第七十四話

 肉の焼ける音と匂いが充満する店内。

 互いに互いの動きを観察、警戒、牽制、果ては醜い衝突が繰り広げられる中、突出した力を有している華恋が妨害を跳ね除けて肉を手に入れる。

 しかし彼女が力で入手した肉がその口内に運ばれることはない。

 一人が突出した力を持っているのなら、敵の敵は味方と他の勢力と同盟を結び、数の暴力を持って打ち破るのが世の基本戦術。

 如何に華恋の力が凄まじくとも食事中に本気で抵抗するわけにもいかず、死角から伸ばされた箸に呆気なく掠め取られてしまう。

 が、だからといってその肉は掠め取った者の物ということにはならない。

 華恋から肉を奪った時点で同盟は解消され、再び敵同士と化した彼等の見苦しい激闘が始まり、その戦いを制して初めて肉を口に入れることが許される。

 死闘の果てに肉を勝ち取ったのは東間。焼肉のタレに浸して食べる肉の味に舌鼓を打ち、満足げな笑顔を振り撒く。

 無論、肉を奪われた者たちにとってその笑顔は挑発以外の何物でもない。

 割り勘といえど学生の身として決して安くはない、良い肉を使っている焼肉店で食べる以上、元を取らなければ敗北を喫するに等しいのだから。

 一人、興味無さそうに持参したきゅうりを齧っている神凪の瞳に映る彼等の姿は理性を持たないケダモノ同然。

 良い子のみんなは決して真似をしてはいけない、熾烈な焼肉バトルは直接戦闘から舌戦及び心理戦に移行する。

「東間、この前の骨董品屋の店主のこと、覚えているか?」

「あの変な武器を売ってくれた子供のこと? 彼がどうかしたのかい?」

「そういえばあの時の薙刀、道場に飾ってあるわよ。今度、見に来る?」

「師範に見つかったらシャレにならないからやめておく」

「左に同じ!」

 重なり合う閃光。宙を舞う一切れの肉。

 剛腕を活かして奪い取りに掛かる華恋を仁と理香が連携で止め、漁夫の利を得ようと伸ばされた東間の箸を次光の箸が捌き、美鈴と神代がお互いに邪魔し合っていたので仕方なく神凪が肉を回収し、きゅうりに巻いて食す。

「美味い」

 素直な感想を述べて新たな肉を焼き始める、マイペースな彼に毒気を抜かれてしまうも、気を取り直して肉が良い音を立てている間に話題を振る。。

「あの時の骨董品屋にまた会いに行ったら肉を食われた」

「ゴメン、意味がよくわからないんだけど」

「そのままの意味だ。ほら、次の日に登校した時、教室で包帯を巻かれた腕を見せただろう? というかあの時、食われたってちゃんと言ったじゃなイカ」

「冗談だって思ったのよ。そもそもあの骨董品屋の店主ってまだ子供じゃない。どれだけ油断していたのかはしらないけど、子供に腕を食べられちゃうなんて、情けないとは思わないの?」

「アレが普通の子供だったら情けないと思ったかもしれないが、アレが特殊な子供なのはお前たちも理解しているはずだろう?」

「それは、まあ」

「お前たち、さっきから何を言っている? 骨董品屋の店主は子供ではなく老人だろう。最近、裏のルートで手に入れた魔導書とやらから新たな幼女を召喚したらしいが、店番をしているのはあくまであの老人のはずだ」

「またロリっ娘を召喚したのか、あの爺さん」

「これで三人目だよね。小さな子供ばかり召喚して、何がしたいのかな?」

「考えたくないです。絶対にロクなことを考えていませんから。まったく、最近の男はどうしようもない奴等ばかりなのです。小さな女の子にばかり欲情して、私のように可憐でグラマラスな美少女には目もくれないのです」

 自信満々な宣言に場の空気が凍りつく。

 皆が一様に神代の脆弱とも取れる貧相な体を見回し、クラスメイトたちの視線に気付いた彼女が恥ずかしがって自身の体を手で隠す。

「な、なんですか、その目は! みんなで私を襲おうというのですか!?」

「百歩譲って可憐は認めるとして、どの辺がグラマラスなんだ?」

「全面。同意」

「シッ。二人とも、触れちゃいけないところに敢えて触れるのは勇気じゃなくて蛮勇って言うんだよ。神代ちゃんも夢を見たいお年頃なんだから、ここは理解ある男子として黙っていてあげないと」

「そういうことはせめて聞こえないように言うべきなのです。東間も全然女心がわかっていないのです。そんなだから厄介事を招き寄せるのです!」

 音楽のない椅子取りゲームの如く、前触れなく肉を求めて皆の箸が伸びる。

 時にぶつかり合い、時に協力体勢を見せては裏切るタイミングを見計らい、一切れの肉を手に入れるために戦う彼等の姿は実に醜悪。

 連携が乱れた頃合いを見計らって華恋が自慢の怪力で他の箸を薙ぎ払い、焼かれた肉を独占する。

「ズルいのです! 卑怯なのです! 独り占めなんて見苦しいのです!」

「見苦しいのはどっちだ。大体、負け犬の遠吠えなんて聞く価値もねえよ」

「諦めろ、神代。華恋ちゃんは強欲なんだ。全ての肉を自分のものにしないと気が済まず、他の誰かに分け与えることなんて微塵も考えはしない、まさに鬼!」

「五月蠅え! そういうてめえは肉を取ったら誰かに分け与えんのか!?」

「そんなことをするはずがないだろう。華恋ちゃん、君はバカなのか?」

「おい、理香、東間! コイツはてめえの管轄――なに肉を取ってんだてめえ等!?」

 こっそりと華恋の皿から肉を拝借していた二人はバレた瞬間に撤退。

 間髪入れず、奪った肉を口の中に放り込み、怒る華恋に向けて大口を開け、既に肉が残っていないことをアピール。

 無論、それは火に油を注ぐ行為に相違なく、怒り狂いそうになった華恋の手を神凪の両手が包み込み、我に返った彼女は怒りを呑み込んで引き下がる。

「てめえ等、覚えとけよ」

「ナイスだ、神凪君。流石は我が友!」

「容易。華恋。我慢。強い」

「フン。この程度で簡単にキレそうになるとはな。やはり鬼は所詮、戦うことしか考えていない野蛮な種族ということか。同じ山の妖怪として、情けない」

「んだと? てめえ、喧嘩売ってんのか?」

「そんな低俗な行いを繰り広げるつもりなどない。どうしても喧嘩をしたいのならば外に出て、適当な鬼と絡めばいい」

「……てめえ、そこまで私のことをバカにするってことは、覚悟は決まってるって解釈していいんだよな?」

「バカにした覚えはない。私は事実を述べているだけだ。それとも貴様は、事実を受け入れることができないほど狭量なのか?」

「…………」

 目に見えて膨れ上がる怒気。

 店全体を揺らすほどの怒りは大気にまで影響を与え、店内の気温が数度上昇。

 先程、呑み込んだ怒りを含めて今にも爆発しそうな華恋は神凪が押さえ、それを見て眉を顰める美鈴には次光が説教を行うことでどうにか場が収まる。

「こ、怖かったです。凄く怖かったです」

「神代ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫なら震えてなんかいないです。もう揺れは収まったはずなのに全身の震えが止まらないのです」

「じゃあこうすれば震えは止まるはずだよ」

「へっ?」

 自然な動きで繋がれる手と手。

 神代の小さな手を包み込む東間の手から伝わる体温と、彼の優しげな笑みを間近で見た彼女の顔が真紅に染まり、空いている手が不規則に暴れ回る。

 暴走する腕を捕まえ、押さえつけたのは東間のもう片方の手。

 両手を握られ、逃げ場を失った神代の顔が更なる赤に染まり、目を回して倒れ掛けたところを自身の体で支えたことで彼女の頭はパニックに陥る。

「あう、あうあう、あうあうあ……!」

「うーん。震えは止まったみたいだけど、体調を崩しちゃったのかな?」

「などとほざいておりますが、解説の理香さん、どう思われますか?」

「動きに不自然な点が見られない。自然体で行っているわね」

「解説の理香さんは解説の意味を理解していないご様子。なので代理解説の神凪さん、一連の行いについてどう思われますか?」

「天然」

「的確な解説、ありがとうございます。なお、今のを和訳いたしますと『動きに不自然な点が見られない。自然体で行っている』となります」

「それ、私の解説とどう違うのよ」

「語尾に『わね』が付いておりません」

 無言のチョークスリーパーは東間の動きと同等か、それ以上に自然な動作で行われたため、仁には反応している暇さえ与えられない。

 仲睦まじい男女のやり取り。同時に四人が戦線離脱したことを意味していたのでこの隙に肉を食べようとカラス天狗の兄妹が暗躍。

 彼等の暴挙を止められるのは鬼の華恋と河童の神凪二名。

 しかし神凪は肉にそれほど興味を示しておらず、争奪戦に参加してまで肉を手に入れようという意思を見せない。

 すなわち次光と美鈴の暴挙を未然に防げるのは華恋だけであり、華恋の暴虐を食い止められるのも次光と美鈴のみ。

 かくして始まる壮絶な激闘。鬼の力を天狗たちの意地と連携が迎え撃ち、無為な争いをしている間に肉が焦げ、炭と化してしまう。

 肉を無駄にしてしまったことに気付いたところで後の祭り。

 自分たちの愚行に項垂れ、消沈している内に我へと返った仁と理香が互いに牽制し合おうとして手を止める。

 目と目を合わせ、言葉を用いない意思疎通を図り、せっかくの好機を不毛な争いで浪費するのは愚策と同調。

 協力して肉を焼き、キッチリ二等分してタレとともに口の中へ放り込んでいく。

「ほんと、美味しいわね。こんないい肉、あまり食べる機会もないから、たくさん食べないと損しちゃう」

「機会が無いとは言わないが、やはり勝ち取った肉は普通に食べるより美味い。このまま二人で独占できれば言うことないんだが――」

「そういうわけにはいかないよ?」

「です」

 我に返った東間と神代が焼肉を独占する二人を牽制。

 自由に動けなくなりながらも、取り敢えず肉を焼いておこうと新たな肉をトングで掴み取る。

「あっ、僕が焼こうか?」

「いや、これは俺の役目だ。お前たちはそこでおとなしくしていろ」

「そうね。これは私と仁の共同作業ですもの。他の人たちに邪魔されたくないの」

「愛の共同作業ってことだね。幼馴染みとして祝福するけど、だからこそ雑事は僕たちに任せてくれないかな?」

「そうなのです。お二人はそこで存分に愛を育むといいのです。そもそも愛を育むのならこんな焼肉の匂いが充満した場所にいないで、公園の池とかに行くのです」

「池に行け」

 渾身のボケ――ドヤ顔で言い放っているため、神凪自身はそう思い込んでいるのであろう――にツッコミを入れないどころか、そもそも誰も聞いていない。

 気付いていて無視されるのならまだしも、気付かれてすらいない厳しい現状に己の居場所を無くしてしまったと落ち込む彼の傍に美鈴が寄り添う。

 消沈しているからか、拒む理由がないからか、腕と腕が触れ合う距離にまで近づいてきた彼女を拒まずに受け入れる。

 そのような光景を見せつけられた――尤も、見せつけるつもりは誰にも無かったのだが――華恋の頭が怒りで沸騰。

 突き抜けるような憤怒を自覚しないまま、神速の拳は紙一重で理香の掌が止めたことで事なきを得る。

「――理香」

「気持ちはわからないでもないけど、そこまで怒る理由にもならないんじゃない?」

「怒る? ……そうか、私は怒ってたのか。悪い」

「謝る必要は無いわよ。仁!」

「任された!」

 いい具合に焼けた肉を確保しに掛かる彼の瞳と動きには慢心も油断もない。

 模擬戦、そして実戦ならば少しでも優位に立った時点で慢心、油断して逆転される切っ掛けを生む仁だが、その二つの感情を持っていない状態の時は本当に強い。

 幼馴染みとして理香と同じくらいそのことを理解している東間は正面から挑んでも勝ち目はないと、仁たちと同様に神代と結託。

 彼女が狐火で仁の視界を塞ぎ、箸の動きを妨害している間に東間が二人分の肉を強奪、タレに浸して神代に食べさせる。

「クッ! 汚いぞ、お前等! 二対一なんてフェアじゃない! 俺はもっと正々堂々とした、熱い決闘を望んでいるんだ! 乱入、ダサい! 卑怯! 格好悪い!」

「戦いにフェアも何もありはしないんだよ、仁!」

「そうなのです! 最後に肉を食べていた者こそが勝者なのです! それ以外の敗者が何を叫ぼうとも負け犬の遠吠えにしかならないのです!」

「私もそう思う。だからてめえ等、私の肉を奪ってんじゃねえ!」

 豪快な乱入者に東間と仁の箸がはじき出され、誰もいなくなった戦場の中央に自らこそが支配者と豪語するかの如く、君臨する華恋の箸。

 逆らう者は全てが粛清対象。戦いの場そのものを制圧した彼女に単騎で抗うのは危険過ぎるため、仁と東間は一時撤退。

 敵も味方もいなくなった、熱された大地に新鮮な肉を敷き、全てを平らげるために居座る彼女への対抗策を練る仁たちや東間たち、及び復活した次光と美鈴を赤の他人のような冷めた目で見ていた神凪は退屈そうに大きな欠伸を漏らした。

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