第七十六話

 時間を忘れて熱中するものは掛け替えのないもの。

 彼等にとってはこの戦いこそがその内の一つ。どの勢力にも属さず、誰にでも味方をするとともに、全員を敵に回して戦場を引っ掻き回す神凪の参戦によって戦場は混迷を極めるも、彼等が皆一様に笑顔。

 完全に形振り構わなくなり、箸を捨てて相手の顔を両手で掴み、物理的な勝負に持ち込むことも辞さなくなった彼等を尻目に漁夫の利を得る――などと抜け駆けを試みても全員の目から逃れるのは難しく、妨害を制裁を受ける羽目に。

 他の客たちにとって迷惑な騒動だが、やっていることに対して空気自体は非常に和やかであるからか、店員も客も生温かい目で学生たちの戦争を見守っている。

 しかしどれほど楽しい祭りも、いつかは終わりの時が来る。

 神代と美鈴は力尽きて気絶。東間や仁、次光は戦線を離脱。

 最後まで戦場に残留していられるのは体力を温存していた神凪と他の種よりも肉体面で恵まれている華恋、そして日頃から地道に体を鍛え続けている理香の三名。

 ただ、戦線離脱こそしたものの、仁たちは男の子の意地として最後の力を残しており、迂闊に動けば自爆特攻に巻き込まれかねない。

 一応、仁は理香と同盟を結んでいるので彼が彼女を狙う可能性は低い。

 けれど他の二名は理香とは敵勢力なので、片方に仁をぶつけることができたとしても、もう一人が理香を逃さず、道連れにしようとするかもしれないので、この状況で先手を取ることは躊躇われる。

 三人が息を呑み、互いの隙と仁たちの動向を警戒している間にも最後の肉たちが良い音を奏でながら焼かれていく。

 これが最後というのなら、焦がして終わりは誰もが納得しない結末。

 最後の肉を得た者が勝利者というわけではないとしても終幕は美味しく、満面の笑顔で終わらせたいのが三人の本音。

 覚悟を決めたように目を見開き、先陣を切ったのは華恋。

 小手先の技術や戦術に頼らず、正面から何もかもを打ち砕いて進む、力任せという単純故に最も穴のない戦法で勝ちに行く。

 鬼気迫る勢いで伸ばされる箸を止める方法はない。視界を塞ごうが――否、例え彼女から五感を奪おうと彼女は本能だけで体を突き動かし、肉を手に入れる。

 迎え撃つ理香もまた小細工は使わない。

 力でも速さでも劣っているのなら技で彼女の箸を捌き切り、肉を入手するのが理香の選んだやり方。

 そんな彼女の戦い方を鼻で嘲笑い、先に横から肉を掠め取ろうと箸を伸ばしていた神凪を排除。

 豪快な一撃にはじき飛ばされ、戦場より追い出された彼から視線を外し、最後の邪魔者たる理香を叩き潰しに掛かる。

 並外れた気迫と鬼の首魁に相応しい重圧。僅かでも迷えば重圧に押し潰されて指先一つ、動かせなくなると断言できるほどの威圧感。

 歯を食い縛りながら彼女から与えられる重圧に耐え、肉ではなく彼女の箸に自らの箸を絡ませ、方向を変えようとして気付いてしまう。

 力と速さの差を技で補う。発想は間違っていないが、現在の彼女の技では華恋の能力を上回ることは不可能。

 不屈の精神が彼女の心から諦めを追い出したところで後の祭り。

 刹那の差が勝敗を分ける戦いの場において、一瞬であろうと諦めてしまった者に勝利の女神が微笑むことはない。

 はじき飛ばされる理香の箸。確信した勝利を前になおも華恋は気を緩ませず、ハイエナの如く機会を窺っていた東間と次光の箸を払い落とす。

 もちろん、仁への警戒も怠りはしない。彼が何をするのかはわからないが、彼が何をしても即座に対応できるように身構えながら今度こそ肉を箸で掴む。

 一度、手に入れてしまえば、もはや彼が何をしようと関係ない。

 正しくは彼が何をしても無意味、か。今の仁に残されている力では肉を奪い返すことなど到底、叶わないのだから。

 それでも彼女は神経を研ぎ澄ませる。彼女が気を緩めるのは全ての肉を口の中へ運び終わったあと。

 胃へ送り込んだ肉は吐くか、腹を裂くかしなければ取り出せず、そこまでして肉を取り出したとして誰も食べたがる者はいない。

 タレに浸した肉を口内に放り込んで、肉の味を噛み締めながら恍惚に浸る。

 口の中に広がる勝者の味。己の力で勝ち取った、紛れもない勝利者の栄光。

 決して油断などしていない。肉を食べている間も仁の一挙手一投足を観察し、彼の動きに合わせて行動できるよう筋肉を温めておく。

 他の者たちに対しても同様に警戒を怠らず、神凪の接近にも気付いていたため、肉を庇いつつ彼の箸の動きに注意を向ける。

 それが彼女の失策。何故ならば神凪は最初から華恋が守る肉に興味はなく、彼の狙いは彼女の口の中にある焼肉。

 一瞬の出来事を目撃したのは仁と理香の二名。奪われた唇から舌の侵入を許してしまい、勝利者の証を奪われるとともに口内を蹂躙される。

 気が動転して対処が遅れている間に、頭に血が昇って沸騰。

 唇が離れた時には目を回して気を失い、仰向けに倒れそうになったところを神凪に支えられ、ゆっくりと寝かせられる。

「勝利」

「いや、うん、まあ、勝ちは勝ちかもしれないが、なあ?」

「今のを勝ちって認めるのは女としてちょっと抵抗があるわね」

「疑問。唇。略奪。反則。否定」

「あー、確かに明確なルールなんてないし、お前の勝ちとして認めてやるべきなのかもしれないが一応、戦場には戦場のルールというものがあってだな」

「関係。皆無。ルール。無視。勝者」

「言いたいことはわかるけど、やっぱり、ねえ?」

 神凪の言い分に一定の理解を示しつつ、盛り上がっていた戦いに大量の水を浴びせられたように頭が冷えてしまった仁は冷静になった脳を用いて積み上げられた皿の数と注文した肉についてあることに気付き、目を見開いて凍り付く。

 突然、動きを止めた彼に訝しんだ理香だったが、彼が見つめているメニュー表に書かれた値段と皿を見比べて同じように固まり、大量の冷や汗を流す。

「……ねえ、仁?」

「皆まで言うな。どうする、理香。今なら俺たちと神凪君以外は気絶している。この場で逃げ出すのも手だぞ」

「私に友達を見捨てろって言うの? そんな不義理な真似、私にはできないわ」

「ならばどうする? ここでアイツ等と一緒に破滅するのか? 逃げられるのに逃げず、破滅に向かって突き進むのは阿呆の所業だぞ」

「……だとしても私にはみんなを見捨てることはできない。そうでしょう、仁。アンタが私たちを信じているように、私もアンタを信じているわ」

「その割には物凄い握力で腕を掴んでいるんですけど」

「言ったでしょう。私はアンタを信じているって。そう、この手を放したらアンタは間違いなく私たちを置いて一人、トイレとかの窓を突き破って、全力で逃げ出すって信じているんだから」

「変な方向に信じてくれてありがとう。逃げませんからこの手を放してください」

「いや。絶対に放さない。地獄に堕ちる時はみんな一緒よ!」

 諦めと狂気が宿った瞳はヤンデレの瞳に酷似している。

 幸いなのは彼女の目は諦めの色が強く、依存による狂気ではないため、ヤンデレ化する傾向はない。

 が、彼女がヤンデレの道に堕ちないからといって現状打開には繋がらず、彼等の表情や言動の変化に気付いた店員が死神の如き足取りで近づいていく。

 窮地に立たされた仁たちは味方を求めて周りを見回すが、肉ときゅうりを食べて満足感に浸っている神凪以外は全員、気絶中。

 視線を交わらせ、苦悶の末に苦肉の策に出る決心を固めた仁はスマホを理香に投げ渡し、接近中の店員の前でジャンピング全裸土下座を披露。

 大切な部分は見えないように足で隠しつつ、空中で早脱ぎからの土下座という淀みなき動作に店員は呆気に取られ、酔った客たちからは拍手が送られる。

 といってもそのような一発芸で稼げる時間はごく僅か。

 むしろ卑猥な物を見せたとして店側の怒りに油を注ぐ結果となり、店側が放つ怒気を全裸で受け止めることになった仁は心の中で普通のジャンピング土下座にするべきだったと後悔。

 だがその少しの時間は彼の策を発動させるのに十分過ぎる時間。

 兄の許可を得た野に放たれた獣が窓を突き破って現れ、全裸の兄に躊躇なく襲い掛かっては巴投げで壁に放られるも、空中で体勢を立て直しながら着地する。

「流石あにぃ! 今のは中々、悪くない動きね!」

「紗菜! 今日は特別だ! 存分に食らえ! ただし俺たち以外を、だ!」

「いいの!? 本当に!? 食べちゃって!?」

「許可する! ただし、食べ過ぎは厳禁だ! 後で確認してヤリ過ぎていたら来週からお小遣い全額カットにする!」

「それは遊びに行けないから本気で困る! わかったわ、ヤリ過ぎないように注意してヤればいいのね!」

「応ともさ!」

「なんだか利用されているみたいな気がするけどOKよ!」

 涎を滴らせながら歩み寄る紗菜を全身全霊で警戒する店員たち。

 なお、他の客たちは紗菜の姿を視認した時点で食事を中断し、代金をテーブルの上に置いて店内から脱出している。

 あまりの対応の早さを訝しんだ理香が何気なく貼り紙の方へ視線を向ければ、要注意人物として紗菜の顔写真と名前がでかでかと貼られており、幼馴染みの妹の扱いに涙を流しながら華恋たちを抱えて逃げ出す。

 彼女が抱え切れなかった東間や次光は仁が回収して逃走。

 一足先に逃げていた神凪と合流し、理香の道場に避難する。

 見事に逃げ切った彼等を待っていたのは怒り心頭の師範代。

 偶然にも焼肉店に道場の門下生が食事に訪れており、騒動の一部始終と顛末を師範代へ報告したらしく、全てを知った彼の前に仁たちは正座を強要される。

 今回ばかりは言い逃れできず、言い訳も思い浮かばなかった彼等は耳に胼胝ができても終わらない師範代の説教を延々と聞かされ、途中で目を覚ました他の者たちにも師範代の怒りが向けられ、改めて最初から説教がやり直される。

 一人、また一人と起き上がるたびに始めから説教を聞かされるので、文字通り最初から説教を受けていた仁と理香と神凪の精神は限界寸前まで追い詰められる。

 心が破綻寸前に追い込まれながらも自分たちの非と紗菜をけしかけた罪悪感から暴走するような事態には陥らず、長い長いお説教を、耐えて耐えて耐え抜いた彼等は解放されると同時に倒れ伏す。

 死んだ魚の方がまだ生気がある、死人の目で伸ばされた手が互いの頬に触れる。

 そこには温かな、人の温もりが存在しており、それを確認できただけでも救われた気分になった二人は目を閉じて意識を手放す。

 が、彼等に安息の時は訪れない。師範代が道場を出て行くと、入れ替わるように頬を痙攣させている師範が道場へ足を踏み入れる。

 纏う空気から怒りに満ちていることが窺えてしまった東間たちは震え上がり、気配を察知した仁と理香は飛び起きて平伏。

 額から流れ出る多量の汗が服と全身を濡らし、そんな彼等の前に胡坐を掻いて座る師範が豪快に笑い出す。

 釣られて笑おうとした仁は自らの舌を噛み切り、切断にまでは至らなかったが多量の血を口から溢れさせて、その痛みで笑みを作ろうとした顔の動きを抑える。

 必要とあらば自らを傷付けることも厭わない仁に感心の息を漏らした師範は掌で彼の頭を撫で回し、満足げに鼻息を鳴らして説教開始。

 内容は師範代の説教と似たり寄ったり――どころか、口調の違い以外はほぼ同じ内容のもの。

 師範代が出て行った直後に現れたことと、説教の内容から師範代の説教を盗み聞きして覚え、自らの言葉として転用したことを見抜いた一行は、師範が怖かったので指摘できず、仁を心配して彼の傍に寄り添い、髪を直そうとして余計に乱してしまう理香はそもそも話を聞いていない。

 ただ、愛義娘に優しく髪を弄られている仁に嫉妬したのか、説教を途中で打ち切ると彼の首根っこを掴んで外へ移動。

 抗議する彼を元気が有り余っていると称し、昔、彼等がまだ道場で学んでいた頃に使っていた修行器具を倉庫から引っ張り出して再修業を開始。

 僅かでも反応が遅れればたちまち袋叩きにされ、対象が戦闘不能になってもなお殴るのをやめない包囲型木人君。

 ハムスターのように車輪を回し続け、速度が一定以下になった瞬間に高圧電流が全身に流れる地獄の車輪。

 触れれば火傷する高熱を伴った剣山の上を裸足で何度も往復する熱針山行軍。

 その他にも様々な修行道具が取り出され、生きた猛獣たちの咆哮と壮絶な修行に華恋たちが息を呑み、トラウマを思い出した東間は道場の隅で縮こまって震え、無茶苦茶だが懐かしい光景に理香は微笑み、逃げることのできない仁は師範へ罵詈雑言を吐きながらも生き残るため、全力で修行をこなしていった。

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