第七十五話

 焼肉パーティ改め、仁義なき焼肉バトルが始まってからおよそ十五分。

 足りなくなった肉は追加注文で補い、如何に割り勘と言えど着実に彼等の懐にダメージを蓄積させていくが、熱くなった彼等の耳に警告は届かない。

 店側としても儲けられるので積極的に止める理由はなく、乱闘さえも若さの証として一定以上の被害を出さなければ見逃す姿勢を取る。

 その寛容さはあらゆる生物が一定のルールの下で共存している魔境故か。

 若者たちは己の食欲を満たすため、時に協力し、時に裏切り、時に力尽くで、時に策謀で、持てる能力を最大限に活用し、肉を求めて争いを継続させる。

「バカ。集団。呆れ。ため息。疲労。困憊」

 新鮮なきゅうりを齧る神凪は首を僅かに動かして、はじき飛ばされてきた箸を避けつつ、空気中の水分を操り、小さな水の鞭で箸をはじいて持ち主に返却。

 彼の方を見ずに受け取った仁は即、戦場に舞い戻り、戦線離脱直後の復帰に周りが驚いている間に肉を確保する。

「しゃあ、肉ゲット!」

「ナイスよ、仁! 次は私の番――」

「そうは行かんぞ、下等生物ども!」

 続く第二撃の箸は肉に触れる直前で美鈴の箸に掴まれ、外そうと抗っても絡みつく箸の動きに翻弄され、硬直状態に持ち込まれてしまう。

 美鈴が時間を稼いでいる間に次光が肉を入手。

 しかし二切れ目を手に入れた時点で東間たちが乱入し、残りの肉を掻っ攫う。

「ッ、貴様等!」

「甘いのです。どれだけ力があろうと、どれだけ機動力があろうと、大切なのはタイミングなのです。それを疎かにした者はこういう目に遭うのです」

「ゴメンね、次光。でも、これも勝負だから、悪く思わないで欲しいな」

「……悪く思うつもりなどない。だからお前等も、悪く思うなよ!」

 一度、奪われた焼肉を奪い返すのは無粋の極み。

 暗黙のルールには仁さえも従っていたのだが、どのような汚名を着せられようと肉を手に入れるべく、敢えて誰も行わなかった禁忌に触れる。

 それは一度しか使えない愚策。加えて一度でも破ってしまえば周囲から共通の敵として認識される危険がある諸刃の剣。

 全てを承知した上で肉を奪いに掛かる彼に敬服の念を抱き、無作法者に容赦する必要は無しと東間は正面から迎え撃つ。

 箸と箸が火花を散らす、激しい攻防。肉を守りながら戦わなければならないハンデを背負いながらも数の上では東間たちが有利。

 美鈴は理香を押さえるので手一杯な状態。また、肉を食べ終えれば仁が戦地に舞い戻ってくる可能性を考慮すれば長期戦は無謀極まりない。

「勝負だ!」

「望むところ!」

「返り討ちです!」

 掴んでは離れ、掴んでは離れ、肉に届きそうになりながらあと一歩のところで迎撃され、更には視界の隅で美鈴が理香に打ち破られたのを目撃し、仕方なく敗北を認めて引き下がる。

 勝者となった東間と神代は勝ちの喜びで美味さを増した肉を食べ、笑い合う彼等を眺めていた神凪が手元にある自分用のきゅうりと彼等の顔を見比べて不思議そうに首を傾げ、何かを振り払うように頭を振るとトングで新たな肉を焼く。

「――さて、てめえ等、満足したか? 私が慈悲で与えてやった肉食タイムもそろそろ時間切れだぜ?」

「まさか」

「このくらいで私たちが満足するわけないでしょ」

「お肉、美味しいです!」

「僕たちもまだまだ、満足なんてできてないよ」

「訊かれるまでもない」

「いつまでも戦場の支配者を気取っていられるとは思わないことだ!」

「ハッ! いいぜ、いいぜ、てめえ等。私の敵はそうでなくちゃいけねえ。このくらいで戦意を喪失されたら拍子抜けして食欲まで萎えちまうところだったぜ」

「たった今、俺は戦意を喪失しました」

「仁、華恋の言っていることは冗談だから、真に受けないの」

「いや、それはわかっているが、試したくなるのが人の性っていうか、ほんの少しでも可能性があるのならそれに賭けてみたくなったというか」

「どっちにしても無駄だ。てめえ等が戦意を喪失しようが、やる気満々だろうが、私のやることとこれから起きることに変わりはねえんだからな!」

 焼けた肉は全て自分の物。

 暴君として振る舞う彼女に対抗する勢力は三つ。けれど彼等全員が自分たちが全ての肉を独占することを考えているため、そこに信頼は生まれない。

 背後を気にしながら華恋と激突しても勝ち目はない。また、二勢力ならまだしも三勢力である以上、他の二勢力が揃って華恋に挑む可能性は低く、出遅れれば漁夫の利を得ることが難しくなる。

「どうした? 威勢がいいのは口だけか? 仁も、美鈴も、いつもの元気はどうしたんだよ。それとも私が怖いか? 私に負けるのがそんなに怖いのか?」

「俺が怖いのは主に理香の料理だ!」

「ちょっと、どういう意味よ、それ!」

「言葉通りの意味だってことは自覚できているだろう!? 俺が一体、何度生と死の境界線をさまようことになったと思っているんだ!?」

「ゴメンナサイ!」

「フン。私が他種族などを恐れるはずがない! 愚弄するのも大概にしろ!」

「美鈴、落ち着け! 挑発に乗るな!」

 男泣きする仁と割と本気で謝罪する理香に憤慨する美鈴や彼女を諫める次光。

 若干二名、想定とは違う形で足を止めてしまったが、理香の料理に関して思い出せば肉が食べられなくなってしまうので余計なことは考えず、孤立した東間と神代を潰すために動き出す。

 ここにきて東間たちは華恋の標的が初めから自分たちであることを悟り、箸を下げるか躊躇したものの、迷いを振り切り、攻めに徹する。

 二勢力が止まったことは東間たちにとっても好都合。

 華恋を潰すとまではいかないとして、攪乱して肉を奪い取れればそれでいい。

 鬼の首魁の娘である彼女が次光のように形振り構わず肉を強奪しに掛かったなら為す術はないが、支配者として君臨している彼女がそのような真似をすれば自身のプライドを自らの手で破壊することに繋がってしまう。

 それは彼女の望むことではない。彼女はあくまでも正々堂々と、コソ泥としてではなく王者として肉を略奪しなければならない。

 面倒であろうとも、それが彼女の選んだ道。

 覇道から逸れることのできないならば必ず隙は生まれ、その隙こそが東間たちに残された唯一の勝機。

 そのために神代は徹底して東間のサポートに就き、東間は一点突破ではなく手数で攻めて華恋から肉を強奪しに掛かる。

「――まあ、てめえ等とも結構長い付き合いだからな。私がどういう性格で、どんなことを考えているかくらいは理解してんだろうな」

 冷たい眼差しと冷静沈着な手捌き。

 狐火による視界封じを行おうとしても間に合わず、東間の箸が遥か後方へはじき飛ばされる。

 痺れる掌が徐々に痛みを伝え、もう片方の手で麻痺する手を押さえ込む。

「……強いね、華恋ちゃん」

「当然のことを言ってんじゃねえよ。私がどういう性格なのか、てめえ等が理解しているように、私もてめえ等のことを理解しているんだ。で、私はてめえ等のことを認めてやってんだ。だからあんまり、私を甘くみんじゃねえぞ、東間」

「うん。これは僕たちの負けだ。君のことを侮っていたこと。素直に謝罪するよ」

「わかればいいんだよ、わかればな」

「そんな君に僕からも一つ、いいかな?」

「なんだ?」

「僕たちのことを理解してくれているのはわかったけど、だったらあれくらいのことでいつまでも足止めできるはずがないってこともわかっているんだろう?」

「あん――ッ!?」

 指摘され、戦場に視線を戻せば焼かれていた肉たちの姿が消えている。

 何もなくなってしまった戦地で再び焼かれ始める新たな肉たち。

 質、量ともに先程まで焼かれていた肉と遜色ない。が、今の華恋にはそんなことはどうでもよく、東間たちの相手をしている間に肉を根こそぎ奪っていった二勢力を親の仇同然の憎しみを込めた目で睨む。

「華恋ちゃんが俺たちに情熱的な視線を注いでおりますぞ」

「悪いけど、私はノーマルなの。華恋の気持ちには応えられないわ」

「同意だな。私も女同士に興味はない。そういうことは他の劣等種どもと行え」

「お前たち、あまり華恋をからかうな。あの目は飢えた肉食獣よりも獰猛に見えるぞ。下手に刺激すれば、俺たちが肉として食われかねない」

「とまあ、割と失礼なことを次光殿が申しておりますが、実際のところはどうなのか、華恋ちゃんに直接、尋ねてみます。華恋ちゃん、今のお気持ちをお聞かせください。できれば三行以内で」

「てめえ等、盗み食いとはいい度胸じゃねえか。セコい手を使いやがって!」

「以上、三行に遠く及ばない、負け犬の遠吠えでした。いやはや、敵勢力が複数いる中で、一勢力に集中しているバカ女が何を言っても説得力がありませんなー」

「ッ……!」

 拳を握り締め、殴り掛かろうとした彼女は拳を自身の頬へ振り下ろし、手加減抜きの一撃を炸裂させる。

 会心の一発は口の中を切り、血を流させるとともに頭を冷やさせ、肺に溜まった空気を全て吐き出すことで昂った気を静め、落ち着きを取り戻す。

「冷静になりましたか、華恋ちゃん」

「おかげさまで、な。確かに、あれくらいでてめえ等のことをいつまでも足止めできるなんて考えた私がバカだった。そこは認めざるを得ねえ。その肉は私の負けの証としててめえ等にくれてやるよ」

「肉。減少。お代わり。頼む」

「ああ。ついでだから高いのを頼んでくれ。久しぶりに楽しいバトル、景品も豪華なものにした方が盛り上がるし、やる気も倍増する」

「了承」

「待て、仁、神凪。今まで注文した肉だけでも俺たちの財布の中身は冷え切っているのだぞ! それなのにこれ以上、高い肉を注文すれば私たちは――」

「喧しいぞ、次光! くだらねえことで勝負に水を差してんじゃねえ!」

「くだらなくはないだろう! 追加注文をする時は値段と、財布の中身を見て、相談して決めなければ!」

「兄上! 今、私たちは真剣勝負を行っている最中です! それなのにそのような些事で止めようとするとは、兄上には天狗としての誇りはないのですか!?」

「誇り云々以前に金の問題だと言っているだろう!? 東間、理香、神代! お前たちならばわかってくれるはずだ!?」

「次光の言うこともわかるけど、私は華恋たちに賛成。ここまで白熱した勝負は久しぶりだし、キッチリ勝敗を決めないとね!」

「東間!?」

「ゴメン、次光。もう僕たちには止められない領域にまで事が進んじゃったみたいだから、諦めるしかなさそうだ」

「世の中、どうすることもできない事柄も存在するものなのです。諦めて、心穏やかに運命を受け入れるしかないのです」

「クゥ……!」

 あくまで抗う姿勢を貫く次光の前に美味しそうな肉が運ばれてくる。

 焼けば確実に美味いと断言できる良い肉。

 それだけ値も張るであろう肉を前に色々なものを振り切って、今だけは勝負に勝つことに専念する決心を固める。

「いい目だ。どうやら覚悟を決めたようだな、次光よ」

「おかげさまでな。こうなったらヤケクソだ。何が何でも勝ってやる! 勝った後に何が残されるのかはこの際、どうでもいい!」

「それはどうかしら? ヤケクソになって迷いを振り切ったからって、そう簡単に勝てるほど、世の中も私たちも甘くないわよ?」

「今更、油断などする気はない。だが貴様等こそ覚悟を決めろ。我等、天狗を本気にさせたことを骨の髄まで公開させてやる」

 一触即発の空気の中で肉を焼くのは神凪と東間たち。

 さりげなく自分たちが取りやすいように配置しているのを神凪だけは知っていたが、気付かない方がマヌケとして彼は口を挟まず、黙々と肉を敷く。

「さあ、ここからが真の戦いだ。もう手加減はしねえぞ、てめえ等。今の内に好きなだけ匂いを嗅いで、腹を満たしておくんだな」

「今までも本気だったくせに?」

「今度は本気の中の本気だ。何なら、筋肉でも膨れ上がらせてやろうか?」

「できるんだろうけど、こんなところで服を破いて上半身裸になったらお店の人たちに迷惑が掛かるし、何より、異性の目がある場所でその発言はどうかな?」

「東間、華恋は筋肉を膨れ上がらせると言っただけで、上半身裸になるとは言っていないのです。というかその発想は不潔です。何処からともなく風紀委員が駆けつけるくらい、不健全な発言なのです」

「いや、筋肉を膨張させた場合、大体は服がはじけ飛ぶと歴史と漫画が証明している。そしてズボンは何故かどれだけダメージを受けても破けないのもお約束だ。下半身が脱げた方が俺的には面白いんだが、大人のルールは厳しいのだ」

「ゲームと現実を一緒くたに扱うのは危険だぞ。まあ事実は小説よりも奇なりなどと言うように、ゲームよりも不可解なことが起こるのが現実だが美鈴!」

「任せろ!」

 天狗の巻き起こす風によって舞い上がった熱気が肉を取り囲む仁たちの目を物理的に焼き、彼等が怯んでいる隙に天狗の兄妹が焼肉を独占――

 するはずだったのだが、勝利を確信する天狗たちの視界を突如として発生した濃霧が塞ぎ、二人が驚愕に包まれている間に我関せずを貫いていた神凪が乱入して焼けた肉を奪い尽くした。

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