第五十九話

 力の大半を妖術に注ぎ込んだ結果、自らの翼で飛ぶことさえできないほど疲弊した兄を担ぐ美鈴は上空から戦いを見守る。

 花の攻撃範囲がどの程度がわからないため、相当な距離を上昇した彼女は例え仁たちが窮地に陥っても一息で降り立つことはできない。

 そもそも彼女が戦場に赴くには術の反動で無力化している実兄を置き去りにしなければならず、樹冥姫の花たちが地中から現れる以上、空中以上に安全な場所はないので最低でも彼が自力で飛べるようになるくらい回復するまでは空中で待機している必要がある。

 また、例え安全な場所を見つけられたとしてここは魔境の外。

 力を失ったカラス天狗が人間に見つかった場合、どのような扱いを受けるかわからない以上、誰かが彼のことを見張らなければならなくなり、その役目を担えるのは現状で美鈴ただ一人。

「ッ、天狗ともあろう者が、情けない!」

 悔しさを顔に滲ませ、歯軋りしながら下で行われる激闘を眺める彼女は兄の回復と彼等の生存を願うことしかできない。

 そして願ったところで数の暴力という名の力に抗うことは困難。

 如何に元々の総数の三分の二以上が散ったとはいえ、戦況は未だ花々が優勢。

 武器込みでの地力は仁たちがやや上回っており、怒り狂って動きが単調になった代わりに慢心が無くなり、鋭くなった攻撃を避け切ることはできず、徐々にだが彼等の体にすぐには癒せない傷が増えていく。

「ッ、理香、東間、神凪君! まだイケるよな!?」

「当然!」

「言うまでもなく!」

「無理」

「良し! 後のことは神凪君に任せて撤退だ!」

『応っ!』

 息を揃えた連携を以て花々を退けつつ、神凪を囮に逃げ出す三人。

 見捨てられた神凪は花に囲まれ、養分を吸い取らんと伸ばされた腕に身を委ね、彼に花々が群がったところで百八十度旋回した三人の奇襲が空を切る。

「ゲッ!?」

『フン。見え透いた手じゃ』

 渾身の不意打ちを容易く避けられ、拘束された三人の養分が吸収され始めた直後に神凪が飛ばした水の刃が花の腕を切断。

 掴まれたのは一瞬でも、相当な養分を吸い取られた仁たちの腹が空腹を訴える。

「東間! 飯!」

「後でラーメン奢るから!」

「私がみんなの分のお弁当、作ってあげる!」

「良し! こうなったら俺がポケットマネーで美味い寿司を食わせてやる! 大トロは一人一貫だけだぞ!」

「きゅうり」

「お前は美鈴と回転寿司にでも行ってこい!」

 気分が高揚しているから叫んでいるのか、叫ばないと戦意を維持できないから必死に声を荒げているのか。

 じわじわと嬲り殺しにされる仁たちの決死の抵抗は無駄などではなく、単調な動きの花々を確実に散らしていく。

 もしも最初の数のままだったなら絶望に包まれていたかもしれない。けれど次光が全力を出し切ったおかげで光明が見えている。

 例えその光が恐ろしくか細い、指で遮るだけで簡単に見えなくなってしまう小さな小さな光だとしても、全てが完全な闇に染まっていないなら戦える――と、信じなければやっていられないのが彼等の現状か。

 よろけて膝を突きそうになった仁は弱音を吐いている自らの足を鉄拳制裁、気合いを入れ直して声高らかに叫ぶ。

「もう一踏ん張り、行くぞ!」

「休眠」

「終わったら好きなだけ寝ていいよ。まあこんなところで寝たら、明日を無事に迎えられるかわからないけど!」

「意地悪言わないで、連れて行ってあげればいいじゃない! ちょうど私も新作の味噌汁のレシピを考え付いた――」

「救援。要請!」

「死なば諸共だ、諦めろ!」

 非情な宣告。逃れる方法があるとすれば料理を穢す魔界料理人を排除すること。

 乱戦の中なら不可能ではない。しかし仮に彼女を始末できたとしてもその後に待っているのは友との避けられない死闘。

 彼が本気になれば手加減して戦うことなど到底できない。

 それどころか死ぬまで戦いは続き、どちらか、あるいは両方果てて終わる、どう足掻いても後味の悪い結末にたどり着いてしまう。

 悩みは足を止め、周囲への警戒を疎かにする。

 蔓に腕を巻き取られ、水の刃で切り離そうとする直前に花が彼の首を掴んで持ち上げては窒息と養分吸収を狙う。

 急速に失われていく全身の栄養。水を操ろうにも首の骨をへし折らんとする剛力に集中が乱され、死を間近に感じ始めた頃に花の腕が仁の刀に切り落とされる。

「感謝。感激。お礼。キス」

「神凪君、前を見てないと死ぬぞ! あと、追い詰められてなおふざけるのは俺の専売特許なんだからマネしないでくれ! 俺の個性が死ぬ!」

「マネ。一度。面白い」

「勘弁して欲しいな。仁だけでも手一杯なのに、神凪君まで窮地でふざけるようになったら僕たちはどちらかを見捨てなくちゃならなくなる!」

「せめて華恋ちゃんとか、他の人たちがいる時にふざけて欲しいわね! そうすればアンタたちがいなくても、まあ何とかなりそうだから!」

『五月蠅いガキ共じゃ。少しは黙らぬか!』

 残りの花々の口から放出される桃色の霧。

 花から噴出される怪しい霧の正体は十中八九花粉、と、適当に決めつけたはいいものの、この場面で花粉を撒き散らすということは何か変な成分が混じっていると考えた三人は神凪の元に集結し、神凪は水の膜で周囲を覆い、桃色の霧の侵入を妨げる防壁を形成する。

『器用な。じゃがその程度の薄い膜、すぐにでも打ち破ってくれる!』

 このままでは桃色の霧が届かないと判断し、蔓の腕で水の膜を切り裂く。

 刃のように研ぎ澄まされ、高速で振るわれた腕は見事、水の膜を裂くも、変形した水は再度集まり、膜を再生させる。

 憤激する花々は周囲を取り囲んで水の膜を切り、修復が間に合わない速度で瞬く間に水の膜を剥ぎ取るが、水の膜の下にはまた薄い水の膜。

 怒りで我を忘れたように水の膜に攻撃を仕掛ける――刹那、水の膜の内側、地中から花が一輪、咲き誇り、膜内部の者たちを引き裂くと同時に水の膜を突き破る。

『くだらぬ真似をしてくれおって。じゃが、これで終わりじゃ』

 完全に破られた水の膜は大地に撒き散らされ、地を濡らす。

 湿った地面を見下ろす花は自身の掌を見つめ、大地と同じく濡れていることを確認――つまり血が一滴も付いていないことを認識して驚愕する。

『これは――』

「まあ化かし合いで狐に勝てる奴なんて狸くらいなものだってことで」

「面倒くさいです。どうして私がこんなことをしなくちゃならないんですか?」

「まあまあ、神代ちゃん、後で油揚げ買ってあげるから」

「油揚げ一枚くらいで買収されるほど、安い女じゃありません」

「じゃあ僕が二枚買ってあげるよ」

「本当ですか? 約束ですよ!」

 声はすれども姿は見えず。

 代わりに見えるのは青白い炎。人魂のように花々の周囲を取り囲む火の玉は急激に炎上し、異形の花々を包み込む。

 だが熱くはない。それどころか全身が燃えているはずなのに炎によって欠損した箇所はただの一つもない。

「狐火は脅しです。殺傷力はありませんから、安心するといいです。尤も――」

「視界を奪えればそれで十分だ」

『き、貴様等!?』

 青白い炎に視界を塞がれ、燃える炎の轟音に聴覚までも封じられた花々は各々がもがくように両腕を振り回して近くにいた者たちが同士討ち。

 下手な抵抗は逆効果と動きを止めれば、仁たちに急所である頭を潰され、一つずつ着実に花が散って行く。

「楽勝ね。初めからこれができていれば楽だったのに」

「無茶を言わないでください。この妖術は本来、七尾以上の妖狐でなければ使えない高等術なんですよ。二尾である私が使うためには物凄く準備が必要なんです」

「わかってるって。効果が切れない内に、綺麗に片付けないとね!」

『おのれ、調子に乗るな!』

 何もしなくとも数を減らされるのなら抵抗した方がマシ。

 両腕を振り回して近づいてくる仁たちを薙ぎ払おうとするが、向こうには花々の動きがしっかり見えており、異形の花々には仁たちが見えていない時点でどちらが勝つかは火を見るよりも明らか。

 最後の一輪を駆除し終えた仁たちは仰向けに倒れて天を仰ぐ。

「あー、ようやく終わったー!」

「電車で襲われた時も大変だったけど、今回はあの時以上に疲れたよ」

「ほんと、散々暴れたし、お腹も空いてきちゃったから、そろそろ帰りたいかも」

「そんなわけにはいきません。狐に手を出したことを後悔させてやるんです。でもお腹が空きました。油揚げが欲しいです」

「きゅうり。きゅうり。きゅうり」

「みんな、自分の欲望に素直だね」

『欲望は生の象徴。欲深くなければ生きているとは言えぬものじゃ』

「そういうもの――!?」

 地中より生える異形の花々の数は先程の二倍。

 怒り狂っている様子は見られないが、慢心している気配もない、言うなれば冷静に怒っている状態で油断なく仁たちを囲い、逃げ場を失くす。

「……冗談、だよな?」

『成る程。人間と下等妖怪のガキどもと油断したのは妾の致命的なミスじゃ。見下すあまりに過小評価が過ぎてしまったことは大いに反省しなければならぬ』

『じゃが、だからこそお主等はここで始末する』

『大妖怪たる妾をここまでコケにした罪、その身で贖ってもらうかのう』

 甲高く笑う花々を前に五人は戦意を滾らせる。

 ただ、一旦休んでしまった肉体は心に付いて来れず、全身に力を入れることはできても思うように体を動かせない。

 彼等に逆転の可能性があるとすれば、先刻と同じように異形の花々の視覚と聴覚を狐火で麻痺させること。

 しかし先の妖術で己の持てる力の全てを使い切ってしまった二尾の妖狐こと神代は完全にガス欠状態。

 降参したところで養分にされるのがオチなため、早々に諦めた神代は最期の時をせめて穏やかに過ごそうと座禅を組む。

「諦めの早い奴。生きているんだから、もっと精一杯足掻こうぜ」

「無駄なのです。この状況から逆転する方法はないのです。人生、諦めが肝心と言いますから、私は来世、今度こそ九尾になりたいです」

「そういう夢は今世で果たした方が気持ちいいんじゃないの?」

「この状況でまだ諦められない貴方たちには脱帽するですが、正直、現状をまともに見ていられない、現実逃避を行っているようにしか見えないのです」

「まあ確かに、現実逃避気味なのは否定できないかな? 倒せないまでも一発殴るつもりでここまで来たけど、まさか死ぬことになるなんてね」

「はいはい。本気で死ぬつもりの奴がそんな軽口叩けるわけないんだから。で、ドラえ○ん、この状況を逆転させるための秘密の道具は?」

「俺のことを泣きつけば大体なんでも出て来る便利な猫型のロボットか何かと勘違いしていませんかねー?」

「事実。便利。道具。利用。価値。それだけ」

「それだけって、今の発言は流石に凄く傷付いちゃったなー、もう。えーっと、こんな時に使える道具はー?」

 懐を漁る彼の腹部を刺し貫く花の腕。

 容赦無き一撃は心臓を穿ち、反動で仁の体が宙に浮き、仰向けに倒れる。

『――んっ?』

 最初の違和感は手応え。引き戻された蔓の手に刺さっているのは木彫りの熊。

 腕のいい職人に掘られたのであろう、見事な造りの熊を指先から引き抜き、適当に放り捨てる――が、地面に落ちる寸前でヘッドスライディングするように飛びついた仁が木彫りの熊を回収する。

『面妖な物を持ち歩いておるな。最近の若者の趣味はわからん』

「いやー、死ぬかと思った。つーか、よく無事だったな、俺」

「それ以前になんなのですか、その変な熊は?」

「さあ? 俺にもよくわからないが、気が付いたら懐にあった。きっとこれは俺の熊たちへの信仰心に対する熊神様からのご褒美だと推測する」

「熊神様って、そんな神様いるの?」

「知らん。だが八百万の神と言うし、いても不思議じゃないだろう。たぶん」

「曖昧だね。――で、本当に大丈夫なの?」

「無論だ。次来たら防げないっていうか即死するけど、同じ不意打ちが短時間で二度通じるほど腑抜けてはいない」

「短時間でなければ同じ不意打ちが通用するのですか」

「お約束。マヌケ。羨望。嫉妬」

『やれやれ。緊張感のないガキどもじゃ。絶望を正面から向き合えぬのはわかるが、一匹殺せば少しは現実を受け入れられるのかえ?』

 相変わらず懐を漁っている仁より狙いを外し、固まっている四人の内の一人を時間を掛けて観察、選別を行う。

 ただ、選んでいる間にも油断はない。見せつけられるのは余裕であり、一斉に仕掛ければ数の暴力で押し潰される。

 いよいよ後がなくなった彼等が託すのは仁の道具。

 そんな便利な道具があるのなら最初から使っているはずという常識的な考えは絶望しか齎さないので頭の中から追い出し、彼が追い詰められるまで敢えて道具を使わなかった可能性に賭ける。

『――そうじゃな。そこな河童、お主から消えてもらうことにするかのう』

 指定と宣告、刹那に実行。

 抵抗できないよう四肢を他の花々が蔓の腕で絡め取り、無防備となった頭に正面にいた花の蔓の腕が伸ばされ、脳を穿つ一撃が放たれた。

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