第六十二話

 異変を察知して飛び出す四人と三人を庇う一人。

 戦力外の三人を単独で守らなければならないメイドの負担を少しでも軽くするため、仁たちは可能な限り、異形の花々を引き付ける。

 それは紛れもない無謀な行為。勝ち目のない戦とわかっていながら戦わなければならない状況に生じた絶望を戦意で誤魔化す。

 もはや現実を直視することさえできない彼等は死地へ飛び込み、一体でも多くの花々を道連れにするため、得物を振るう。

「頑張ってください! もうすぐ――」

 張り上げられる神凪の声も戦闘中の四人の耳には届かない。

 後先を考えない者は強いというが、彼等もまた流星が如く光り輝き、次々に花の命を奪い尽くしていく。

 文字通り、己の身を省みない戦闘行動。伸ばされる五指に背中を貫かれようと、首を締め付けられようと、胴を持ち上げ、叩きつけられようと止まらない。

 否、正しくは止まらないのではなく止まれない。

 例え肉体が限界を超えようと、止まらなければ動くことはできる。

 本当の意味で動けなくなったその時こそが彼等の最期。

 肩を掴まれ、左腕の骨をへし折られた仁は空いた右腕で花の首を掴み、頭を食い千切っては不味そうに吐き出し、口を拭う。

「チッ。花のくせに不味いな。花なら蜜の味くらいすると思ったのによ」

「こんな花に蜜を期待してどうするのさ!」

「っていうか、いい加減にその悪食は直した方がいいわよ! その内、食あたりを起こして死んじゃうかもしれないんだから!」

「フッ。甘いな、理香! 俺は犬や猫はもちろん、狐も狸も蜘蛛も蠅もGも地球外生命体も霊体も食したことがあるんだぞ! 俺に食えないものはあんまりない!」

「自慢して言うことか! ゲテモノ食らいの下等な雑種が!」

「ゲテモノとは失礼な! 本当のゲテモノって言うのはお前等が考えているよりも遥かに悍ましいんだぞ!」

「それには同意! 真のゲテモノはそもそも料理と呼べないようなものだからね!」

「へえ、そんなものがあるの。一度、見てみたいわね!」

 戦闘を放棄してでもツッコミを入れそうになった二人は辛うじて堪え、やり場のないツッコミ心を力に変えて敵を討つ。

 まさかツッコミできない八つ当たりを受けているなど露ほども考えていない花々は急に動きの鋭さを増した二人に戸惑いながらも数の暴力で圧倒。

 始める前からわかっていた、押され始める経過に誰もが納得しながらも抗うことはやめず、折れた左腕で花を殴れば逆に絡め取られ、捻じ切られそうになる。

「させない!」

 割り込んだ東間の斬撃が蔓の腕を切り落とし、即座に再生した蔓の腕が今度は東間の腹部を刺し貫く。

 内臓を傷付けられたのか、口から多量の血液を零す彼を連れて一旦、下がろうとした仁の足を捕らえる蔓の鞭。

 切っても切っても新しい蔓が彼の足に巻き付く上、切られた蔓も数秒で再生を果たすので真実、無意味な行動。

 気付けば異形の花々に囲まれ、四方八方から蔓の腕による私刑が始まる。

 移動不能となった彼にできることは東間の体に覆い被さり、少しでも彼の身を蔓の腕から守ること。

 打ち据えられ、時には貫かれ、血を吐きながらも東間を守り続ける仁の姿は例えるなら身命を賭して必死に外敵から我が子を守ろうとしている親か。

「仁! 東間!」

「ッ、世話の焼ける! やはり下等種族か!」

 意識を二人に割いたことで周囲への警戒が疎かになった二人を待っているのは蔓による捕縛という未来。

 翼を締め付けられ、地に落ちた美鈴の四肢を貫く蔓の腕。

 先に美鈴が襲われたことで理香は周りへの警戒心を取り戻すも、三人が事実上、行動不能となった今、彼女一人にできることなどたかが知れている。

 だからといって諦める性質ではなく、異形の花々のやることも変わらない。

 見るも無残な惨劇の場。友人や妹が物言わぬ屍へ近づいてく光景を見せつけられていることに次光や神凪は耐えられず、戦地へ赴こうとするもメイドに制される。

「邪魔!」

「悪いが、通してくれ! このまま黙って見ていることなど、俺にはできない!」

「ご冗談を。そのような体で何ができるというのですか」

「何ができるかなんて関係ない! ただ、今動かなければ俺は俺を許せなくなる!」

「同意。友達。助ける!」

「私は皆様を守るようにお嬢様より命を受けました。ですので、例え神凪様や次光様が犬死を望んでいられるとしても許可するわけには参りません」

「ッ、そうだとしても俺たちは黙って見ていられない! 犬死することになっても俺たちにアイツ等を見捨てることなんてできない!」

「退く。邪魔。排除」

 残された力を振り絞ってでもメイドを突破しようとする彼等にため息を――それも多分に苛立ちを含んだため息を吐き出し、死角から潜り込む蔓を踏み躙りながら殺気がふんだんに盛り込まれた目で彼等を睨む。

 とてもではないが護衛対象に向けるべきではない鋭利な眼差しは彼女の内心を象徴しており、二人を恐れ戦かせるには十分な殺意であったが、恐怖に震えながらも友のためにと一歩を踏み出す。

「……やれやれ。少しは神代様を見習われたら如何ですか? この状況下でも神代様は眉一つ、動かしておりませんよ?」

「人を冷血漢みたいに言わないでください。私だって怒っています。でも、そこの二人と同じように、私にできることなんて何もありません」

「ッ、だが、黙って見ていろと言うのか! 俺には、そんなこと!」

「黙って見ていろなんて誰が言いましたか。私たちは子供です。どれだけ大人ぶって振る舞っても全然未熟な子供なのです。そもそも私には九尾になるという夢があるのです。その夢を叶えるためには絶対に死ぬわけにはいかないのです」

「だから仁たちを見捨てると? お前にとってアイツ等はその程度だと!?」

「いい加減にしてください。そろそろ本気で怒りますよ。……未熟者は未熟者と認めるしかないのです。ここまでの事態になってしまったのも私たちの楽観視が原因なのです。ですから私は、後でお説教を覚悟で妖力で念話したんです」

「念話?」

「誰に何を――まさか、お前!?」

「たいしたことは伝えてません。重要なのは念話したこと。つまり私たちの現在位置を伝えたことです。多少移動してもこれほどの騒ぎ、結界で隠されていてもあの方が気付かないわけがありません」

「その通りだ。中々厄介な結界が張られているようで、少し骨を折ったが」

 女性の声に振り返る花々が最期に目撃したのは青白い炎。

 熱を有していない幻惑の炎は熱さを伝えることなく、しかし異形の花々や蔓は一欠片も残さず、満遍なく焼き尽くす。

 灰すら残らず、何もかもが焼き尽くされた後に残るのは花々と蔓以外。

 土や草にも燃え跡一つ残っておらず、瀕死になって横たわる仁と東間、満身創痍ながらも立ち上がる美鈴と理香がキセルを吹かしながら頬を痙攣させている九尾の妖狐の出現に冷や汗を掻きながら逃げの一手を打とうとする。

「逃げたら説教の時間が倍になる」

「す、すみません、校長! これには深いわけが!」

「言い訳を聞くつもりもない。が、お前たち、これは一体どういうことだ?」

「き、狐如きに――ヒィィィ!?」

 いつものように強がろうとした美鈴を一睨みで黙らせ、紫煙を吹かす彼女は校長室でふんぞり返っている時とは比較にならない怒気を放つ。

 メイドさえも気圧され、逃げ出したくなる衝動に駆られる獣の波動。

 妖狐たちの頂点に君臨する最強の妖狐の怒りを前に、学生たちはただただ黙して震え上がることしかできない。

「私は事情を聞いているんだ。お前たち、どうしてこんなところにいる?」

『――貴様こそ、何故ここにいる。かつて妾を滅ぼさんとした九尾の妖狐よ』

 足元から生え、彼女の足に絡みつく無数の蔓。

 絡みついたと同時に燃やされ、灰となっては新たな蔓が生えるのだが、どれだけ生えても瞬く間に燃やされてしまい、しかし蔓が燃やされている間に異形の花々が地中から姿を現す。

「相変わらずの数頼みの戦法か。それも自分が増えるために他の植物や妖怪たちを餌とするやり方は変わっていないようだな」

『ほざけ。妾は妾さえいれば良い。それが大妖怪の在り方というものだ』

「貴様と大妖怪の定義について言葉を交わすつもりはない。私の学校の生徒たちを随分と可愛がってくれたようだ。彼等とは後でじっくり話すとして、貴様には礼をしなければなるまい」

『礼か。それならばお主の命などどうじゃ? 貰うたところで使い道などない、ゴミに等しいものじゃが、狐が渡せるものなどそれくらいじゃろう?』

「親切心から忠告しておいてやる。このまま戦えば貴様は確実に負けるぞ」

『ほう? これはまた異なことを。年老い過ぎて耄碌しおったか。お主一人の力では妾を倒せなかったのを忘れたおったのか?』

「覚えているとも。確かに私の力は当時とほとんど変わらない。いや、もしかすると衰えているかもしれん。だがお前はどうだ? 子供たちに簡単に花を散らされるほど弱体化したお前が私に挑むだと? 出来の悪い冗談にしか聞こえぬぞ」

『妾が、弱くなった?』

 自身の掌を見つめ、考え込む異形の花々を一瞬の内に焼き払う狐火。

 熱さも痛みも感じさせず、ただ花を跡形もなく焼き尽くすだけの業火に悲鳴すら上げられず、花々は灰燼に帰す。

 しばらくして新たに生える花々の数が先程よりも少ないのは、大量に生やしても刹那で焼き尽くされてしまうからか、はたまた大地に花を生やすための養分が足りなくなってしまったのか。

 花の顔にそこまでの焦りが無いことから前者であることが窺えるが、校長は興味無さそうに紫煙を吐いて肩をすくめる。

「今の一撃で証明された。やはり貴様は弱くなっている。かつての貴様なら今の一撃など花一輪、片手で防いでみせた」

『……口惜しいが、どうやらその通りのようじゃな。妾に全盛期ほどの力は無い。どうやらお主の相手をするのはまだ早かったようじゃ』

「自分を冷静に見つめることができれば成長に繋がる、とでも言ってやりたいところだが、生憎と貴様には成長する暇を与えてやるつもりはない。弱くなった相手を嬲る趣味もない。疾く、葬ってやろう」

 突き付けられたキセルの先に渦巻く炎が宿り、蛇のようにうねりながら花々に巻き付き、焼き尽くす。

 まるで己の意思を持っているかの如く蠢く炎の蛇たちは花々が燃え尽きるのを見届けると大地に穴を開け、地中へ潜って行く。

「さて、これで終わるかどうか、少しだけだが見物にはなるか」

「どういう意味だ?」

「なに、奴が潜んでいる場所の見当はついている。だから燃やすだけだ」

「そんなことができるのか?」

「できる。が、無意味だと思っていたからやらなかった。かつて対峙した奴はあの程度の炎では傷一つ付けられなかったからな。だが、今は――」

『グゥォアアアアアアアアアアアアア!?』

 豪邸の庭から空に向けて飛び出すのは直径3mを超える巨大な球根。

 炎の蛇たちに絡みつかれ、全体を焼かれる球根の中央にある一つ目が光を放ち、自らに纏わりつく蛇たちを掻き消す。

『ハァ、ハァ、ハァ』

「もしかして、アレが?」

「そうだ。アレが奴の本体。かつては本当に追い詰められた時にだけ出てきたんだが、昔の強敵が見る影もないほど衰えているというのは複雑な気分だな」

 幾ばくかの寂しさを滲ませ、煙を吐いた彼女に球根から生えた蔓が巻き付く。

 鉄柱を容易く両断する力を有した締め付けに、校長はつまらなそうにキセルを吹かすだけでほぼ無反応。

 彼女が苦しんでいないことを訝しむ様子もなく、怒りのままに彼女の胴体を締め付ける空飛ぶ球根こと樹冥姫本体は巻き付かせる蔓の数を増やす。

『妾を、よくも妾をこのような目にィィィィィィ!』

「……聞くに堪えん。見るに堪えん。ここまでの醜態を晒すとは、悲しくて涙を流してしまいそうだ」

「ハンカチをどうぞ」

「すまない、神代。後で洗って返そう」

「もったいなきお言葉です、校長先生」

『死ねェェェェェェェェェ!』

 首にも足にも頭にも蔓が巻き付き、渾身の力で締められる。

 如何に校長が九尾といえど、樹冥姫は決して弱い妖怪などではなく、加えて相手は瀕死にまで追い詰められた獣。

 よしんば猫と鼠ほどの力の差があったとしても全力で噛みつかれたなら勝敗がひっくり返ることもあり得ると心配する東間たちとは異なり、神代は絶対的信頼に満ちた瞳で校長を見つめる。

「心配も信頼も、どちらも悪くない。ただ、強敵が相手ならともかくこの程度の敵に心配されるとショックではあるか」

「だってアンタ、普段は滅多に力を見せないじゃん。むしろ油断しまくって、実力を発揮できないまま倒されても不思議じゃないじゃん」

「お前にだけは言われたくない言葉だな。あと、音もなく復活して私の背後に立つな。反射的に縊り殺したくなる」

「おお、怖い怖い」

「フッ。まったく」

 口調は平常、心情は異常。

 縊り殺されなかったことに心底安堵する仁は胸を張って校長の後ろに隠れ潜む。

 普段通りの行動を取る彼が内心では恐怖に震えていることを見透かす校長は、それでも表面に出さないことを心の中で褒め称え、そろそろ煩わしくなってきた蔓を狐火で焼き払い、宙に浮いている樹冥姫本体に掌を向けて火炎弾を放った。

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