第五十五話

 月光に照らされる戦いの場。

 否、それは戦いと呼ぶことなど到底できない、一方的な蹂躙。

 それも片手間で行われているような、目的地に向かう邪魔な者、移動を妨げる者だけを的確に処理していく単調作業。

 顔色一つ変えず、三人をほぼ揺らさずに走りながら巨人を葬り去って行くメイドにどうしようもないほど分厚い壁を、力の差を実感した理香は拳を握り締める。

 特殊な事情でもない限り、彼女は自分たちと同年代。

 人間であることに疑いの余地はなく、身体能力は仁と同じかそれ以下。

 しかしその技は三人とは比べ物にならないほど洗練されている。

 真っ向からの力押しなら勝てるかもしれないけれど、仮に彼女と戦いになれば力押しに持ち込む前に戦闘不能に追い込まれると断言できてしまう。

 仁や東間も彼女との力量差を間近で実感したことでやるせなさを覚え、特に仁は思うところがあるのか、深々とため息を漏らす。

「なんていうか、もうメイドさん一人でいいんじゃなイカ?」

「何が?」

「花退治。メイドさんなら樹冥姫も難なく葬りそうな気がする。それも顔色を変えないどころか汗の一滴さえ流さずに」

「それがどうかしたの? 仮にメイドさん一人で何とかできるとして、全部任せたりしたら僕たちの気が晴れないよ」

「そうよ、仁。これは依頼とか使命とかそういうのじゃなくて、単なる私怨だってことを忘れたの? 美鈴たちを始めとした他の人たちに狩らせる前に最低でも一発はぶん殴らないと私たちの気が収まらないの」

「わかってはいたが、凄まじい私事だよな。放っておけば解決する問題に、危険を冒して首を突っ込んで、その目的はスッキリしたいだけとか」

「わけもわからないまま巻き込まれて、帰るためには押し付けられた使命を果たさなくちゃならないとかいう無茶苦茶な展開よりはいいんじゃないのかな?」

「それは無茶苦茶な展開とは言わん。理不尽な展開と言うんだ。俺だったら使命を押し付けて来る奴を叩きのめして、ついでにそんな事態を引き起こす原因になった奴を叩きのめしてから帰ると思う」

「相変わらず暴力的――メイドさん! うし、ろ?」

 警告を発している途中で後ろから強襲を仕掛けてきた巨人の頭にナイフが突き刺さり、仰向けに倒れて絶命。

 本当に後ろに目があるのか、振り返らないどころか背後にいる巨人の動きを完全に先読みしてナイフを投げてみせたメイドに理香は金魚が如く口を開閉させる。

「理香様」

「ッ、は、はい!」

「ご忠告、痛み入ります。ですがご心配には及びません。この程度の雑兵、私一人でどうとでもなります」

「あっ、そう、なん、です、か」

「そうなんです。ですからお三方は話の続きをどうぞ。私も無音で戦うより、仁様の声を聞きながらの方が戦いやすいので」

「は、はあ。よ、余裕、なんですね」

「リクエストがあるなら、それについての話題にするが?」

「ではお料理の話など如何でしょうか。理香様はお料理が得意とお嬢様より聞き及びました。是非とも理香様の料理の腕前について」

「ところで東間、あの骨董品屋の子供店主、怪しさ爆発だったけど、長く付き合えば信頼もしくは信用できるようになると思うか?」

「無理。たぶん生まれてから死ぬまでの付き合いだったとしても彼とはわかり合えないよ。それこそ、光の粒子で意識を繋いだとしても僕たちと彼とでは価値観が違い過ぎるから、心と心で対話しても無駄だと思う」

「お前にそこまで言わせるとは。まあかく言う俺もアイツのことは信頼も信用もできそうにないと確信している。ただ、それとは別に何か引っかかる点がある」

「引っ掛かる点?」

「それが何なのか、説明することはできない。ただ、アイツとは何かあるような気がしてならないというか、前世からの宿敵みたいな?」

「……電波でも受信したの?」

「酷い言われようだが、否定できない辛さがあるんだZE! なあメイドさん、この気持ちって一体何なんだろうな? もしかして、これが恋?」

「違います」

「即答された」

「仁様があまりにもアホなことをおっしゃられるからです。私はその骨董品屋の店主が何者なのか存じませんが、そこまで信用できないのでしたら二度とお会いになられない方がよろしいかと。望まれるのでしたら、骨董品屋ごと爆破致します」

「爆破って」

「爆破がダメでしたら水圧で押し潰すのは如何でしょうか? それとも毒ガスを流し込んで身動きを取れなくさせた後、コンクリートに詰めて海に沈ませましょうか。あるいは鉄の処女に入れ、監獄に千年ほど放置するのも良いかもしれません」

 並々ならぬ殺意を発しながら次々に提案される惨殺方法。

 敵意と怒気と殺意をふんだんに盛り込んだ言葉の数々に比例するように動きが鋭くなり、八つ当たりの如く邪魔な者以外の巨人を切り刻んでいく。

「……なあ、メイドさん」

「なんでしょうか?」

「もしかしてあの店主と何かあった?」

「いいえ、何もありません。顔も知りません、声も聞いたことはありません。関わったことなど一度もありません。何故生きているのかやどうすれば殺せるのかや死すら生温いので生き地獄に叩き落とそうなど考えたことはございません」

「……そ、そうですか」

「わかっていただけましたか?」

「は、はい。わかり、ました?」

 下手に言及すれば命に関わる可能性が高い。

 鳴らされる体内警報に従い、沈黙する仁をフォローするべく、緊張で黙ってしまっている理香へ東間が適当な話題を振る。

「と、ところで理香、百メートル走のタイムがあがったって聞いたけど、前と比べてどれくらい速くなったの?」

「え、ええ、といってもほとんど変わってないわよ。調子の良し悪しで変わる程度の差だから、あの日は偶然、調子が良かっただけかも」

「つまり俺がカサカサした方が断然早いということでOK?」

「アンタはせめて四足歩行できるように努力しなさい」

「えー?」

「えー、じゃないわよ。前々から何度も言ってるけど、幼馴染みが地面にへばり付いてカサカサ動き回る姿を見せつけられるって、どういう気持ちかわかる!?」

「地面だけじゃないぞ。壁や天井もカサカサ這う鍛錬を怠ったことはない」

「どうしましょう、東間。今すぐこのバカを殴り倒したくなってきた」

「今回の一件が解決したらお好きにどうぞ」

「堂々と処刑宣告されちゃったでござる。酷いと思わなイカ、メイドさん」

「仁様には良い薬になるかと」

「ならんならん。だって俺、殺されたくらいじゃ性根は直らないもん! 一体俺が何度臨死体験をしてきたか、わかるか?」

「存じませんが、自信満々に言うべきことではありません。あるいは、ここであの巨人たちに餌として与えれば少しは直るのでしょうか?」

「あのサイズだと丸呑みじゃなくて、全身を食い千切られることになるから、復活が難しそうでやんす。むしろ復活できずに死ぬ気がするでやんす」

「それは残念です。ですが私は仁様なら、例え全身を無残に食い殺されても復活されると信じております」

「なにその無駄な信頼。俺ってそこまで信頼されるほど何かしましたっけ?」

「……………………いいえ、何もしておりません!」

 靴底で大地を踏み締めた彼女の足を掴む巨人の手。

 怪力で彼女の細い脚など微塵に砕くのに必要な時間は一秒以下、されども彼女が巨人の手を原形を留めないほどに切り刻むまで掛かった時間は刹那未満。

 地面から顔を覗かせた巨人の頭を踏み砕き、撒き散らされる血痕に不快げな表情を浮かべて大きく跳躍する。

 月夜に舞う彼女の後を追って跳んだ巨人たちが再び生きて大地を踏むことはなく、無事に地上へ降り立てたのはメイドの少女のみ。

 辺り一面を覆い尽くす血の海と散乱した巨人の肉片を意に介さず走る彼女の瞳に駅の明かりが映る。

「どうやら駅まであと少しのようです」

「おっ、ようやくか。予想以上に長い旅だった」

「樹冥姫の花たちのせいで予定よりだいぶ遅れちゃったね」

「まったくよ。おまけにみんなの移動手段の電車まで止めて、他の人たちにどれだけ迷惑を掛ければ気が済むのかしら」

「まあ生きていくために他の奴等を養分にしているのは全ての生物の共通事項だが、あの花は限度というものがないからな」

「最悪、生態系を狂わせる危険さえあります。このような発言はあまり好ましいものではありませんが、生きていてはいけない生物に分類されるかと」

「そこの巨人たちと同じように?」

「彼等は彼等で、望んで誕生した生命ではないようですが!」

 担いでいた三人を放り投げると同時に縄を切断。

 自由になった彼等は地面を転がり、勢いに身を任せて立ち上がる。

「何をするのか、って問い質すべき場面ですかね?」

「私はここで巨人たちを殲滅致します。お三方はその間にお進みください」

「死亡フラグを建築されるとは、覚悟を決められましたか!」

「冗談言ってないで、早く行きましょう」

「でも、僕たちだけ先に行ってもいいのかな?」

「ここに残って足手纏いになりたいのならお好きにどうぞ! それじゃあメイドさん、先に行って待ってますからなるべく早く来てくださいねー!」

「善処します」

 走り去る仁たちを見送り、ナイフに付着した血糊を払い落として周囲を確認。

 殺しても殺しても湧いてくる巨人の群れに単身で突撃し、地表にいる全ての巨人を瞬く間に切り刻み、血の海を作り出す。

 それでも巨人は湧いてくる。数秒と経たない内に十数匹が湧き、十秒もすれば五十を超える数の巨人が地面を掘って現れる。

 仁たちも地中から無尽蔵に出現する巨人たちの存在を認識していたが、振り返らずに真っ直ぐ進み、光に照らされた駅に乗り込む。

 駅内は人々が行き交っており、巨人たちの騒ぎに気付いた素振りはない。

 ただ、電車が止まっていることで立ち往生を強いられているらしく、大勢の人々が迷惑そうに時間を潰している。

 電車からではなく、駅のホームへと上って来た三人に好奇の視線が集まったのも暇潰しの一環に過ぎない様子だったが、不審に思われ、駅員を呼ばれる前に彼等は早足で駅の外へ足を運ぶ。

「んで、本体がいるのってこの街でいいんだよな?」

「それは間違いないと思うよ。だからこそ僕たちの妨害をしてきたんだろうし」

「妨害?」

「だってあのタイミングで僕たちの乗っている電車を襲ったり、大量の巨人をけしかけて足止めしようとしたり――あれっ?」

 発言の途中で東間自身も違和感を覚え、首を傾げる。

 状況を客観的に見れば成る程、花や巨人たちは彼等の進行を妨げるために現れたと判断するのが正しい。

 けれど彼等は一介の学生。

 時折、妖怪退治や悪霊討滅など仕事を行うこともあるものの、所詮は校長である九尾の使い走りに過ぎない。

 敗れたとはいえ大妖怪に至ろうとした者が、たかだが高校生三人組の足止めを行う必要などあるのかは甚だ疑問。

 彼等以上の力の持ち主など魔境の内外に数え切れないほど存在しており、明確な敵意を持っているからといって用心する価値はない。

「……本当に、どうして僕等は狙われたんだろう?」

「一、俺たちはどうでもいいからメイドさんの足止めを行おうとした。二、近づいてくる者は手当たり次第に襲っている。三、何か嫌な臭いがしたから襲ってきた。四、何者かの手引き。どれが一番確率が高い?」

「二はあり得ないわね。もしも手当たり次第に襲っているなら、今頃街中がパニックに陥っているでしょうし、それこそプロの退治屋や政府の人たちが黙っていないでしょう。完全に力を取り戻しているならわからないけど、不完全な状態じゃ勝ち目が無いのにそんなことをする理由がないわ」

「三もわけがわからないから除外として、一か四かな?」

「俺たちはともかく、メイドさんの強さは実証されたからな。まあそれならそれで、どうしてあの樹冥姫がメイドさんのことを知っていたのかがわからないが」

「じゃあ四かしら? とするとやっぱり例の黒幕が私たちの動向やメイドさんに付いて調べていて、花や巨人たちをけしかけた?」

「その可能性が一番高そうだね。どうやって調べたのかはやっぱり気になるけど、もしかすると僕等――仁のことをずっと監視していたりして」

「何故に俺」

「だって保険医に一番近いのは君じゃないか。黒幕が保険医と親しい関係の人物なら、同じく保険医と親しい君に興味を持ったとしても不思議じゃないよ」

「つまりモテ期の到来か。こんなモテ期なら東間きゅんにあげちゃう!」

「うん。抱き着いたところでそういうものを感染させることはできないよ。あと、暑苦しいから離れて欲しいな!」

 絡みつく仁の腕を掴み、見事な背負い投げを極める。

 投げ飛ばされた仁は空中で体を半回転させて着地――場所に運悪く、小柄な人物が一人、呆けているように突っ立っていたために激突。

 想定外の事態に慌てて駆けつけた東間と理香が縺れ合ったまま倒れている二人を抱き起こし、小柄な人物の正体が神凪であることと、両者ともに無傷であることに驚きながら安堵の息を吐いた。

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