第六十六話
目を覚ました彼の視界に映るのは見慣れない天井。
白い何かに阻まれ、著しく悪い視界を無理やり開かせようと手を動かすが、ほんの少し動かそうとしただけで激痛が迸り、悶絶する。
苦悶の悲鳴を上げつつ、自身の現状を把握しようと試みるも悲鳴を上げた時点で咽喉の奥より痛みが込み上げ、転げ回りそうになっては走る激痛に涙を流す。
しばらくして落ち着きを取り戻した――痛みに慣れたとも言えるが――仁は改めて自身が置かれている状況を確認。
感覚のない左腕はギブスで固定され、巻き付いた包帯によって指先一つ見えなくなっており、足も同様にギブスで固定されている。
そもそも全身が包帯塗れ。髪と目、鼻や口は辛うじて包帯を巻かれていないが、それ以外の部分は全て包帯に覆われており、漫画のような現状に苦笑を漏らす。
「ようやく起きたの、仁」
「その声は――理香か。どうやらお前も入院中みたいだな」
「理香だけじゃなくて、僕たち全員入院中だよ。君に至っては三日も寝ていたんだから、随分と心配させられたよ」
「心配。無用。承知。でも。心配」
「そう、だな。心配していないと言えば嘘になる。いくらお前でも、古の幻獣にあそこまで叩きのめされて、虫の息となっていたのだから」
「フン。私は心配などしていない。下等種族の一匹や二匹、くたばったところで私の知ったことではないからな」
「とか何とか言いながら、結構取り乱していたわよね。錯乱の末に絶対安静って言われていたにもかかわらず、お祈りのための道具を買いに行こうとしてたし」
「わ、私は心配などしていない! 出鱈目を言うな、理香!」
「……賑やかな病室だねー」
他人事のようにつぶやきながら体を起こし、辛うじて動かせる右腕を使ってカーテンを開ければ彼ほどではないが、重傷を負った面々と顔を合わせる。
全員が生気に満ちた顔をしており、真っ赤になって恥ずかしがっている美鈴を含めて生きている姿を見せた仁にホッと一息つく。
「いやー、それにしても厄介な仕事だったなー。真面目に死を覚悟したのって人生で何度あるか、わからんぞ」
「樹冥姫も厄介だったけど、それ以上に古の幻獣がどうしようもなかったね。ほんと、生きているのが奇跡に思えるよ」
「我等天狗と比べればあの程度の生物など――と、言いたいところだが、あの強さは認めざるを得んな。大天狗様には及ばないが」
「無理だろ。大天狗と同格と呼ばれている校長でさえ事実上、手も足も出なかったんだぞ? しかも腕力だけなら魔境随一と名高い貞娘先生が加勢してなお、だ」
「正面から挑んで勝てないのならば、別の方面から攻める手もある」
「例えば?」
「……い、色仕掛け、とか?」
「絶対に通用しない戦術をありがとう。参考にもならないが、美鈴がバカなことを言っていたということは記憶しておく」
「う、五月蠅い! 私だって通用しないことはわかっている! だが、もしかしたらというか、奇跡的な確率で通じるかもしれないだろう!?」
「ゲーム風に言えば誘惑無効の敵を延々と誘惑し続けるようなものだと思うが」
「確率0%でも実際には小数点以下の確率で盗めます、とかと似たようなもの?」
「何よ、それ? 0%は何をしても0%でしょ? だって0%なんだから」
「何を言っているのか、よくわからないけど、言いたいことはわかる絶妙な言い分に感心するべきなんだろうか」
「理解。可能。意味。不明」
「兄上も仁たちも、一体何を言っているのか、私にはまるでわからない」
「わからない方が幸せなこともあるぞ。ところで起きたばかりで恐縮だが、トイレに行きたくなってきたので誰か手伝ってくれ」
「そこに尿瓶が置いてあるけど」
東間が指差す場所には確かに尿瓶が置いてあり、ある程度、体を自由に動かせる五人には不必要――つまり仁専用の尿瓶であることが窺える。
普段なら平然と尿瓶を使っていたであろう彼は、しかし身動きが取れないから尿瓶を使うのは何かに負けた気がするため、尿瓶を使うことを拒絶。
使い物にならない左手足を完全に壊れてはいない右手足で補助しながらベッドより転がり落ち、片腕匍匐前進でトイレへ向かう。
「病院の床ってばい菌だらけな気がするけど、いいのかな?」
「まあ仁自身が雑菌そのものみたいなものだし、他の菌が体内に潜り込んでも仁の菌が駆逐しちゃうんじゃない?」
「ある意味、羨ましい体だ。まあ憧れはするが、なりたいとは思わないがな」
「改造。保険医。耐性」
「ああ、そっか。昔から保険医に体を魔改造されているから、今更どんなばい菌が入り込んできても通じない体になっている可能性もあるのか。納得」
好き勝手なことを言う友人たちの藁人形を作り、丑の刻参りで報復することを誓いながら壁を使って片足立ち。
一歩ずつ跳ねてトイレまで行き、至福の一時を過ごしてベッドへ戻る。
「お帰り、どうだった?」
「たくさん出た。色的にも問題は無さそうだったぞ。んで、次光、今の俺たちには他にやることもできることも無さそうだし、取り敢えず樹冥姫事件についての話を聞きたいんだが、いいだろうか」
「……わかった。暇潰し程度でいいなら、簡潔に話そう」
次光の口からポツポツと語られるこれまでの経緯。
美鈴とともに校長から異変の調査を依頼され、遂行中に樹冥姫の一部と遭遇。
復活して間もないためか、力は非常に弱かったものの、万が一、復活したのなら相応の被害が出ることになるため、大人たちの間で会議が開かれ、完全復活する前に討伐することが決められる。
が、魔境内で活動していたのは本体ではなく花。
それも昔とは異なり、見知らぬ眷属たちを率いていることから本当に樹冥姫の仕業なのかについて議論となり、加えて本体が魔境の外にいることも手伝い、政府との交渉が長引く事態へ陥ってしまう。
これにより大人たちは下手に動けなくなったため、本来なら既に役目を終えていた二人に声が掛かり、神凪もその場に立ち会っていたという理由で巻き込まれ、妖狐からは二尾の神代が派遣されることに。
妖術や道具を用い、四人で協力して樹冥姫本体の位置を特定後、監視の意味も込めて周辺で待機――のはずだったのだが、復活する前ならば、力を合わせれば倒せると、妙にやる気になっていた美鈴に言い包められ、穴掘り開始。
「で、俺たちと合流して、やっぱり樹冥姫には勝てなかったよ、的なオチになってしまったと。そういう解釈でいいのか?」
「概ね、そんなところだ。結局は相手を侮り過ぎたこちらに非がある。おとなしく監視に徹していれば、このような怪我を負わずに済んだかもしれない」
「それはどうかな? 例えお前等が監視に徹していたとしても、怒りに震える東間や理香が余計なことをして全てを台無しにしていたであろうことは想像に難くない」
「まさか。お前ならともかく、その二人がそんな無茶なこと、を?」
視線を合わせようとせず、明後日の方向を向きながら口笛を吹いている二人を仁がそれぞれ半眼で睨む。
あからさまに不審な態度。というより彼の言葉を肯定しているようにしか見えない彼等に次光はなんと声を掛ければいいのか、迷った末に咳払いをして誤魔化す。
「まあ、なんだ。そういうわけで、いくら力が衰えているといっても樹冥姫相手では何が起きるかわからない。だから俺たちは事情を知らない他の奴等をそんな危険なことに巻き込みたくなかった」
「おいおい、巻き込みたくなかったからって俺にも話さないとか、薄情な奴だな。そんなに俺のことを信用できないのか?」
「まさか。お前のことは信用している。が、お前の場合、話すと面倒なことになりそうだったから何も言わなかっただけだ」
「酷え」
「酷くはないだろう。大体、気になるのなら何故直接、尋ねて来なかった? 訊かれれば俺たちも誤魔化さずに全てを打ち明けていたぞ。誤魔化す方が面倒なことになりそうだしな」
「つっても、俺はその辺の情報をまったく持っていなかったからな。情報を聞こうにも手掛かり一つない状態じゃ、キツいを通り越して不可能だろう?」
「何を言っている。神凪と一緒に俺たちが襲われている場面に遭遇しただろう。あの時点でお前は何か嗅ぎ取っていたんじゃないのか?」
「何の話だ?」
「何の話って――」
神凪と顔を見合わせる次光は二人揃ってとぼけた発言をする仁の目を真っ直ぐに見つめて真意を探りに掛かる。
しかし彼の目にあるのは正真正銘の困惑。それ以外の真意は存在せず、首を傾げる仁が本当に何も知らないことを確信する。
「……どういうことだ? 一時的な記憶喪失か?」
「不明。でも。無知。事実」
「どうやらそのようだな。何があったのかはわからないが、成る程、何も知らなければ尋ねようがない、か。まあ今更といえば今更なことだ」
「今更といえば、魔境にいた巨人たちの死体が干乾びていたのって夜の人たちの仕業かと思っていたけど、もしかして花に養分を吸い取られていたのかな?」
「その心は?」
「巨人騒動と今回の件って繋がっていたんだよね? ってことは樹冥姫を復活させた人と、巨人を創って解き放った人は同一人物の可能性が高い。それにあの巨人たちは戦力としては微妙みたいだったけど、養分として見れば大きい分だけたくさんの養分を樹冥姫に与えることができたのかな、って」
「成る程。奴等は魔境を襲うことだけが目的ではなく、樹冥姫が復活するための糧としての役割も担っていたのか。となると、死体を回収していた奴等も樹冥姫を育てるために巨人たちの死体を回収していたのかもしれんな」
「あー、要するに面倒事はまだ解決していないと、そういうことか?」
「そういうことかもしれない、って段階だよ。確証はないからね」
「ただ、注意を怠らない方がいい。入院中に襲われて死亡などと、くだらないオチだけは避けたいところだからな」
「緊張。重要。弛緩。重要。程々。大切」
三人に諭され、仁は納得して頷き、ついでに女子たちにも意見を求めようと視線を動かしてみるが、彼女たちは彼女たちで明るく談笑中。
男子として女子の楽しいおしゃべりを止めるのも気が咎める、と、一旦、二人の存在を無視して男子たちは男子たちの談話を再開する。
「張り詰め過ぎず、緩め過ぎず、適度な緊張感を持て、か。さっさと黒幕でも何でも出てきて、とっととくたばってくれると楽なんだが」
「他にも気になったのは、古の幻獣が樹冥姫を食べたその理由かな? どう見ても巨大な球根にしか見えないし、とてもじゃないけど美味しそうには見えなかったよ」
「そこは味の好みがあるから何とも言えんが、古の幻獣にとっては美味しそうに見えたんじゃないのか? 案外、樹冥姫が全盛期の頃にも密かに襲い掛かって、食べていたりして、な。で、その味を覚えていた古の幻獣がお腹を満たすために颯爽と現れて奴を食し、野菜を食べたら肉が食べたくなったんで理香を襲おうとした?」
「……その通りだとしたら傍迷惑以外の何物でもないな」
「だから天災に分類されているんだろう。外でも内でも『遭遇したら運が悪かったと思って諦めろ』なんて言われているくらいだからな」
「災厄。予期。不可能。厄介」
「神出鬼没の災害、か。ほんと、天災だね」
「違いない」
過ぎたことに苦笑する彼等は災厄に遭遇しながらも重傷で済んだ喜びを改めて分かち合うと同時、再び災厄と遭遇する可能性を考えてしまい、背筋を凍らせ、恐怖を誤魔化そうと話題を探すが、良い話題を見つけられずに沈黙。
静かになる男子たちのことを気にせず、理香を美鈴は談笑を続け、やることが無くなった彼等は暇潰しに女子たちの会話に耳を澄ませるも、すぐに気付かれて睨まれてしまったので明後日の方向を見てやり過ごす。
「ったく、油断も隙も無いんだから」
「兄上、情けない真似をしないでください。我等、天狗の誇りを傷付ける者は例え兄上といえど粛清しなければなりません」
「そこまでしなくてもいいんじゃない? 盗み聞きを許す気はないけど、罪には罪に相応しい罰があるものでしょ?」
「甘いな。罪は罪であることに変わりはない。そして何を罰とするかは裁く側が決めるべきこと。法に委ねられんというのなら、私の一存で決めるしかない」
「だって。というわけで盗み聞きしている男子たち。覚悟はいい?」
「良くない」
「盗み聞きって、僕たちは黙っているだけだよ。遮る物が何もないんだから、聞こえちゃうのは仕方がないことだろう?」
「同意」
「その通りだ。だから聞こえてしまっても盗み聞きにはならない。そもそも内緒で話をしたいのなら、声を潜めるなり、別の場所で話すなり、方法はあるだろう!」
「見苦しいですよ、兄上! 兄上も天狗ならば、おとなしく己の罪を受け入れるべきです! そんな様では大兄上に顔向けできません!」
「理不尽に盗み聞きの罪を着せられるのなら、見苦しくも往生際が悪くもなる!」
「それでも誇り高き天狗ですか、兄上!」
病室で繰り広げられる兄妹喧嘩。
見ず知らずの他の患者が同室ならば確実に一騒動起こしていた醜い口論。
焚きつけた理香もここまで派手な口論になるとは想像していなかったらしく、他の男子たちに半眼で見つめられると愛想笑いを浮かべて視線を斜め上へ向けた。
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