第百三話

 如何にマヌケな演劇の見学を強要され、精神的に疲労していたとはいえ、強大な敵の接近に気付けなかったのは彼等全員の失敗。

 反省は刹那の間に終わり、東間は男性を連れてその場を離脱。理香は下腹部に存在する大口の中に右腕を突っ込み、呑み込まれている最中の仁の足を掴む。

 その際、植物の化け物の口内に存在する無数の鋭利な牙が突き刺さるも、気にしてはいられない。

 力尽くで仁の体を引きずり出し、後方に投げ捨てながら自身も大きく下がって植物の化け物から離れる。

「仁、大丈夫?」

「もう泣き出したくなるくらい痛いけど大丈夫。あと、助かった」

「お礼は全て終わった後でいいわよ。動ける? 動けないなら壁際まで投げるけど」

「ちょっとだけ休ませてくれ。割とキツいが、痛みに慣れれば動けないことはないはずだから」

「痛みに慣れる――」

 振り返った理香の目が捉える仁の姿を一言で表現するならば凄惨。

 丸呑みにされた影響で全身が唾液で濡れているのは当然として、呑み込まれる過程で全身が牙に引き裂かれたらしく、体中から血を流している。

 ただ、凄惨さだけなら理香の右腕も同程度。

 骨には達していないので痛みを無視すれば動かせるのは不幸中の幸い。

 尤も、裂かれた右腕から脳に伝達される激痛を我慢できるだけの精神力を道場で培っていなければ今頃、無様に泣き叫んでいたかもしれないが。

「フーン。躊躇のない行動ね。あと少しで消化できたはずなのに、中々興味深い」

 指を鳴らして注目を集めると同時、植物の化け物を傍に引き寄せた女性が白衣のポケットから眼鏡を取り出し、顔に装着。

 中指で眼鏡を上げる動作を行ったのは位置調整ではなく格好つけただけと、なんとなく察した仁が立ち上がり、銃口を向ける。

「最近の子供は物騒な物を持っているのね。銃刀法違反じゃないの?」

「この銃はここにいた奴等の死体から奪い取った物だ。どうせ誰にも使われないまま放置されるくらいなら、有効活用してやろうという真心と親切心より拾ったものと言い換えてやってもいいぞ」

「要するに泥棒ってこと? 尚更性質が悪いわね。善良なる一市民として警察に通報すべきかしら?」

「その場合、そこにいる変なのについて説明しなければならなくなると思うが?」

「変なのとは失礼ね。これの何処が変だっていうの。こんなにも醜悪で、愛想の欠片もないブッサイクな面をしているのに」

「お前、自分の作品に愛情を持っていないのか?」

「作品には愛着が湧くものよ。作品には、ね」

 作品ではない道具に愛着は持たない。

 言外の意思を感じ取り、そして隣にいるソレが作品ではなく道具だと告げていることを察した理香が拳を強く握り締める。

「……一つ、確認しておきたいことがあるんだけれど」

「さっきの反応の良さに免じて承りましょう。何が聞きたいの?」

「アンタの隣にいる植物の化け物みたいなの。黛を――捕まった私たちの友達を材料にして創ったの?」

「あら。あの子、貴方たちの友達だったの? それは申し訳ないことをしたわね。謝るわ、ゴメンナサイ」

 欠片も申し訳ないと思っていない口調と態度で謝罪の言葉を口にする彼女に理香は怒りを呑み込む。

 自制し、全身を小刻みに震わせている彼女に何を思ったのか、女性は面白そうに笑いながら植物の化け物の体を撫でて頬を赤く染める。

「愛着が無いと言った割には、気に入っているみたいだな」

「樹冥姫」

「なに?」

「樹冥姫よ。貴方たちが倒したはずだけれど、覚えているかしら?」

「……覚えているが、それがどうかしたのか?」

「せっかく再生させてあげたのに、たいしたこともできないまま倒されてしまったのはショックが隠せないの。まあ戦闘データは取れたから、燃やされようが、八つ裂きにされようが、食われようがどうでもいいのだけれど」

「その口振りから判断するに樹冥姫を復活させたのはお前か」

「ええ。まあ私個人の意思というより依頼されて行ったことなのだけれど。私の研究にも役立ったから、文句はないわ」

「どうでもいいのならどうして樹冥姫の破片を回収させた?」

「それは誤解よ。私は何もしていない。ただ、ここの連中が取り引きで樹冥姫の細胞片を手に入れたそうなの。思い入れも何もないけれど、私が創ったものを勝手に使われるのも癪じゃない? だから使われる前に使ってあげたの」

「……取り引き、か」

 再生されるのは先日の光景。

 黛が怪しげな取引現場を撮影しようとして、尻拭いのために仁が命を賭けることになった、忘れるためには時間が足りないつい最近の出来事。

 あの時点で手を打っておけばこのような事態になることを未然に防げた、などと心に染み始めた後悔の念を払拭するべく首を左右に振る。

「何か心当たりでもあったのかしら?」

「なんでもない。それより質問その二、だ。樹冥姫襲来の前後で魔境に巨人が出現したが、アレもお前の仕業か?」

「そうよ。単純に大きさは強さ。大きければ大きいほどタフになっていくから、使い捨ての兵隊として巨人は優秀なの。制御に難があるせいで、今のところ実用化に至っていないけれど、養分にしたり、簡素な命令を実行させる程度なら現段階でも十分に実用性があると言えるわね」

「つまり巨人騒動は本命である樹冥姫のための囮だった、と」

「アレを本命と呼んでいいのかはわからないけれど、データ取得のために使い捨てだったのは事実ね。量産を優先したせいで雑な個体しか造れなかったもの」

「だろうな。数がいて鬱陶しかったが、倒す気になれば倒せた。参考までに訊いておきたいんだが、そこにいる変貌黛は巨人何体分だ?」

「そうね。現状は三十体分ってところかしら。貴方たちなら問題なく倒せる程度の強さしか持ち合わせていないはずよ」

「それを俺たちに伝えていいのか? 断っておくが、俺は平静を装っているだけで内心ではお前にかなりキレ気味だ。黛を倒した後はお前を殺すぞ?」

「友達を倒すなんて、薄情なことができるの? なんてくだらない問い掛けは無意味だからするつもりはないわ。私の戦闘能力もたかが知れているから、取っ組み合いになれば平凡な女学生二人に負けるでしょうね」

「一対一なら負けないと?」

「あくまで女学生の話。中学生男児と戦えば負けるわよ?」

「研究ばかりで体が鈍った科学者ってことか。だがそれなら尚の事、わからん。まさかここで殺されるのが目的ってわけでもあるまい?」

「他の弟子たちなら研究のためにそれくらいのことをしそうだけれど、私は比較的常識人だからそんなことはしないわ」

「つまり俺たちから逃げ切れる算段があると。黛じゃ俺たちには勝てないと認めたにもかかわらず?」

「ええ。試しにやってみなさいよ。私は抵抗しないわよ?」

 全てを受け入れるように両手を広げる女性に遠慮なく引き金を引く。

 銃口から飛び出した弾丸は女性を貫き、そのまま闇の奥へ消えて壁に衝突。

 女性の体に変化は無い。貫かれた箇所に傷はなく、それ以前に弾丸と接触した痕跡さえ見られない。

「――立体映像か。成る程、これじゃ俺たちじゃどうしようもない」

「正解。中々精巧な映像でしょう? 私の兄弟弟子の作品を譲ってもらったのだけれど、割と便利だから重宝しているのよ」

「自分の作品以外を重宝するとは、恥を知れ、俗物が!」

「科学者なんてみんな俗物よ。ぶっちゃけてしまえば自己満足以外の目的で活動している者なんていないんだから」

「それには大いに同意する。しかしその立体映像装置とやら、こちらの景色や声も届いているのか? それとも俺たちの思考を完全に読み切って、あらかじめ録画した映像を流しているのか?」

「そんなことができるのなら私は皇帝でも目指すわよ。ああ、念のために言っておくけど、私の本体は遥か遠くにいるから、近場を探しても無駄よ」

「そういうことを言う奴に限って実は近くに潜んでいるというオチが!」

「無いわよ。これは紛れもない真実。探すのは勝手だけれど、そんなことをするくらいなら昼寝でもした方が時間を有効に使えるんじゃない?」

「うむ。それにも同意する。けど、それならさっき、黛を撫でたのはなんでだ?」

「なんとなくだけど?」

「その気持ちもわからんでもない。ちなみに最初に出てきた時に踊っていたりつまらない劇もどきをお披露目していたのには何の意味が?」

「意味なんて無いわよ。って答えを望んでいるんでしょう? でもまあその通りよ」

「想像通りの回答をありがとう。あまり認めたくはないが、俺とお前は思考回路が似ているようだ。そしてお前がこの場にいないってことは、声や音以外でこちら側に干渉する術はないってことでOK?」

「理解が早いわね。そう、貴方たちが倒すべき敵はこの子、名前は黛ちゃんだったかしら? この子さえ倒せば貴方たちの勝ちよ。友達を犠牲にして掴み取った勝利を存分に噛み締めなさい。……なんか悪女みたいね、私。それもかなり性悪な」

「人体実験をしている時点でクソ野郎、一応、女みたいだからクソアマか。なんて性悪以外の何物でもない。俺も大概、クソ野郎だしな」

「フン? まあいいわ、それじゃあ無駄話はこれくらいにして――」

「終わらせるよ」

 手刀一閃。

 黛の背後に気配なく立っていた東間の渾身の手刀が植物の化け物を両断する。

 言葉では簡単だが、実行するためには長い時間を掛けて意識を右手にだけ集中させ、必殺の一閃にまで昇華しなければならない実戦では使い物にならない技。

 今までの会話は全てこの技のための時間稼ぎ。

 また、発動可能な状態になっても所詮は手刀。

 避けられてしまえば元も子もないので完全なる不意打ちか、避けられない状況を作り出すのが前提。

 仁が彼女へ積極的に話しかけていたのも、理香が怒りを堪えて彼女たちを睨んでいたのも、東間の存在を忘れさせるのが目的。

 意識していない場所からの一撃は例え超人的な反射神経を持っていたとしても絶対に避けられない。

 そんな一撃を避けられる者がいるとすればそれは未来を予知できる者、あるいは未来予知に準ずる能力を持っている者か。

 そのどちらでもない植物の化け物は見事に両断され、上部分が床に落ちる。

 二つに裂かれても未だ動く植物の化け物を東間が悲しげに見下ろす。

 心を失った化け物と化していたとはいえ、友人を文字通りその手で切った彼の心境は如何なものか。

 想像できるとしても想像したくない――軽々しく想像してはならない想い。

 軽口を叩いたところで暗さを払うことなど不可能。仁の心にも少なからず衝撃が駆け巡っており、無意識の内に拳を作る。

「――驚いたわね。まさか手刀でこの子の体を切り裂くなんて」

「……動かない、動けない相手にしか使えない技だけどな。使いどころが無さ過ぎて大道芸扱いされることもあるぞ」

「当たれば一撃必殺のロマン砲ってこと。そういうのは私も嫌いじゃないけど、実戦じゃ使いたくないわね」

「俺は実戦でも使うぞ。まあゲーム内での話だが。というわけでお前の居場所を教えてくれなイカ? 今すぐ殺しに行くから」

「いきなりね。平静を装うっていうのはどうしたの?」

「いや、目の前で友達が死ぬっていうのは堪えるって改めて理解した。やっぱり想像するのと実際に体験するのとじゃ天地の差だな。お前の居場所は後回しだ。今の俺にはするべきことがあるから、そっちが優先だ」

「するべきこと? 何をするのかわからないけど――うん?」

 蠢く植物の化け物の切断面から現れ出でる複数体の狼の頭。

 植物に覆われた表皮。本来は眼球があるはずの目の部分から生える木の枝が成長を続け、分かたれた二つの体をも取り込み、大木と化す。

「ッ、これって……!?」

「この現象は――樹冥姫、いえ、植物が持つ生命力と食らわれた人狼たちの生命力が混ざり合い、自らを生かすためだけに変化を遂げたの?」

「無茶苦茶だな。まあ生命は神秘の塊だから、気合いと根性とバグが起きればそれくらいの芸当は可能なのか?」

「ちょっと。悪いけどデータを取ってくれない? この現象は私にとっても想定外の事態なの。とても興味深いわ」

「データが欲しいのならここまで戻ってくればいい。それにこういうのは他人に任せるより、自分でやった方が安心できる」

「そうだけど、戻ったら私、貴方たちに殺されちゃうじゃない。研究も大切だけれど、そのために命を使い捨てにできるほど人間をやめたつもりはないの」

「狂科学者には程遠い安定思考。お前、それでも保険医の弟子か?」

「貴方には関係ないこと――待ちなさい。どうして私が彼女の弟子だってことを貴方が知っているの? 貴方、もしかして――」

「仁!」

「あいよ。もう十分に回復したって強がってみる!」

 大木と化した黛の体から太く長い枝が生え、鞭のように振るわれては鋼鉄の壁や床を抉り、破壊する。

 人体など容易く両断してしまえる威力を持った枝の鞭。

 何処に逃げても無駄であることを証明するかの如く、誰の姿もないにもかかわらず四隅の壁を壊してみせる。

「自分の意思を持っている? いいえ、それはないわね。知性があるようにも見えないし、となると本能で逃げ場がないことを示した?」

 立体映像なので被害を受けることのない女性の考察を聞きながら、痛みに悲鳴を上げる体を動かして回避運動。

 高速で振るわれる枝の鞭は最も弱っている仁を優先的に狙う傾向を見せ、満足に動けない彼を守ろうと疾走した理香を枝の鞭が襲う。

 避けられない一撃。単純な速さで理香を上回る枝の鞭が彼女の肉体を左右に分けるのに必要な時間は一瞬未満。

 その刹那にも満たない時間内で飛び出し、理香を庇う仁――を押し退けた彼女は火事場の馬鹿力を発揮し、枝の鞭を白刃取りしてみせた。

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