第六十三話

 巨大な球根に向けて放たれた火炎弾。

 迎え撃つは球根の瞳が放つ怪光線。

 ぶつかり合う力と力。ただ、放つ両者の纏う雰囲気は余裕と焦燥であり、徐々に崩れていく均衡が彼女たちの力の差を証明している。

「終わりだ」

『クッ……クソォォォォォォォォォ!』

 下手に対抗したせいで逃げる機会をも失い、かといって怪光線の放出を止めればその瞬間に火炎弾が直撃し、燃え尽きることは必定。

 八方塞がりになった樹冥姫本体は怨念の込められた瞳で火炎弾の先にいる九尾の妖狐を睨むことしかできず、魂魄のみになろうと永劫、彼女を呪い続けるほどの恨みを残しながら抵抗をやめる――

「んっ?」

 大地を割って現れた巨人が数体。

 火炎弾と怪光線の間に出現した彼等は当然、強大な二つの力に挟まれて見る間に絶命の一途を辿る。

 何をしに現れたのか、本気でわからず困惑する校長と樹冥姫本体だったが、生き残る好機と判断したらしく、己の出せる限界の速度で逃げ出す。

「逃がさん」

 続けざまに放たれる火炎弾は全て地中から湧き出す巨人が肉壁となって阻み、己の命と引き換えに樹冥姫への追撃を阻止する。

 反撃は無い。校長はもちろん、弱っている仁たちを狙うような真似もせず、肉の壁としての役割を貫き通す巨人たち。

 彼等の瞳に意思はなく、ただ命令に従うだけの人形。

 倒しても倒しても際限なく湧いてくる巨人たちに辟易した校長は大規模な妖術で樹冥姫ごと全てを薙ぎ払いに掛かる。

「待て、BBA」

「何故止める。それとこれは皆の前で堂々とBBA呼ばわりしたことへの制裁だ。甘んじて受け入れろ」

 裏拳一発。たいして威力はないが、瀕死だったのであっさりと倒れる仁の代わりに校長を止めるため、神妙な面持ちで近づく神代。

 その際に尊敬する九尾の校長をBBA呼ばわりしたからか、はたまた彼女と親し気に話していたことに嫉妬したのか、倒れる彼を堂々と踏んづけるが、注意する者はいなかったので踏まれた仁が密かに涙を流す。

「校長先生、少し待ってください」

「お前もか。どうして私を止める? まさかアレを始末するななどとは言うまいな」

「そんなことは言いません。ですがここは街中。そのように大規模な術を使っては街に甚大な被害が出てしまいます。もう既にアレに荒らされて滅茶苦茶に壊されていますが、それでも全てを焼け野原に変えるのは賛同致しかねるのです」

「……むぅ」

 冷静に諭され、掌に生み出した小さな光球――圧縮された掌サイズの太陽を握り潰して霧散させる。

 なお、彼女が光球を解き放っていた場合、この街どころかかなりの規模の土地が一瞬で焼け野原に変わり、尋常ではない被害が出ていたのだが、そのことに気付けたのは熱くなって術を構築してしまった校長本人だけ。

 危うく戦争の引き金を引き掛けた彼女は罰が悪そうに苦笑し、立ちはだかる肉壁たちを焼き尽くして地平線の彼方へ逃げ遂せる樹冥姫本体を眺める。

 結末に納得できないものの、これ以上は気を張っても無駄と臨戦態勢を解いた彼女は倒れている仁が不意に仕掛ける足払いに反応できず、仰向けに転ぶ。

 悪戯だとしても空気が読めないにもほどがある行いに、大人として教育的指導を施さんとする彼女の視界を何かが通り過ぎる。

 それは先程地平線の彼方へ逃げ遂せたはずの樹冥姫本体。

 大地を転がる瀕死のソレの傍に着地する、魔境随一の危険生物に校長は全神経を研ぎ澄ませて戦闘態勢を取る。

『ア、アァ、ァァァ……』

 もはやまともに言葉を紡ぐこともできなくなった、樹冥姫本体の体に遠慮なくかぶり付く古の幻獣。

 意外と珍味なのか、一定の速度で食事を続ける古の幻獣は何かを思い出したように顔を上げて校長たちを見る。

「……何か、私たちに用でもあるのか?」

「問い掛けることに意味があるとは思えんが」

「貴様は黙っていろ。死にたいのか?」

「いや、なんかもう恐怖を感じるセンサーみたいなものが完全に壊れちゃったみたいで。どうせ死ぬなら思い切り話をして死にたいかなー、と」

「安心しろ。私の目の前で生徒たちを死なせるつもりはない。私の命と引き換えにしてでも、お前たちが逃げられるだけの時間は稼ぐつもりだ」

「それはありがたい。けど、残念ながら九尾の妖狐様の命じゃ俺たちが逃げ切るだけの時間は稼げないと思いますが?」

 反応しないのはこれ以上の会話は不要故か、あるいは彼の言葉を否定できる要素が見つけられなかったからか。

 しばらく仁たちを見つめていた古の幻獣は再び樹冥姫本体にかぶり付き、欠片も残さず全てを平らげる。

 それで終わりならばどれだけ幸福であったか。

 口元を手の甲で拭った古の幻獣の食欲は満たされなかったらしく、見ようによっては間が抜けているような、愛嬌さえ感じられる表情で踏めば潰れる――潰したことにさえ気付けない蟻たちを一匹ずつ品定め。

 既に腕を食ったことのある仁には興味がないのか、真っ先に彼のことを標的から外し、次いで右端から順番に見回していく。

 全員を見回した古の幻獣のお眼鏡に適ったのは恐怖で動けない理香その人。

 古の幻獣の狙いを悟った校長が太陽が如き灼熱の光球――それも手加減なしの、この国はおろか、星そのものを蒸発させかねない超高熱量の玉を解き放つ。

 寸前で光球が握り潰され、掌にほんのりと火傷のようなものを負った古の幻獣は校長を称えるような笑顔を浮かべ、デコピンを一発。

 彼方へ飛ばされる校長が戻ってくるまでどれほどの時間が必要になるのか。それ以前に校長は今の一撃を受けて生きていられるのか。

 気になることは山のようにあった。しかし問うべき相手はおらず、問うている時間も彼等にはない。

 邪魔者を排除した古の幻獣は予定通りに理香を食らわんと迫る。

 が、仁の時のように一瞬で奪うのではなく、見せつけるようにじっくりと食しようとしたため、その動作は非常に緩慢。

 すなわち動きになれば動けるし、逃げる気になれば逃げられる。ただし逃げたとしても逃げ切れる可能性は限りなく低い――むしろ不可能であり、そもそも彼等は怪我を差し引いても満足に動くことさえままならない。

 恐怖を感じる機能が壊れた仁でさえ、間近にいる古の幻獣の圧倒的存在感に動くことができず、標的の理香に至っては恐怖のあまり、意識が朦朧としている。

 抵抗しない獲物に遠慮なくかぶり付こうとする古の幻獣。

 恐らくは理香以外が標的だったなら誰も動けなかった。目の前で友人が食い殺されるのを黙って見ているしかなく、その心の傷は死ぬまで残り続けていた。

 だが理香が食われそうになっている事実に、意地が仁の体を突き動かす。

 全身に走る恐怖に呑まれながらも拳を振るい、古の幻獣の頭を殴りつける。

 砕けたのは仁の拳。右腕から噴き出す血に、けれども痛みが恐怖を上塗りしたおかげで自由に動けるようになり、渾身の力で古の幻獣の腹を蹴り穿つ。

 効果はない。古の幻獣にとって蠅が止まったのと何も変わらず、仕掛けた仁の足の方が砕け、裂けた足から出血が漏れ出る。

 反撃されていないにもかかわらず、一方的に砕け散る己の肉体に、仁は痛みを無視して飛び回り、古の幻獣の正面に立つと眼球に向けて人差し指で貫手を放つ。

 どれほど鍛え上げられた鋼鉄の肉体を持っていようと、目玉は鍛えようがない。

 その目論見は間違っていない。眼球はどのような生物にとっても急所の一つとして数えられるべきもの。

 だから間違っているのは恐らく古の幻獣の方。生物に分類されているはずの古の幻獣の眼球に突き刺さった仁の指が捻じれ、へし折れる。

 砕けた拳を無理やり動かした結果、更に砕け散ったことにもはやどんな反応を示せばいいのかわからなくなり、取り敢えず乾いた笑みを漏らす。

 古の幻獣の眼球は無傷どころか、目に攻撃を受けて初めて古の幻獣は仁が自身を攻撃していたことを認識したらしく、驚いたように目を見張る。

「……よう、どうだ? 俺の攻撃は。少しは効いてくれたのか?」

 振るわれる手が起こす風圧が彼の体を宙に舞い上がらせると同時、腹を始めとした全身を切り刻む。

 撒き散らされる血液。地面に落ちた仁は血を吐き、涙を流しながら立ち上がる。

「それが、答えかよ。少しくらい、堪えてくれると嬉しかったんだがな」

 振り返る古の幻獣が初めて発する怒気。

 食事の邪魔をした彼への明確な怒り。おかしくなりそうな恐怖に涙と涎が流れ、それでもなお歯を食い縛って一歩前進。

 自身の怒気をまともに、それも至近距離で受けながら前進してみせた彼に古の幻獣は僅かばかり彼のことを称える気になったのか、軽い拍手を送ってはその命の灯を断つべく片手を振り上げ、数本のフォークが当たったことで視線を動かす。

 振り向いた方向には誰もいない。代わりに死角へ潜り込んだメイドの蹴りが右の頬に当たり、まったく怯まずに彼女の足を掴むと仁の方向へ投げようとした瞬間に違和感を覚え、彼女の足を放してしまう。

 その隙に仁の傍へ撤退したメイドはフォークとナイフを取り出し、彼を庇うように殺気を放って威嚇する。

「……メイド、さん?」

「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」

「っていうか、いつの間にかいなくなっていたけど、何処に行っていたんだ?」

「急用ができてしまいまして。まだ片付け終わってはおりませんが、よもやこのような事態になっているとは想像もしておりませんでした。申し訳ございません」

「そんな、何度も謝らなくていいって。こんなことになるなんて、誰も想像できていなかっただろうし、メイドさんが来てくれて安心はできた。ぶっちゃけ、事態が好転したとは思えないけどな」

「同意致します。……まさか、かの幻獣と相対することになるとは。こうなってしまった以上、私も覚悟を決める必要があるかもしれません」

 握り締められる拳から零れ落ちる汗。

 他の者たちほどではないが、微かに震えるその体から発せられる感情は恐怖。

 希望を見出せない現況に、絶望に呑まれまいと抗う彼女を見て、場違いながらも惹かれる何かを感じた仁は湧いた感情を誤魔化すように問い掛ける。

「一応、訊いておくけど、勝算は?」

「ある、と答えることができるのでしたら、私には現実が見えていないか、現実から逃避しているのだと思われます」

「やっぱりですかー。こんな時に秘めたる力が覚醒したとか、中学二年生的な妄想通りの出来事が起きてくれると助かるんだけど」

「可能性に賭けてみられますか? 成功の保証は致しませんが」

「冗談。まあ軽口を叩けるだけの余裕があるのは素直に嬉しいかねー。というか、仕掛けて来ないところを見るに、実はもう俺たちに興味を失っているとか――」

 正面にいた古の幻獣が背後にいることを悟れたのは今までの戦いの中で培ってきた生存本能が勝手に働いたから。

 振り向きながら反射的に蹴りを放つ二人に古の幻獣は何もしない。

 無防備な背中に蹴りが当たる寸前でメイドは自らの体勢が崩れるのも厭わず、全身全霊で蹴りを外し、彼女に釣られながらも完全に蹴りを外すことは叶わず、体表を掠めた仁の足の肉が大きく裂ける。

「反撃、されていないよな?」

「反撃する必要などないということでしょうか。どちらにしても仁様、その足では戦うことなどできません。理香様を連れてお逃げください」

「それはちょっと無理。足が使い物にならなくなったから、走れない」

「ご冗談を。仁様は例え足の骨が折れようと、いえ、足の二本や三本を失おうと構わず、走ってお逃げになられるはずです」

「……まあ蜘蛛の足とか蟹の足とかに憧れた時期もあったけどさ。今の俺は熊信仰者だから、四足歩行には憧れを抱いても多脚にはあまり興味はない、ぞ!」

 使い物にならない手足。感覚が麻痺したおかげで正確な痛みも伝わらないが、麻痺しているが故に彼の命令にもほとんど従わない。

 いずれ動かなくなるのは明白だったため、仁は手足が動かせる内に古の幻獣との距離を詰めて肩に噛みつく。

 肉はもちろん、皮膚さえ裂けない代わりに仁の顎や歯に反動はなく、刺さる犬歯に古の幻獣が僅かだが痛みを訴えるような、つぶらな瞳を見せる。

 初めて古の幻獣に痛みを与えることができたと、ある種の感動に包まれる仁の体を持ち上げ、大地に叩きつける。

「ガッ――」

 まだ悲鳴を上げられるだけの力が残されていることに僅かばかり驚く古の幻獣の死角に潜り込んだメイドが、咽喉を目掛けて数本のナイフを投擲。

 風を切り裂き、鋼鉄程度なら貫きかねない速度で投げられたナイフはやはりというべきか、表皮を貫くに至らず、ナイフに注意を引きつけられた古の幻獣は視線と意識を彼女へ向けた状態で瞬く間に彼を滅多打ちにした。

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