第七十三話

 消防隊員たちの仕事は迅速かつ正確に進められ、放火犯たる仁は魔境でも見掛けない異形の生命体との戦闘による不可抗力として特別に厳重注意で済まされる。

 真実は少々異なるものの、どのような仕組みで動いているのかわからない、しかし肉体を持った生物を炭化させるのは攻略手段として間違いとは言い切れない。

 また、注意を受けた仁も余計な口を叩かず、平謝りをしていたため、揉め事に発展せず、説教が終わるとともに解放される。

「ふいー、マジで疲れたー。あそこまで長く真剣に説教されると流石に露骨な聞き流しはできないぜー」

「お疲れさまー。僕も結構、疲れちゃったよー。というわけでー、これから一緒にお茶でもどうかなー?」

「断る。まだ余裕はあるが、あまり遅くなると一号に迷惑を掛けてしまう」

「一号? ああ、アストロゲンクン一号だっけ。相変わらず、君は自分の作品に対してはすこぶる甘いんだねー」

「俺にとって作品は魂だ。アイツ等は俺の分身であり、血を分けた子供と言っても過言じゃない。そいつ等を大切にすることの何が悪い?」

「悪いなんて一言も言ってないじゃなイカー。ちなみにー、誰かと結婚してー、実の子供ができた場合はー、彼等と同等の扱いをするのー?」

「知らん」

「知らんて」

「知らんものは知らん。たぶん、その時になって見ないと何とも言えない。もしかすると子供より作品の方が大切かもしれないし、その逆も大いにあり得る。どっちにしても、結婚して出産するまで答えは出ない」

「なんかー、哲学的な回答になって来たっぽいー?」

「こんなもの、哲学でも何でもないッ」

 食われた腕がそよ風に撫でられ、痛覚が痛みを脳に伝達。

 もう少し深く食われたなら骨が露出していたかもしれない見事な食いっぷりに感心しつつ、無傷の右手で彼の頭を鷲掴み。

「痛い痛い痛い! いきなり何をするのさー!」

「いや、今の痛みで思い出したんだが、よくも俺の腕を食ってくれたな、この食い意地の張ったクソ犬が」

「だって美味しそうだったんだもん! 実際、美味しかったんだから文句を言われても困るよ! 悪いのは美味しそうな肉をぶら下げている君だよ!」

「待て。美味しそうだから食べた? 何か能力の条件を満たすとか、あの圧縮のためのエネルギーを確保するために肉を食らう必要があった、とかじゃなく?」

「うん。あんなの僕にとっては朝飯前だよ。君を食ったのは僕が君を食べたくなったからで、他に理由なんて存在しないよ?」

「…………」

 左腕の傷口から伝わる痛みが大きくなったのは彼の気のせいか、はたまた怒りで全身の血の巡りが良くなってしまった影響か。

 右手で彼の頭を掴みながら左手で首を掴み上げ、力を入れたことで血が噴出するのも構わず、縊り殺しに掛かる。

「暴力反対! こんなのイジメだよ! とっても苦しいんだYO!」

「口調から余裕しか感じられないが?」

「余裕だけど苦しいんだYO! 耐えられることと痛くないことは別なんだYO! このままじゃ苦しくて発狂しちゃうんだYO!」

「存分に発狂しろ。狂人の後始末は慣れている。死体は海に沈めるのと、山に捨てられるのとどっちがいい?」

「山だねー。僕ってこう見えて豊かな大自然の中で育ったからー、緑豊かな場所の方が落ち着くんだー。都会の喧騒も嫌いじゃないんだけどね」

「フン。まあリクエストには応えてやるか」

「やったー! やっぱり君って優しいね! 大好き!」

「あっそ」

 絞殺され掛かっているとは思えない明るい口調。

 このまま首を絞め続ければ、窒息の前に首の骨をへし折れる手応えが掌に残る。

 だというのに何故苦しむ素振りさえ見せないのか、それ以前にまともな呼吸ができていないはずなのに、どうしてしゃべることができるのか。

 疑念を抱えるも物は試しと首の骨を一気にへし折りに掛かり、背中に何かが寄り掛かる感触が伝わる。

「やれやれ。大胆に愛の告白までしてあげたのに、淡白な反応。嫌われちゃうよ?」

「――どうやって背後に回り込んだ?」

「どうやってって、普通に、歩いて回り込んだだけだよー。気付けなかったのは君の落ち度じゃなイカー?」

「……フン」

 手を放してはいない。目をそらしてもいない。

 けれども眼前に犬耳の少年の姿はない。そして振り返れば犬耳の少年が親愛の情を示すように彼の背中を抱き締めている。

 人肌の温もりが互いの体を温め、牙を突き立てようとする彼の頭に拳骨を打つ。

「おおう、握り締められるのとは別の痛みが!」

「俺の体を勝手に食おうとするな。悪食野郎が」

「いいじゃないかー、別に。食べても減るものじゃないだろー」

「減る。主に俺の肉体が。食われた箇所を再生させるのだってタダじゃないし、自然回復を待つのならかなりの時間を食う羽目になるんだぞ」

「んー。それじゃあ代金として情報を提供するって言うのはどうかなー?」

「情報?」

「そっ。例えば君の姉弟子、不完全でも細胞の欠片から樹冥姫を蘇らせた先の事件の犯人についての情報とか」

「――それは」

 今の彼が知りたいと思っている情報を提示され、動揺を見せながら一層の警戒を示すように臨戦態勢に移行。

 ただ、臨戦態勢を取ったところで犬耳の少年相手ではあまり意味がないと心の何処かで諦めに似た感情を抱きながら、懲りずに背中に張り付いている彼を引き剥がして自身の正面に立たせる。

「むう。もうちょっと君の温もりを肌で感じていたかったのに。もう、見掛けによらず、照れ屋さんなんだから」

「どうしてお前が俺の姉弟子様についての情報を持っている?」

「裏の情報に詳しいから、じゃあ納得してもらえ無さそうだね。まっ、ぶっちゃけて言うと僕が知らないことの方が少ないんだよ」

「答えになっていない」

「そうだねー。じゃあ何でも知っている情報屋さんポジションでいいかな? 君のお肉が大好きな、肉食系情報屋」

「特定の相手の肉が好みとか、下手なヤンデレより恐ろしい気配がするぞ」

「あっ、それは近いかも。僕ってヤンデレの素養があったんだねー。うんうん。この体には君への愛情がたっくさん詰まっているんだー」

 言葉の節々に嘘を滲ませながら、しかし真実の色も混じらせているために何処までが本当で何処までが嘘なのか、非常に判別が付き難い。

 また、発せられる愛情に偽りはなく、向けられる感情は本物。

 ただし強過ぎる愛情が恐ろしくなるほど歪に捻じ曲がっていることを隠そうともしていないため、その愛を至近距離で浴びせられる仁は大きく後退る。

「どうして逃げるのさー? 僕はこんなにも君のことを想ってあげているのに。それともヤンデレっぽく責めてあげた方が盛り上がるのかなー?」

「何処で情報を手に入れたのかはこの際、気にしないことにする。それで、お前が俺に提供できる姉弟子の情報とやらはどんなものだ?」

「知りたいのー? それなら対価を支払うべきじゃないのかなー? タダより高いものはないってよく言われているわけだしさー」

「既にお前は俺の肉を食った。その分の情報を渡してもらおうか」

「んじゃ簡潔に。細胞片を回収したのは何処にでも湧いてくるような組織で、君の姉弟子様はその組織に雇われた研究者。知的好奇心を満たすためと、組織から研究資金を提供してもらうために復元させた」

「ほうほう」

「ところが、再生させた樹冥姫は栄養不足で酷く弱っていた。だから手っ取り早く栄養を補充させるために巨人を創って魔境を襲わせました」

「すまん。前後の文の繋がりが理解できなかったんだが」

「そこは自力で察して欲しいなー、もう。君の姉弟子様は生命についての研究を重ねていたから、巨人作りなんて簡単なんだよ。で、樹冥姫や自分が作った他の植物系統の妖怪たちの餌として創ったけど、嫌がらせとして魔境に一部の巨人を送り込んだ。ついでに樹冥姫たちも放って、養分として吸収させたのはいいんだけど、そのことが組織にバレて、政府に勘付かれる前に回収部隊が派遣された、と」

「いや、普通に勘付かれているだろう。政府はそこまでバカの集まりじゃないし」

「以上、さっき食べた肉の分の情報でした。満足して頂けましたかー?」

「不満足だ。大体、どうして姉弟子殿が魔境に嫌がらせをする? それとも師である保険医か弟弟子の俺を狙って嫌がらせをしたのか?」

「お肉頂戴」

「再生した樹冥姫は何者かの制御下に置かれていたようには見えなかったが、制御不能の妖怪を再生させて何の意味がある? 第一、あれほどの戦闘能力を有した巨人を量産できる脳があるのなら、強化型の巨人を創った方が手っ取り早いだろう」

「お肉頂戴」

「……姉弟子殿は今、何処にいる?」

「お肉頂戴」

 表情筋を動かさず、同じ言葉を吐くだけの装置の一種と成り果てた犬耳の少年を置き去りにして帰路に就く。

 背中を見つめる犬耳の少年に動きはない。ただ、彼の姿が完全に見えなくなるまでその背中を凝視し、仁がいなくなると虚空へ視線を移す。

 何もないその場所に音を立てずに現れるメイド服の少女。

 親愛など欠片もない、氷の眼差しで自身を睨む彼女に恋する乙女が如く、だらしなく頬を緩ませた犬耳の少年が無遠慮に近づく。

「それ以上、こちらに来るならば首を切り落とします」

 警告は一度切り。歩を止める気がないのを見るや否や、大型のナイフで首を切り落とし、血を払いながら距離を取る。

 頭部を失った胴体は落ちている生首を持ち上げて切断面に接合。

 何の小細工も無しに首の上に頭を置いただけなのだが、不思議と首の傷が消え、元の状態を取り戻すと煩わしそうに首を回して調子を確かめる。

「もう、照れ屋さんなんだから。彼のマネでもしているのかな?」

「彼に余計な情報を与えるのはやめてください」

「知りたがっていたのは彼の方だよ。僕は求められたから応えただけなのに、それを理由に首を刎ねられるなんて理不尽だなー」

「それは違います。私が貴方の首を刎ねた理由は他にありますので」

「えー? じゃあどうしていきなり僕の首を刎ねたのさー。今回はまだ君に何もしていない、善良な骨董品屋の店主の首をー」

「気に入らないから切り落とした。他に理由が必要ですか?」

「ううん。要らないよー。そっかー、君は僕のことが気に入らないのかー。それは知らなかったなー。参考になったよー」

 わざとらしい口調の彼の額にフォークを投擲。

 二本の指で簡単に受け止められ、倍速で投げ返されたものを辛うじて避けるものの、避け切れずに頬が浅く裂ける。

 瞬間、間合いを詰めた犬耳の少年が裂けた頬から流れ出る赤い雫を舌で舐め取ろうとし、寸前で顎に膝蹴りが入り、宙を一回転して両足で着地。

 蹴られた顎を手で擦り、長く伸ばされた舌が顎を舐める。

 見た目からは想像もできない長過ぎる舌に嫌悪を隠さず、引いた彼女を一層、愛おしそうに見つめる犬耳の少年の口が開かれ、蛇のような細長い生物が彼女の腕に巻き付き、牙を突き立てて肉を食らう。

 予想外の攻撃に驚愕し、硬直してしまった彼女の対応は遅れてしまい、まんまと片腕に傷を付けられてしまったが、許したのはそこまで。

 肉を食い千切る蛇のような生物の首を切り落とし、残された胴体を掴んで根元にいる犬耳の少年を引き寄せると綺麗な肘打ちを打ち込み、間髪入れずに脳天を踵落としで砕き、頭蓋骨と脳みそを破壊する。

「ハァ、ハァ、ハァ」

「気は済んだかなー?」

 息を乱す彼女の背後に出現する犬耳の少年は彼女の体を後ろから抱擁。

 腹部周辺をメイド服越しに撫で回し、指先で弄り回してヘソ辺りをつつく。

 メイドの表情に変化は無く、無言無表情で行動に移り、彼の体を掴んで勢い任せに天高く掲げ、真っ逆さまに叩き落として粉砕。

 大きく揺らされた頭に目を回しながらなんとか立ち上がり――赤く染まった指を舐り、わかりやすく音を立てて飲み下す。

 それが自らの血であることを悟った途端、肩に付けられた指の穴の傷から血が流れ始め、掌で肩の傷を押さえる。

「いい味だ。君も彼も本当に僕の好みの味をしている。これが食べちゃいたいほど可愛いってやつなんだろうね」

 艶やかな吐息を吐き出し、熱に浮かされたように頬を赤く染めて一歩ずつ、彼女との距離を縮めていく。

 食われると直感した彼女は咄嗟にフォークを投げ、肉も頭蓋骨も貫き、脳にまで達したフォークに気付いていないように歩き続ける彼から逃げるように姿を消す。

 血と涎を口から垂らす彼の瞳は姿を消したメイドを確実に捉えているような動きをみせるが、逃げる彼女を追おうとはせず、再び指に付着した彼女の血液を美味しそうに、愛おしそうに舐め取りながら骨董品屋の中へ戻って行った。

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