第六十七話
段々と声を荒げていく兄妹だったが、ここが病院の中であることと、意味を見出せない兄妹喧嘩に虚無感を覚えたのか、時間経過によって沈静化。
病室内はまるでお通夜が如く静まり返り、けれど彼等を包む静寂はお見舞いにやって来た校長と保険医、そして神代の三名がお見舞い用の果物の盛り合わせを片手に扉を開けたことで打ち破られる。
「酷い有り様だな、バカ弟子」
「酷い有り様になったよ、アホ師匠」
「お見舞いに来たのです。ありがたく思うのです」
「うん。ありがとう」
「フン。狐如きが、生意気な口を叩くな」
「またそういうことを言って。気にしないでね、神代ちゃん。美鈴ってば恥ずかしがっているだけだから、本当はお見舞いに来てくれたことを喜んでいるのよ」
「わかっているのです。この天狗がとぉぉぉぉぉっても面倒臭い性格なのはクラスの全員が知っているのです」
「好き勝手なことを言ぅッ……!」
叫ぼうとしたことで傷口に衝撃が走ったのか、包帯が巻かれている部分を手で押さえながら涙目となり、歯を食い縛って痛みに抗う。
悪戯をするなら今が好機。わかってはいるものの、それは人の道に反した行いと自らの心を律した神代が彼女の肩に手を乗せる。
「無理はしない方が良いのです。習いたての妖術で痛みを誤魔化してあげますか?」
「ッ、余計なことはするな! こ、この程度の痛みに屈するほど、私は脆弱な天狗ではない! 痛いけど、我慢してみせる!」
顔中、脂汗塗れになりながらの力強い宣言。
それが痩せ我慢なことは誰の目からも明らかだったが、意地を張る彼女の意思を優先して引き下がった神代は次いで次光や東間、理香に神凪と話す。
唯一、仁にだけ声を掛けないのは彼が妙齢の女性二人に囲まれているから。
ただ、彼女たちをそういう対象として見たことがない彼にとって、二人に囲まれる状況はあまり嬉しいものではない――というよりできることなら遠慮したい、誰かに押し付けて逃げ出したい状況と言える。
とはいえ、仁は入院中の六人の中で最も重い怪我を負っており、仮に逃げ出したところで今の彼の速さでは校長はもちろん、保険医からも逃げ切れはしないことを理解しているので、嘆息しながら彼女たちに付き合う。
「さて、改めて言うが、また無茶をしたな、バカ弟子」
「師匠の教育のせいですな。後は両親の血と特訓か。トラブルはToでLoveなもの以外は願い下げなんだが、どうにも向こうから舞い降りて来る傾向にあるらしい」
「今回の一件はお前の方から積極的に関わったと聞いたが?」
「失礼な。俺は付き合っただけで、積極的に関わろうとした覚えはない。つまり今回の俺の役割はストッパーであり、トラブルメーカーは別にいたということだ。要約すると俺は悪くねえ、俺は悪くねえ!」
「フン?」
棒読みで叫ぶ弟子より視線を外し、病室内を見渡せば案の定というべきか、東間と理香が不審な態度で露骨に保険医と目を合わせないよう、吹けない口笛を吹きながら適当な方向へ顔をそらす。
その時点で大体の事情を把握した彼女は胸ポケットから新品の煙草を取り出し、校長より火を借りて紫煙を吐きながら彼の頭を乱暴に撫で回す。
「何をするでやんすか」
「あの二人が関わっていた以上、お前の中に断るという選択肢がなかったのは把握した。が、それとこれとは話が別だ。一応、私はお前の両親からお前のことを頼まれているんだ。あまりおいそれと無茶をしてくれるな」
「それこそ無茶でやんす。そもそもアホな師匠がそんな義理堅い性格だという話が信じられないでやんす。あと、本格的にボケない限り、あの二人が俺のことを頼むなんてことはあり得ないでやんす」
「自分の両親のことを信じられないと?」
「今すぐに何処からともなく現れた巨大隕石が地球に落下して、一部の地域を除き、世界が滅びるという話の方があの二人の言葉よりも信憑性が高いでやんす」
「随分と嫌っているな。あの二人が聞いたら悲しむぞ?」
「基本、金と夫にしか興味がない母親と、俺のことを『俺の悪魔』とか呼んでいる父親が俺に何か言われた程度で悲しむと?」
「そんな風に呼ばれていたのか、お前」
「彼は妻や娘には甘かったはずだが、息子には厳しいのか」
「厳しいっていうか、容赦ないっていうか。ちなみに母親のことは『俺の女神』で紗菜のことは『俺の天使』と呼んでいるでござんす。意味がわからんが、母親が神に近い存在と言われて妙に納得している自分がちょっとだけ怖い」
「親バカ――に分類していいのか?」
「さあ。ただ、あの男らしいといえばらしい。このバカ弟子もきっと、息子のことを悪魔呼ばわりして、娘のことを天使と呼ぶのだろう」
「仁に子供ができる、か。想像はできるが、自身の老いについて実感しなければならなくなるかもしれないし、あまり想像したくないな」
微笑を漏らしながらキセルを口から離して煙を吐き出す。
あまり広くない病室に居座るヘビースモーカー二名。
紙巻き煙草とキセルという違いはあれど、本質的にはほとんど変わらない紫煙をハイペースで吐き出す彼女たちによって病室内は瞬く間に煙で汚染され、副流煙より逃れるが如く、神代が窓を全開まで開ける。
病室内に吹き込む穏やかな風が充満する煙を拡散させてくれるが、窓が一つしかないこともあって完全には煙を払えない。
それでも密閉された空間よりはマシと、窓際に避難して荒い呼吸を繰り返している神代を不思議そうに見つめながら保険医が新たな煙草を咥える。
「いきなり窓を開ける、か。別に構わないが、一応、年長者の許可を取ってから行動するべきなんじゃないのか?」
「私も構わないさ。窓を開けたからといって寒くなるわけでもない。それに私たちがこうして居座っているのだから、多少の換気も必要だろう」
「自覚しているのなら少しは自重してくださいませんかね、お婆様方」
「却下だ」
「私はまだ、婆と呼ばれるほど年老いていない」
「ババアはみんなそう言うんですよ。現実を見ない、直視できないまま、無慈悲に流れる時間を呪い、醜く変わり果てて死に絶える。それがババアを待つ末路!」
「……最後の部分、ひょっとしてギャグを言ったつもりなのか?」
「…………」
表情筋を微動だにさせず、真顔で冷たく言い放つ師に対し、仁もまた無表情、かつ口を閉ざしたまま、非常に緩慢な動作で窓際へ移動。
躊躇いなく窓から身を投げ出そうとするも、直前で異変に気付き、後ろから抱き着いた神代に止められてしまう。
「何をしているのですか! 変態が生きるのは辛い世の中かもしれませんけど、だからといって命を簡単に投げ出していい理由にはならないのです! ぶっちゃけ死ぬなら誰にも迷惑が掛からないように死ぬべきなのです! 山の奥ならきっと熊とかが死肉を捕食してくれて自然に優しい死に方ができるはずなのです!」
「止める気、あるのかな?」
「たぶん。悪気はないんでしょうけど、ええ、神代ちゃんらしいかしら?」
「フン。所詮は狐。何を考えているのかわからん上に腹黒さなら狸といい勝負だ。あのような獣畜生、信じるにまるで値しない」
「否定。純粋。馬鹿」
「ああ、神代は純粋なバカだな。計算バカである仁とはまた別の意味で厄介だが、慣れれば面白いから放置しても問題なかろう」
「誰がバカですか! 私はバカじゃないのです! バカなのはこれです! バカで変態でどうしようもないクズなのです! 生きているのが不思議なのです! でも簡単に命を投げ出すのもダメなのですよ!」
「…………」
至近距離からの罵声に、密かに涙目になった仁にもはや抗う気力は皆無。
それでもなお強く強く彼の体を抱き締め、折れている骨や痛んでいる内臓に遠慮することなく力いっぱいに抱き締められた彼の口から苦悶の声が漏れ出る。
聞いているだけで痛くなりそうな苦しみの声。
一番近くで聞いているはずの神代が欠片も狼狽えないのは仁を止めることに集中し過ぎているせいで周りの音の一切が聞こえなくなってしまっているためか。
激痛より逃れたい一心で胴に巻き付く彼女の腕から脱出を果たした仁は、なおも彼を取り押さえようとにじり寄る神代から逃れるようにベッドへ戻り、数度の咳払いを経て何事もなかったかのように振る舞う。
「――とまあ、早速だが本題に入るとして、樹冥姫はどうなったんでやんすか? 古の幻獣に食われて散って終わったんでやんすか?」
「バカ弟子、それを今、尋ねるのか?」
「何をおっしゃいますか、お師匠様。元より私目が気になっていたのはそのことについてのみでございまするよ。他の一切合切が割とどうでもよかったりしまする」
「……まあいい。今のところ、樹冥姫に関する新たな情報は無い、が、樹冥姫が死した直後辺りから奴の分身である花たちも残らず枯れて散ったらしい」
「つまり事件は無事、解決に至ったと。そういう解釈をしてよろしいんですかい?」
「解決に分類していいのかはわからんが。今回の一件、不可解な点が多過ぎる。それに校長たちの話を聞く限り、不完全な形とはいえ、死したはずの樹冥姫を復活させた者がいる可能性が高い」
「例えば、我が麗しの姉弟子とかですかな?」
「……さあな」
渋い顔をして口を閉ざす保険医は苛立ちと一緒に煙草の煙を吐く。
病院内は全域が禁煙。今更ながらに指摘するべきか迷うが、この基本的なルールを彼女たちが知らないと考える方が無理があるので、仮に指摘したとしても聞き流されるか、誤魔化されるかのどちらかと判断した仁はあからさまな嫌悪の表情を顔に張り付け、鬱陶しそうに煙を手で払う。
「まあ、そういうわけだ。後のことは我々に任せて、お前たちは回復に専念しろ。いくら若くて回復力が高いといっても、お前たち自身に治す気が無ければ回復するのに時間が掛かってしまうのだから」
「ういうい。そういえば貞娘先生は無事なんですかな? まあ俺たちがこうして無事な以上、あの人がやられるとは考え難いのですが」
「んっ? お前、彼女が来た時には既に半死人と化していなかったか?」
「辛うじて意識は残っていたでやんす。マジで辛うじてだから、割と朧気になっているでやんすけど、意外と覚えているものなんでげすよ」
「成る程。正直、最初に見た時はもう既に手遅れかと思ったが、魔境の中でも一、二を争う生き汚さは伊達ではないということか。そのしぶとさだけは他の者たちにも見習わせたいものだ」
「見習ってもいいですけど、収めるべきものは収めるべきだと具申致します」
「要するに金が欲しいと。人を集めて講義でも開くつもりか?」
「必要と判断した場合はそれも有りかと。さて、お見舞いのバナーナをそろそろ頂きたいのですが、一つ取ってくれませんか?」
「バナナか。サービスで剥いてやろうか? この細やかな手と指で、中にあるモノを保護している皮を」
「自分で剥くのでいいです。あとBBA気持ち悪いです」
「…………」
面と向かって気持ち悪いと言われ、流石に気分を害する校長からバナナを引っ手繰るように奪い取って皮を剥き、細長い果実に舌を這わせ――躊躇なく噛み砕く。
見ているだけで体の一部に危機感を覚える仕草。特に男性陣は両手である場所を覆い、不審がる女子たちに向けて乾いた笑いを漏らす。
「一応、この場にいる全員に持ってきたんだ。一人で全部食べるな、バカ弟子」
「バナナ美味しい」
「聞いていないな。やれやれ、バナナに熱を上げるのは構わないが、まるで本物の猿のようだぞ」
「無問題。何故なら他のフルーツも全て俺のものォォォォォォ!?」
飛び掛かろうとして全身を駆け巡る激痛に床を転げ回って壁に激突。
吠えることもままならないほどの痛みに呻く仁の姿は自業自得と言ってしまえばそれまでだが、普段の調子を取り戻したともいえるので内心で安堵した神代が鼻を鳴らしながら果物ナイフを片手にリンゴをウサギ型に切り分ける。
鮮やかな手付きは慣れた者の証明。均等に六人分、切り分けたウサギ型のリンゴを皿の上に載せ、仁以外の五人に配ってから最後に仁の口へ運ぶ。
「うう、すまないねえ、神代さんや。ありがとう、そしてありがとう!」
「これくらいなんでもないです。けど、その気持ち悪いしゃべり方はどうにかして欲しいのです。聞いていて不愉快なのです」
「えー」
「えー、じゃないです。私を怒らせると果物を取り上げちゃいますよ」
「すんませーん」
反省する気のない謝罪の言葉を吐き、差し出されたリンゴを食す。
何も掛けておらず、ただ切っただけのリンゴは普通のリンゴに相違ない味を彼の味覚に訴え掛け、瑞々しいリンゴの味に満足した彼は親鳥から餌を貰おうとする雛鳥のように口を開いて次を求めるも、神代は華麗にスルー。
ツッコミさえ入れない神代の冷静な対応に、逆に燃え上がった仁は彼女にツッコミを入れさせようと間違った方向への努力を試み、けれど彼の頭が忘れていようと彼の体は本来なら立つことさえままならないほどの重傷を負っていることを明確に記憶しており、動き過ぎて限界を迎えた肉体は脳の命令に背いて倒れ伏した。
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