第百八話

 羽交い絞めされながらなおも抵抗の意思を崩さない黛。

 何が彼女を突き動かしているのか、その先が死地でしかないとわかっていながら黛はカメラを放そうとせず、既に何が写っているのかさえ把握しないまま、一心不乱にシャッターを切り続ける。

 例えどれほどの力で押さえ込まれようと、どのような説得の言葉を受けようと。

 彼女は止まらずに撮影を繰り返す。撮影するために必要なカメラのフィルムが切れようと、彼女の指が止まることはない。

 そんな黛が止まったのは底冷えする殺気を叩きつけられた瞬間。

 彼女が殺気を放っていたのは、見たこともないような表情を浮かべていたのは一瞬の出来事であり、まばたきをしている間にいつもの微笑を取り戻す。

 だがその刹那の時間を、下手をすれば刹那にも満たない短過ぎる時間を目撃してしまった二人の脳には彼女の表情がしっかりと焼き付けられてしまっている。

「……東間っち」

「……なに?」

「来世で会おうぜ、マイフレンド!」

「今世ではバイバイって意味?」

「フッ。違うぜ友よ。私は新生する。だから新しい私をよろしくってことさ!」

「自業自得だから、同情はしないよ」

「東間っちが思っていたよりも冷たくなってる! けどその冷たさにキュンと来たかもしれない! なんて冗談を言っている場合じゃない!」

 せめてもの抵抗として逃げ出そうとしても東間に羽交い絞めされているので逃げられず、解放されたところで腰が抜けているのでどうやっても逃げられない。

 本人も自身の状態を把握した上で必死に逃げようとするが、委員長の手が彼女の肩に乗せられ、直後に東間が彼女を解放する。

「そこは、僕も一緒にとか言ってくれないの?」

「生まれ変わるのなら少しは懲りてね」

「鬼ー! 悪魔ー! 薄情者ー!」

「鬼も悪魔もいるけど、確かに今の僕の方が彼等よりも薄情かも」

 肯定の意を示して首肯する彼の体に掴み掛かろうとするが、自身と大差ないどころか下手をすれば非力な黒澤の拘束を解くことができない。

 腰を抜かしているから解けないのか、無意識下に敗北を認めているから肉体が解くことを諦めているのか。

 冷静に考えている自分がいる時点で後者だと確信、それでも表面は抵抗の意思を見せ続け、みっともなく足掻く彼女は病室の外へ引きずられていく。

「……大丈夫かな?」

「大丈夫じゃないに百円」

「大丈夫じゃないけど外傷はないに二百円」

「外傷、内傷はないけど心に深い傷を負うに二百五十円」

「そこは三百円にしておけよ、東間きゅん」

「小銭が少ないから、三百円も持っていないんだ」

「じゃあ千円くらい賭けなさいよ。男でしょ」

「男だけど、賭け事に男女は関係ないと思うよ。最近は麻雀とかふざけた賭け事とか女性が主流で行っているみたいだし」

「それは漫画や小説の世界だけだ。まあ漫画や小説でも麻雀を始めとした賭け事系は男性メインの場合の方が圧倒的に多いけど」

「そうなの? 私、そういうのはあんまり読んでないから知らないけど、アニメとかは女性が賭け事とかやっているのが多いみたいだけど?」

「何を持って多いと判断したのかは知らないが、俺の知る限りではああいう系は九割が男性主人公だぞ。敵キャラも大体が男――というかおっさん系だな」

「仁様、紅茶のお代わりは如何でしょうか」

「頂こう」

「あっ、メイドさん、私にも紅茶ください」

「畏まりました」

 黛の暴走のおかげか、剣呑な空気は全て排され、平和を象徴するような穏やかな空気が病室内に蔓延する。

 緊張感を失い、全身を弛緩させた東間もベッドに座りながら紅茶を所望。

 メイドが用意する美味しい紅茶を飲みながらの談笑。

 和やかなで取り留めない会話を行う彼等が消えた二人の存在を忘れた頃に病室の扉が開き、肌の艶やかさが増した黒澤と痩せ細り、虚ろな瞳の黛が入室する。

「おおう、黛よ。すっかり痩せ細ってしまって、可哀想に」

「委員長、黛に何をしたの?」

「何もしていませんよ、理香さん。ただ、誠心誠意お話をしただけです。黛さんもわかってくれたみたいでとても嬉しく思います」

「ヒッ!? す、すみません! わ、私、な、なんでもしますから! お願いですからタワシだけは、タワシだけは!?」

 錯乱して部屋の隅に縮こまる黛に集まる視線。

 膝を抱えて震える彼女をメイドに任せた黒澤は胡散臭さと恐怖が混じる眼差しで自分を見つめる三人の前でわざとらしく咳払い。

 穏やかな空気も荒んだ空気も払拭し、腰を直角に曲げて深く頭を下げる。

「仁さん、理香さん、東間さん、本当にお疲れ様でした。そして黛さんを救って頂いて本当にありがとうございました」

「委員長が頭を下げることじゃないだろうに」

「そうよ。元はと言えば黛が勝手なことをしたのが原因なんだから。……ところで黛に暴走――捕まった後の記憶はあるの?」

「いえ、どうやら捕まってからすぐに薬で眠らされていたようで、目が覚めたら病院のベッドの上だったそうです。そのせいでいまいち、どれほど危険な状態だったのか、把握できていないみたいですが」

「覚えていなくてもキチンと反省させた方がいいよね。まあ今の状態だと、反省したくてもできそうにないけど」

「黛さんには校長先生を始めとした皆様がしっかりと言って聞かせました。黛さんが懲りた気配はありませんでしたけど」

「ダメじゃん」

「ですから私が三日ほど、付きっ切りで指導するべきかと考えております」

「委員長、黛の精神が崩壊するからやめてあげて。いくら懲りない黛に責任があるといっても、心を壊したら何の意味もないから」

「流石に後味が悪過ぎるからね。でもそれくらいやらないと懲りてくれ無さそうだから、今後のためには一度、心を壊した方がいいのかも?」

「マインドをクラッシュして、心の欠片を拾い集めさせるのか? 結構な療養生活を強いることになるけど、専用のアストロゲンクンシリーズを開発すれば行けるか?」

「冗談ですから、ご安心ください。でも黛さんには今後、二度とこんなことをしないように手を打つ必要があるかもしれませんね」

「だいじょーぶ! 同じヘマは二度もしないから! そう、私は大きな失敗から色んなことを学ぶ学習能力の高い女の子!」

 介抱を受けて復活した黛がハイテンションに宙を舞う。

 さりげなく連続空中疾走を披露する彼女の身体能力向上の原因はやはり先日、樹冥姫の細胞及び捕食した人狼たちとの一時的な融合が原因か。

 異常はないという診断結果だったが、時間経過で肉体が変異している可能性も考慮した方がいいかもしれないと、考え込む仁の鼻先にデコピンを打つ。

「暗い顔をして、らしくないよー、仁っちー! 私を見習って、もっと明るく楽しく元気に行こうよ、そうしようそうしようソウシヨウ!」

「……あー、そういうことか」

 復活は果たしたものの、ハイテンションは空元気。

 痩せ細った肉体が回復したわけではなく、心的外傷を克服できたわけでもない。

 見せ掛けの元気で己を鼓舞し、派手に動き回ることで全てを忘れようとしている彼女に憐みの瞳で見つめる。

「で、この場合、東間きゅんの勝ちでいいのか?」

「待って。痩せ細っているのは内傷に当て嵌まらないの?」

「傷付いているわけじゃないからね。それに動き自体は華麗だから、体の方に問題はないように見えるよ」

「無理をしているってこともあり得るじゃない。とにかく、この賭けはノーカンにしましょう! 私、今月はもうピンチなの!」

「あれっ、そんなに金を使う機会なんてあったっけ?」

「通販でちょっと贅沢していたのをさっき思い出したのよ。断言してあげる。今の私はみんなの中で一番、お金を持っていないって!」

「断言されてもお金は恵まないよ」

「理香さん、自己管理ができていないのでしたら、私からささやかなアドバイスを送りましょうか?」

「いいです。大丈夫です。私はまだ、黛みたいに壊れたくありません」

「っていうか、あれ、大丈夫なのか? そろそろ真面目に壊れそうな感じがするが」

 虚ろな笑い声を発しながら踊り狂う彼女は突如静止。

 沈黙数秒、その場に蹲り、膝を抱えて泣き出すこと十数秒、立ち上がり、大声で笑うこと数十秒。

 本格的に壊れたのか、心配する彼等を安心させるように黒澤が手を叩けば痙攣を起こし、直立不動の姿勢を取って目の焦点が定まる。

「――あれっ、仁っち、理香っち、東間っち? 三人とも、こんなところで何をしているの? もしかしてまた東間っちが人外に狙われたとか?」

「委員長?」

「申し訳ありません。少し、やり過ぎてしまったみたいです。まさかこんなにも記憶が飛ぶなんて思ってもみませんでした。反省しなければなりませんね」

「よくわからないけど、委員長も反省しなくちゃならないことがあるって、かなり珍しい! もしかしなくてもこれってシャッターチャンス!?」

 構えたカメラのシャッターを切るが、フィルムが尽きているので撮影は不可能。

 何にフィルムを使い果たしたのか、欠片も覚えていない黛は大きく首を傾げ、仕方なくカメラを置くとスマホで困り顔の黒澤の撮影を試みる。

「黛さん、どうしても私を撮影されたいのですか?」

「んー。委員長をっていうより、珍しい光景を、かな? ほら、こういうのって滅多に遭遇できないし、自発自演のスクープなんかに興味はないから、少ないチャンスをものにしないと!」

「その心掛けは大変立派です。しかし黛さんは大切なことを忘れていますよ」

「大切なこと? 撮られる方の事情とか? そりゃ、今すぐ助けないといけないとかの非常時に呑気に撮影するのは何か違う気がするけど、非常事態じゃないなら問答無用で撮らないと、スクープをものにできない!」

「違います。黛さん、どうして私たちがこの病室にやって来たのか、忘れてしまわれたのですか?」

「――あっ」

 黒澤の言葉に呆けた声を漏らした黛はスマホを下ろし、照れ臭そうに笑いながら三人の方へ振り向く。

 赤くなった顔と心を落ち着かせようと深呼吸。気分が落ち着いた頃に先の黒澤と同じくらいか、それ以上に大きく腰を曲げて頭を下げる。

「この度はご迷惑をお掛けしました! 助けてくれて、本当にありがとう!」

 感謝の言葉は心から生まれた言葉。

 礼を言い終えた彼女は恥ずかしそうに笑いながら病室を飛び出し、カメラを忘れたことを思い出して舞い戻る。

「成る程、ただ見舞いに来たんじゃなくて、お礼を言いに来たのか」

「うぐぉ!?」

「そういえば最初に入ってきた時も無駄にテンション高かったわね。アレは気恥ずかしさを誤魔化すために、無理にテンションを上げていたってことかしら?」

「ほぐぇ!?」

「もしかすると撮影に拘っていたのも、単なる照れ隠しだった? お礼を言いに来たのはいいけど、クラスメイト相手に面と向かってお礼を言うのが恥ずかしいから撮影に夢中になっている間に、ついでみたいに済ませようとか考えていた?」

「はがぁ!?」

「ですが撮影に夢中になり過ぎてしまい、本来の目的を忘れてしまわれた。そしてさりげなく済ませるはずだったお礼をしっかり言うことになってしまい、自暴自棄気味に言ってみたものの、やはり恥ずかしさを誤魔化せなかった、でしょうか」

「ぬどらぁ!?」

 言葉の刃、四連斬をその身に受けて轟沈。

 沈み行く彼女は最後に残された力を振り絞って遺言を記す――が、出血はおろか水気のない乾いた指先で床に何を書こうと文字は残されない。

 指紋の痕跡を念入りに調べれば、何を書き残したのかわかる可能性が生まれるかもしれないが、彼女の遺言を気にする者はおらず。

 無念の内に力尽きた彼女をメイドが抱えて外に運び出し、用件が済んだ黒澤も黛のカメラを回収して病室を出る。

「しっかし、そんなに恥ずかしがることなのかねー。たかだが礼を言うくらい、子供にだってできるだろうに」

「黛にとっては恥ずかしいことだったんじゃない? 羞恥心を母親の胎内に置いてきたアンタには一生、わからないことなんでしょうけど」

「失敬な。俺だって恥ずかしいと思うことは多々ある。真に羞恥心を母親の胎内に置いて生まれてきたのは我が愛しき妹様だ」

「紗菜ちゃんは例外よ。それに紗菜ちゃんが胎内に置いてきたのは羞恥心だけじゃなくて他にもたくさんありそう」

「仁、お兄ちゃんとして紗菜ちゃんに口を酸っぱくして言い聞かせるべきことが多いんじゃないのかな」

「言い聞かせて聞くような奴なら苦労はしない。餌を与えても一時的に収まるだけですぐにまた暴走するし、そろそろリューグに押し付ける頃じゃないだろうか」

「自分の妹を教師に押し付けようとするのはやめなさい」

「それにそんなことをしたら社会的にリューグ先生が死ぬ――いや、紗菜ちゃんは悪い意味で有名だから、むしろ同情されるかも?」

「だな。それにリューグの奴が社会的に死にそうになったとしても、俺が全力で助けるから何も問題はない。もしも奴を攻撃する者がいるなら、この俺の技術力で物理的にも精神的にも社会的にも地獄に叩き落としてやる!」

「……結局、アンタってリューグ先生のこと、好きなの? それとも嫌いなの?」

「無論、後者だ。俺がリューグを好きになるはずがないだろう。そもそもリューグの奴は教師という立場を利用し、俺に対して高圧的に振る舞い、時に拳を――」

 尋ねた時に後悔を覚えるも時既に遅し。

 異様なほど饒舌に、リューグの欠点を悪し様に語る彼の口の動きが止まることはなく、ほぼ全てが悪口にもかかわらず、長年の付き合いからその口調に絶対の信頼が滲んでいることを理解。

 本心から嫌っており、本心から好いている、自分で自分を制御できない暴走したツンデレの如く延々とリューグについて語り続け、二時間ほど経過した頃に理香と東間は力尽きて意識を失った。

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