第三百八十三話

 それは生き地獄と呼ぶべきか、それとも地獄を超えた所業と言うべきか。

 禁忌の実験とされる死者の蘇生が目の前で行われていると言われても納得しかねないほどに凄惨なる光景。

 本当に死んで生き返ってを繰り返しているのではと思えるほどに、寝て起きてを連続している主の姿にアストの両目から自然と涙が流れ落ちる。

 その涙が意味するところはアスト自身も把握できていない。

 断言できるのは、流れ出る雫に喜びの感情が含まれていないということだけ。

 尤も、半分以上が機械で構成されているアストに涙を流す機能が搭載されているのかは彼女自身もわかってはいない。

 少なくとも彼女が自分で搭載した機能の中には存在せず、仁が付けた可能性は半々といったところか。

 いずれにせよ、涙が流せるのは悪いことではないのだろうと、小さく頷いたアストは仁はおろか、自分自身さえ見えていない様子の理香に話し掛ける。

「あのぉ~、ちょっといいですかぁ~」

「大丈夫。私はできる子。努力すればできないことはないなんて言えないけど、努力すればできるようになる範疇のことのはず。うん。だって前にできるようになったんだから、今度もきっと大丈夫」

「もしもしぃ~、聞いていますかぁ~? というかぁ~、聞こえていますかぁ~」

「少しの間、サボっていたわけじゃないけど、実戦稽古ができなかったせいで勘が鈍り気味になっているだけなんだから。ええ、きっと続けていればまたできるようになるはずよ。諦めなければ限界を突破できるはずなのよ」

「ううぅ~むむむぅ~、理香さんがぁ~、地平線の彼方にでもイッちゃっている感じがしますねぇ~。こういう場合はぁ~、流石はぁ~、ますたぁ~の幼馴染みとでもいうべきなんでしょうかぁ~」

「できるのよ、できるのよ理香。私はできる子なのよ。だから安心して。自然と一体化して大地と、いえ宇宙とこの身を一つにすれば、全能感のようなものを感じ取れるはず。そうすればきっと――」

「ていぃ~」

「あうっ!?」

 目も当てられない惨状をこのまま放置するのは危険と判断したのか、アストは虚ろな瞳で手当てのようなものを行っている理香の首筋に手刀を叩き込む。

 さほど強力な一閃ではなかったのだが、それでも打ち込まれた手刀より全身に伝わってくる衝撃によって理香は目を白黒させた後、困惑顔で振り返る。

 そこにあったのは満面の笑顔を浮かべているアストの姿。

 彼女が自身に何かしたのは明白であったが、何故そのような真似をしたのか、その理由についての答えにたどり着くことができず、困惑を深めてしまう。

「えっ? えっと? えっ?」

「お目覚めですかぁ~、お目覚めならぁ~、ちゃんと返事をしてくださいぃ~」

「あっ、はい、おはようございます?」

「おはようございますぅ~、理香さんがぁ~、正気に戻ったみたいでぇ~、何よりですぅ~。というわけでぇ~、ますたぁ~の治療を行いますのでぇ~、そこを退いて貰えるとぉ~、助かるんですがぁ~?」

「あっ――」

 いつもと変わらないようで、何処か冷たいアストの一言に理香は現況を把握。

 己の過ちによって仁が大変なことになってしまったのを悟り、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらおとなしくその場を退く。

「その、ごめんなさい。私、とんでもないことをしちゃったみたい」

「ですねぇ~。前にも見掛けたことはありますがぁ~、理香さんもぉ~、暴走するとぉ~、迷惑度がますがぁ~と大差ないですよねぇ~」

「うぐっ!? じ、実際に迷惑を掛けてしまっているから否定できない。その、じ、仁は大丈夫なの?」

「大丈夫ではありませんがぁ~、大丈夫にしてみせますよぉ~。とはいえぇ~、余計な傷口が大きくて広過ぎますからぁ~、多少は荒療治になってしまうかもしれませんがぁ~、まあますたぁ~には我慢してもらいますぅ~」

「荒療治、って!?」

 驚く理香を無視してアストは手早く仁の治療を始める。

 荒療治の言葉通り――というべきかは定かではないが、普通ではない方法で仁の体を修復していく。

 なお、その際に仁が理香にされていた時以上の巨大な悲鳴を上げようとしたがアストが取り出した猿轡を噛まされたことによって口を塞がれてしまったために、声を出すことは叶わない。

 唯一の違いは理香の時とは異なり、ちゃんと仁の体が治されているという点。

 ただしそれは治療とはとても呼べない、ともすれば理香の手当てもどき以上に手荒く、無残な所業としか言いようがないほどに非情な修理。

 仁に痛覚が存在しなければ耐えられたかもしれない冷酷無慈悲な行為は数分に渡って続き、一段落したところでアストが小さく息を吐く。

「ふうぅ~、取り敢えずはぁ~、こんなところでしょうかぁ~。我ながらぁ~、良い仕事をしましたぁ~」

「私が言うのも――いえ、私に言う権利なんて無いんでしょうけど、それでも言わせて欲しいわ。アンタ、それで良いの?」

「実際にぃ~、直っているんですからぁ~、何も問題はありませんよぉ~。そもそもぉ~、ますたぁ~はぁ~、理香さんの治療? とか料理? に耐えられるんですからぁ~、これくらいならぁ~、精神崩壊を起こしたりはしないはずですぅ~」

「ググッ、本当に何も言い返せない……! というか、さっきの手際とか見ている限りだともっと優しくというか、丁寧にできたりするんじゃないの?」

「できますよぉ~。ぶっちゃけぇ~、わざとやりましたからねぇ~」

「悪びれもせず、凄くハッキリと言い切ったわね」

「誤魔化す理由もぉ~、必要もありませんからぁ~。まあぁ~、八つ当たりみたいなものですからぁ~、あまりお気になさらないでくださいぃ~」

「気になるけど、追及しても何も出ないって意味でOK?」

「そんな感じですぅ~。取り敢えずぅ~、損傷個所は全部直しましたからぁ~、しばらくすれば再起動されるはずですぅ~」

「治したのはわかるけど、なんかニュアンスというか、言葉が微妙に違う気がするのは私の気のせい?」

「直したと言いましたぁ~。何も問題ないとも言いましたぁ~。それじゃあぁ~、納得できませんかぁ~?」

「……まあ、いいわ。それより、随分と時間を無駄にした気もするし、そろそろ私たちの目的を果たしに行かないと」

「ですねぇ~。主にぃ~、ますたぁ~とぉ~、理香さんのせいですがぁ~、何か弁明があるならぁ~、聞いてあげてもいいですがぁ~?」

「ないわよ。何も。というか、これ以上、イジメるのは勘弁してほしいわね。精神的に危険な状態になりかねない程度にはダメージを食らうし、何より、このままだと話が先に進まないわ」

「それには同意しますぅ~。といってもぉ~、ますたぁ~たちが遊んでいる間にぃ~、私一人でぇ~、既に調査を済ませていますがぁ~」

「えっ、何それ。聞いてないんだけど」

「言ってませんしぃ~、聞かれなかったのでぇ~、答える理由も義務も義理もありませんでしたからねぇ~。とはいえぇ~、流石に全部私だけで済ませてしまうのは気が引けますのでぇ~、部屋の中まではまだちゃんとは調べておりませんからご安心くださいぃ~」

「その言い方、つまりあの少女は灰色じゃなくて黒って解釈で良いのかしら?」

「真っ黒と確証を持てるわけではありませんがぁ~、少なくともぉ~、灰色の段階は超えちゃいましたぁ~。だってぇ~、既に人を襲っていますからねぇ~」

「――見えているの?」

「バッチリとですぅ~。理香さんもぉ~、その様子を見たいのならぁ~、これを付けてみてくださいぃ~」

 変わらぬ笑顔を浮かべているアストが懐より取り出すのは市販品に魔改造を施したような大きめのゴーグル。

 VRゲームをプレイするために作られていそうな、見た目以上の重量を誇るゴーグルを受け取った理香は疑うことなく装着する。

 最初に見えたのは真っ暗な景色。

 闇だけに支配された世界は何も映しておらず、時間経過によって目が慣れても闇以外は何も見えない――

「って、これ、何も見えないんだけど、電源入っているの?」

「おっとぉ~、私としたことがぁ~、うっかりしていましたぁ~。すぐに付けますのでぇ~、お待ちくださいっとぉ~」

 わざとか偶然か、定かではない口調のアストの言葉に反省の色は無し。

 といってもこの程度の失敗は責めるほどのものでもなく、映し出された光景は彼女の失敗などかき消してしまうほどに衝撃的なものであったため、理香は息を呑みながらアストに問い掛ける。

「アスト、これ、冗談とかじゃないのよね?」

「当たり前ですぅ~。そこに映し出されている光景はぁ~、紛れもなく今現在行われていることですぅ~。いやぁ~、可愛い顔をしてぇ~、中々えげつないことをしていますよねぇ~」

「えげつないっていうか、普通に何人も犠牲になっているように見えるんだけど」

「ちなみにぃ~、この光景を映しているのはぁ~、私が放った小型端末ですぅ~。生きていないのでぇ~、気配もありませんしぃ~、重力操作を応用してぇ~、空を飛んでいますからぁ~、音も出ませんしぃ~、何よりぃ~、小さい上に擬態能力も持っていますからぁ~、見つかる心配はほとんどありませんよぉ~。まあぁ~、視線に気付かれたりしたらぁ~、もしかすると見つかるかもしれませんがぁ~」

「アンタ、既に仁の技術力を超えているんじゃない?」

「まさかぁ~。ますたぁ~がその気になればぁ~、もっと凄いものを簡単にぽんぽんと作っちゃいますよぉ~。ただぁ~、ますたぁ~はこういうみみっちい物を作る気がないってだけですぅ~。そこはぁ~、私よりも理香さんの方がぁ~、よくわかっているんじゃありませんかぁ~?」

「まあ、ね。にしても、あの子、吸血鬼だったのね。昼間に普通に外に出ていたから気付かなかったわ」

「昼間に出ていたと言ってもぉ~、太陽は雲に隠されていましたしぃ~、たぶん日光は絶対に浴びないように注意していたのでしょうねぇ~」

「そこを怪しむべきだった、なんて今更言っても仕方がないし、何より、吸血鬼だと気付いたところで私たちにできることは何もなかった、って、割り切るしかないのでしょうね」

「ますたぁ~がタイムマシンでも完成させればぁ~、もしかしたらこの蛮行を食い止めることができたかもしれませんがぁ~、これも言っても仕方がないことなんでしょうねぇ~」

「そう、ね」

 唇を噛み締める理香は一旦、深呼吸。

 肺の中の空気を入れ替えるとともに、己自身に無理やり落ち着きを取り戻させ、改めて少女の様子を窺う。

 彼女が襲い掛かっている相手は見ず知らずの男性。

 少女の知り合いか、はたまた通りすがりか。可能性として高いのは後者。

 何故ならば彼女たちの後方、路上にゴミのように打ち捨てられているのは血を失った犠牲者たちの山。

 その全員が少女の知り合いだった場合、確実に彼女が何かしたと周りに疑われるであろうことは火を見るよりも明らか。

 そんなことがわからないほどバカだとは思えず、また第一印象的にそこまで社交性が高いようにも見えなかったので、無関係な人間を手当たり次第に襲っていると考えた方が自然。

 言い換えれば何も知らない一般人を己の糧にしているということであり、自分の欲望を満たすためだけに他人を食らうその行為に理香は拳を握り締める。

「ねえ、アスト。あの人たち、生きていると思う?」

「わかりませんがぁ~、貧血なのは確実ですねぇ~。まあぁ~、全員死んでいるとなればぁ~、相応の騒ぎが起きるはずですしぃ~、下手をすれば専門家とかを呼び寄せる結果に繋がりかねないですからぁ~、普通に考えてぇ~、愚行以外の何物でもないはずなんですけどねぇ~」

「そう、よね。一体、どういうつもりなのかしら?」

「わかりませんねぇ~。わかりませんがぁ~、見ていて良い気分にはならないのも確かですぅ~。理香さんたちのお知り合いの吸血鬼さんたちもぉ~、こんな風に手当たり次第に襲っていたりするんですかぁ~?」

「魔境にいる吸血鬼たちは、こんな真似はしないわ。絶対に。節度を持って吸血する、なんて言い方が正しいかはわからないけど、流石にこんな真似をするような奴を放置はできないわね」

「でもでもぉ~、自分の欲望に従順という点ではぁ~、ますたぁ~も似たようなものだと思いますがぁ~?」

「それ、本気で言っている?」

「まさかぁ~、ますたぁ~は自己完結型ですからねぇ~。基本的にぃ~、自分の欲望は自分の内側だけで済ませちゃいますしぃ~、それにぃ~、こんな風に周りを巻き込むのを良しとはしませんからぁ~、そういうところもぉ~、ますたぁ~の魅力の内だって思いませんかぁ~?」

「……さっさと行くわよ、アスト」

「あっ、待ってくださいよぉ~」

 アストの質問に答えなかったのは答える価値が無かったからか、答えるのが気恥ずかしかったからか。

 ゴーグルを取り外し、アストに投げ渡した理香は未だに目を覚まさない仁を背負いつつ、蛮行が繰り広げられている現場へと足早に向かって行った。

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