第四百七十八話

 夢の中で誰かを起こすという、珍妙な光景に仁は小さく頷く。

 これもまた一つの経験と、よくわからない何かに見守られる中で可能な限り、相手を傷付けないよう力を調節しながら翼の少女の頬を叩き続ける。

 途中、夢なのだからもっと思い切りやっても相手の肉体は傷付かないのではと考えたものの、それはあくまで彼女が仁の夢の登場人物であった場合の話。

 空想の存在がダメージを負うことは無いが、現実の存在が何らかの方法で他者の夢の中に侵入したのだとすれば、意識が傷を負えば本体にも影響があるのが常。

 近くにいるよくわからない何かもそのような発言をしていたので、彼女に重傷を負わせない方が吉の可能性が高い。

 無論、全てが偽りであり、そうならない場合もあるにはあるが、同時に何が起きても不思議ではないことも確か。

 何より、夢の中とはいえある種の精神世界のような場所が他人の血と悲鳴で彩られるのは不快な話。

 尤も、仮によくわからない何かが止めなかったとしても、本当に使ったかどうかは仁自身にもわからないこと。

 その場のノリによっては使ったかも知れず、使った後で後悔する羽目になったであろうことを想像しながら彼は翼の少女の意識の覚醒を促す。

 が、不意に手を止めた仁は彼女の目蓋を指で抓み、力尽くで開かせると剥き出しになった眼球を確認。

 意識を失っているように見えてその実、既に目を覚ましていることを知るや否や、誤魔化そうとした罰として彼女の頭を掴み、地面に叩きつける。

「ぐえっ」

 短く、さほど大きくない悲鳴を上げた翼の少女はすぐに顔を上げて仁に抗議の眼差しを向けるも、口を開くことは叶わず。

 文句を言うことも不可能ではなかったが、仁は彼女に対して憤怒の感情を隠そうとしておらず、己に向けられる殺気に彼女は怒りよりも恐怖を覚え、口笛を吹きながら明後日の方向を向く。

「――さて、遺言なら聞いてやっても構わないが」

「私が知っていることなら全て話しますから見逃してください」

「話の早い奴は嫌いじゃない。で、お前は何者だ? 夢の中に入ってきている時点で予想はできるが」

「まあ他人の夢に入れる能力を持っている種族なんてそうはいませんからね。お察しの通り、夢魔です」

「魔境の外の住人って解釈で良いのか?」

「はいっす。自分、この国のバーで働いている新人のアルバイトっす。時折、サービスとかで主に男性客の夢の中に入って色々ヤる仕事も請け負ってるんです」

「それがどうして俺の夢の中に? 欲求不満になったことが無いとは言わないが、十八歳未満としてそこら辺は弁えているぞ」

「ああ、別に大人な方向のお仕事ばかりじゃないっすよ。都合の良い夢を見たいとかそういう依頼もありますし」

「そーなのかー。だがどちらにしてもそういう類いの注文をした覚えは無いぞ。まさか無意識の内に頼んだとかいうつもりでもあるまい?」

「ぶっちゃけちゃうと頼まれたんす。魔境に住んでいる影月家の長男の夢の中に入って欲しいって!」

「誰に?」

「さあ? あっ、握り拳を作らないでくださいっす! 本当にわからないから、答えようがないんですよ! マスターが電話越しに注文を受けて、それが私に任されただけなんっすから! だから殴らないで欲しいっす!」

 必死の懇願に嘘の色は無し。

 といっても彼等がいるのは現実ではなく夢の中。

 己の目で見たものを素直に信じられるような場所ではないが、それでも仁は自身の目でみたもの、感じたことを素直に受け入れ、握った拳を下げる。

「ふぅ。助かったっす」

「言っておくが、俺は俺の判断に従うだけだから、お前の言動次第では本気で殴ることもあり得るぞ」

「はいっす! 肝に銘じますっす!」

「にしても、そんな怪しい仕事、よく引き受けたな」

「さっきも言ったように、夢の中で色々な仕事をヤってきましたっすから、中には匿名の客もいるんすよ」

「匿名って、ソイツの夢の中に入るのなら、名前を隠す意味はあるのか?」

「まっ、恥ずかしがり屋のお客さんも多いっすし、バレるってわかっていても自分で名乗りたくない人や人外もいるんすよねー。まあでも、確かに他人の夢に入れなんて仕事は滅多にないっすけど」

「滅多にってことは、あるにはあるのか」

「はいっす。ただ、当たり前っすけど害を為すような仕事は引き受けないっすよ」

「むっ? 夢魔のくせに人を襲ったりはしないのか?」

「だってそんな真似をすれば警察とかに目を付けられかねないっすし、何よりも信用を失う羽目になりかねないっすから。もちろん、上に秘密でそういう真似をした奴もいるっすけど、マスターの目を誤魔化すのは至難の業で、下手をすると嘘をついた分も含めて干物にされかねないっす」

「干物って、どうするんだ?」

「言葉通りっすよ。半殺しにした後、屋上で磔にして日光でこんがり焼くんす。その間は食事も水も取れないっすから、マジでただの拷問なんすよ」

「成る程。罪には罰を、か。そんな店でよく働く気になるな」

「そりゃ、私たちは他人の夢に入るしかできない、種族的には人間よりも下な身体能力しかないっすからね。同人ゲームみたいに、アレなことしないと倒せないとか無茶苦茶な設定のものと一緒にされたら困るっす」

「同人ゲームって、お前、そういうのに手を出すのか?」

「ええ、まあ。ああいう世界じゃないと夢魔無双とかできないっすから。私たちだってたまには夢を見る側になりたいんす」

「そうか。意外と苦労しているんだな、お前も」

「苦労しているのは私だけじゃなくて私の種族全般が、っすけどね。まっ、そんなわけで、この夢に入っても何かするつもりは無かったんす。といってもそれじゃあ本当に夢の中に入ったかを証明できないっすから、その辺の土とか袋に詰めて持ち帰ろうかと。こんな風に」

 何処からともなく出現した透明な袋と小さなスコップ。

 地を刺し、土を掬い上げて袋の中へと詰め込む彼女に仁は首を傾げ、湧いた疑問を口から出す。

「夢の中の土を持って帰るとか、そんなこと本当にできるのか?」

「もちろん、できないっす。何せ夢はあくまで夢っすから、夢の世界でどんな物を創り出そうと、現実に持ち帰ることはできないっす」

「じゃあ土を集める理由も必要もないんじゃないのか?」

「それは――その場のノリって奴っすね。いや、まあ本当にこんなんで良いのかって感じの仕事っすから、割と私も困惑してるんすよ。これで良いんすかねー?」

「知るか。まっ、お前から引き出せる情報は他に無さそうだから、解放してやる」

「おっ、マジっすか! いやー、怒りっぽい人――人? じゃなくて本当に良かったっすよ。何せ中には夢に入って来た私たちを一方的に嬲ることに快感を覚えるとかいう割と困ったお客さんもいるっすから」

「へえ。そういう客に遭遇した時はどうするんだ?」

「どうもこうも。夢っすから、適当に分身とか作ってそれに任せるんすよ。お客さんが満足さえすれば良いわけっすから、私たちがわざわざ傷付く必要もないっす」

「ちなみに俺はお前の態度次第でこの場で殺すことも考えたぞ」

「ういっす。冗談に聞こえないっていうか、大マジなトーンなのがわかって割とドン引き気味っす。まあでも、悪いのはよくわからないまま、勝手に夢の中に入った私の方だってことも理解できますから、ここで帰ることにするっす」

「そうか。念のために言っておくが、また勝手に入ってきたら今度こそ、生きては帰れないかもしれないぞ」

「そうっすか? あまりにも礼を失した行動とか、わざと怒らせるような真似さえしなければ割と穏便に事が済むと思いましたっすけど」

「……それは俺の機嫌次第だな。機嫌が悪ければ相手が無害でも容赦せず、叩きのめすこともあるし」

「そこで殺すとか言わない辺りが割とお人好しなんっすよ。じゃあいつかまた会うかもしれないっすから、またねと言っておくっす」

「俺が覚えているとは限らんぞ。お前が何処に住んでいるのかも知らないし」

「その時は初対面ということで接するだけっすから。んじゃ、バイバイっす」

 翼を広げて空を飛び、天空へと消え去る翼の少女へと仁は手を振る。

 彼女が消えるまで費やした時間は僅か数秒。

 存在自体が夢の世界から消えたことを肌で感じ取った彼は終始、沈黙を保っていたよくわからない何かへと視線を移す。

「んで、アイツを雇ったのはお前なのか?」

「残念ながら違うよ。僕はただ、興味本位でここに来ただけだから」

「夢の中は興味本位で来られるような場所じゃないっていうツッコミは受け入れてくれるのか?」

「さて、難しいのは確かだけど、絶対に無理だとは言えない。そうは思わないか?」

「少なくとも俺には無理だぞ。いや、精神世界に入るだけならその手の装置を開発すれば可能ではあるが」

「相変わらず、君の技術力は凄いね。でも開発すればってことは、今は手元にはないってことなのかな?」

「作る理由、必要性が無かったからな。他人の心なんてわからない方が良い。ちなみに以前、強制的なテレパシー能力に悩まされていた奴のために、テレパシーを封じる指輪を創ったことはあるぞ」

「なんで指輪?」

「お洒落だから。腕輪とか首輪とか、イヤリングやらペンダントでも良かったんだが、運びやすくて失くし難いという条件付きの場合、指輪が一番だったんでな」

「僕も欲しい、って言ったら作ってくれるの?」

「なんだ。お前もテレパシー能力持ちなのか? その割には俺の頭の中を覗いたような発言は見られないが。いや、でも精神世界に侵入できるのなら、テレパシー能力があっても不思議じゃないのか?」

「冗談だよ。欲しいのは指輪だけだし」

「と言っても、お前が何処の誰なのかわからないと、指輪を作ったとしても渡すことなんてできないぞ。それとも正体を明かしてくれるのか?」

「それは無理かな。僕にも僕の事情があるから。ただ、懸念していたようなことにはならなくて安心したっていうのは僕の本音だよ」

 姿形さえハッキリしない、よくわからない何かの放つ感情の無い断言。

 本音か否かはまったくもって不明。

 白とも黒とも言えない、灰色な発言が真実かどうかはともかく、今のところは疑う理由も無いので仁は取り敢えず、信用することにする。

「ふむふむ。まあいいだろう。で、懸念とはなんぞや?」

「それも秘密。それにしても、君は夢の中でも色々と大変な目に遭うんだね。これも日頃の行いってものなのかな?」

「まるで俺の日頃がダメダメというか、やってはいけないことをやってしまっているぞと言われているような、そんな口振りに笑い飛ばすか、憤慨するかの選択肢が生じてしまっている。俺はどちらの道を選べばいいのか。零は何も教えてくれない」

「教えてあげる義理も理由もないからね。まあでも、このまま帰るのもなんだし、現実の君が目覚めるまで話し相手として付き合ってあげても良いよ」

「マジか。だがそれだとお前が睡眠不足にならなイカ?」

「大丈夫。現実の僕もちゃんと眠っているから。この状況も、ちょっとした裏技で君の夢の中に介入しているようなものなんだよ」

「そのちょっとした裏技に興味津々。だが尋ねても教えてはくれないのだろう」

「その通り。そこはおとなしく諦めて欲しいかな」

「うむ。夢から目覚めた時に記憶していたなら、その裏技とやらを自力で調べ上げてみようかと」

「無駄な努力だからやめた方が良いって、一応、忠告しておくね」

「謹んでお受け致しまする。けど案外、明晰夢もつまらないものだな。地獄のような風景が広がっているだけで、侵入者がいないと盛り上がりも何もない。あの娘やお前さんがもっと夢の内容を盛り上げてくれていたら、きっとレッツパーリィ! みたいに盛大なことになっていただろうに」

「そんなことを言われてもね。そもそも、盛り上げたいのなら自力でどうにかすれば良いんじゃないかな? 何せここは君の夢の中なんだし」

「成る程。それもそうだな。ならば我が夢よ、我が願望を叶えたまえ!」

 両手を合わせて力強く念じる彼によくわからない何かは呆れのため息をつく。

 が、その直後に世界全体が鳴動を始め、何も無い場所から竜の首が生える。

 西洋のドラゴンとは異なる、空間から長い首と胴体だけを伸ばす数十体の竜が何故出現したのか、その答えを持つのは未だに念じ続けている仁のみ。

 ただ、彼がロクでもないことを念じているのは明らかであり、今なお、増殖を続けながら敵意を向けてくる竜の首たちに対してよくわからない何かは先程よりも更に深く、大きなため息を吐き出した。

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