第六十一話
まばたきをしている間に消えた犬耳の少年。
最初は見間違いと判断した。魔境の中ならともかく、夜とはいえ人の世に平然と姿を現す人外などそうはいないと。
しかし現状、人以外の存在が夜の街を騒がせているのは事実。
異形の花々はもちろんのこと、彼等自身も一部を除いて人外の集まりであり、人の世に人外が蔓延っていたとしてもさほど不思議ではない。
しかし仮に犬耳の少年が実在していたとして、手招きをして消えた意図は不明。
仁たちも反応を示しておらず、犬耳の少年の姿を目撃したのは神凪のみ。
神凪だけに見えるよう姿を現したのか、たまたま彼の姿を目撃できたのが神凪だけだったのかは定かではないが、そのことを彼等に伝えるべきかを悩む。
手招き――すなわち誘い込む理由、考えられるのは主に二つ。
一つは彼等を救うこと。安全かどうかはともかく隠れられる場所、避難できる場所を教えるために手招きをしていた可能性。
もう一つは彼等を罠に嵌めること。袋小路など逃げ場のない場所へ誘導して異形の花々に追い詰めさせ、嬲り殺しにさせる目的。
前者も後者もあり得ること。手招きをしていた犬耳の少年が善人なのか、悪人なのか、判別できる材料を彼は持っていない。
善人ならば救いの道を、悪人ならば破滅の道を突き進むことになる重大な選択。
このまま追いかけっこを続けて逃げ切れる保証はないが、同様に絶対に捕まる保証もないため、敢えて彼を無視するのも一つの選択肢であることに間違いはない。
犬耳の少年を目撃してから数秒足らず。思考を巡らせた神凪は仁の頬を叩き、煩わしそうに視線を動かした彼に犬耳の少年が手招きしていた方向――といっても犬耳の少年が現れたのは前方であるため、真っ直ぐ前を指し示す。
「神凪君?」
「撤退。道」
「信じていいのか?」
「不明。でも。面白い」
「――ハッ。そうだな。面白いのは大切だよな!」
加速する仁に食らいつくように速度を上げる理香と東間と美鈴。
時間にしておおよそ十秒遅れて鉄砲水が如く押し寄せる蔓と花の群れ。
殺意に満ちた異形の花々の形相は凄まじく、自らの犠牲を厭わず、彼等を殺すことだけに執着していることが垣間見える。
追いつかれたらもはやどうしようもない。だから全力で逃げる彼等の前に亡霊が如く現れる犬耳の少年。
近くで見るととても可愛らしく、言いようのない不安感と嫌悪に襲われる神凪は初対面の相手にそのような感情を抱いた自身に疑念を抱くも、考えている暇はもう残されていないため、彼が指差す方向に自身の指を指し示し、仁たちを誘導する。
それを数度、繰り返して到着した古い建物。
今にも崩れ落ちそうなほど古びてはいないが、使われなくなって久しい建物内部に突入した彼等は一人、物思いに耽ているように佇むメイドを見つける。
「メイドさん?」
「――仁様、それに理香様や東間様、神凪様、神代様、美鈴様、次光様、何故このようなところに?」
「それは私たちの台詞です――ッ!」
予期せぬ再会に驚き、戸惑う仁たちを追って建物内部に押し寄せた花々は一瞬で解体され、塵と化して風に流されていく。
ただ、鳴り止まぬ地響きから第二波が来ることが予測できたため、メイドは仁たちを連れて建物から脱出後、近くの公園に移動し、茂みの中に身を顰める。
「ここなら安全、とは言い難そうですが、ここでやり過ごすことに致しましょう」
「了解っす」
「賛成。これ以上、走りっぱなしはちょっとキツそうだったし」
「僕も異論はありません」
「右。同じ」
「ちょっと待て」
「如何されましたか、美鈴様?」
「貴様は何者だ? 何故私たちの名を知っている。そもそも下等な人間の分際で、私に命令するとはどういうつもりだ?」
「これは失礼致しました。私はメイドさん。お嬢様に仕える従者です。皆様のことはお嬢様より聞き及んでおります」
「お嬢様?」
「委員長のことよ。メイドさんは委員長の付き人なの」
「委員長の? 成る程、それならば私たちのことを知っていても不思議ではないか。だが委員長の付き人が何故ここにいる? 委員長はこのことを知っているのか?」
「もちろんです。皆様のサポートを行うようにご命令を下されたのは他ならぬお嬢様ですので。お嬢様は皆様のことをたいそう、ご心配になられておりました」
「……むう」
淡々と言い放つメイドは鉄面皮を崩さない。
口調にも表情にも感情が見られないため、彼女の言葉が真実なのか、嘘なのか、判断が付き難いものの、自分たちが彼女のおかげで助かったことまで否定するつもりはない美鈴は渋々ながらも引き下がる。
「ご納得して頂けましたか?」
「……納得はしていない。だが、これ以上、不毛な質疑応答をしても仕方がない。ここは譲ってやる」
「感謝申し上げます」
「フン」
不貞腐れたように鼻を鳴らし、黙り込む美鈴に倣い、他の者たちも沈黙。
一人、静かにしなければならない場面ほど騒ぎたくなる衝動に駆られるバカを三人掛かりで取り押さえ、それでもなお暴れたい衝動を抑えられずにいる彼の首をメイドが投げたフォークと殺意が掠めたことで静かになり、彼が鎮まったことで三人も彼から距離を取って待機。
静寂に満たされた夜の公園。平穏を乱すのは無数の花々と蔓。
感覚を共有しているのかは定かではないものの、花々が散らされたことは認識できているのか、血眼になって仁たちを探し、我が物顔で民家や庭を荒らす。
家の中に誰もいないのは花々を警戒して避難しているからか。
しかし花々は冷蔵庫などを物色し、食べ物の養分を吸い取って自らの糧へと変え、その養分を利用して新たな花を作り出しては他の民家を破壊して回る。
隠れられる場所を片端から破壊し、養分を吸収して増殖する様はさながらモンスターパニック映画か。
撮影すればそれなりに視聴数を稼げそうな、ショッキングな光景をスマホで撮るべきか真剣に悩み、動画投稿したところで偉い人たちに目を付けられるだけなので諦めた仁の近くにも蔓が一本、這いながらやって来る。
規則性を持たず、辺り一帯を調べている蔓に触るのは当然厳禁。
流石に目や耳は付いていないが、下手に姿を見せたり、声を上げれば花の方に気付かれるので慎重に蔓から離れる。
蔓はその後も茂みの周辺を這いながら捜索していたが、やがて何も無いと判断したのか、別の場所へ去って行く。
「――フゥ」
安堵の息を漏らす仁の頭上を掠める蔓の鞭。
八つ当たり気味に放たれた一撃は少しでも反応が遅れていたなら彼の首に直撃していたため、通り過ぎてから約三秒後に大量の冷や汗が流れ出る。
『彼奴等め、一体何処に隠れた!?』
『草の根を分けてでも探し出して、今度こそ八つ裂きにしてくれるわ!』
『妾をここまでコケにした報い、そしてクソガキどもの分際で、これほどまでに妾を追い詰めた罪、必ず償わせてやろうぞ!』
大地を抉る蔓の鎌が理香の足の間に炸裂。
地面に開いた大穴は本来なら彼女の体にできていたものだったが、仁がまた余計なことを仕出かした時のことを考え、ひっそり移動していたことが功を奏し、奇跡的にも回避へ繋がった。
もしも移動していなかったら今頃どうなっていたか。
戦慄した理香は恐怖に怯える己に渇を入れようとするが、音を鳴らすわけにはいかないので舌を噛む痛みで気合いを体内に注入する。
『おのれ、ガキどもが! 隠れるのだけは上手いか!』
『じゃがそういつまでも隠れられるものではない! この地を全て更地に変えてしまえば、どれほど隠れるのが上手かろうと身を顰めてはいられまいて!』
直接的に繋がっているわけではないが、破壊活動するたびに増殖する花たち。
総数は目算にしておよそ二百。ネズミ算式に増えていく異形の花々は早い内に手を打たなければ取り返しのつかない事態に陥る危険がある。
それがわかっていようと仁たちにはどうすることもできない。
再起不能の三人が回復するのにはまだ時間を必要としており、動ける四人が出て行ったところで減らせて五十が関の山。
奇跡が起きれば百は倒せるとして、半分近くが残る上に戦いの最中でも増殖が可能な花々相手に数を減らすという行為がどれだけの意味を持つのか。
改めて絶望的な状況に置かれていることを実感し、東間と理香は悔しさに拳を固めて地面に振り下ろし、衝突前に仁の掌が拳を受け止める。
「何をするのさ」
「今、地面を揺らしたら気付かれる危険がある。悔しいのはわかるが、おとなしくしてろ。じゃないと本当に死ぬぞ」
「……力の差は理解していたつもりだった」
独白は美鈴が吐いたもの。
付近に蔓がさまよっていても花はいないため、多少なら話しても大丈夫と判断したのか、はたまた沈黙に耐え切れなくなったのかは不明だが、彼女が吐き出す言葉を止める者はおらず、仮にいたとしても意に介さないであろう美鈴は言葉を紡ぐ。
「如何に天狗が優良種であろうと、私も兄上も未熟なことはわかっている。そしてあの植物は力だけは大妖怪に匹敵するとうたわれた存在。私たちだけで挑んでも勝ち目はないと、冷静にならずともわかっていた」
「そう、そこだよ。珍しいよな、次光。普段ならこんな無茶な仕事、お前が引き受けるわけないっていうか、むしろ美鈴を止める側に回るはずのお前がどうしてこの仕事を引き受けたんだ?」
「……確かに引き受けたが、既に依頼はキャンセルされた。相手が相手だから、学生に任せるわけにはいかない、とな」
「だったら尚更、お前がこの仕事を続けた理由がわからん。美鈴は天狗としてのプライドとか、劣等種族に負けるはずがないと思っているとか、適当な理由で説明がつくけど、お前はそんな無謀なことはしないはずだろう?」
「貴様、後で覚えていろ、下等な人間が」
美鈴から向けられる剥き出しの殺気に、仁は舌を出して小馬鹿にするように鼻で嘲笑うという挑発対応。
下等種族の挑発を受け流せるほど器が大きくない美鈴は異形の花々よりも先に仁を始末しようと羽根を広げ掛けるが、咄嗟に押し倒した神凪によって薙ぎ払われる蔓の鞭を避けることに成功。
だがしかし、そんなことよりも心の準備をする前に神凪に押し倒された現実が彼女の頭を白一色に染め上げる。
間近にある幼さを残した顔。今までにも幾度となく見てきたが、ここまで至近距離で見るのは生れて始めたかもしれないと考えてしまった瞬間、思考回路が熱暴走を起こし、混乱の極致へ至った彼女は目を回して気絶。
戦力が減ったことは彼等にとって痛い出来事だが、熱暴走に促されるまま、肉体を暴走させなかったのは不幸中の幸い。
このようなところで暴れていたならまず間違いなく見つかっていた。
最悪、メイドに全てを押し付けて逃げる選択肢も彼等にはあったのだが、それが最善手だとしても彼等はその道を選ばない。
そのことを理解しているのはメイドも同じ。彼女が打って出れば彼等も戦うからこそ彼女は身を顰め、やり過ごすことに専念している。
尤も、異形の花々に覆われた街から逃れるのは至難。
増え過ぎた花は例えメイドの力量を以てしても全てを同時に相手になどできるはずもないので逃げの一手を打つにしても最低限の戦いは避けられない。
「やれやれ。我が妹ながら困ったものだ。もう少し、落ち着きというものを学び、他種族を軽んじることをやめてくれれば可愛げのある妹になるんだが」
「つまり今は可愛くないと?」
「バカなことを言うな。美鈴が可愛くないわけないだろう。多くの異性に好かれてもおかしくない、美しさと可愛らしさと儚さと清らかさを持つ自慢の妹だ。だが、それとこれとは話が別。外見が女神であろうと、中身をもう少し改善しなければ、彼氏の一人もできはしない」
「前者二つは辛うじて認めてやってもいいが、後者二つは明らかにおかしい。あと、お前って妹に彼氏を作って欲しいのか?」
「外見の話だ。内面に儚さや清らかさが若干、欠けていることは否めない。美鈴に彼氏ができることなどないとは思うが、もしも彼氏を連れてきたのならまず天狗として祝わなければなるまい」
「オチが読めたのでそれ以上は言わなくていい」
「何故だ? 祝うといっても普通に祝うわけではないのだぞ。まず天狗呪法の全てを余すところなくその体で受け止めさせ、次に極北の彼方に千年に一度だけ生えるという伝説の天狗草を積んできてもらい、帰ってきたら天狗以外が飲めば即死すると言われている秘蔵酒、天狗殺しを三杯ほど飲ませて」
明らかに妹が連れてきた彼氏を生かして返す気のないシスコンな兄の妄言を聞き流しながら彼の体を強く押す。
不意に押されたことで体勢を維持できず、倒れた彼の眼前に突き刺さる蔓の刃。
引き抜かれた刃は放った者の元へ帰還し――蔓の刃の主たる花は殺意を持った冷めた眼差しで茂みに身を隠している彼等を見下ろしていた。
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