第三百八十四話
油断すればむせてしまいそうになるほど、鼻孔を刺激する血の臭い。
路地裏から一歩、外に出れば人通りが多いとまでは行かないが、それなりに人が通っているにもかかわらず、誰もその臭いに気付かずに素通り。
あるいは臭いを外に漏らさない結界でも張っているのか、何にしても辛うじて生きている――生きているように見える青白い肌をした、倒れている人々の上で彼女は来訪者の存在を無視して血を啜る。
爛々と輝く真紅の双眸。
口から滴り落ちる血の雫が服を赤く汚すことを気にも留めず、彼女は女性の首に発達した犬歯を突き立て続ける。
昼間に出会った時とは比べ物にならない異様な雰囲気。
己が異形であることを隠す気が皆無の少女は息を荒げながら持っていた女性の体を適当に捨て、駆けつけた理香たちの方へ視線を移す。
「――どうやら彼女、今回の黒幕じゃなさそうね」
「さてさてぇ~、それはわかりませんよぉ~。単純にぃ~、今回の件とは無関係なところでぇ~、こんな風になってしまったのかもしれませんしぃ~」
「もしくは調子に乗って制御不能な状態に陥ったか。まっ、正気に戻せるなら話を聞くこともできそうだが、戻せなかったら素直に灰にしてやるのが優しさってもんなのかもしれないぞ」
「仁はできるの?」
「さあ? 試してみないことには何とも言えんが、ぶっちゃけ専門外だから無理な方に花京院之助の魂を賭ける」
「誰よ、それ」
「知らね、っと」
目にも留まらぬ速さで間合いを詰めた少女の、鋭く伸びた爪が仁たちを襲う。
まるで研ぎ澄まされたナイフが如く、横薙ぎに振るわれたソレは建物の壁を豆腐のように容易く切り裂く。
「宣戦布告も無し、と。これは完全に暴走状態だな」
「血を吸い過ぎてぇ~、おかしくなってしまったのでしょうかぁ~」
「もしくは誰かに操られているとか?」
「考察はいつでもできるし、余裕を持って話し合いができるような場面でもないからな。力尽くで止める以外の選択肢が思い付く人は挙手」
「はいはいぃ~、凍らせてぇ~、冷凍保存するとかは如何ですかぁ~?」
「それも力尽くの内に入ると思いま、す!」
コンクリートの地面にくっきりと足跡が残るほど、力強く踏み締めた少女は弾丸が如き速度で突進。
避け切れず、両腕で少女の体を受け止めた仁の肺より空気が漏れ出る。
「ッ、やるじゃない。思っていたよりも痛かったぞ」
「仁!」
「問題無ーし。こういう奴には鉄拳制裁がお約束!」
見た目にそぐわぬ怪力を発揮し、仁の頭を掴んで首に牙を突き立てようとする彼女の顔面に、逆に突き刺さるのは固めた拳。
老若男女、気にすることのない鉄拳は鼻の骨と歯を砕く確かな手応えを彼の腕に伝え、けれども追撃の手を緩めることなくよろめいた少女の頭を掴むと飛び膝蹴りを打ち込む。
見ようによっては――否、誰がどう見ても婦女暴行にしか映らないであろう所業に躊躇いを一切、持たないのは彼の性根の問題か、はたまた手加減をしていては逆に食われると本能が感じ取ったが故か。
顔面を破壊された少女は長期入院を余儀なくされるほどの大怪我を負い――数秒後には無傷の状態に戻りつつ、零れた血の痕を長い舌で舐め取る。
「おおう。犬歯だけじゃなくて舌も発達しているのか。こういう時は流石とでも言うべきなのだろうか」
「言ってもぉ~、理解されませんよぉ~。第一ぃ~、それって褒め言葉に分類していいのでしょうかぁ~?」
「女性に対して使うべき言葉じゃないとは思うわね。そんなところ褒められたところで嬉しくもなんともないでしょうし」
「理香ちゃんよ、それは偏見というものだ。世の中には様々な趣味嗜好の持ち主がいるのだから、そういう場所を褒められて狂喜乱舞するような女性がいたとしても不思議ではないだろうに!」
更なる追撃を入れようとする仁から距離を取る少女はそのまま方向転換。
向かう先にいるのは油断なく、槍を構えている理香、の隣でやる気を感じさせない曖昧な笑顔を浮かべているアスト。
警戒も何もしていない、弛緩し切った雰囲気に騙されて襲い掛かった彼女の両手両足を何かが貫く。
それは光り輝く小型の端末。
鋭利に尖った、剣の如き鋭さを持つ小さな物体は少女の体に突き刺さりながら強制的に彼女の肉体を宙に浮かせ、まるで磔が如き状態に固定する。
「アレは?」
「私が密かに射出しておいたぁ~、ちょっとした小道具ですぅ~。私の意思と連動して動く仕組みなのでぇ~、切迫した戦闘中はぁ~、あまり使えないというのが欠点なのですがぁ~、それでもぉ~、結構便利ですよぉ~」
「仁、アンタも似たような物は作れるの?」
「作ろうと思えば作れないことも無いが、思考と連動する仕組みである以上、俺では使いこなせないからな。何せ俺、余計なことを考える場合が多いし」
「納得したわ」
「納得しましたぁ~。とはいえぇ~、これで捕獲完りょ」
言い終わる前にアストが言葉を区切ったのは、少女が灰と化し始めたため。
否、肉体が消失したのは事実だが、灰と化したわけではなく、霧のように空気中に霧散していく。
「そういえばぁ~、吸血鬼はぁ~、霧になれるんでしたっけぇ~」
「全員ができるわけじゃないらしいがな。まあでも、普通の兵器で捕らえておくのは難しそうだ。掃除機でも持ってきて霧を吸い込めば行けるかもしれんが」
「吸い込んだ後に元に戻って、掃除機が内側から破裂するってオチじゃない?」
「なら掃除機の中にニンニクでも詰めておくか。そうすればニンニクを恐れて実体化することができなくなるはず」
「せめて十字架にしておきなさいよっと!」
霧化により拘束から逃れた少女が再度、出現した場所は理香の頭上。
男性である仁や、半分以上が機械のアストよりも見た目のレベルが結構高い少女の理香の血の方がやはり好みということなのか。
何も変化していないはずなのに、何処となく先程よりも喜びを滲ませたような表情で彼女を押し倒し、牙を突き立てようとする少女に理香は真っ向から応戦。
接近戦では槍は不利と判断し、潔く武器を手放すと少女の頭を掴んで激しく抵抗。
無論、理香の窮地を黙って見過ごすほど、仁はおとなしい性格ではない――が、当の理香が一睨みしたことで仁は動きを止める。
「ますたぁ~?」
「どうやら、自分でやりたいらしい。なら俺たちは理香ちゃんがピンチになるまでは待機しておかないとな」
「今のやり取りだけでぇ~、伝わったんですかぁ~。流石はぁ~、幼馴染みと褒めるべきなのでしょうかぁ~」
「盛大に褒めてくれ。そうすれば理香ちゃんも草葉の陰で喜んでくれる」
「勝手に人を殺しているんじゃない、わ、よ!」
吸血鬼という種族特有の怪力に、徐々に押され始める理香だったが、その瞳に諦めの色は絶無。
むしろ真っ向からの力勝負では勝てないという事実が、彼女のやる気の炎に油を注ぐ結果となり、燃え上がる闘志とともに限界以上の力を発揮。
特にその右腕は彼女の心に応えるが如く、少女の頭蓋を握り潰し、剥き出しになった脳を掴み抉る。
「おうわ。グロ映像。動画として流したら通報されそう」
「中々にぃ~、迫力のある光景ですねぇ~。まあでもぉ~、本物の映像としては受け入れられないでしょうねぇ~。そもそもぉ~、頭を壊されているのにぃ~、相手側が平然と動いていますしぃ~」
「ついでに言うと既に再生しているしな。しかし理香ちゃん、あんなに力があったとは知らなかった。それとも窮地に追い込まれたから限界を超えたのか?」
「こんなものを窮地とは呼びませんよぉ~。それにぃ~、理香さんの場合ぃ~、どちらかといえばぁ~、自分以外の誰かがピンチになった時の方がぁ~、限界突破して強くなりそうですぅ~」
「ああ。それはわかる。理香ちゃんは自分以外の誰かのために、何処までも強くなれるのでした、的な?」
「私にやらせて、とは言った――言ってないけど、伝えたわね。で、確かに伝えはしたけど、呑気に話していて良いとは伝えてないわ、よ!」
頭を潰されてなお蠢く、不死の住人の腹を蹴り飛ばす。
死なないと言っても頭を壊されたら流石に多少は力も弱まるのか、掴んでいた手をおとなしく放した少女は天高くへと吹き飛ばされる。
「これが我が逃走経路だ、とかは言わないんだな」
「そもそもぉ~、言葉を話せる状態じゃ無さそうですしぃ~、それにぃ~、逃げる理由も必要も無さそうですしねぇ~」
「そうでしょうね。さて、どうしたものかしら」
空中へと吹き飛んだ少女はそのまま地面に落下。
反撃が来ると予想し、離れていた仁たちは油断なく舞い上がる土煙を見据え、不意に仁が振り向くことなく背後へと裏拳を放つ。
捕らえたのはいつの間にか後ろに回り込んでいた少女の下顎。
打ち砕かれた顎は彼女の口の下半分諸共崩壊し、けれども少女は構うことなく仁の腕を掴み、犬歯を突き立て血を吸う。
「むっ」
「仁!」
「ますたぁ~!?」
「この程度は無問題。そういえば、吸血鬼に噛まれた奴は吸血鬼化するとかいう話が伝わっているが」
蚊のように節操なく、吸血行為をやめようとししない少女の頭を木刀で穿つ。
再生が間に合っていないのか、仁の予想よりも防御力が低いのか、打ち砕かれても吸血行為に支障が出ないから敢えて防ごうとすらしなかったのか。
何にしても頭部が半壊したまま、血を吸い続ける彼女の顔を木刀で薙ぎ払うことで牙をへし折るとともに少女の体を吹き飛ばす。
壁に激突した彼女は、それでもすぐに肉体を再構築し、滴り落ちる血液を一滴も無駄にはしないと長く伸ばした舌で掬い取って行く。
少女が血を堪能している最中、仁は噛まれた箇所を確認。
病原菌でも感染したが如く、疼き始める牙の痕を見て小さな舌打ちを漏らすともう片方の手で傷口を抉る。
「ちょっ、何をしているのよ!」
「応急処置っぽいこと」
「自分の肉を抉ることを応急処置とは言いませんよぉ~」
「物は試しだ。なんでもやってみるものだからな」
自身の肉を抉り取り、牙の痕という名の傷口ごと地面に投げ捨てた彼は深まる痛みにほんの少しだけ顔を歪め、引き換えに収まった疼きに内心で安堵。
次いで携帯していた包帯を傷口に巻き、軽く動かしてみれば痛みこそあるものの、機能に関しては気にするほどのことでもなかったため、問題無しと判断。
未だに血を飲むことに夢中になっている少女の頭を改めて殴り飛ばし、拳に付着した彼女の血を乱暴に振り払う。
「ったく、血なんて飲んで何が嬉しいんだか。俺みたいに吸血趣味を持ち合わせていない者にとっては理解に苦しむ所業なんだZE!」
「いや、嬉しいも何も、吸血鬼は血を飲まないと生きていけない、もしくは血が力の源なんだから、定期的に補給しないといけないんじゃないの?」
「だったら輸血パックでも買いに行けばいいだろう。もしくは献血でもしてくれる奇特な奴等から血を奪うとか」
「献血はぁ~、ボランティアの一種ですからぁ~、やっている人を奇特とか言うのは失礼じゃありませんかぁ~」
「気にするな。ぶっちゃけた話、単に八つ当たりの対象を欲しがっているだけだから、今の俺の言葉に感情は有っても深い意味などありはしない」
「まあわからないでもないけど。それより仁、本当に大丈夫なの? さっき、傷を抉った後に安心したような雰囲気がしたけど、傷口を抉ったら吸血鬼化が収まったとか、そういう感じ?」
「むっ。流石は理香ちゃん。俺の本心を容易く見抜くか。あるいは俺の精進が足りないというべきなのか。何にしても、吸血鬼化の前兆なのかはわからんが、牙を突き立てられた後に変な疼きがして、で、傷を抉ったら収まったって感じだ」
「それってぇ~、吸血鬼化が収まったって解釈で良いんでしょうかぁ~? 単に収まったような気がしただけとかいう可能性もありますよねぇ~」
「それを言うなら、疼き自体が気の迷いから生まれた幻覚の類いという可能性も無きにしも非ず、ってな。まっ、俺が言うのもなんだが、俺みたいなのを汚染するのに吸血鬼化程度じゃ不十分だと思うぞ。何せ俺は吸血鬼以上の化け物なのだから!」
「胸を張って言うようなことじゃないわよ。あと、自分で自分のことを化け物とか言わないの。そういうことを言って、後で傷付くのは自分なんだから」
「大丈夫なのだよ。自覚しているのなら乗り越えられる。世の中、意外とそういう風にできているのかもしれないと、俺が教えている」
「はいはい。上ね」
「ういうい」
呑気な声で仁が返答した直後、上空より仁たちの頭目掛けて飛来するは蝙蝠。
野生に生きる者たちよりは小さい、けれども獰猛さは野生のソレとは比較できないほどの無数の蝙蝠たちを、仁は真上へ掲げた木刀を高速回転させ、円形の盾のような状態にすることで片端から薙ぎ払って行った。
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