第百二話

 黛捜索を再開するも一向に進展は見られず。

 彼等が発見するのは新鮮な死体と食い散らされた肉塊、血痕以外は荒らされた痕跡しか見つけられない無人の部屋の三種。

 未だ黛を見つけられないのは僥倖なのか不幸なのか、不意打ち気味に生えてきた触手を慣れた手付きで撃ち抜く仁が振り返れば理香と東間が不安を隠し切れていない、暗い顔をしている。

「どうした、なんて野暮なことを訊くつもりはないが、考えていても仕方がないことだと忠告しておく」

「忠告ありがと。念のために訊いておくけど、アンタがいれば大丈夫かしら?」

「無理。俺は生物系に関しては素人に毛が生えた程度の知識しかない」

「でもアカエリオンちゃんの体は君が創ったんだろう? なら――」

「一から人工物を割と好き勝手に創るのと、混ざり合った異なる物を切り離すのは天地の差だ。例外はあるにはあるが、期待しない方がいい」

「……その例外って何よ?」

「期待しない方がいいと言った。それでも知りたいのなら敢えて言う――暇を与えてくれるつもりはないらしいぞ」

 崩壊する天井。行く手を遮る瓦礫の山。

 けれど閉じ込められはしない。必ず一ヶ所、抜け道となる通路が用意され、あからさまに誘導されているとわかっていても三人はその道を進むしかない。

 慎重に歩を進め、新たな分かれ道にたどり着けば再び壁や天井が破壊され、進行先が限定される。

 その繰り返しに飽きてきた頃、他と同様に電子ロックが施された扉の前に到着。

 他の道は瓦礫で塞がれており、引き返す以外はその扉の中に入るしかない――すなわちここが終着点であると悟った三人はカードキーを使ってロックを外す。

「仁、その人は僕が預かっているよ」

「つまり自分は戦いません宣言か? 素直でよろしい。座布団はやらないが、後で熱い抱擁をくれてやろう」

「一瞬、舌を噛んで死を選びそうになったからやめてね。僕だけ戦わないとか、そんなつもりはないけど、君は率先して無茶をするつもりだろう? いくら人狼でも瀕死の状態で君の動きに耐えられるとは思えないし、僕が預かっていた方がいいと考えたんだけど、君が前に出るつもりがないのなら君に任せるよ」

「無論、俺は先陣を切って戦う所存であります。故に東間きゅんに我が愛しの男の子を任せまする。どう見ても年上とかそういうツッコミは受け付けない所存です」

「どっちでもいいから、早く入った方がいいんじゃないの? ロックだけ開けて、入って来ない私たちに痺れを切らしているかもしれないわよ」

「理香ちゃん、こういう勝負は先に痺れを切らした方が負けなのですよ。かの大剣豪こと宮本武蔵さんも巌流島での決闘でわざと佐々木小次郎を焦らし、冷静さを失わせたと言われているとか、いないとか」

「あのお話って佐々木小次郎自体がフィクションだって聞いたことがあるけど、どうなんだろう?」

「話が脱線し過ぎよ。その人、ちゃんとした治療をしてあげないと力尽きちゃうから放置せずにここまで連れて来たんでしょう? それなのにどうでもいい無駄話のせいで死んじゃったら目も当てられないわ」

「いや、俺もそのつもりだったんだけど、流石人狼の回復力は伊達じゃないというか、何もしなくても勝手に回復しているみたいなんだよね。もう手当てしてもしなくても大差ないくらいに」

「……じゃあその人をここまで連れて来た意味はないってこと?」

「あのまま放置していたら食い殺されていただろうから、連れて来た意味自体はあるんだけど、わざわざ治療する必要がなくなってしまったという現実を前に俺の心は若干ブロークン状態。治すには最低でも一回、イベントをこなさないと」

「行くわよ!」

 傷心中の仁を押し込む形で扉の中に侵入。

 部屋の中に窓はなく、明かりもないため完全な密室かつ暗闇に包まれている。

 物音一つしない無音の室内。聴覚に神経を集中させても入ってくるのは呼吸音。

 ただし無人ではないことが気配でわかるため、仁は東間に男性を押し付けながら理香と並んで僅かに前へ出る。

「静かね」

「だな。このまま何事も起こらなければ――それはそれで虚しイカ。イベントの一つや二つは起きてくれないと退屈だZE!」

「何も起きないなら来た道を引き返すしかないわね。ここまで露骨に誘導されてきたんだから、素直に返してくれるとも思えないけど」

 緊張の糸を途切れさせず、いつ、何処から、何が来ても対処できるように身構える彼等の前方、一ヶ所だけに眩い光が差し込む。

 様々な方向から一点を照らす人工の光。

 否応なしに注目集める照明器具よりもたらされる明かりの中、一人の女性が床の下から生えてくる。

 スリットの深い真紅かつ煌びやかなチャイナ服の上に白衣を纏った美女。

 全体的にバランスの良い体付き。決して厭らしい目で見ているわけではない、警戒と観察のために女性を凝視する仁に理香が冷めた眼差しを送り、次いで女性の胸部を見つめて内側に怒りを溜め込む。

 三人の視線を集める女性はチャイナ服同様の豪華なセンスを広げ、スポットライトの光の中で唐突に踊り出す。

 若者にはわからない古い踊り。流れる音楽も聴いたことがないもので、彼等よりも一つか二つ上の世代で流行っていそうな軽快な踊りに二人が困惑を示す。

「……あの人、何をしているのかしら?」

「俺の見立てでは踊っているように見える」

「それは私にもわかっているわよ」

「ならどうしてあの女がいきなり踊り出したのかわからない、か? そんなものは俺にもわからないから訊くなよ?」

「仕方がないじゃない。だって気になるんだもの。アンタは気にならないの? あの女の人がどうしてバカみたいに踊っているのか」

「気にしても仕方がないことは気にしないことにしている。特にこういう頭のおかしい連中が多そうな組織の中では様々な奇行を目撃することが多い」

「具体的には?」

「大統領の娘を捜索する任務中に誘拐した宗教団体の教祖の豪勢な椅子を見つけて格好つけながら座り、今はこんなことをしている場合じゃないって自分にツッコミを入れる凄腕のエージェントとか」

「そんなエージェント、現実にいるわけないでしょう。万が一、いたとしても凄腕とは程遠い無能じゃないの?」

「そのエージェントがほぼ単独で宗教団体を壊滅させているとしても、か?」

「そんなことをできる人間がいるなんて思えないよ。いたとしたら実は薬物を投与されて強化された超人だったとか?」

「ちょっと貴方たち! 無駄話していないで、私のダンスに集中しなさい! これはお願いじゃなくて命令よ!」

「あっ、はい」

「すみません」

「まったくもう、これだから最近のガキは嫌いなのよ。すぐに他のことに興味を移して。親の顔が見てみたいわ」

 文句を言いながら腰を振り、汗を掻きながら最後まで踊り切る。

 音楽が途切れたため、本題に入ろうとした理香の口を封じるように別の音楽が流れ始め、女性は先程とは違う、しかし先程同様に古臭さを感じさせる踊りを披露。

 こうなることを予想していた仁と東間は驚かずに無言。

 唯一、抵抗の意思を見せ、力無く口を開いた理香の声も音楽に掻き消されてしまうため、餌を求める金魚が如く口を開閉させているようにしか見えない。

 二曲目を踊り切った女性は続いて三曲目に突入。

 長い曲ではないが、全力で踊る彼女の全身から玉のような汗が飛び散り、濡れたチャイナドレスが段々と透けて身に着けている下着が見え始める。

「仁、そろそろ止めてあげた方がいい気がするよ」

「放っておけ。時期に踊り疲れて倒れるだろうから、その時に取り押さえる」

「素敵な提案ね。でもいつあの女の人の体力は尽きるのかしら?」

「まだ余裕が見られるから、あと三曲くらいは踊り切る。が、その後はギリギリ体力が保つか保たないか絶妙なところ」

「あと三、四曲かー。その前に僕たちの精神力が限界に達したりして。見ているだけっていうのも結構辛いものだし」

「お前等はともかく、俺は耐え切れると自信を持って言える。ああいうのは父親や母親で慣れているからな」

「慣れているって、古い踊りを見るのを?」

「いいや。年甲斐もなくはしゃいでいる、底抜けのおマヌケなご老体が晒す醜態を見ていることを、だ。ああいうのは下手に止めるとキレられるから、力尽きるのを待つのが一番手っ取り早い」

「……何があったのかは知らないけど、やっぱりアンタも苦労してきたのね」

「同情するから金をくれ、だったか。貰えるのなら同情だけでも貰っておけばいいだろうに、下手に欲を掻くとロクなことにならん」

「そこ! 五月蠅い! 静かにしなさい!」

「ヘーイ」

「すみませんでした」

「ったく、本当に可愛げがないんだから。私が貴方たちの年齢だった頃はもっと年長者に対して敬意を持って接していたわよ。表面上だけは」

 三曲目を終えて四曲目へ突入する女性の瞳に三人は映っていない。

 本当の意味で眼中になく、意識すらしていないにもかかわらず、彼等の雑談を注意するのは余計な雑音があっては踊りに集中できないからなのか。

 彼等の声量は音楽に劣っているため、余程耳を傾けない限り、聞こえるはずもないのだが、と心の中でツッコミを入れた仁は仕方なく雑談をやめて女性を観察。

 意識して見られることでより昂った女性は一層激しく踊り狂い、恐らくは元々の振り付けに存在しないであろう独自の動きを混ぜ始める。

 アレンジは決して悪いことではない。

 完成された物に独自の技術を加えることで多種多様な物が生まれ、そこから更なる派生物が誕生することも珍しくはないのだから。

 ただ、アレンジは成功する場合があれば失敗する場合もある。

 彼女の踊りは後者。独自の動きを混ぜたせいで全体的なバランスが崩れ、繊細さに欠けた上、大胆さも欠如した中途半端な踊りへ変わってしまう。

 女性自身も今の踊りに納得がいかなかったらしく、次の曲が始まる前に指を鳴らして同じ曲を流させる。

「やっぱり今の動きは納得いかなかったみたいね」

「僕も今のはないなー、って思ったから、踊り直すのも当然なのかな?」

 理香と東間も仁と同意見だったらしく、同じ踊りを披露する女性は独自の動きを完全に捨てて華麗に舞う。

 今度は文句のつけようのない見事な踊りであったため、終わった後に仁たちは彼女へ拍手を送る。

 しかし女性の顔は晴れない。拍手に不満があるわけではなく、納得のいかない顔をして壁際に移動し、悔しげに壁を叩く。

「完璧に踊り切ったように見えたけど、何処か間違えたのかしら?」

「間違いはないと思うよ。ただ、自分の動きを混ぜたら大失敗して、他の誰かが創り出した既にある踊りに非の打ちどころがなかったから悔しかった風に見えるね」

「別の誰かが創ったものでも、踊り切ったのは彼女自身なんだから悔しがる必要は無いんじゃないの?」

「そこは繊細な乙女心とかいうものが働いたんだろう。お前も純潔の乙女なんだからそれくらいは察してやるべきじゃないのか?」

「悪かったわね、乙女らしくなくて。どうせ私は汗臭い道場で稽古一筋に生きて来た脳筋女ですよー、だ!」

「自覚があるなら救いはある。脳みそが筋肉でできていようと、これからいくらでも柔らかくできる。と、どうやら自力で立ち直ったみたいだぞ?」

 見物客と化した三人に見守られる中で、誰かに叩かれたらしい演技をして地に打ちひしがれる女性が涙を拭って力強く立つ。

 その瞳は恋する乙女のもの。濡れた唇が何かを求めて艶やかな光を放つ。

 とはいえ台詞と他の演者がが存在しないため、雰囲気と動作だけで判断するしかないのだが、コーチの男性を恋に落ちたことだけがなんとなく程度に伝わる。

「うーん、結局どういうお話なんだろう?」

「ダンスものみたいだけど、熱血コーチやライバルと競い合って成長する努力型の天才主人公に見えるわね」

「これまた古臭い題材だな。見た目よりも年を取っているのか? 演技の質は悪くないが、台詞無しかつ一人の演劇はなんだか虚しさを覚える」

「ついでにチャイナドレスの上に白衣っていうのもミスマッチだよね」

「確かに。あの演技的に劇の主人公は学生辺りのはずなのに、露出度とマニアック度が高くて正直、萎えるぞ。年齢的に無理だとわかっていてもどうにかして清らかな空気を発するべきだろうに」

「学生なら学生服、それが無理でも、もうちょっとスポーティな格好をすればいいのにね。それに百歩――百歩じゃ足りないから、一万歩くらい譲って白衣は有りにしてあげても、チャイナ服との組み合わせはないわ」

「ついでに言えば複数回のダンスも余計だったな。劇をしたいのならダンスは一曲だけにして、そのまま演劇に突入するべきだった」

「あっ、それ、私も思った。踊りの時間が長過ぎなのよね。踊りがメインならそれでもいいんだけど、演劇がメインなら踊りはもっと短くするべきよね」

 次から次へと発せられる辛口評価。

 外部からの口撃に打ちのめされたようにショックで倒れる彼女は誰かに手を差し伸べられ、支えられる演技で立ち上がる。

 恋する乙女の瞳には情熱の炎が燈り、熱心に踊りに励む彼女はまたも何者かに倒されて、今度は倒れたまま挫折した様相で涙を零す。

 が、数秒後には再び誰かに支えられて立ち上がり、稽古に励み出す彼女はその後も何者かに倒されては立ち上がる光景の繰り返し。

 変わり映えのしない似たような演技及び想定以上の体力を見せつける彼女に三人は辟易した様子で項垂れ、それ故に天井から落ちて来た植物の化け物に気付くのが遅れてしまい、下腹部に備わっていた大口が仁を丸呑みにした。

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