第百九話
短い病院生活を終え、退院した三人を温かくなければ冷たくもない、平常運転で迎えるクラスメイト一同。
通常通りの反応なのは退院した仁たちに気を遣っているからか、はたまた何度も入退院を繰り返す彼等にいちいち対応を変えるのが面倒臭くなったのか。
いずれにせよ、変化のない学園生活が再開され、心なし程度だが黛がおとなしくなったことを除けば平和な日常を謳歌すること数日。
学生にとっても社会人にとっても貴重な休日に、仁は割と大きめのゴミ箱の中に入っている現状を嘆く。
そもそもの原因は黛がある人物に取材を敢行したことで手に入れた、その人物にとっては機密事項な情報を教室内で開示したこと。
本当は彼女が単身で尾行する予定だったのだが、流石にマフィアに捕まってからそれほど日も経っていないのに単独行動は危険と判断したらしく、一緒に付いてきて欲しいと一部を除いたクラスメイトたちに懇願。
が、男子は予定の有無にかかわらず、尾行そのものを面倒臭がり、女子は興味を持った者が多かったものの、ほとんどが他に予定があるため、同行を断念。
東間もまた用事があったのでその日は行くことができず、仁も面倒臭がったので拒否しようとしたが、興味津々な上に予定の無かった理香が快諾。
普段なら彼女を放置する仁だったが、先日の一件が尾を引いていたので彼女たちだけにするわけにもいかず、渋々ながら同行を申し出る。
と、本来は三人で行動するはずだったのだが、今日が検査の日であることを忘れていた黛が集合場所にてメイドに連れて行かれたのが十分前の出来事。
その場で解散するのも選択肢の一つとして十分にあり得るもの。
が、好奇心の炎が燃え盛ってしまった理香を止めることは叶わず、黛が連行された直後にやって来た標的の一人より隠れるため、理香は自動販売機の裏へ、仁はゴミ箱の中に飛び込むことになってしまった。
如何に彼がGの動きをマネすることが多いとはいえ、あくまで参考兼憧憬しているのはその動きと回避能力及び生命力だけ。
性質や体質、食生活などその他一切には憧れを持たず、動きや生命力以外で黒光りするGと同列に扱われるのは彼にとって心外そのもの。
故にこのような場所からは一刻も早く脱出したい衝動に駆られるも、尾行対象が堂々と居座っている今現在は外に出ること能わず。
移動するなら早く移動しろと、ゴミ箱の中から強念を送り付け、それが功を奏したのかは不明だが待ち合わせ場所にもう一人がやって来る。
「遅い! 貴様、下等種族の分際で、どれだけ私を待たせるつもりだ!?」
「時間。丁度。遅刻。違う」
「十分前行動は基本中の基本だろう! 貴様等河童はそんなこともできないのか!」
「楽しみ。夜。不眠」
「なっ……! ふ、ふざけるな! 寝不足など言い訳にならない! わ、私は三日前から寝不足なんだ! 昨日も結局、一睡もできなくて――ち、違う! べ、別に、私は今日のことを楽しみにしていたわけではなく、そ、そう、仕方なくだ! 勘違いするな!」
「了解。移動。カフェ。お茶」
「ふ、フン! 良いだろう、私も咽喉が渇いていたところだ。さっさと行くぞ!」
赤くなりながら歩き出すカラス天狗の少女こと美鈴の横に並ぶ河童の神凪。
並んで歩く二人が去ってから十数秒後、ゴミ箱から脱出した仁が自動販売機の裏に身を潜めている理香と合流する。
「……見た?」
「見た。そして俺は今の状況を華恋ちゃんに伝えたくて仕方ない衝動に駆られているんだが、どうすればいいと思う?」
「黛情報はいまいち信用できなかったけど、今回は本当だったみたいね。にしても怪しいとは思っていたけど、美鈴が神凪を、ねえ?」
「まあ神凪君は俺も認める変人だが、時に体を張って他人を助けることもあるから割と好かれやすいんじゃないのか? 華恋ちゃんに連絡していい?」
「私たちの知らないところで色々と進展しているのかもしれないわね。ダメよ、華恋も私の大切な友達だけど、美鈴だって友達なんだから。自力で気付いたのならともかく、外から余計な茶々は入れない」
「ちょっと不満だけど、火に油を注いで炎上させるとこっちにまで飛び火する危険を考慮したらそれが妥当か」
「そういうこと。ここは温かく見守りましょう。ところで二人を見失ったりしていないでしょうね」
「問題ない。ちょっとスマホを改造して神凪君たちの位置情報を把握できるようにした。例え神凪君たちがこの星の中心まで潜ろうと、正確な位置を表示する」
「便利だけど、人としてどうなの? まあ存分に利用しようとしている私がこんなことを言えた義理じゃないんでしょうけど」
「うむ。俺たちの目的は尾行の成功。それ以外は気にする必要などない。例え人道に背いた行いであろうと、尾行が完遂できれば全て黛に責任を押し付けられる!」
「この場にいないのに責任だけ押し付けられる黛に若干、同情するわ。さて、私たちも二人を追いましょう。いくら見失う心配が無いといっても、何をしているのか観察しないと尾行する意味がないもの!」
「さっきの言葉、そのまま返す。友達のデートの観察とか人としてどうなんだ?」
仁が発する冷たい言葉を聞き流し、興奮気味に彼等を追跡。
距離が縮まるに連れて慎重に動き、茂みや木陰などに隠れながら彼等がお茶を飲んでいるであろうカフェを覗く。
しかし外側から中の様子を窺うのは困難。
また、不審な動きをし続ければ注目を集める切っ掛けと成りかねないので、観察のために二人もカフェの中に入る。
「いらっしゃいませー!」
狙う席は二人から遠過ぎず、近過ぎない絶妙な距離の席。
寛いでいる先客たちを無言の圧力で追い出し、片付けを終えた椅子に座って適当に飲み物を注文、聞き耳を立てて二人の様子を窺う。
「ねえ、もうちょっと近くの方が二人の話を聞き取りやすいんじゃないの?」
「却下。神凪の感覚の鋭さを見縊ればすぐに見つかる。美鈴の方は舞い上がっているから周囲への注意力が散漫になっているっぽいけど、今のところ、神凪は楽しんでいるだけで平常運転。下手に近づけば見つかりかねない」
「デートで平常運転って、実は経験豊富?」
「そもそもデートだと考えていないに一票。友人と適当に遊ぶ程度の認識の可能性の方が高い。二人だけってところに違和感は覚えているかもしれないが」
「……なんか腹が立つわね。ここはビシッと言ってやるべきじゃないの?」
「辞書を引いて尾行の意味を調べて来い。それともツッコミ待ちなのか?」
「コホン。まあそれはそれとして、よ。なんとなく思い出したんだけど、アンタが助けたあの人狼、どうなったのかしら?」
「うん? ああ、アイツか。助けてもらった恩を返すために、起こったことをありのままに証言して魔境とロウオウの仲介役を務めた後、魔境に移住して生活することになったそうだ」
「ってことはロウオウに戻らないの?」
「らしいぞ。戻らないのはあの人狼なりのケジメかもな。まあ例の実験は姉弟子殿が独断で行ったことだが、制御し切れなかったロウオウにも非はある。支部が壊滅したって点ではロウオウが一番の被害者かもしれないが」
「結果的にだけど、魔境に手を出したのが運の尽きってことね。野良犬にでも噛まれたと思って新しいマフィア生活を謳歌すればいいんじゃないかしら」
「不健全極まりない生活になりそうだな。まっ、予想通り、姉弟子殿はロウオウに付け狙われることになるだろうし、姉弟子殿が無事な間はロウオウがこっちに手を出してくることはないと思うぞ。他の連中がどう動くかまではわからないが」
「お待たせしましたー! アイスコーヒーとコーラフロートです!」
明るく元気に作り笑いを浮かべる店員から飲み物を受け取り、長いストローでじわじわと飲みながら二人の方向を見ないようにスマホを弄る。
向かい合う席に座りながら黙々とスマホを弄る二人に店員が若干、首を傾げるものの、あまり気にせず仕事に戻り、他の客たちを相手に忙しなく働く。
スマホ弄りに没頭しながら、しかし元々の目的を忘れたわけではない二人は意識を立てた聞き耳に集中。
店内故に音量を下げているが、ハッキリとした口調の美鈴の声は比較的聞き取りやすく、小さな声で単語を並べる神凪の方は聞き取るのに苦心するも、神経を研ぎ澄ませて彼等の会話を拾う。
「悪くない味だ。それに飲みやすい。フン。貴様にしてはいい店を知っている」
「きゅうり。美味。以外。言葉。不要」
「……ま、まあ貴様がきゅうり好きなのは周知の事実。その緑色の液体もメロン系のジュースの類いだと思えば気にはならないか」
「メロン。美味しい。肯定。きゅうり。美味。メロン。超越!」
「貴様の味の好みなど聞いていないが。いや、もしやきゅうりとメロンを同格として扱ったことが不満なのか?」
「肯定。きゅうり。美味。至高。究極」
「そこまで言うか。私にはわからんが、貴様がそれでいいのなら何も言うまい」
「飲む。わかる。美味」
「生憎だが、私はきゅうりにそれほど興味はない。糠漬けや味噌を付けて食べることならたびたびあるが」
「新鮮。生。丸齧り。最高」
「貴様の食べ方を私に押し付けるな! 貴様とて、私が好きな物を押し付けられては不快に思うだろうに!」
「美味しい。認める。文句。無し。きゅうり。至高。究極。変わらず」
「……貴様はなんでも食べそうだな。何を食べたところできゅうりが一番というのだけは変わらなさそうだが」
「肯定。真理。否定。容認。拒否!」
「やれやれ。そこまで力強く断言されては何も言えないな」
苦笑する美鈴に鼻を鳴らす神凪がきゅうりの素晴らしさを力説。
付き合うだけで体力、気力ともに消耗しそうなうんちくと自慢を混ぜた一方的な話に仁と理香が白旗を上げてテーブルの上に突っ伏す。
「か、神凪君。序盤から飛ばしているな」
「付き合う美鈴も凄いわね。というか何なの、あの無駄なきゅうり知識」
「好きな物には自然と詳しくなるものだが、神凪君のきゅうり愛は俺たちの想像を絶するものなのかもしれん」
「将来、奥さんや子供ができてもきゅうりを選びそうで怖いくらいの愛ね」
「いや、きゅうりが最優先なのは間違いないだろうが、一がきゅうりで二が妻か子供、三が自分になるかもしれん。アイツはそういう奴だ」
「どっちにしてもきゅうりを超えるものは無いってこと。華恋はその辺りのことをわかっているのかしら?」
「どれくらい長い付き合いになると思っている。俺も華恋ちゃんもそれくらいのことは理解している――はず」
消耗した体力と気力を取り戻すべく聞き耳をやめ、飲み物を飲んで回復。
二人が咽喉の渇きと肉体的、精神的疲労を癒している間に席を立った二人は会計を済ませて店外へ。
見失わないように慌てて立ち上がる理香に自身のスマホを見せ、無理に追う必要が無いことを思い出させてのんびりと寛ぐ――
「って、いくら場所がわかるといっても、ちゃんと経過を見ていないと意味がないじゃないの! 私たちが何のために二人を尾行しているのか、忘れたの!?」
「落ち着け。急いては事をし損じる、と言うだろう。あと、店の中で堂々と尾行云々叫ぶのはマズいんじゃないのか?」
「そんなことはどうでもいいのよ! 二人がどんなデートを見せてくれるのか、今の私の興味はそれだけなんだから!」
「…………」
絶対零度の視線で燃え上がる幼馴染みを射貫くが、その程度の眼差しは何処までも何処までも熱く燃える彼女にとって牽制にすら値せず。
ストローの先端部から空気を送り込み、泡を立てて遊ぶ彼の手を掴んで立ち上がらせて二人の後を追う。
去り際に中身を全て口の中に放り込むと同時、レシートとお金を会計に置いた仁の神業に店員が変わらない作り笑顔で見送る。
「ありがとうございましたー!」
「理香、今回は奢りだけど、次はちゃんと払えよ」
「アンタがモタモタしているからでしょ。ゴメンナサイ、それとありがと。私の分は後でちゃんと払うわね」
「奢りだと言った。払う必要はない。次はちゃんと貰うけどな」
「太っ腹。まっ、何回もアンタに借りを作りたくはないから、強行は今回だけにするわ。だからアンタもできるだけ協力しなさいよ?」
「時と場合によるが、まあ努力はする」
「それでいいわよ。大切なのは努力すること。昔の偉い人もそういう名言を残していたんだから、間違いないわ!」
「それ、もしかして才能が無ければ努力する意味はない系の名言のことか? まあ過程を経ないと結果は出ないから、どの道、努力は必要なんだろうけど」
スマホで二人の現在位置を確認後、神凪たちを追跡。
他者からは丸見えでも、彼等二人に見つからなければ無問題の精神で様々な場所に潜み、時には茂みの中、時にはマンホール内、時には他人の家にまで踏み込む。
が、前者二つはまだしも、後者は住居侵入罪という立派な犯罪。
通報されそうになったところを仁と理香が協力して見事な土下座で披露。
ひたすらに謝り倒したことで許しを得て解放されるなどのアクシデントに見舞われつつも騒ぎとなった家と二人との間にそれなりの距離があったからか、気付かれることはなく、しかしながら気付かれても不思議ではない稚拙過ぎる失敗を反省して今まで以上に警戒を強めながら慎重に尾行を続けた。
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