第百十六話

 子供たちのためのアニメタイムが終わり、始まる大人たちの時間。

 主に本日の出来事を報道するニュース番組に格闘家たちが勝利の栄光を掴むために潰し合う格闘番組、高齢者や一部の不健康な若者たち向けの医療番組、ルールこそ異なるが基本、雑学に関する問題ばかり出すクイズ番組等々。

 興味を引く番組はなく、目的なくスマホを弄っている方がまだ有意義な時間を過ごせると確信できるけれども肝心のスマホは電池切れ寸前。

 充電しながらチャンネルを回し、暇潰し以外の価値がないどうでもいい地域情報番組を眺めていると、遊園地に古の幻獣が現れたという報道が行われる。

 現在でも本来の檻の住民たる珍獣たちに遠慮することなく、檻の中で堂々とふんぞり返っている古の幻獣の周囲を武装した警官たちが取り囲む。

 軍人を派遣しないのは必要以上に古の幻獣を刺激しないためか、はたまた警官だろうと軍人だろうとどれだけ強力な武装に身を包んでいようと関係ないからか。

 市民を守ろうとするその気概は評価できるとしてあまりに無謀。

 幸いなことに古の幻獣は彼等に興味を示しておらず、仁に渡したポテトチップスとは別のポテトチップスを食しながら虚空を見つめている。

「……あの場所、余程居心地がいいのか? なんにしても何も起こらなければそれに越したことはないんだが」

『マスター、お食事の準備が完了致しました』

「ご苦労」

 対岸の火事――とは言い切れないが、他人事としてこれ以上、関わり合いに鳴ろうとしない仁とテレビの向こう側にいる古の幻獣との目が合う。

 無論、古の幻獣が見ているのは報道陣のカメラ。

 腰を抜かして座り込むカメラマンのことは無視し、ひたすらにカメラを見据える眠たげな瞳が仁を映すことなどあり得ない。

 と、理屈の上ではわかっているのだが、先程出会ってしまった恐怖が未だ彼の体を支配しているとでもいうのか、恐れ戦き、震え出す肉体を叩いた痛みで無理やり動かし、テレビの電源を切る。

『マスター?』

「……なんでもない」

 電源を消したところで無意味。

 勝手に点いたテレビの中から古の幻獣が這い出し、彼を呪い殺す。

 といったホラー展開は発生せず、自業自得で動けなくなった恍惚状態の紗菜を担いで椅子に座らせ、二人と一機で食卓を囲む。

「頂きます」

「……頂き、ます」

 本日の夕食のメインは麻婆豆腐。

 そのまま食べるか、ご飯に乗せて食べるか。そのまま食べるには少し生姜が利き過ぎていると判断した仁はご飯に乗せ、紗菜は麻婆豆腐単品で食べる。

 どちらの食べ方も作り主たる一号は否定せず、用意されていた水を一気に飲み干す紗菜のために黙したまま新たな水を運ぶ。

「――ふむ、成る程な」

『如何ですか、マスター』

「及第点以上、といったところか。もう少し辛味を押さえた方が俺好みの味だ」

『前回は辛味が足りないとおっしゃっておりましたが』

「今回は強過ぎる。ちょうどいい塩梅とは言い難い。まあ無理に俺好みに合わせる必要はないが」

『いいえ、全てはマスターのため。マスターがご満足頂ける食事を提供するのが私の役目です。それ以外の有象無象が満足しようと私には興味の無いことです』

「フーン? つまり私からの評価はどうでもいいってこと?」

『もちろんです、紗菜様。如何にマスターの妹君であらせられようと、有象無象の中ではマシな方なだけですので』

「素直でよろしい。あにぃ、私専用のアストロゲンクンシリーズを創って」

「気が向いたら新作を開発するだろうが、今のところ、その予定はない。食指が動くような興味対象もないし――っと、そうだ」

 懐から引っ張り出される紫色の立派なリンゴ。

 皮の色が毒々しい点を除けば非の打ちどころが見当たらない、誰がどう見ても毒リンゴにしか見えないソレをテーブルの上に置く。

「なにそれ、毒リンゴ? 誰か毒殺したい人でもいるの? 毒物に頼るなんてあにぃにしては珍しいわね」

『マスター、暗殺の基本は気付かれないことです。できれば死体を残さない形が好ましいですね。死体は情報の宝庫。如何に注意していようと、殺しの痕跡を残してしまう可能性が非常に高いですので殺し方ではなく、失踪したように見せ掛けるべく、死体を完全に消去する方法をお考えになられた方が得策かと」

「お前等は俺を何だと思っているんだ?」

「妹に甘い私の大好きなあにぃ(性的な意味も含む)」

『バカで変態』

「紗菜よりも一号の方が端的かつ酷いことを言っている事実に涙が出そうだ。まあこれは何処で拾ったのかわからないが、なんとなく持っていた方がいいだろうと判断して持って帰った謎の毒リンゴだ。一号、成分分析を頼みたい」

『毒リンゴは毒リンゴだと思われますが』

「だとしても何の毒なのか、調べておくに越したことはない。まさか俺が食すのを期待して懐に忍ばせた、なんてマヌケなオチはないと思うが、同じ毒を使って何か事件でも起こされた時、その毒に付いての情報を持っているのと持っていないのとでは対策を練るのに掛かる時間が大幅に異なるからな」

「わからないわよ、あにぃ。その暗殺者があにぃの芸人根性を理解して忍ばせたのなら、ここは体を張って期待に応えないと」

『マスター、マヌケなボケにアホなボケで返す必要はございません。マスターは確かにボケ寄りの両刀使いですが、ツッコミもできなくはないのですから。今はボケ心を封印してツッコミ心を燃やす時です』

「そもそも俺に芸人根性なんてないんだが」

「またまたー。あにぃってば冗談が過ぎるんだから!」

 飛び掛かる紗菜は裏拳一発で轟沈。

 鼻を押さえて転げ回る彼女を見下ろしながら、たいして力を込めたつもりもないのに想像以上の怪力を発揮した左腕の感覚を確かめる。

 腕自体はいつも通りに動かせ、彼の命令に逆らうような気配は一切しない。

 ただ、食われて、そして治された左肩に奇妙な疼きが走る。

 痛みはない。痒みもない。それでも何かに引っ張られるような、言葉にできない妙な感触を左肩から訴えられ、不快さを表に出す。

「チッ。あの野郎、何をしやがったんだ?」

『マスター、やはり何かあったのですか?』

「なに、気にするほどのことでもない。ちょっと左腕の感じがおかしくなっているだけだから、その内、慣れる」

「な、成る程。だからあにぃの愛の鞭がいつもより強力だったのね。鼻の骨が砕け散るかと思ったわ」

「一号、鼻血を拭いてやれ」

『畏まりました』

 潰れ掛けの鼻の両穴から零れ落ち、床とテーブルを赤に染める鼻血をティッシュペーパーで丁寧に拭き取る。

 綺麗さよりも丁寧さを優先した拭き方。

 乱暴にされたところに施しを受け、ときめいた紗菜は一号の茶筒ボディに愛しさを覚えて抱き着こうとするも、瞬く間に両腕を縛り上げられて床に倒される。

「ちょっと! 私は怪我人なんですけど!」

『マスター、身の危険を感じましたので独断で紗菜様を拘束させて頂きました』

「構わん。非は紗菜にある。お前は自分の身を守ろうとしただけ。どうして責めることができようか」

「あにぃこそ、私のことを何だと思っているの!?」

「年中発情期娘」

『盛りの付いた雌猿』

「否定できない! 悔しい! でもそれがいい!」

 何がいいのか、本人さえ把握しないまま数度、大きく跳ねて鼻血を撒き散らす。

 床やテーブルのみならず、壁や天井にまで鼻血を付着させ、夕食にまで鼻血の被害が及ばないよう仁が体を張って鼻血の雨を防ぐ。

「あーあー、こんなに汚して、仕方のない奴だ。掃除が大変になるだろうから、取り敢えず鼻血だけは止めてやったらどうだ?』

『ここまで血で汚されてしまっては掃除の大変さは変わらない気も致しますが。それに興奮した紗菜様の体内より大量の血が抜かれれば、多少は落ち着かれるかと』

「その程度で鎮められるのなら最初から誰も苦労しない。そいつはどれだけ血を失おうと、失う血の量以上の血液を体内で作り出すことができる。それも無から血液を無限に生み出せるから、貧血とは無縁の存在だ」

『なんと。紗菜様はそこまで進化された存在だったのですか』

「あにぃ、真顔で嘘つかないで。一号も、まったく信じていないのに信じたようなことを言うのはやめた方がいいわよ」

「嘘とは心外な。俺の心の中にいる紗菜はそういう設定になっているぞ」

『マスター、妄想を吐き出されるのはマスターの自由ですが、現実の紗菜様に妄想の紗菜様を重ねられるのは控えた方がよろしいかと』

「そうよ、あにぃ! 理想の妹を前に妄想を語るなんて言語道断! 私こそがあにぃにとって究極にして至高の妹でしょう!」

「ハッ!」

「鼻で笑われた! ヤバい、とっても素敵な感情が胸の奥で溢れてくる! 具体的にはあにぃの心臓を鷲掴みにして引きずり出したい!」

『マスター、紗菜様がヤンデレ? な方向に進まれようとしております。そろそろ止めなければこの家で凄惨な殺人事件が起こってしまいますが』

「そうだな。良くも悪くもたくさんの思い出が詰め込められている我が家をこれ以上、家族の血で染めるわけにもいかん。ってなわけで紗菜よ、お前の今日一日の出来事について語ることを許そう。話したまえ」

「偉そうにされている。ヤンデレポイント二十加算」

「一億ポイント溜まったらヤンデレ化するのか?」

『ゴールまでの道のりは中々果てしないですね』

「そうかしら? 加算されるポイント次第では一気にヤンデレイベント発生にたどり着けるかもしれないんだから、あにぃも頑張ってね! で、あにぃは私の、思春期の妹である今日一日について知りたいのよね。変態」

「あー、そうだなー。俺は変態だなー」

 勝ち誇るような笑みを浮かべる実妹にイラつきを覚えて踏みつける。

 だが彼が踏みつけたのは紗菜の残像。

 本体は一心不乱に麻婆豆腐を食べながら汗を流し、水で辛味を抑え込みながら今日どのように過ごしたかを語る。

「でねー、悟君と成瀬ちゃんが喧嘩していたから仲裁に入って、そのまま近くの空き地で三人一緒に――」

「おおよそ、予想通りの内容だが、そんなことより一号?」

『捕らえておりました。確実に。ですが紗菜様は私の想像を遥かに超える速さを身に着けられているようです』

「師範の元で修行した成果、か。それ以外はたいして変わっていないみたいだが、情報を更新する必要がありそうだ」

「でも蘭香ちゃんと健吾君、それにご両親が乱入してきた時は流石に驚いたわ。まさに修羅場って感じ? 面倒くさくなったから全員、私が食べたけど、親子丼って美味しいわよね。母子も悪くないけど父母子は更に味にアクセントがあって」

 軽い頭痛を覚える内容を聞き届ける命令を一号に下し、普段通りながら何処か恨みや殺意などの負の感情を有した了承の返事を聞き届けて入浴。

 事前に一号が準備を済ませていたらしく、服を脱いで浴室へ入り、体を洗って湯に浸かる彼の元へ紗菜が乱入。

 全裸で湯船に飛び込もうとした彼女を鉄拳で撃墜。

 硬質な床に頭をぶつけ、苦しみの声を発する彼女を微笑ましく見下ろしながら一糸纏わぬその肉体を隅から隅まで観察する。

 下心はない、純粋な科学者としての視線。

 筋肉の付き具合や柔軟性、視線を介して得られる情報を余さず取得しようとしている瞳はある意味、変態の域を超えている。

 欲情することなく裸体を見つめられ、複雑な気分に陥った紗菜が立ち直り、もう一度湯船の中に飛び込もうとして停止。

 飛び込もうとした瞬間、更に強烈な一撃で玉砕される未来が見えてしまった彼女は流れ出た血のおかげで少し冷えた頭を用い、兄の性格を冷静に分析。

 単純に一緒に入ろうとしたことを怒ったわけではないことを見抜き、分析を続ける内に彼が怒った原因を突き止める。

「あにぃも細かいんだから、家のお風呂くらい、自由でいいでしょうに」

「お前が入る時は好きにしろ。だが今は俺が先に入っている」

「はいはい。最愛の妹様はお兄様の意思に従いますよ」

 からかうように笑った彼女は体を洗ってかけ湯を行い、静かな足取りで入浴。

 一人用の湯船は高校生の兄と中学生の妹で入るには少々狭いが、二人はさして気にせず力を抜いて寛ぐ。

「ほふぅ。たまには二人でお風呂も悪くないかも」

「そうだな。ちなみに襲い掛かってきたら血の海に沈める」

「できると思っているの? たかがあにぃが、この私を?」

「全開しているなら対応するのは困難だが、さっきの一瞬で全ての力を使い切ったことはわかっている。その状態で欲望に身を任せてみるか?」

「……なんだ、バレちゃってたか。流石はあにぃね。ご褒美にキスくらいしてあげてもいいわよ」

「力は抜いても気を抜く気はない。もしもお前が不審な動きを見せたら脳天をカチ割って頭の中に制御装置を埋め込ませてもらう」

「兄妹の会話じゃないと思うの。大体、制御装置って何を制御するつもり?」

「色欲」

「あにぃの発明如きで抑えつけられるとでも?」

「まあ無理だろうな。抑えられて三日が限度だろう。それとも一日保てば奇跡の領域かもしれん。お前のその溢れんばかりの色欲は何処から生み出されているんだ?」

「もちろん、私の体中からよ。英雄色を好むって言うし、私はきっと大英雄としての素質を持っているのよ。だから色欲も旺盛! 年中発情しても無問題!」

「英雄全員が色欲に塗れているわけじゃないんだが。女が原因で破滅した英雄も少なからずいるが」

 拳を握り締め、力強く断言する彼女を微笑ましく見つめ、懲りることなく襲い掛かる紗菜の頭を掴んで湯の中に沈める。

 抵抗は無意味と言わんばかりに狭い湯船の中で圧し掛かり、体重を掛けて四肢の動きを封じ込め、窒息する限界ギリギリを見極めて解放。

 湯に濡れて艶やかになった肌と髪を晒しながら、背中を預けるように寄り掛かる彼女を受け入れつつ、警告の意味を込めて蠢く掌を彼女へ見せつけながら安穏と殺伐の中間の空気の中、兄妹は二人きりの入浴を楽しんだ。

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