第五十八話

 神凪の暴走と鎮静。その繰り返しの果てに到着したとある富豪の屋敷の前。

 一般市民なら住まうことを躊躇いそうな巨大な庭と豪華な屋敷は不気味なほど静まり返り、本来なら不法侵入などすれば一瞬で通報され、警察の御用となりそうな大金持ちの家の庭で一生懸命に穴を掘っているカラス天狗が二人。

 スコップを用いた単調作業。それなりに深く掘ったらしく、定期的に飛行して土を外に放り捨ててまた穴の中に戻って穴掘り。

「えっほ、えっほ」

「えいさ、ほいさ」

 仮にも妖怪の中で名を轟かせている天狗、それも子供とはいえカラス天狗の一族がスコップを持って汗水流しながら穴を掘るというシュールな光景に三人は立ち尽くし、現実逃避気味に視線をそらす。

 神凪は門を開けて堂々と中に侵入し、二人に差し入れとして『きゅうりソーダ』を渡そうとするが、渡したい気持ちと渡したくない気持ちが拮抗し、左右の手が相反する行動を取り始めてしまう。

 傍から見れば――例え彼の葛藤を知り得たとしても滑稽な行動にしか見えない彼の存在に気付いた二人のカラス天狗たちは飛翔し、次光は周囲を見回して門の前にいる仁たちを見つけ、美鈴は思い悩み、苦しむ彼を注視したまま動きを止める。

 何を思って動かなくなったのか、大体の想像がつく妹はその場に放置。

 こうなることを予測していた次光はスコップを片手に仁たちの元へ降下する。

「やはり来たか、仁。それに東間に理香も。だが何故目を合わせようとしない?」

「いや、なんとなく見てはいけないものを見てしまったような気がして。ですが先程の光景、スマホで撮影したら面白いことになったりしますか?」

「やめろ。好きでやっているわけじゃないが、俺たちだって必要となれば穴掘りもする。それで、ここに来たのなら協力の意思があると解釈していいのか?」

「邪魔しに参った、って言ったら?」

「今、掘っている穴の中に埋める」

「目が据わっているし、脅しじゃなさそうだから本気で怖いわね。で、どうして二人して穴なんて掘っているの? それもかなり深く」

「無論、奴の本体を叩くためだ。情報によれば奴の本体は地中深くに潜んでいる。花をいくら摘んだところで、根を消し去らなければ意味がない」

「その意見は同意するよ。でもそのことと穴を掘ることと何の繋がりがあるの?」

「わからんのか? つまりだな」

「念のために言っておくが、奴は人力での穴掘りで到達できるような場所には潜んでいないぞ。仮にさっきのペースで穴掘りを進めていったとして、一日二日じゃたどり着けない。しかも穴を掘っていることに気付かれたら確実に刺客を送り込まれる。地上と空中戦が基本のお前たちが地中に引きずり込まれて勝ち目はあるのか?」

「…………」

 月光に照らされた世界は儚く美しい。

 しかし彼は鳥目。闇の中で活動することは困難という弱点を抱えているために、優しい光で照らされた世界は彼にとって優しくはない。

 それでも夜を好む気持ちは、喧騒から離れ、静寂に包まれた安らかな世界は日頃の疲れを忘れさせてくれる愛おしきもの。

 見えなくても感じることができれば何も問題は無い。むしろ見えないからこそ想像力が掻き立てられ、一層の愛しさを覚えることができる。

 絶賛現実逃避中の彼を我に返そうと歩み寄り、しかし長時間労働の影響で全身より滲み出る疲労から、しばらくは夢の世界を堪能させてやろうと佇む次光の横を通り過ぎて葛藤する神凪にデコピンを入れて正気に戻す。

「痛い。酷い。臭い」

「前者二つは肯定するとして、臭いってなんだ?」

「仁、今日はお風呂に入った?」

「入っているわけないだろう。そんな暇が何処にあった?」

「本当はお風呂に入りたいけど、今は我慢しなくちゃね。で、神凪君、差し入れを渡すならさっさと渡しちゃいなさい。じゃないと美鈴も動くに動けないでしょ」

「どうして差し入れを渡さないと美鈴が動けないの?」

「はいはい。鈍い東間は黙ってましょうねー。これは女の子のデリケートな問題なんだから。仁、動けない美鈴に変なことをしたらグーで殴るわ」

「うい」

 動き出そうとしたまさにその瞬間に釘を刺され、なおも屈せずに美鈴のあちこちを触ろうとする彼を目より発する威圧感だけで制する。

 逆らうことが許されなくなってしまった仁は、屈してしまった己の弱さを恥じて膝から崩れ落ち、近所迷惑を省みないで号泣。

 無駄に広過ぎる庭のおかげで、周りの家々に迷惑が掛かる可能性が低そうなのが唯一の幸いか。

 止めることも考えたが、止めてもあまり意味はないと判断を下し、泣いている仁はそのままに神凪から『きゅうりソーダ』を奪い取って美鈴の顔に当てる。

「……冷たいぞ、理香」

「私が冷たい女みたいな言い方はやめて。神凪君が可愛いのはわかる――理解はできないけど、萌えているのはわかったから、話を聞かせてくれる?」

「話なら兄上から聞いたはずだ。私たちは奴の本体を仕留めるために、穴を掘っている。どれくらい時間が掛かるかはわからないが、いずれたどり着ける」

「そもそもどうしてこんな、お金持ちな家の庭を掘っているの? それにこの屋敷の住人達はどうしたの?」

「言っておくが、私たちは何もしていない。ただ、奴の本体はこの屋敷の地下深くに潜んでいるという情報を手に入れた。その証拠――になるかはわからんが、この屋敷に住んでいた人間たちはここ最近、奇妙な出来事に遭遇していたそうだ」

「奇妙な出来事?」

「何が起きたのかは私も具体的には聞かされていない。ただ、雇っていたボディガードが霊的な意味でも有能だったようで、死者はでなかった。尤も、今は入院生活を余儀なくされているそうだが」

「……少なくとも穏やかじゃないことが起きたってことね」

「そう考えていいだろう。いずれにしても私たちにとっては都合がいい。ここを真っ直ぐに掘り進むだけで、奴の元へ行ける。所詮は花が無ければ何もできない脆弱な小物。天狗に歯向かうことが如何に愚かなことか、思い知らせてやる」

「そういう台詞は本体にたどり着けてから言った方がいいわよ」

 肩をすくめる理香たちを取り囲むように生える異形の花々。

 外見の美しさは変わらず。けれどその顔は怒りで醜悪に歪み、額に青筋を浮かべて理香たちを睨みつける。

『妾の庭を土足で踏み荒らす、礼儀知らずとはお主たちのことか?』

「他人の家の敷地内に勝手に根付いた、既に滅び去った時代遅れの化け物に何か言う権利があると思っているのか?」

『面白いことを言う。カラス天狗の小娘が。粋がるのならせめて大人になってからにするのじゃな。未熟なガキめ』

「植物如きが図に乗るな。天狗の手に掛かって死ねることを光栄に思え」

『ホホホホ。確かに空中戦ならば分が悪いかも知れぬ。じゃがお主のような小娘に自らの皿を守ることさえできぬ屁の河童、人間――のようなものと人間二匹に何ができるというのじゃ?』

「人間のようなものって誰のことだ?」

「仁じゃないかな? この前も保険医に体を弄られたみたいだし、色々混ざっているから人間って呼ぶのは微妙とか」

「あー、納得」

「アンタ、それでいいの?」

「だって今更だし。にしても強気な花だな。ここに来る途中でそれなりの数がその人間っぽいのと人間二匹(に加えてメイドさん)に葬られたことをもう忘れたのか?」

『下等な人間が、くだらぬ戯言をほざいておる。妾は貴様等のことなど知らぬぞ。その妾が何故、路傍の石ころ風情をわざわざ蹴る必要があるのじゃ?』

「――ふむ?」

 電車の中で襲い掛かって来た花と、現在彼等を取り囲んでいる花の違いは怒りで顔が大いに歪んでいるか否か。

 少なくとも外見上は他に異なる点は見当たらず、かつ嘘つきの勘として仁は花たちが嘘を言っていないことを見抜く。

 すなわち電車内での襲撃に樹冥姫本体が関与していないことは確実。しかし異形の花々に襲われた事実は変わらないため、これ等の情報を総合すると樹冥姫本体以外に花を操る者が存在している可能性が高いという結論にたどり着く。

 ただ、そのことを樹冥姫に伝えたとしても仁たちを見下している彼女が信じるはずもなく、一笑に伏されるか、一喝されるか、いずれにせよ、相手にされないであろうことは想像に難くないので出した答えを仁は胸の奥に仕舞い込む。

「仁、彼女が言っていることって――」

「その話は後。来るぞ」

 臨戦態勢を整え、いつ襲われても対応できるよう身構える五人の内、理香の首を花の手が捕らえ、体を宙に浮かせる。

 最初に反応したのは首を絞められた理香ではなく、自身よりも周りに気を配っていた仁と神凪。

 水を鋭利な刃へ変え、彼女の首を絞める腕を切り落としながら仁が理香を救出、追撃を仕掛ける他の花を美鈴の風が切り刻む。

『ほう? 悪くない反応じゃ。思っていたよりも楽しめるかえ?』

「理香、平気か?」

「ケホッ、ありがと、助かったわ。油断していたつもりじゃなかったんだけど」

「仕方がない。俺たちの誰も反応できなかった。メイドさんなら防いでくれていたかもしれないが、気を引き締めないと死に追いつかれそうだ」

「それはゴメン、ね!」

 地面から生える花に捕まりながら腕を構成している蔓を食い千切り、吐き出しながら槍を取り出して胴体を薙ぎ払う。

 二つに裂けられながら余裕の笑みを崩さない花の顔を鉄拳で粉砕。

 頭部を潰された花は崩れ落ち、肥料へ早変わり。

 同胞を目の前で散らされて、しかし花たちは余裕の笑みで四方から仁たちを襲い、怪力と高速移動を駆使して少しずつ彼等の体力を削り取って行く。

「さっきまでは怒っていたくせに、今は勝利を確信しての笑みかよ」

「仕方ないよ。このまま戦ってもジリ貧になって嬲り殺しにされるだけだから!」

 己の命を省みない無茶な攻勢。

 命を捨てた特攻はある意味、花の命は短いという言葉を体現している。

 だが如何に花の命が短かろうと、それに付き合う義務義理は彼等に無い。

 自爆特攻にはいつまでも付き合い切れず、また現状は形勢不利と判断して撤退の道を作ろうと一点集中突破を試みる。

『ホホホホホ。人間とは本当に進歩のない生き物じゃ。お主等のような無謀なガキどもは、妾との力の差を思い知った途端、いつもいつもそうやって逃げようとする。じゃが、妾から逃げ切れると本気で考えておるのか?』

「逃げるだけならそれほど難しくない。大体、本体を地中深く引き篭もらせて、安全圏から花だけを送り込んでくるようなセコい奴に力の差なんて感じない」

『言い訳とはまた見苦しい限りじゃ。何を言おうとお主等は逃げられん。何せまともに光合成もできぬ夜、あまり動き過ぎてしまったので腹が減ってしもうてなあ。お主等程度では満腹には程遠いが、腹の足しにはなるじゃろうて』

「つまりこのまま戦い続ければ、やがて空腹で貴様の本体も枯れると?」

『ホホホホホホ。できるものならやってみるが良い。尤も、お主等如きにそんな真似ができるとは到底――誰じゃ!?』

「力があるのは確かなようだが、一つの物事だけを見過ぎるのは考え物だ。こうして準備しているのにまったく気付かれないなんて、予想だにしていなかった」

 吹き荒れる烈風は庭を荒らし、異形の花々を切り刻む。

 美鈴が使っているものよりも遥かに大規模な嵐。けれど時間をかけて準備を行ったおかげで仁たちの周りだけはほぼ無風状態となり、彼等を傷付けることはない。

『て、天狗じゃと!? おのれ、まだ一匹潜んでおったのか!?』

「潜んでなどいない。ずっと門の前にいた。尤も、お前はコイツ等にご執心で俺のことなど眼中になかったようだがな」

『ええい、たかだが天狗が一匹、それも小賢しそうなガキが増えた程度で、妾を倒せるなどと思い上がるな!』

「思い上がるつもりはないが、目の前で起きていることさえ正しく認識できなくなったのか? 健忘症を患っていたとしても物忘れが激し過ぎる」

『愚弄するか! 小童がぁぁぁぁぁ――!?』

 叫びは暴風にかき消され、風圧に磨り潰された花は肥料にさえなれず、風の中で融解し、天高く舞い散る。

 とはいえ全ての花を散らすには彼はまだまだ未熟。

 荒れ狂う風を、それも仁たちを傷付けずないよう制御するには経験、体力、その他にも足りないものが多過ぎるため、三分の二程度を散らした時点で風が収まる。

 力を使い果たし、膝を屈する次光に、報復とばかりに襲い掛かる花たちの行動を読んできた仁たちが先制攻撃を仕掛け、次光に近づく花を斬滅。

 生じた隙に美鈴が次光を担いで空へ退避し、地上に残された仁たちは今度こそ余裕を消して怒りに満ちた形相の花々を前に恐怖を隠しながら身構えた。

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