第百七話
診察、治療を終えた三人は同じ部屋で仲良く入院生活。
たまたま同じ部屋のベッドが空いていた、というよりは問題児三名を同じ部屋に押し込んだと言った方が正しいのか。
想像していた通り、入院生活一日目から盛大なお説教。
命に別状はないとはいえ、傷に障ると判断されたことと、三人の中では比較的まともな東間は短時間、主犯格である理香と自他共に認める問題児の仁は長時間。
説教だけで入院生活一日目が終わったと錯覚するほど疲労困憊となり、死んだように眠りに就いて入院生活二日目の朝を迎える。
この日も始まりはお説教とお年寄りたちのありがた迷惑な長い長いお話。
幸いだったのは一日目の時点で言いたいこと、説教するべき立場の者たちの訪問を終えていたため、半日で済んだことか。
お世辞にも美味しいとは言えない、もう少し良質な物を用意して欲しいと切に願う不味さの病院食を食べ終え、やることのない三人は寝転がって天井を見つめる。
「……今更だけど、私たちって本当に無茶苦茶なことをしていたのね」
「本当に今更だな」
「お説教されることは覚悟していたけど、こんなにたくさんの人たちに叱られるなんて正直、考えてなかったよ」
「そうか? 俺は後三日くらい説教地獄が続くと思っていたから、この程度で済んだのはやっぱり黛を無事に救出できたことが大きいんだろうな」
「黛を助けてもお説教は避けられないのに理不尽を感じる方が間違いなの?」
「結果だけを考えれば、化け物に改造された黛を助け出せた功績は大きい。が、そもそも交渉材料に使われる予定の黛が生物兵器に改造されるなんて斜め上――斜め下の展開は誰も想像していなかった」
「交渉で穏便に済まされるはずだったけど、僕たちが余計なことをしたせいで交渉が失敗に終わって彼女が危険な目に遭っていたかもしれない?」
「本来ならな。取引の材料は不用意に傷付けないのが基本だ。まあ誘拐による脅迫の場合はその限りじゃないが、今回は黛の勝手な行動で引き起こされた事態。向こう側としても手軽に手に入った、それほど価値のないカードにわざわざ手の込んだ仕掛けを施す必要はないと考えた――はずだった」
「けど、雇っていた科学者が暴走したことで支部が壊滅。交渉決裂どころじゃ済まない被害が出た」
「あのまま放置していたらどうなっていたか。姉弟子殿はデータさえ取れれば死んでも構わないといった姿勢を見せていたから、それほど被害が出ない内に駆除されていたんだろうが、数十人から百何人程度の被害者が出ていただろう」
「しかも黛も殺されて、あの女の人の一人勝ちになっていた。そうなるのを未然に防げたんだから、続けざまに説教しなくてもいいのに」
「まっ、独断専行でマフィアに喧嘩を売りに行ったんだ。これくらいは甘んじて受け入れておけ。東間、お前は後、何日で退院だっけ?」
「思っていたよりも治るのが早かったみたいで、明日には退院できるそうだよ。二人も明日、退院だよね?」
「私としては今日、退院しても問題ないんだけど、東間も明日には退院できるのなら、三人一緒に退院するのも悪くないかも」
「元気なことで。色々と疲れたから、もう少し病院でのんびりしたかったがな。不味い飯も理香の料理に比べたら意識を保っていられるだけマシだし」
「悪かったわね」
「怒るな。冗談――ということにしていいのか、悩みどころだけどここは自分の気持ちに素直になって冗談とは口が裂けても言えない」
「アンタ、宥めているようで煽っているでしょ」
「そんなつもりはないんだが、嘘も方便とはやはり真実だったか。正直者過ぎるのが俺の唯一の欠点だと思うのだが、如何かな?」
「ダウトよ」
「ならばこれでどうだ!」
犬歯を剥いて怒る理香をどうにか笑わせようと顔芸を披露。
理香の後ろにいる東間は彼の顔を見て吹き出すも、当の理香は冷めた眼差しで怒りを収める気配がない。
渾身の顔芸が通じない彼女に絶望し、憤怒を湧き上がらせて刃傷沙汰に発展させようと隠し持っていたナイフを取り出し、咆哮とともに猛進。
迎撃に入る理香の拳を上手く掻い潜り、心臓目掛けて一突きしたところまで妄想してから病院の床の上に膝を突いて土下座。
安過ぎる少年の土下座に価値など見出せず、見飽きたその体勢に理香はやはり怒りの矛を収めようとしない。
もはやこれまでと最終手段に打って出ようとした直後、病室の扉が開き、カメラのシャッター音が三人の注意を引き付ける。
「やっほー! 仁っち、理香っち、東間っち! 元気ー!」
「黛さん、病室ではもっと静かにしなければいけませんよ」
「おっとっと。ゴメンナサイ、委員長。でもこの燃えるような情熱の炎は私自身にも消すことができないの!」
ハイテンションに病室へ足を踏み入れる黛と、彼女を諫める黒澤。
外傷、内傷が見つからなかった黛は現在検査入院中。
保険医が直々に調べ、異常なしと太鼓判を押されるも、異常が見つからないことが異常として継続した調査が検査が必要とされ、本人や両親もこれを了承。
が、やはり健康体に入院生活は退屈極まりないのか、暇潰しと称して病院内を探索して回り、昨日は仁たちが説教されている場面に堂々と乗り込んだため、二人の比にならないほど思い切り叱られたのだが、最後まで懲りた様子は見せず仕舞い。
何を言われようと動じない、ある意味では凄まじい精神の力を見せた彼女にはその場にいた全員が感心し、それ以上に呆れたもの。
彼等三人も昨日はハイテンション過ぎる彼女に若干、引き気味になってしまっていたが、今現在、寝る以外にやることがない時に訪ねて来てくれた彼女たちには純粋な感謝の気持ちを持って歓迎する。
「よく来たな、委員長、黛。みすぼらしいところですまないが、まあ適当に掛けてくれたまえ。今、メイドにお茶を用意させよう」
「お茶をお持ちしました」
立ち上がり、十割冗談のふんぞり返った台詞を実現させたメイドに仁が硬直。
自然な動作で受け取った黒澤と黛は淹れ立ての美味しい紅茶を飲み、息を吐く。
「はふぅ。美味しい紅茶。和む和む」
「ありがとう、メイドさん。とっても美味しいですよ」
「恐縮です」
「――うむ、ご苦労。流石は我がメイドさん。今日もいい仕事を」
「仁さん」
名前を呼ばれた、ただそれだけで再び硬直。
滝のような汗を掻き、恐る恐る黒澤と視線を合わせれば、彼女は黒さを微塵も感じさせない柔らかい笑顔を浮かべて一言。
「私のメイドさんです」
「調子に乗り過ぎました。本当にごめんなさい」
冷たく、そして病原菌を始めとした雑菌だらけの病院の床に頭をめり込ませんとするほど深く深く土下座。
床を叩き壊す勢いで何度も頭を打ち付け、額が裂けて血を流す彼を見下ろしながら楽し気に紅茶を飲む。
「フフッ。仁さんはいつも面白い方ですね」
「委員長、床が壊れたら大変だから、そろそろ仁を止めてもいいかしら?」
「私の許可なんて取る必要はありませんよ、理香さん。それにいくら仁さんが丈夫な体を持っていても、このままでは頭を壊してしまいかねませんから、止められるのでしたら早めの方が良いですよ」
「そういうことよ、仁。怖かったのはわかったから、やめなさい」
仁を床から引き剥がし、目の焦点が定まっていない彼の両頬を強く叩くことで正気を取り戻させる。
正気に戻った後も現状把握に数秒ほど費やし、涙目で安堵の吐息を漏らす。
「生きているって素晴らしい。この世は地獄だと何度も思ったけど、生きているのを実感できる瞬間は天国のように感じられる」
「天国も地獄も死後の世界だよ?」
「ややこしいから黙っていなさい。委員長、メイドさんのことを大切に思っているのはわかりましたけど、仁の冗談にあそこまで目くじらを立てる必要は無かったんじゃありませんか?」
「理香さん、誤解されているようですが、私は怒ってなんかいませんよ」
「でも、さっきのはどう見ても怒っている時の反応でしたよ」
「怒ってなんかいません。私はただ、仁さんに事実を言ったまでです」
「そうですけど、纏っている雰囲気とかが」
「理香さん」
「……わかりました」
平行線を辿る話し合いは続けても場の空気が悪くなるだけ。
退いた理香に黒澤は満足そうに笑み、次いで三人に向けて深く頭を下げる。
「私のせいで空気を悪くしてしまいました、皆さん、ゴメンナサイ」
「頭を上げてください、委員長。事の発端は仁の冗談ですし」
「うむうむ。委員長は悪くねえ。俺が悪い! メイドさん、紅茶、俺にもお願いできますか? できれば身も心も熱くなれるような、灼熱的にホットな奴を」
「畏まりました」
即座に用意される熱い紅茶の香りを楽しみながらリラックスして飲用。
舌が火傷しそうになる熱さに紅茶を零し掛け、体とともに彼の手ごと自身の手で包み込むように支える。
「大丈夫ですか、仁様」
「思っていたよりも熱かったことに驚きました」
「申し訳ございません。灼熱的とおっしゃられましたので、可能な限り高温の物をご用意しました。淹れ直しますか?」
「リクエストをしたのは俺でやんす。メイドさんが謝ることではないし、この熱さにももう慣れましたざんす。支えてくれてありがとうございますざます」
「いえ、当然のことをしたまでです」
密着状態に当事者たちは動揺せず。
尤も、動揺していないのは表面上の話であり、内心ではどうなっているかはわからず、そして当事者たち以上に動揺していることが一目でわかる少女が二名。
目を丸くする理香は餌を求める金魚の如く口を開閉させ、黒澤は理香ほどではないが紅茶を飲む手を小刻みに震わせている。
理香はともかく黒澤が動揺を見せるのは非常に珍しく、無言となることで存在感を薄め、関わり合いにならないことに全力を尽くしている東間が反射的に驚きの声を漏らしてしまう。
「むっ、東間、どうかしたのか? お前も紅茶を飲みたくなったとか?」
「う、ううん。そんなことはないよ。今は咽喉も渇いていないし」
「つまり紅茶ではなくコーヒーがご所望ということか。このいやしんぼさんめ。お前はいつから紅茶では満足できない体になってしまったんだ!」
「そんなこと、一言も言っていないよね? 僕、咽喉が渇いていないって言ったんだよ。ちゃんとわかって――いる上でそういうことを言っているんだろうね」
「わかっているじゃなイカ、幼馴染み。メイドさん、東間にコーヒーを。砂糖とミルクはたっぷりで。コーヒーを飲んでいるんじゃなくて液状化した砂糖とミルクの混合物を飲んでいるってくらいたっぷりと」
「畏まりました。少々、お待ちください」
「それ、嫌がらせだよね? 疑いの余地がないくらい純粋な悪意に塗れた嫌がらせ以外の何物でもないよね? 確かにブラックはそれほど飲まないけど、砂糖やミルクも入れ過ぎは良くないから。僕、そんな不健康という言葉を体現したようなコーヒーなんか絶対に飲まないから」
「本当にワガママな奴だな。仕方がない、ここは俺の奢りでスピリタスを一杯」
「ご用意致しました」
「早っ!? というか何なの、この、飲み物?」
「世界一、アルコール度数が高い酒。一口飲めばたぶん、一発で酔う」
「未成年! 僕、未成年者! お酒、飲まない!」
「おおう、東間にしては割と珍しい大声ツッコミ。ここが病室でなければ称賛していたのだが、東間きゅんよ、病院内では静かにしたまえ」
「僕も静かにしたいんだけど、えっ、これ、飲まないとダメなの?」
「どうしても飲みたくなければ火花を散らすといい。アルコール度数は確か96度くらいだから、火花だけでたぶん燃える」
「燃やしちゃダメだよね!? 飲み物を粗末にする云々以前に火事になるよ!? 火災報知器が鳴り響くことになるよ!」
「だから喧しいとさっきから言っている。ったく、本当に仕方がない奴だな。メイドさん、すまないがそのスピリタスは酒呑童子にでも渡しておいてくれ。あの酒豪ならそれくらいの酒、水みたいに飲むだろうから」
「はい。ところで東間様にはどのようなお飲み物をご用意致しますか?」
「うむ。あまりにもワガママ過ぎて何を用意すれば満足してもらえるのか、悩み始めた今日この頃、俺が出した答えは――」
「だから要らないって! 咽喉が渇いていないって何度も言っているだろう!」
「そうは言っても、ここまで叫んだんだから、そろそろ咽喉が渇きを覚え始める頃合いだろう。自分の体が、咽喉が訴えてくる欲求に耳を傾けてみろ」
「誰のせいで叫ぶことに……! ああもう! メイドさん、僕にも紅茶ください!」
「畏まりました」
恭しい一礼後、姿を消して刹那の間に帰還。
傍からは一瞬だけ姿がブレたようにしか見えない速度での移動。
それ以前に彼女は本当にこの場から移動したのか、それすら疑わしくなる驚異的な速さで用意された紅茶に東間はツッコミを放棄。
咽喉の渇きとは異なり、癒されることのない乾いた笑い声を発しながら紅茶を飲んだことで人心地がつき、心の平穏を取り戻した彼はようやく病室を――病室内にいる面白い顔のクラスメイトたちを様々な角度から繰り返し撮影している黛を認識、後ろから羽交い絞めすることでその暴挙を食い止めた。
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