第三百八十五話
無数の蝙蝠たちが切り刻まれ、周りに飛び散る様はミキサーで果物などを粉々に切り刻む光景に酷似。
いくら高速回転させているとはいえ、木刀で蝙蝠を切り刻めるのは仁の力量が高いからか、それとも蝙蝠たちが脆いだけなのか。
恐らくは後者であり、飛び散った蝙蝠たちの肉片は全て少女の元へと飛翔し、彼女の体に付着するとそのまま吸収される。
「ああ、やっぱりアイツの使い魔、ないし体の一部を蝙蝠化させていたのか。吸血鬼らしいと言えば吸血鬼らしい能力だな」
「映画とかゲームとかで、よく吸血鬼が蝙蝠たちを飛ばす攻撃があるけど、現実でそういう攻撃をされるとは思わなかったわね」
「事実はぁ~、小説よりもぉ~、奇なりと言いますからねぇ~。下手な物語よりもぉ~、現実世界の方がぁ~、余程珍妙なのかもしれませんよぉ~」
「珍妙かどうかはともかく、予想外のことが起きるのは多々あることだ。それも予期していない時に限ってそういうことは起こる」
「だから予想外なんでしょう。予期している時に起こっても予想外にならないじゃないの」
「それもそうだ。まっ、そんなわけで、予想外のことをされる前に倒すなり取り押さえるなり、頑張りますか!」
蝙蝠の群れを葬ると同時、飛び出した仁が少女の咽喉を木刀で貫く。
想像以上に柔らかく、容易く咽喉を貫通した木刀はそのまま停止。
咽喉の再生に巻き込まれる形で木刀を取り込まれてしまったことを仁が悟った時には拳で頭を横殴りされており、壁に激突してから痛みを実感する。
「仁!」
「大丈夫! この程度は許容範囲内。それよりそっちも油断するなよ!」
「誰に物を言っているのよ! そもそもアンタと違って、私は油断とか滅多にしないんだから!」
大きく口を開けて突進する少女の額に槍を投擲。
頭を貫通し、脳漿を撒き散らしながらも少女は止まることなく、理香の右腕に勢いよく噛みつく。
「チッ。アレでも止まらないのね」
「油断しないんじゃなかったんですかぁ~?」
「油断していないわよ。誘き寄せた、なんて強がりも言えないけど、これくらいで止められるほど私も弱いつもりはないわ」
「みたいですねぇ~。でもでもぉ~、このまま何もしないで見ているのもぉ~、私的にはうぅ~んって感じですからぁ~、援護しますねぇ~。良いですかぁ~?」
「こういうのを相手に、一対一に拘る気はないわよ。だって向こうが一対一に応じてくれそうにないんだから!」
吸引力の変わらない掃除機が如き勢いで少女は理香の血を飲み下していく。
周囲の人々が意識を失う、あるいは命を落とすほどに血を啜ったにもかかわらず、今なお貪欲なまでに血を求める姿はもはや吸血鬼の領域さえも超えている。
そもそも吸血鬼は血を吸い、人を殺めることもあるが、それにも限度があることは周知の事実。
人に満腹という概念があるように、吸血鬼が飲める血の総量には限りがある。
それを超えて飲むこともできるであろうが、大抵の場合は体が血を受け付けずに吐き出してしまう。
それでも無理に飲み続ければいずれパンクするのは明白。
常軌を逸した拷問、もしくは悪趣味が過ぎる処刑でも行わない限り、破裂するような事態には陥らないであろうが、目の前の少女はその限界を容易く突破しようとしているようにさえ感じられてしまう。
己の意思ではないことは確実として、何故そうなってしまったのかについては究明する必要がある。
などと余裕ぶって思考してしまったのは、周りに頼もしい味方がいる弊害か。
思考に費やした時間は数秒にも満たないとはいえ、吸血されている最中に考え事をするなど義父が知ったら憤慨もの。
自分でも自分が愚かな真似をしていると恥じつつ、少女を振り払わんと空いている左手を使い――
「まあ待ってくださいよぉ~。ここは私にお任せですぅ~」
呑気な声と同時に胸の内を過ぎる猛烈な悪寒。
悪い予感以外の何物でもない感覚に、理香は動きを止める。
直後、少女の頭が抉られ、次いで体が焼き払われ、四散した肉片を腐食性のガスが包み込む。
殺傷能力が極めて高い、殺す気満々の兵装は理香がほんの少しでも動いていたら彼女にも命中していたであろう、ギリギリのところを狙って放たれたものばかり。
頬が引き攣るのを実感しつつ、理香が少女を葬った元凶に視線を送れば、彼女は悪気皆無といった風貌で可愛らしく舌を出す。
「てへへぇ~、どうですかぁ~、上手く行きましたよねぇ~」
「……助かったわ。ありがとう、アスト」
「どういたしましてぇ~。それとぉ~、ますたぁ~、ますたぁ~、私の活躍を見てくださいましたかぁ~?」
「見ていたが、活躍というか、ミンチにしたな。容赦なく」
「えへへぇ~、こういうのはぁ~、手加減をするとぉ~、調子に乗られてしまう危険がありますからぁ~、容赦無しでぇ~、やった方がぁ~、いいんですぅ~」
「手加減できる余裕のある相手じゃないのは確かだが、できるなら生かしたまま捕らえて情報を聞き出したかった――というチャンスはまだ残されているか」
肩をすくめる仁は木刀を片手に振り返る。
彼の眼差しの先にいるのは先刻、アストの手で消滅させられたはずの少女。
凄まじい速度で再生する彼女は、けれども炎に焼かれた部位だけは再生が鈍いらしく、生々しい火傷の痕が残されている。
「霧化した後に体を再構築したってところだな。とはいえ、吸血鬼は炎に弱い。その辺りは伝承通りだな」
「正しくはぁ~、火傷による傷はぁ~、そう簡単には治せないじゃありませんでしたかぁ~」
「他にも流れる川は渡れないとか、招かれないと家に入れないとかもあったかしら?」
「どうでもいい。家に招きたくなるような相手じゃないし、どちらかというと一緒に帰って友達に噂とかされると恥ずかしい系の相手だろう」
「ますたぁ~もぉ~、一緒に帰ると恥ずかしい系の存在だと思いますぅ~」
「うむ。俺と一緒に帰れるのは、俺と一緒のレベルの変態だけなり。良かったな、理香ちゃん。チミはハードルを軽々と飛び越えているのだぞ」
「それ、バカにしているわよね? 少なくとも褒める類いの言葉じゃないわよね?」
「そんなことないような気がしなくもないよな気がしないような。なんてバカなことを言っている間に火傷の傷も無事に癒えましたとさ」
仁の言葉通り、赤く煮え滾った、食欲に満ち満ちた瞳を仁たちに向ける少女の体は青白い、健康的とはかけ離れているという点を除けば無傷なものに戻っており、その動きも今までと同じ、素早く獰猛なもの。
野生の獣を連想させる速度で、血を啜るために動く少女に仁たちが慌てた様子を見せないのは彼女の動きに対応できるようになったから、ではない。
単にもはや勝負がついているから。そのことに気付かず、飛び回る彼女の五体はバラバラに分解される。
何が起きたのか、理解できない――もしくは理解できる機能が残っていない少女の肉片が地面に四散。
すかさず仁は懐からカプセルを一つ、取り出すと、地面に放るとカプセルが割れ、中から珍妙な煙とともに掃除機のようなものが姿を現す。
「仁、アンタまさか――」
「安心しろ。この中は四次元空間になっている。吸い込んだ対象が中で再生しようと出口のない袋小路の中で延々とさまようことになる」
「それはそれでぇ~、精神崩壊とか起こしそうになる気がしますぅ~」
「その時はその時だ。この場で殺されないだけ、ありがたく思えってな」
大地を転がっている体を再び霧化、再生させようとする少女を吸引。
断片すら残さず、少女の肉体を完全に吸い込んだことを確認した仁は割れたカプセルを回収、掃除機を中に入れる。
「それ、どういう仕組みなの? どう見ても掃除機が大きくなったり、小さくなったりしているようにしか見えないんだけど」
「説明してやってもいいが、前提条件として予備知識が山のように必要になるぞ。それに専門用語も多く使うし」
「そういう言い方はズルいわね。ちゃんと素人にも理解できるように説明できてこそ、本当の意味で理解できているって言えるんじゃないの?」
「理解する方にもある程度の知識が求められる。どれだけ簡素に説明しようとしても、こればかりはどうしようもない」
「まあまあますたぁ~、理香さんだってぇ~、理解しようと努力しているんですからぁ~、説明してあげてもいいじゃありませんかぁ~?」
「……なら説明するが、まずカプセルに収納する際、電磁パルスを――」
可能な限り簡単な説明――少なくとも仁にとっては――をされた理香が心の中で敗北を認めたのは説明開始五秒の時点。
彼が何を言っているのか、耳に入ってきてもそれが自分たちの使っている言語と同じ物であると脳が理解することができず、それでも説明を求めた手前、拒否するわけには行かないと押し寄せる眠気に抗いながら聞く体勢を維持。
幸いなことに仁が簡単に説明しようとしたことと、この場に長居することはどう考えても危険ということで五分と経たずに説明は終わり、早々に撤収する。
ただ、確認はしていないが生存者がいてもおかしくはなく、彼等を見捨てて逃げ去るというのも著しく倫理に欠ける行い。
故に匿名で警察に通報し、詳しい場所を伝えてから帰路に就く。
「そういえばアスト、アレはちゃんと回収したのか?」
「抜かりありませんよぉ~。理香さんがぁ~、ますたぁ~の説明を受けてぇ~、昏倒しそうになっている間にぃ~、ちゃぁ~んと回収しておきましたぁ~」
「昏倒しそうになっているなんて、失礼なことを言わないで。私だって意識を残そうと必死に抗っていたんだから」
「じゃあ俺が説明したこと、理解できたのか?」
「……それはそれとして、さっき、あの吸血鬼をバラバラにしたのってやっぱりアンタの仕業だったんだ」
「露骨に話をそらしましたねぇ~。わかりやす過ぎですぅ~」
「五月蠅い。で、どうなの?」
「理香さんのおっしゃる通りですよぉ~。火傷の再生に時間が掛かっているようでしたからぁ~、その間にぃ~、周囲にぃ~、鋼線を張り巡らせておきましたぁ~。とっても頑丈でぇ~、しかもほぼ透明なぁ~、優れものですぅ~」
「鋼線って、そんなのまで仕込んでいたの? こう言っちゃなんだけど、ちょっと武装が多過ぎない?」
「物騒な世の中ですからぁ~、武装は多過ぎということはないのですよぉ~。それにぃ~、使うべき時とぉ~、そうでない時はぁ~、ちゃんと弁えていますぅ~」
「で、鋼線が張り巡らされていることに気付かず、高速で飛び回ったことでバラバラになったと。マヌケと言えばマヌケだが、暴走状態だから引っ掛からない可能性の方が低かったな」
「せめてぇ~、理性が残っていればぁ~、吸血鬼としてぇ~、夜目も聞くでしょうしぃ~、鋼線に気付いてぇ~、避けたり壊したりできたかもしれませんねぇ~」
「でも、その時はその時でまた別の手段を使ったんでしょう?」
「もちろんですぅ~。万事ぃ~、抜かりはありませんからぁ~。私はぁ~、とおぉ~ってもぉ~、有能なぁ~、アストロゲンクンシリーズの末妹ですからねぇ~」
嬉しそうにはしゃぐアストに、仁と理香は静かに微笑み掛ける。
ある種、物騒な会話ではあったが、聞き耳を立てる不届き者も居らず、仮に聞かれていたとしても冗談、もしくはバカ話でもしているのだろうと、適当に聞き流される会話内容。
とはいえ、本気にする者が現れないという保証はなく、そして本気にされたら面倒臭いことになりそうなので仁は軽く咳払いを行い、話題を変える。
「ところでアスト、あの吸血鬼の部屋は今も監視中だよな?」
「おやぁ~、ますたぁ~、気付いていたんですかぁ~。目敏いですねぇ~」
「お前が自分で言っていただろう。抜かりはないって。だったら今も監視していたとしておかしくはないと思っただけだ」
「流石ですぅ~。ちなみにぃ~、あの吸血鬼が出掛けてからぁ~、部屋の方に変化は見られませんねぇ~。いっそのことぉ~、このまま向かっちゃいますかぁ~?」
「――いや、今夜は疲労が激しい。少なからず血を吸われたし、主がいなくなったなら部屋の探索は後回しで良いだろう」
「けど、行方不明事件って感じに大家さんが警察に届けるかもしれないわよ」
「その時はその時だ。まあ夜にバイトをしていた年頃の娘が一晩、帰って来なかったからといってそれほど気にはしないだろう。あの大家も、面倒事にはあまり首を突っ込みたくないように見えたしな」
「ということはぁ~、明日の内にぃ~、調べた方が良さそうですねぇ~。ということはぁ~、今日はこのままお休みしますかぁ~?」
「そう、だな」
深夜とはいえまだ夜は長い。
遊び歩くならこれからが本番、などと内側で囁く悪魔の如き誘いを一蹴。
単独行動中ならまだしも、理香やアストを連れて歩くわけには行かないと、疲れが残る体を強引に動かして寄り道せず、宿へと直行した。
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