第六十話
一秒、あるいは一秒未満の僅かな時間。
数えるにも値しない本当に短い時間の中で彼女が起こした行動が神凪を救ったことは紛れもない真実。
死角、それも上空からの飛来物が衝突していなければ伸ばされた蔓の腕は彼の頭蓋骨を容易く粉砕し、骨に守られていた脳を貫いていた。
それが飛来物――美鈴が咄嗟に投げつけた次光が衝突したことで狙いがずれ、彼の皿を掠めて背後にいた花の胸を貫く結果に。
尤も、花々の急所は頭であり、それ以外の部分が傷付いたところで活動に支障を来すことはほとんどない。
手足を切られれば再生までの時間は活動できなくなるものの、頭さえ無事ならば何度でも再生可能な以上、頭以外を狙う意味は皆無に等しい。
そして戦闘不能の次光が戦場の只中に放り込まれたことで当然ながら花たちの攻撃対象に次光も加わり、獲物を仕留める瞬間を邪魔されたことで複数体の花々が彼の首を引き千切るべく、蔓の腕で身動きの取れない彼を持ち上げる。
「――あ、兄上!? 何故下に!?」
無我夢中だったのか、自らが兄を投げたことに自覚がないまま救助へ向かう。
もちろん、今まで彼女たちが無事だったのは花々の攻撃が届かない安全圏まで飛んでいたからであり、攻撃範囲内まで降りてきた彼女を見逃す理由のない花々の腕が伸び、一直線に急降下する彼女に巻き付く。
「ッ、放せ! 下等な植物風情が!」
『そういう台詞はせめて大天狗になってからほざくべきじゃのう。まあそのような未来、もはや訪れることはないじゃろうが』
胴体を絡め取られた美鈴がどれだけ翼を羽ばたかせたところで逃れることは叶わず、地上に叩きつけられる。
血を吐く彼女を数度、叩きつけ、おとなしくなったところで次は次光を始末するべく蔓の腕を鞭のように振るう。
打ち据えるというより切り裂くことを主とした蔓の鞭は速度を増した一撃は摩擦熱によって燃え上がり、炎の鞭となって次光を襲う。
「させない!」
間に割って入り、炎の鞭を受け止めた東間だったが、衝撃を殺し切れずに体勢を崩したところにもう一撃。
脇腹に拳を受け、咳き込む彼を炎の鞭が容赦なく振るわれ、根性で応戦するも目に見えて押され始める。
彼が花の注意を引き付けている間に理香と神代が美鈴を救出――などという方法が上手くいくのは花が一輪だけの時。
東間の相手をしている花はともかく、他の花々が彼女たちの動きを監視していないはずもなく、美鈴救出に向かう彼女たちの前に立ちはだかる。
『何をするつもりかえ?』
『よければ妾も混ぜてくれぬかのう?』
「生憎だけど、女子高生の集いにおばさんは入っちゃいけないの」
「そんな決まりはありませんが、どうせ話題に付いて来れないのです。おばさんはおばさんらしく、井戸端会議でもしているのがお似合いです」
『ホホホ。若さとはいいものじゃな。怖いもの知らずで、無謀じゃから殺し甲斐がある。とはいえ耐えられなければ嬲り殺し甲斐も無いのじゃが』
近接戦闘は理香の担当。
というより妖術が使えない神代は普通の女子高生と大差なく、花と戦えば何一つ抵抗を許されないまま、殺される。
単独行動は絶対にさせてはならない。かといってこのままでは理香の足手纏いにしかならないので神代は精神を集中させ、妖力の回復に勤しむ。
ただし妖力を回復するために精神を集中させることは、言い換えれば棒立ちになって目を閉じることであり、無防備な彼女は理香が守らなければならない。
花も彼女が妖力回復を狙っていることは看破しているため、理香を完全無視して神代だけを標的に仕掛ける。
「悪趣味、ね!」
『当然の行いじゃろう? お主がその狐を護衛するということは、妾が狐を仕留めようとするだけでお主は勝手に傷付いていくのじゃから』
「それが悪趣味だって言っているのよ!」
花の指摘通り、理香は花々の猛攻を凌ぐことに専念。
代償として彼女の体には傷が増えていき、全身から流れ出る血が彼女意識を朦朧とさせ、動きを鈍らせる。
彼等が防戦を強いられる中、仁は未だに動かない。
傷付き、追い詰められていく幼馴染みたちを真顔かつ冷たい瞳で見つめたまま、懐から道具を取り出そうと手だけを動かしている。
『つまらぬ。手を抜かぬとは言ったが、ここまで一方的ではやる気が損なわれてしまうではないか』
『お主もそろそろ参戦したらどうなのじゃ? このままではお主の仲間たちは皆、妾に殺され、養分となるだけじゃぞ?』
『それともお主は恐怖で動けぬのか? 諦め、妾に食われる道を選んだか?』
花に囲まれながらも微動だにせず、幼馴染みたちから目を離さない。
まるで自分たちの存在に気付いていないような彼の態度が気に入らなかったのか、花の一輪が彼の頬を手で引っ掻き、一筋の血を流させる。
その行為でようやく彼等から視線を外した仁は憐みを多分に含んだ目を花々に向け、心から同情するように優しさに溢れた言葉を吐く。
「終わったな、お前等」
『なに?』
『この状況で戯言をぬかすとは、中々見込みのある若造ではないか』
『といっても妾を怒らせたのじゃから、見込みがあろうとなかろうと皆殺しにすることに変わりはないがのう』
『ガキはガキらしく、己の無謀さを嘆きながら逝くがいい。寂しいのならば大勢を送ってやっても良いが?』
「戯言、ねえ」
花々から視線を外した彼が今度注目するのは四肢を拘束され、宙に吊るされたまま動かない神凪。
死んだように俯く彼を見つめる仁の瞳に誘導され、花々も彼を注視するが、身動きの取れない彼の無様な姿を嘲笑する。
『そういえば、あの者のことをすっかり忘れておった』
『そうそう。最初に選んだ贄じゃからのう。有言実行するならば、あのガキから殺すべきじゃったか』
『じゃがこうなってはいっそのこと、あのガキ以外を皆殺しにしてからじっくりとあの河童を殺すのはどうじゃ?』
『それもまた一興』
『友の死を目の当たりにした河童の小童がどのような顔をするのか、楽しみじゃ』
『油断は禁物じゃぞ。何度も醜態を晒すようでは妾の沽券に関わる』
『わかっておる。して、お主はあの河童に何を期待しておるというのじゃ? まさかあの無力なガキが、妾を倒せるなどと言い出しはしまいな?』
甲高い嘲笑い声に囲まれている中で仁が浮かべるのは勝利を確信した笑み。
ほぼ同時に神凪が顔を上げ――瞳を憎悪で満たした彼は空気中の水分を操作し、花々の頭を水圧で押し潰す。
「河童はな。頭の皿を何よりも大切にしている」
『――死ねぇ!』
数の暴力で彼を囲み、一斉に仕掛けられる蔓の腕による鞭の斬撃。
四方八方から切り裂かれ、形を崩した神凪は水人形。本体は花々から離れた位置に立ち尽くし、指揮者のように両腕を振って花々の頭を弾けさせる。
「特に神凪は河童としての誇りを重視している。アイツにとって頭の皿は自分の命よりも大切な、魂の象徴のようなものだ」
『河童風情が――』
憤怒の雄叫びを上げている間にも神凪は機械的に、事務作業の如く花々の頭――正確には花々の水分を操り、内側から頭部を破裂させて絶命へ導く。
無論、花々もただでは倒されず、不意を突いて地中から生え、両足を掴んで動きを封じ、炎の鞭で彼の体を打ち据える。
火傷と切り傷。両方を負いながらその作業速度に変化は生じず、地中から生えた花も、彼に炎の鞭を打ち据えた花も内側から弾けて命を失う。
「だからアイツにとって頭の皿を傷付けられることは何よりも耐え難いこと。親しい相手にも激怒するくらいだからな。お前のような敵対者が触ることだって許しはしないし、まして傷を付けた以上、本気でブチキレても不思議じゃない」
東間や理香を傷付けている花々も内側から水分を操られて弾け飛び、花々が突然、弾けたことを訝しんだ彼等は神凪の異変に気付いて退避。
残った花々は彼を仕留めるために集結して、一ヶ所に集まったところですかさず火炎放射器を取り出した仁が焼き払う。
『き、貴様!? そんなもの、何処に!?』
「俺の懐は不思議な懐。どんな道具があるのかは実は俺も把握していなかったり?」
『ふざけ――』
「死ね」
燃え盛る業火を呑み込む濁流。
荒れ狂う水は大きな球体を形成し、神凪の掌が閉じられていくのに連動して少しずつ大きさを縮めていく。
命乞いなど聞かない。それが例え彼等にとって有益な情報だったとしても神凪は花々の言葉に一切耳を貸さず、拳を握り締めて水を圧縮。
粉々に潰された花々は塵となり、疲れ果てた神凪が倒れる寸前で仁が支える。
「大丈夫、じゃないよな。お疲れ様、神凪君」
「疲労。困憊」
「そんな時は元気に明るく、歌を歌ってみるといい。なんだか物凄く虚しい気分に浸ることができるぞい」
「無駄。無意味。きゅうり。要求」
「帰ったら好きなだけ食べるといい。――さて、理香、東間! 立てるか! いや、立てても立てなくても気合いで走れ! この場を全力で離脱するぞ!」
「なっ――に、逃げるのか!? ここまでやっておきながら!?」
「わかったわ!」
「了解!」
東間は次光を、理香は神代を、仁は神凪をそれぞれ肩に担いで撤退。
開けられていた門は侵入者の脱出を拒まず、道路に出た彼等は車に注意することも忘れて道路の真ん中を突っ切る。
六人が去り行く中、カラス天狗としての誇りが逃げることを邪魔していた美鈴も神凪が心配だったのか、結局は仁たちの後を追って豪邸より逃げ出す。
彼等が去ってから一分もしない内に新たに生える異形の花々。
その数は最初に現れた時の半分にまで減っており、樹冥姫の消耗を証明しているも同然だったが、それ以上に消耗している仁たちに挑む選択肢はない。
正真正銘、全てを絞り尽くした神凪にもはや戦える力は残っておらず、次光と神代を合わせれば三人の戦力外を庇いながら戦わなければならなくなる。
犠牲を容認して戦えば勝てる見込みもあるにはあるが、あのような植物を倒すのに友人を犠牲に必要が感じられない彼等には逃げ以外の道は考えられない。
「でも、拍子抜けだよ。まさか仁の秘密の道具が普通の火炎放射器だったなんて」
「そうよ。秘密の道具なんだから、もっと秘密めいた、摩訶不思議な道具を出すべきところでしょう? こう、反則めいた道具とか」
「そんなこと言われても。秘密の道具だからっていつも役立つとは限らないことは青い狸型ロボットが証明してくれているぞ。遠い未来の科学技術で造られていようと、どうしようもないポンコツぶりを発揮することもあるんだし」
「それはあのロボットの特徴みたいなものだからいいのよ」
「そうそう。もしもあのロボットが完璧超人っぷりを発揮していたら、子供たちのハートを掴むことなんてできなかったよ」
「そうです。それとあのロボットは狸ではなく猫なのです。だから狐の子たちの間でも大人気なんですよ。もしも狸だったら私たちはあのロボットを八つ裂きにして海に葬り去る方法を考えなければなりませんでした!」
自慢げに鼻を鳴らして堂々と紡がれる物騒な発言。
反射的に立ち止まってツッコミを入れそうになった理香は後方――豪邸が建っていた場所付近の壁が破壊される轟音を聞き取り、改めて自分たちが置かれている状況を認識し、ツッコミを我慢して走る。
そんな理香の心情を気にする様子もなく、神代は嬉しそうに数度頷く。
「いやはや、本当に良かったです。狸狸と何度も言われていますが、あのロボットが狸などではないことは私たち、狐が保証するのです!」
「狐って、そんなに狸と犬猿の仲だったっけ?」
「いいえ。ただ、狸が狐より人気が出るなんてことはあってはならないだけです。狐の方が狸よりも愛嬌があるってみんなに言われているのです」
「狸。狐。同類。同族。嫌悪。近親。憎悪」
「失礼です! 確かに私たちと狸は化かし合いのライバル関係にあるといっても過言ではありません! ですが私たちと彼等とでは根本的な違いが多々あります! それを同類扱いするなんて、水辺に生息しているという理由だけで河童とミジンコを同類として扱うに等しい行為ですよ!」
「お前にとって狸はミジンコなのか」
「私たちよりは劣っているです! それだけは譲れないです! 大体、化かすのが上手いからといって狐と狸を似た者同士として扱う人が多過ぎるのです! 仮に似ているとしても似ているだけで違うものだと理解するべきなのです!」
「なんというか、醜い争いだ。そこまで己の種に固執するのか」
呆れた声を発する美鈴に今度は兄――すなわち同種族である次光を含めた五人が一斉にツッコミを入れそうになったのを辛うじて堪える。
ただ一人、疲労故にツッコミを入れる気力さえ持っていない神凪は何も考えずに目の前を見つめ、その瞳に手招きしている犬耳の少年の姿を捉えた。
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