「そういえばそうだな。ふむ。だとするとお前相手なら話しやすいということなのだろう。よくわからんが、本能で信頼できるというか」
「――はいはい。それは良かったね。信頼してくれて僕も嬉しいよ」
「ぞんざいな言われ方をしたので傷付きました。遺産を残して命を断とうと思いますので、アストロゲンクンシリーズよ。我が遺産を用いて、この世界に復讐を!」
「自分の夢の世界に復讐しようとしない。本当に変わらないね、君は」
呆れたような、苦笑いするような、喜んでいるような、寂しがるような。
複雑に入り混じった感情を吐露している、よくわからない何かに仁は首を傾げる。
彼の胸の内に湧いたのは言葉では形容できないもの。
先程、口にした信頼とは異なり、けれども敵意や悪意などの悪感情ではない。
ならば何なのかと問われれば答えが出ず、強いて言えば理香に向けている感情に近いものなのではないかと、腕組みをしながら考え込む。
「どうかしたのかな? 君らしくもない、至極真面目な顔をして考え込んでいるみたいだけど」
「失敬な。俺は常日頃から真面目な顔をして考えることが多いぞ。考え込んで、自分の世界に入り込んで、窮地に陥ることも多々あるのだから」
「うん。知ってる。まあここには僕もいるし、自分の夢で窮地に陥るようなことは滅多にないとは思うけど、それでもその癖は直した方が良いよ」
「悪癖を直すなどという選択肢は俺の中には存在しない。むしろこれは俺のチャームポイントだと言い張って全世界に広めるべき」
「広めてどうするの?」
「知名度が上がっても面倒臭いだけ。弱点を晒すのはバカのすること。うむ。何一つとして良いことが無いと確信を持ってしまった」
「君って本当にバカだよね。バカで天才だよね。これ、褒め言葉じゃないから」
「むう。我が発言を先読みするとは見事なり。もしや職業は死神か何かで?」
「死神に先読みは要らないんじゃないかな? あっ、気を付けた方が良いよ。顔から落ちそうになっているから」
「唐突に何を――」
発言を遮るのは駆け巡る衝撃。
右半身より全身へと伝わる、謎の痛みによって世界が暗転。
視界を埋め尽くす暗闇に、仁は助けを求めて手を伸ばす。
けれども掴める物は何もなく、もがく彼に追い打ちを掛けるが如く、けたたましく鳴り響く甲高い音が耳を直撃。
あまりの五月蠅さに舌打ちを漏らし、その辺りで自分が床にうつ伏せとなっていることに気付いて体を起こす。
「……夢、か。いや、夢だとはわかっていたが」
脳がスリープ状態から再起動。
様々な情報を片端から処理していき、段々と意識が覚醒していくのを実感。
ただ、本格的に意識を取り戻す前に体が勝手に動き出し、今なお、持ち主を目覚めさせようと高音を鳴り響かせている時計の目覚まし機能を止める。
「もうこんな時間だったか。もう少しくらい、夢の世界を楽しんでも良かったのにと思っている自分がいるなり」
独り言に返ってくる反応は無し。
よくわからない何かは当然の如く現実には存在せず、正体を掴めなかったことに後ろ髪を引かれながらも朝食を取るべく、鞄を手に階段を下りていく。
『おはようございます、マスター』
「おはようさん。一号、母親は?」
『今朝早くに出立されました。一応、夜には帰って来るとおっしゃられておりましたが、真偽の程は定かではありません』
「まっ、母親は俺以上に気まぐれだからな。まあそこは適当に対処すればいい」
『よろしいのでしょうか?』
「構わない。母親も、その程度のことでいちいち怒ったりはしない――はず。もしも怒ったり、手が付けられなくなったら師範や源さんに泣き付く」
『こういう時に堂々と泣き付くと言われるところが流石はマスターと言うべきなのでしょうか』
「フッ。俺は俺のプライドを優先して、やるべきことを見失うようなアホとは違うのだよ。俺は敗北者ではない!」
『よく負けている気がしますが』
「ここ一番で勝てば問題無し。逆にここ一番で勝てないような奴に未来はない」
『言いたいことはわからないでもありませんが』
「ところで紗菜とアストはどうした? どうせまたアストが負けたんだろうが、紗菜が余計なことをしているなら捕まえておかねばならん」
『マスターの予想通り、アストはまたも敗北しましたが、紗菜様がアストを吹き飛ばした際に、うっかり酒のつまみを巻き込んでしまいまして』
「酒のつまみって、母親が食べようとしていた奴か?」
『はい。その結果、喧嘩両成敗ということで紗菜様もアストも異次元に監禁されてしまいました。どうなったのかは不明です』
「……アレか、子供を押し入れの中に閉じ込める的なお仕置きってことか」
『恐らくは。反省したならば出すとおっしゃっておりましたから、紗菜様はともかくアストはもうすぐ、解放されるのでは?』
「呼びましたかぁ~?」
仁たちの会話に割って入ったのは空間に生じた穴より発せられた声。
その中より現れたのは全身がボロ雑巾状態のアストであり、自力で立ち上がることもできず、床の上に倒れ伏す。
「おう、アスト。おはよう。大丈夫――じゃ無さそうだな」
「はいぃ~。あの異空間はぁ~、二度と行きたくありませんねぇ~。危うくぅ~、お星様にされるところでしたぁ~。物理的にぃ~」
『何があったのか、とても気になりますが、同時に尋ねるのがとても怖いですね』
「そんなことを言わずにぃ~、聞いてくださいよぉ~。私の苦労話を聞いてもぉ~、罰は当たらないと思いますぅ~」
「確かに聞きたくはあるが、俺にも学校があるからな。あんまりのんびりしていると遅刻する可能性がある」
「そうですかぁ~。それはぁ~、残念ですぅ~」
『そういえばアスト、紗菜様は?』
「残念ながらぁ~、殺し切れませんでしたぁ~。まあぁ~、あのゴミを異空間に置き去りにできたことはぁ~、喜ばしいことですがぁ~、この手でキッチリと始末するという夢を諦めたわけではないですよぉ~」
「置き去りにってことは、お前だけ母親に許されたってことか?」
「はいぃ~。簡潔に説明しますとぉ~、お母様がぁ~、課題を出されてぇ~、それをクリアできたらぁ~、我が家に自動的に送り届けられるといったところですぅ~。本当にぃ~、死ぬかと思いましたぁ~」
「母親の課題、か。思い出したくもない事がたくさん、頭を過ぎていくのを感じる」
『マスターも相当な目に遭われ続けましたからね。そのように思ってしまうのも無理からぬことかと』
「うむ。可能なら二度と思い出したくない、だがこの脳みそにこびり付いて離れない記憶の数々。両親揃ってロクでもないと断言できるぜ」
「酷いことを言うわね。放置しているのは事実だけれど、自力で生きられるように色々と叩き込んであげたというのに」
唐突に聞こえた母親の声に仁は全神経を集中して周囲を探知。
だが気配は無く、音も聞こえず、視界にも母親の影形は映らない。
空耳の一言で片付けてしまうのは容易だが、母親の声を聞き間違えたり、他の音と勘違いするような愚かしい所業を行ってしまうほど、彼の危機察知能力は衰えておらず。
また、母親ならば遠く離れた場所から自宅内部を監視、盗聴することも十分に可能だと仁は戦慄しながら生じた唾液を呑み込む。
冷や汗が流れ出るとともに渇きを訴えてくる体を心の中で一喝し、無理やりに平静を保った彼は数秒間、硬直。
十秒ほど過ぎた辺りで知らず、止めていた呼吸を再開し、顎周辺を流れる汗を手の甲で拭い取る。
「どうやら、母親は聞いているだけで、何かしようって気はないらしいな」
「そうなんですかぁ~。というかぁ~、何処から声がしたんでしょうかぁ~?」
「さあな。気にしたところで答えなど出るはずもないだろう。とか言っている俺の声もたぶん聞いているんだろうな。まあいい。一号、アストもまだ本調子じゃ無さそうだし、色々と手伝ってやってやれ。ついでに、汚れが酷いから風呂にでも入って来ると良い」
『畏まりました』
「覗かないでくださいねぇ~、ますたぁ~」
冗談半分、本気半分な笑顔で一号に運ばれていくアストを手を振りながら見送った仁は居間へと移動。
一号とアスト次第ではあるが、朝食が間に合わなかった時のためにと買い置きされていたパンを齧りつつ、疲労した脳を休ませようと頭を空っぽにして朝のニュース番組を眺めた。
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