第百十三話
神凪たちを発見、尾行を継続する二人は消沈する神凪を美鈴が尊大な態度で、しかし節々に優しさと不器用さを感じさせる励ましの言葉を送る現場を目撃。
彼女のことをよく知らない者が聞けば苛立ちや不満を覚えるであろう物言いは慣れている者ならば何が言いたいのか、大まかに察することが可能。
精一杯の激励を受け取った神凪は調子を取り戻し、身長制限のない遊具で遊ぼうと彼女の手を掴んでやや強引に引っ張って行く。
「うーむ。美鈴は本当に変わらないな。もう少し、なんとかならんのか?」
「無理でしょうね。それが美鈴の長所――かは微妙だけど、個性なんだから」
「それにしたって言い方ってものがあるだろう。俺が同じ真似をしたら一部、心優しい例外を除いて間違いなく強烈なツッコミを入れられるぞ」
「同じ言葉と態度でもアンタの場合、挑発以外の意味を込めないでしょう。美鈴は不器用ながらも神凪を励まそうとしているんだから、その差だと知りなさい」
「ぬう。ぐうの音も出ない発言に反論する術がないぜ。これが理香ちゃんの恐るべき言葉の刃。俺のハートはブレイクだぞ?」
「どうやらアレに乗るみたいね。私たちも行くわよ」
「無視はいいとして、あいつ等が乗るからって俺たちも乗る必要なんて――」
「ゴチャゴチャ言わない! 急ぐわよ!」
「ヘイヘイ」
半強制的に乗ることとなった乗り物は遊園地の定番の一つ、メリーゴーランド。
一定の速度で回転する床と、その上に幾つもの馬の座椅子を備えた遊具。
回転に合わせて上下する馬の上に乗ることで騎乗を体験できる――かもしれない伝統的な遊具の客の大半が女子供。
変わらない速度で動くため、刺激を求める者たちには物足りなく、神凪や美鈴は大いに楽しむも仁は少し楽しい気持ちになりつつ、仏頂面で馬の後頭部を眺める。
理香もメリーゴーランド自体はさして楽しんでいない様子だったが、彼女は神凪たちの監視に終始していたので気にしておらず、そんな彼女を周囲の人々が奇異の目で見つめていることにさえ気付かず、付き添いの仁が針の筵状態。
精神的な疲れで休息を要求するが、神凪たちが動いたので却下され、理香に連れられて尾行を継続。
段々と今の自身の境遇に腹が立ってきたのか、神凪たちの元へ乗り込んでデートを台無しにしたくなる衝動を堪えつつ、次なる遊具のコーヒーカップに乗り込む。
コーヒーカップもまた遊園地の定番。
それに彼等が乗ることにおかしな点はない。
不思議なのは気付かれてはいけない尾行を行っているにもかかわらず、さして離れていないコーヒーカップに仁と理香が乗ること。
先のメリーゴーランドでもそうだったが、存在を気付かせないことが大前提ならばわざわざ同じ遊具を利用せず、多少離れた位置から監視すればいいだけのこと。
尤も、一定の間隔で視界に収まっている二人に神凪たちが気付いた様子はない。
回るコーヒーカップに集中しているからか、デートを楽しんでいるからか、はたまた彼等がここにいるなど夢にも思っていないためか。
苛立ちがバカらしさに変わって行くのを実感しながら、無邪気にコーヒーカップを回して楽しんでいる理香の顔を見て一息つくとともにある疑問を思い出す。
肉体を改造された黛を元に戻すことは確かに不可能ではない。
水で満たされたプールの中にコップ一杯分のオレンジジュースを注ぎ、その中からプールの水とオレンジジュースとを分けて回収するようなものだが、彼には不可能でも彼の師である保険医ならば可能。
だがそれには相応の設備と時間を有し、なおかつ完全に元に戻すのは至難の業。
それを彼女は気に入らないという理由だけで成し遂げた――否、彼女は黛の肉体と増殖した樹冥姫の細胞、それに食われた人狼の怨念をも切り分けた。
細胞を分かつには物理的な手段を、怨念を分かつには精神的な方法を。
どちらも一筋縄ではいかぬ作業で同時に実行するのは無謀を通り越して不可能。
が、彼女は不可能なはずの所業を成し遂げた。それもよくわからない方法――優れていると自負している彼の頭脳でも理解できない手段を用いて。
冷静に考えれば考えるほど彼の心には得も言われぬ感情が満ちる。
一番近い感情は屈辱、あるいは悔しさであろうか。
自分にできないことをやってみせた彼女への嫉妬はない。
元より彼は理香のことを尊敬している。
自身に不可能なことを行ったからといって彼女への尊敬の念が強まるだけで、妬む理由とはならない。
故に彼が感じたのは理香のことを理解できない自分がいることへの悔しさか。
何をしたのかは彼女自身もわかっていないことから衝動的な行動であったことが窺えるが、感情を暴発させた程度で奇跡を起こせるのなら今頃、世界は奇跡と呼ばれる怪現象で溢れ返っている。
理香自身が自分の行いをわかっていなくとも、仁は理解しなければならない。
何故なら仮に未知の能力を彼女が得ているのだとすれば、それがメリットだけをもたらすと断言できないから。
彼女を元に戻したことで理香の体に何かしらの代償が支払われている可能性。
現状では代償らしい代償は確認できないが、仮に再び同じような状況で理香が何かを行った時、彼女が無事でいる保証は何処にもない。
そして仁が最大限に懸念しているのは、彼女が未知の能力にデメリットが生じる可能性を理解していても、必要に迫られれば躊躇いなく使う点。
自分だけでなく他者に及ぶものならば彼女も使用に躊躇いを持つが、自身のみに代償が求められるのなら理香は喜んで対価を支払う。
例え取り返しがつかないような負担を背負うことになったとしても、彼女は友や仲間のためならば躊躇せず、実行に移す。
けれど仁には彼女の横暴を許すつもりはない。
止めることはできないとわかっているので止めるつもりはない。が、止められないからといって傍観する気もない。
あの時、彼女が何をしたのか、それを調査し、使用条件及び使用時に発生するメリットとデメリットを明らかとする。
それが彼が行うべきこと――なのだが、調べようにも情報不足。
データはなく、何が起きたのかも理解できていないのが現状。
保険医も黛や理香のことを念入りに調査し、そのデータは仁も確認した上で二人ともに異常なしという結論を下さざるを得なかった。
理香と黛の肉体を解剖して隅から隅まで調べ上げれば何か手掛かりが掴めるかもしれないが、解剖後、完全な形で元に戻せる自信がない。
更に解剖しても何か手掛かりが得られる確証がないので、今の彼にできることといえば、あのような事態に陥った場所へ彼女を連れて行かないことくらいか。
「アハハハハハー! もっと回すわよ! もっともっと速さを!」
本来の目的をそっちのけにしてコーヒーカップを全力で回す。
楽しそうな彼女の顔を見ているだけで満足感と嘔吐感に満たされる。
思考することには慣れているが、高速回転するコーヒーカップに座りながら思考に没頭した経験はなく、溜め込まれた精神的疲労が重なったこともあって色々なものをぶち撒けたくなるが根性で我慢。
仁の顔色の変化など眼中にない理香は更なる速さを求めてコーヒーカップをの回転速度を上げ、限界にまで挑戦。
満足して下りる頃には仁の顔色が青から白に変わり果て、これ以上、無理をさせれば確実に吐くことが一目でわかるため、ベンチで休息を取る。
「えっと、ごめんなさい?」
「……なんで疑問形なんだ」
「もしかするとアンタが私をからかうために、わざとそういう顔色をしているのかしらって考えたんだけど、やっぱり、素よね?」
「……生憎と、タコみたいな顔の元世界一の殺し屋みたいに自由に顔色を変化させられるほど器用じゃな――うぷっ」
口を押さえる仁の背中を優しく擦って労わり、何か飲み物を買ってこようと自動販売機へ急行。
ペットボトル入りの天然水を手渡し、色々な物を引っ込めるために口飲みして咽喉を潤し、胃を水で満たす。
「そんな一気に飲んで大丈夫なの?」
「前にもこのやり方で吐き気を抑え込んだ。体を動かしたりと余計なことをしなければその内、収まる」
「それならいいけど、何か私にできることはある?」
「特に何も。まあ緊急事態に備えてこの場にいてくれると助かる。確率としては低いだろうが、今の俺は強盗とかに襲われても抵抗できない」
「わかったわ。でもちょっと意外。アンタがアレくらいで酔うなんて」
「普段は酔わないんだが、今回は妙に体と心が疲れている。後者に関しては言いたいことはたくさんあるが、水と一緒に飲み干すとして、不可解なのは体の疲れだ」
「あっ、それ、わかる。何故か妙に疲れているのよね。昨日はいつも通りに道場で汗を流した程度で夜はグッスリ眠れたし、今日は尾行以外、何もしていないのにどうしてか体が痛いのよ」
「俺も似たような感じだ。遊園地に来て、神凪が身長の問題でジェットコースターに乗れなかったのを憐みの眼差しで見て、その後はメリーゴーランドに乗ったわけだが、妙な疲労感はその辺りか?」
「そうね。それになんだか妙に普通のアトラクションに乗りたかったのよ。こう、普通っていいなー、って変な感じになって」
「……言われてみればそうだな」
強く言われたのが主な理由だが、彼自身にも少なからずメリーゴーランドに乗りたい衝動は存在していた――というより、何の変哲もない普通のアトラクションで楽しみたい衝動と表現するべきか。
本気で拒絶すれば乗ることはなかった。それでもメリーゴーランドに乗ったのは紛れもない彼の意思。
何故普通のアトラクションで遊びたかったのか、問い掛けても心や体、頭の中に答えは見つからない。
同じように理香も自身に問い掛け、やはり解答は得られず。
肉体の疲労に関係しているのかさえわからないまま、水を飲み終えた仁は近くのゴミ箱の中へ空のペットボトルを入れ、スマホに視線を下ろす。
地図を広げて彼等の移動先を特定、鉢合わせないようスローペースで歩く。
「次は何処に行くの?」
「たぶん動物園だな。ここの動物園は珍獣が集まっているって噂になっているぞ」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「気のせいだろう。それに周囲に害を為す危険生物はしっかりと隔離しているはずだから、脱走でもされない限り、騒ぎにはならない」
「ねえ、仁。噂をすれば影って諺は知っている?」
「うむ。発言してからこれって脱走される前振りじゃなイカって後悔を覚えた。だがまあそんな都合よく、危険生物が脱走することなんてあり得ないはずだ」
「わざと言っているの? ねえ、わざと言っているのよね?」
「わざとだが、ほら、こういうのって言い過ぎると逆に何も起こらない場合もあるから敢えて言ってみた」
「最近はそういうのも増えてきたけど、一番はやっぱり何も言わないじゃないの?」
「既に口にしてしまった以上、リセットすることはできない。ならば回数を重ねることが俺たちにできる唯一の抵抗!」
「私が言えた義理じゃないけど、気にし過ぎじゃない? それに遊園地にある動物園にそこまで危険な生物がいるとは思えないわ」
「そうだな。ここが人外たちがひしめく魔境ってことを考慮しなければ、だが」
「……この話はここで終わりにしておきましょう。あんまり言い過ぎると本当に何か起こっちゃうかもしれないわ」
「うむ。デートにハプニングは付き物としても、ぶち壊しになるようなハプニングは御免被りたいからな。そんなこんな言っていたら動物園に到着しました」
数名の家族連れの後ろに並び、受付で入場料を支払う。
大人と子供で入場料は異なるが、動物園内では高校生までは子供として扱われるらしく、子供料金で入場券を頂く。
「子供扱いされちゃったわね」
「大人扱いされたい、なんてガキのようなことを言うつもりはない。というか入場料が安くなったことに感謝の言葉以外が思い付かないZE!」
「はいはい。っと、美鈴たちに見つからないように。二人は中に居るのよね」
「ああ。だがどうやら入り口付近で止まっているみたいだ。このまま進めば追いついてしまうからここで止まって――っと、動き出した、な?」
「どうしたの?」
「いや、なんだかさっさと動物園から出ようとしているような、かなりの速さで移動しているみたいだから、何か苦手な動物でも見つけたのか、あるいは本当に危険生物でも檻の中から逃げ出したのか――」
顔を上げ、先程まで神凪たちが見ていたのであろう檻の中にいる生物を視認。
直後に足を止めた仁は硬直、その場から一歩も動けなくなり、全身より大量の汗を噴き出させる。
唐突な異常発汗。動物園内の気温は一定で、体質に問題が無ければ運動など特殊な条件を満たさない限り、汗を掻くことはない過ごしやすい環境。
そんな環境下にいる彼の汗は止まらない。それどころか尋常ではない速度で全身を震わせ、両の瞳が戦慄一色に染まる。
何が彼をここまで追い詰めているのか、まばたきしない視線の先を追った理香が目撃するのは二種類の客と二種類の珍獣。
ソレが何なのか知っている半数以上の客たちが彼と同じように大量の汗を掻いて震え上がり、残りの無知な客たちは檻の中に居る二種類の珍獣を珍しそうに観察。
そして檻の中にいる二種類の珍獣たちの内、片方は檻の隅に一つの塊となって恐怖に震え、一頭しかいないその珍獣は檻の中央に寝そべり、眠そうな半開きの眼で自身に注目している客たちを見返しながらポテトチップスを食べていた。
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