第三百八十九話

 何も見えず、何も聞こえず。

 ホラースポットの方が外部からの刺激がある分だけまだマシな、ただただ暗いだけの空間をさまよい歩く仁の心に宿るのは虚無。

 何かしても反応はなく、声を上げても返答はない。

 そんな世界にいつまでも居続けるなど真っ平御免ではあるものの、脱出方法がわからない以上、歩く以外の選択肢は無し。

 が、どれだけ歩いても景色に変化はなく、漆黒の闇が広がるだけの世界など退屈極まりないものでしかない。

「……世界の半分をくれてやろうって言われて、はいと答えたらこういう世界だけを押し付けられたのかねー。こんな世界、貰っても嬉しくもなんともないな。そもそも使い道がないし」

 あるいは、ゲームの中に登場する勇者はこういう世界を貰った後、自力で開拓して豊かな世界を創ったのか。

 暇潰しの妄想を真剣に考えながら歩を進める彼が不意に立ち止まったのは、空間が軋むような奇妙な音を耳にしたため。

 油断なく木刀に手を掛ける彼は周囲に意識を張り巡らせ、刹那、窓ガラスが砕け散るような音とともに闇の中から飛び出した何かに木刀を振るう。

 ほとんど無意識に行った反射行動であったが、何者かの正体を視認した瞬間に彼は自身の腕の関節を外すことで強制的に止めた。

「――仁!?」

 驚きの声を発したのは、床下に引きずり込まれた際にはぐれてしまった理香。

 彼女に対して無意識の内に振るった木刀が片手持ちだったことについて感謝の祈りを捧げるべきは己自身か天上の神々か。

 何にしても合流できた彼女の無事を確かめた仁は内心で安堵の息を吐きつつ、外した関節をはめ直して軽く回す。

「ふむ。まあまあだな」

「まあまあだな、じゃないわよ! なんでいきなり自分の関節を外しているの!?」

「話せば長くなることだが、もしも両手持ちだったら骨を折るしかなかったとだけ言っておこうか」

「意味がわからない!」

「この件に関して説明するためには、まずこの宇宙の成り立ちについて説明する必要があるから、少し長くなる。というわけで自分の師に訊くがいい」

「意味不明なはぐらかし方しない! ったく、わかっているわよ、私のせいで関節を外したんでしょう。それならそうと言えばいいじゃないの」

「勘違いするな、理香ちゃん。俺は決して理香ちゃんを気遣って関節を外したわけではない。単に理香ちゃんを傷付けるなら俺自身の意思の元でなければ気が済まないというだけだ。無意識の内に理香ちゃんを傷付けたとあっては、俺は俺自身を許すことができなくなる可能性が高くもないが、低くもない」

「曖昧な表現で誤魔化すの、気に入ったの?」

「使えると言えば使えるからな。特に理解できないことを言っているくせに相手のレベルが低いから理解できないんだとか上から目線で言うのが良い。悪役の台詞としては及第点をくれてやれる」

「その台詞って悪役じゃなくて、神様的な存在の台詞じゃなかったかしら?」

「神様なんてどいつもこいつもクソばかりってことだ。というか一割程度の例外を除いて大体が地球及び人類に有害な連中ばかりだろう」

「決めつけるのも良くないわよ。それに魔境にだって神様はいるじゃない。主に邪神とか悪神とか呼ばれている神様だけど」

「一部、ウルトラなマンを神として崇めている奴等もいるぞ。とまあ、余計な話はこれくらいにして、理香ちゃんよ、チミは単独行動中かね? アストが何処に行ったのかはわからないのかね?」

「見ての通り、独り身よ。そういうアンタこそ、通信機とかでアストに連絡を取ったりできないの?」

「歩いている最中に既に試したが、やはりというかこの空間内では電波が届かないらしい。電波妨害されているわけじゃなさそうだから、上手く向こうが受信してくれれば連絡が取れるはずなんだが」

「成る程、ね。あと、一応、訊いておくけど、アンタが偽者って可能性はないわよね? いえ、こんなくだらないやり取りができるんだから、アンタが本物だってことは確信を持って断言できるんだけど」

「おいおい、理香ちゃん。こんなにプリチーでチャーミングな美少年が本物かどうかなんて一目瞭然だろう? こう、歯を煌かせて紳士のように笑える男なんて俺以外に百五十一人くらいしかいないぞ。いや、俺を含めなければ百五十人か」

「何処かの初代モンスターの総数くらいはいるのね。けど、偽者って見た目じゃ判別がつかないって場合も多いじゃない? ほら、擬態とか変身とか、そういうのが得意な連中がいるかもしれないでしょう?」

「だとしても俺は理香ちゃんのことを理香ちゃんだと一目でわかったぞ」

「どうしてよ」

「理香ちゃんが理香ちゃんだから。他に理由がいるのか?」

「……アンタは、もう」

 冗談めかす気が欠片も無い、真顔で断言された理香は仁の顔をまともに見ることができず、明後日の方向へ反らしてしまう。

 ここで彼女の顔を覗き見るという選択肢も仁の中に存在はしていたが、実行に移せば鉄拳が待っているかもしれないという警告に従い、彼女が再びこちらを向くまでおとなしく待機する。

「――コホン。ところで仁、アンタはここに来るまでに、誰かと戦ったりしたの?」

「ああ、何かよくわからない単眼の腕の化け物とやり合ったぞ。そっちは?」

「私は虫の大群に襲われたわ。それも巨大な蠅の形を作るような、妙な虫の大群に」

「なに!? 理香ちゃんが虫に襲われていやーんなことになっただと!? 写真は!? 映像はちゃんと録画されているのか!?」

「一発が良い? それとも二発?」

「すんません、冗談です。理香ちゃんが無事で何よりでっす」

「ったく、空気を読みなさいよね。バカ」

「バカなのは生まれつき――うん。生まれつきだろうな。ここまで性根がバカだと生まれつきじゃなければむしろ説明がつかないと言える。まあそれはそれとして虫の大群なんてよく倒せたな。個体よりも群体の方が倒すのは手間取りそうだし、理香ちゃんの火力じゃ小さいのを全部倒すのは苦労しそうだが」

「…………ええ。苦労したわ。それでも何とか倒せたけど」

「ふん?」

 妙な間が空いたのは、苦労した戦闘を思い出したためか、それとも何か別の理由でもあるのか。

 少しだけ神妙な、影のある表情を浮かべる理香を気遣ってか、仁は言及せずに真っ直ぐ歩き出す。

「仁、何処へ行こうとしているの?」

「さあ? こう暗いんじゃ目的地も何もわからないし、取り敢えず、出口が見つかるまで歩き回るだけだ」

「出口なんてあるのかしら?」

「無いとは言えんがあるとも言えん。結局のところ、俺たちにできることはそう多くないんだし、まずは行動あるのみってな」

「……否定はしないわ。それにアストのことも早く見つけないとね。まああの子のことだから、放っておいても万が一のことも起きないでしょうけど――!?」

 何かに躓き、転びそうになった彼女を捕まえたのは仁の腕。

 関節は元に戻したとはいえ、急な行動を取ったために鈍い痛みが走り、その影響で表情が歪む。

 だが痛みなど慣れたものであり、気にするほどのことでもないと、仁は掴んだ理香の腕を引っ張って抱き寄せる。

「大丈夫か、理香」

「――えっ、ええ。だ、大丈夫。あ、ありがと、仁」

「どういたしまして。しかし何もないところで転びそうになるとか、理香ちゃんも意外とドジッ子――」

 言葉を止めた仁は神妙な顔つきで理香が躓いた場所を睨む。

 真剣な彼の顔付きから、何かを発見したことを悟った理香は仁の腕の中より逃れつつ、足元を調べて息を呑む。

「……これって、もしかしなくても死体よね?」

「もしかしなくても死体だな。それも普通の殺され方とは違う殺され方をしているわけだが――」

 目を凝らして辺りを見回してみれば、あちこちに無数の物言わぬ屍が転がっているのがわかってしまう。

 女子供にはあまり見せなくない光景だが、覚悟している理香は気にしないとは言わないまでも、無意味に騒ぎ立てたり吐いたりすることもなく、ただ静かに彼等の冥福を祈る。

「酷い光景、ね」

「だな。誰がやったのかは知らない、というかわからないというのが妥当だな」

「わからない?」

「転がっている屍、血を吸われた痕がある奴もいる」

「じゃああの子の仕業ってこと?」

「血を吸われた奴もいるってことは、言い換えればそうじゃない奴もいるってことだ。例えば――」

 無数の死体の内、一体に歩み寄った仁は片手で屍を拾う。

 人の死体は決して軽いものではない。が、それは原形を、肉体をある程度、留めている場合の話。

 骨が壊れ、肉片もあまり残されていない死体は持ち上げるのにさほど苦労はせず、それどころか彼の手の中であっさりと砕け散ってしまう。

「血を吸われただけなら干物の山が出来上がる。力尽くで壊したとしても、こんな風に壊す理由はないし、第一、血を吸われた様子のない死体もある」

「確かに、ね。既に乾いて、血どころか体液一滴さえ残っていないようだけど、血を失ったから干乾びたって感じがしないものも多いわ。でも、あの子は暴走状態みたいだったし、無茶苦茶に壊してしまうこともあるんじゃない?」

「その可能性も否定し切れない。だが俺は違うと思う。そもそも彼女は吸血鬼としては未熟もいいところだ。血を吸い過ぎて暴走しているし、俺たちみたいな半人前でも問題なく倒せる程度の実力だった。そんな彼女がこんな空間を創り出すことなんてまず不可能と言って良い」

「つまり、あの子は誰かの使い魔的な存在で、やっぱり黒幕的存在が彼女を使って今回の事件を起こした?」

「そう考えるのが自然、っと、どうやら本当に今回の件にこの世界を創った奴が関係しているっぽいぞ」

「なんでそんなことがわかるの?」

「ほれ、このデータ。俺たちが任された行方不明者のリストだ。んで、あそことあそこと、あの辺に落ちている死体の顔を見てみると」

「……そういうこと」

 スマホ内に保存されている、行方不明者たちの顔と同じ顔が屍の中に転がっているのを発見した理香は肩をすくめる。

 調査目的である今回の一件、思い掛けないところで手掛かりを得られたのは不幸中の幸いと言えるが、同時に自分たちの手に負える事件ではないのではという思いに駆られ、ため息が漏れ出てしまう。

「理香ちゃんの考えていることが手に取るようにわかる。そして概ね、俺も理香ちゃんの意見に賛同しておこう」

「じゃあどうする? どうにかしてここから脱出して、校長先生に報告する?」

「うむ。ぶっちゃけ、俺たちだけじゃこれ以上は危険過ぎるからな。今のところは問題なく対処できているが、例の廃校の一件もあるし、退き際を見誤るととんでもないことになりそうだと俺の直感が囁いている」

「私も賛成。それにしても、私たちの故郷は確かに魔境だけど、外の世界だって十分過ぎるくらい魔窟じゃない。私が言うのもなんだけど、よくこんな場所に住めるわね。感心しちゃうわ」

「まったくもって、俺たちに言えた義理じゃないな。まあ目に見える危険が多いのが魔境で、目に見えない危険が多いのが外の世界って感じか。うん。確かにヤバさだけなら外の世界の方が上かも。かといって、そのことを進言しても無駄だって言うのが世の中の無情というものなり」

「なんで無駄って言い切れるの? やってみれば案外、聞き入れてくれる人たちがいるかもしれないじゃない。例えば、ネタに飢えているジャーナリストとか」

「無理。個人個人は受け入れてくれるかもしれないが、お偉いさん方、政府の高官とかはまず受け入れない。凝り固まった古臭い考え方をしているってのもあるが、何よりもそれを認めたら対策やら何やら資金繰りや仕事に追われることになる。酒飲んで騒いで、キャバ嬢とかにプレゼントを配るのでお忙しい高官さんたちはそういう無駄な時間を使いたがらないものだ」

「……アンタ、政府が嫌いだったっけ?」

「吐き気を催すことはある。それに好きか嫌イカで言えば嫌いだな。俺がああいう連中を嫌う理由を知りたいのなら、延々長々と説明してやっても良いぞ。まあどれくらい掛かるかは正直、俺にも予想がつかないが、それでも訊いてみたいかね?」

「手短にはできないの?」

「無理だと思いたい」

「じゃあ後で、暇な時に暇潰しな話題として聞くことがあるかもしれないわね」

「ラジャラジャ」

 軽い敬礼を行う仁に理香が出すのは嘆息のみ。

 とはいえ、周囲の景色に引っ張られる形で形成されていた暗い空気が幾らか払拭されたのも事実であり、理香は口や態度に出すことなく、心の中で仁に感謝の言葉を述べた。

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