第五十三話

 頭部が急所だったのか、繋がり掛けていた蔓は力なく解け、残された体も蠢く蔓の中に埋もれて消える。

 言い換えれば仕留めたにもかかわらず、状況は好転していない。

 厚い蔓の束が車両外部を覆い尽くし、内部への侵食は止まらず、段々と車両内に入り込む蔓の総量を増やしていく。

 切り払おうと圧倒的な蔓の数の前には焼け石に水。

 抗う三人の前に更なる絶望の使者として花が十数体、笑いながら出現する。

『フフフ』

『ホホホ』

『花が一輪、詰まれてしもうたか。所詮は餌と侮り過ぎたかえ?』

『まあ良いじゃろう。どの道、彼奴等に逃げ場はない。いや、生き残る術がないと言った方が正しいのかのう?』

 上下左右を埋め尽くし、なおも増え続ける蔓と十数体の花。

 戦ったところで勝ち目はない。万が一、勝ったところで彼女たちの言う通り、生き残る術はない。

 悔しさに拳を握り締め、溜まっていた息を吐き出した理香は仁や東間と視線を合わせて頷き合い、外と通じる扉を覆う蔓を切り払う。

『はて?』

『一体何をしておるのじゃ?』

『妾たちにも説明して欲しいのう?』

 余裕を崩さず、恐怖を演出するかの如くゆっくり近づいてきている彼女たちを完全に無視して蔓を切り払い、扉を見つけると打撃で歪ませ、こじ開ける。

 元より鍛えられ、人間離れした力を持った三人にとって電車の扉をこじ開けることなどそれほど困難な作業ではない。

 とはいえこじ開けたところで出迎えるのは大量の植物の蔓。

 むしろ扉を開けたことで大きな出入り口ができてしまい、外を覆っていた蔓の一部が一斉に扉から車両内部を埋め尽くさんと入り込む始末。

 自ら首を絞めた三人を花たちは嘲笑い、想像以上の蔓の濁流に仁たちは抗いながらも呑み込まれそうになり、次の瞬間には火に包まれていた。

『――なに?』

『火じゃと?』

『妾たちに向けて無礼な』

『何処からじゃ? いや、何者が妾たちにこのような真似を?』

『ええい、鬱陶しい。この程度の炎など――』

 戸惑いながらも火に手を伸ばし、植物の性として燃え盛る業火には抗えず、蔓が焼けていくのをただただ見つめる。

 鎮火するどころか、勢力を増していく業火を前に、花たちが車両内で立ち往生している間に燃え盛る炎の中から三人を救出する影が一つ。

 やや乱暴に道路の上へ三人を投げ捨て、彼等から抗議の声があがる前に救急箱を取り出して火傷の治療を行う。

 突然、燃やされたことが事実なら、花や蔓の包囲網から救出し、手当てを施しているのも事実。

 それ以前に何が起きたのか理解することさえできていない三人の内、仁だけは自分たちを治療してくれているのが古の幻獣に右腕を千切られた際、何処からともなく現れて手当てを施してくれた黒澤の家のメイドであることに気付く。

「……あのー」

「お静かに。奴等に気付かれては面倒です」

「す、すみません」

「謝罪の必要はありません。それより、こちらこそ救出に少々乱暴な手段を取ってしまい、申し訳ございませんでした」

「あっ、それはいいんですけど」

「貴女は、確か委員長の家のメイドさん、でしたよね? どうしてここに?」

「お嬢様のご命令で馳せ参じました」

「委員長の?」

「はい。お嬢様は一連の事件について独自に調査を行い、真相にたどり着かれました。その真相が何を意味しているのかは私も存じませんが、仁様たちが無茶をするかもしれないと私にお三方のサポートを命じられたのです」

「ああ、それで先日、俺の腕の治療をしてくれたんですか?」

「……さようでございます」

 一瞬だけ口籠りながらも肯定したメイドに理香は何か不穏なものを感じ取った様子で表情を険しくする。

 しかし口籠りこそしたが、彼女の言に偽りは見られず、窮地を救われた事実が変わるわけではないのですぐに表情を戻し、手助けのために救急箱へ手を伸ばす。

「理香様、理香様も怪我人であることに変わりはありません。ここはどうか、私目にお任せいただけませんか?」

「でも、一人じゃ大変じゃありませんか? 幸いにも私は軽傷ですから、二人でやった方が早く終わりますよ」

「事態に余裕がありませんのでハッキリ申し上げますが、今の理香様の技術は私の足元にも及びません。仮に手伝ったとして足を引っ張るだけで役に立ちませんのでおとなしくしていてください」

「うぐっ、ほ、本当にハッキリ言いましたね」

「はい。下手な言い訳を並べて誤魔化すより、明言した方が理香様にご納得して頂けると思いましたので」

「……その通りですし、納得している自分がいますけど、正直、悔しいです」

「その悔しさをお持ちならばきっと理香様もご成長できます。真に大切なものが心であることは全てにおいて共通していることですので」

「そういう考え方、嫌いじゃありません。どちらかといえば好きです」

「武道にも通ずる考え方ですので。っと、理香様、腕の火傷が想像以上に酷いものとなっております。痛みは感じていますか?」

「えっと、あんまり」

「見た目も酷いですが、中は更に酷くなっているかもしれません。少々――いいえ、物凄く染みる薬を使いますが、よろしいでしょうか?」

「……覚悟は、できています」

「では」

 他の薬と色の違いはない、透明な塗り薬を一塗り。

 理香に反応はない。正しくは反応できるような状態にならなかった。

 何故なら塗り薬が触れた瞬間、彼女は白目を剥いて意識を失ってしまったから。

 苦痛に表情を歪めることも、痛みの雄叫びを上げることさえ許さず、一瞬の内に意識を刈り取ってしまった塗り薬の凄まじい威力に仁と東間が戦慄する。

 尤も、下手に騒ぎを起こしていたなら蔓や花に見つかり、逃亡を強いられていたであろうことに疑いの余地はないため、彼女が意識を失ったのはむしろ幸いか。

 火傷に一通り、薬を塗り終えたメイドは治療を終えたことを確認後、救急箱を片付けて付き従う従者の如く、黙して立つ。

「……あの、どうかされたんですか?」

「私は皆様のサポートをするように命じられました。ですので理香様がお目覚めになられるまでこの場で待機致します」

「ちなみに俺たちだけで先行すると言った場合は?」

「意識のない理香様を一人、放置されてはお二方の活動にも支障を来しますので私がこの場で理香様をお守り致します」

「ふむ、了解でやんす。まあ薬を塗って意識が吹っ飛んだ程度だから、目を覚ますまでそんなに時間は掛からないだろう」

「だね。にしても、結局襲われちゃったか。情報と一致する見た目だったし、アレが樹冥姫の花でいいのかな?」

「恐らくはな。花から養分を吸収するとのことだが、あのまま俺たちを苗床にするつもりだったのかもしれん」

「理香が気に入られていたのは?」

「俺に訊くな。あの様子から察するに趣味だとは思うが、気に入った女に寄生して養分を吸い取るとか、まるでヒモ男だな」

「この場合、ヒモ男じゃなくてヒモ女じゃ? どちらにしても、この話を聞かれたら紐族の人外たちに怒られそうだけど」

「紐とヒモを同一視していることの方が怒られる原因になりそうだが。その場合もどうせ俺が悪者になるんだろうなー、と、若干憂鬱気味」

「君はすぐに憂鬱になるね。立ち直りも早いけど」

「――ハッ!?」

 男二人が雑談に花を咲かせている最中、目覚めた理香は槍を手に取り、夜の闇を切り裂くが如く狙いを定めず振り回す。

 近くにいた三人は当然ながら射程内。といっても虚しく振り回されるだけの槍の間合いの外側に移動することは容易く、待機中のメイドに至ってはその場から一歩も動くことなく、最小限の動きだけで槍を避ける。

「華麗だな。見習いたいものだ」

「お褒めのお言葉、謹んで受け取らせて頂きます」

「なんてのんきなやり取りをしている暇があるなら理香の暴走を止めた方がいい気がするのは僕の気のせいなのかな?」

「気のせいなんかじゃないぞ。理香、早く起きろ。痛いのはわかるが、ここで槍を振り回しても痛みが引くことはないぞ」

 説得に聞く耳は持たず、それでも止まったのは息継ぎなしに槍を振り回し続けて酸素不足に陥ったため。

 膝から崩れ、荒い呼吸を繰り返している内に目に生気を宿した彼女は辺りを確認、いつの間にかメイドの姿が消えていることを知ると共に、こちらに向けて猛進する花と蔓の群れを指差す。

「何をしているんだ、お前?」

「いよいよ壊れた、って感じはしないから、何か見つけて指差してるぅぅぅ!」

 彼女の指差す方角を見て、立ち上がれない理香を脇に抱えながら全力疾走。

 地中を通って先回りした蔓が障害物となって地面より飛び出し、彼等の行く手を阻むが偶然と驚異の身体能力で悉くを回避。

 アクション映画さながらの、洗練された無駄の無い無駄な動きを駆使して花たちを困惑させながら引き離しに掛かる。

「仁! 何処まで逃げればいいの!?」

「知らん! 今は走れ! 線路に沿って走っていけば、いずれ駅に着く!」

「こんなの引き連れて駅に行ったらどうなるのさ!?」

「人命優先! そして最も優先されるべきは己の命! 俺たちは自分の命を守るために他人の命を犠牲にする!」

「許されることじゃないよ!」

「そうよ、仁! それしか方法がないとしても、その方法を選んでしまえば私たちは人でなしになっちゃうわよ!」

「だったら解決策の一つや二つ、提示して頂きたいですな! 逃げることしかできないから逃げていて、それも体力が尽きるまでと長続きはしないとわかり切っているこの状況で打てる手があるのですかな!?」

「ある!」

「どんな!?」

「まず、私が突っ込んで道を切り開いて、次に仁が切り込んで道を作って、最後に東間が突貫して全部薙ぎ払う!」

「理香もパニックに陥っているみたいだね」

「もしも――あり得ないとは思うが、万が一にもこれが素だったら土下座してでも師範に頼んで、一から鍛え直させるしかないな!」

「なんでよ!?」

「自分の胸に訊いてみろ! 次、東間!」

「次も何も僕は解決策があるなんてぇ!」

 地雷のように踏んだ瞬間に飛び出した蔓が東間の片足を絡め取り、転倒しそうになった彼は片手で逆立ちつつ、剣で蔓を切り払って足の自由を取り戻すと側転しながら体勢を整え、速度を緩めず疾走。

 見事な曲芸に拍手とおひねりを渡しそうになった仁の足元でも複数の蔓が爆散するように四方へ伸び、刺し貫こうとする蔓の塊を避けるべく、仁は理香を前方に放り投げながら地に這い蹲り、黒光りするGのような動きで進む。

 その一方で思い切り投げられた理香は怒りはしないが機嫌を損ねたように歯軋りし、宙で半回転して姿勢を正し、着地後は元気に走り出す。

 一人だけ四つ足で地を這っているが、走る速さは他二人と変わらず。

 ただ、気持ち悪いので普通に走って欲しいという二人の切なる願いが届いたのか、両腕の力で大きく跳ねると両足で大地に立ち、爆走する。

「さて、この速度なら次の駅まであと約五分ってところか」

「それまでに倒さないとダメってことね」

「まだ言うか。俺だってできることなら倒したいが、具体案が無ければ机上の空論。議論の価値さえ生まれないぞ」

「何か道具はないの?」

「あるなら使っている。そもそも今回は準備する暇がなかったからあまり道具を持ってきていない」

「それじゃあどうするのよ! 次の駅が無人なことを祈ればいいの!?」

「時間的に、無人というのはまずあり得ない。気の毒だが、奴等は民間人を襲うことに躊躇いを持っていなさそうだし、諦めて食われてもらうしかないだろうな」

「それじゃあ私たちのせいで無用な犠牲が出ちゃったみたいに見えるじゃない!」

「俺たちの責任ではない。第一、俺たちが何もしなかったとしてあの花共は人間たちを襲っていた。逆に俺たちが標的になったことで生の時間が増えたと取れる」

「十数分から数十分程度、長くなったって意味ないわよ! あー、もう、アンタに八つ当たりしたって意味ないってわかっているけど、でも!」

 自らの頭を掻き毟り、苛立ちを噛み潰すように両足に力を込めて大地を蹴り上げ、夜空へ向けて思い切り跳躍。

 何の意味もない行動だが、飛んだことで微かに気が晴れたらしく、細かいことを考えるのをやめた彼女は立ち止まる。

「理香!?」

「アンタたちがやらないなら私がやるわ! それに弟弟子たちを傷付けた報いを受けさせるために来たのに、いつまでも背を向けて逃げていたら門派の恥だもの!」

「チッ!」

 考えなしの直情的な行動は彼女らしいといえばその通りだったが、この場面では明らかな悪手。

 三人でも呑み込まれれば終わりなのに、彼女一人など論外。

 仕方なく残り二人も足を止め、彼女を守るように前に出た仁を遮って前に出るが、仁は更に一歩前に出て彼女を庇う姿勢を崩さない。

 しかし理香もまた譲らず、彼より前に出ようとして前進。

 彼女が前に出れば仁がそれより前に出る。その繰り返しを続けていく内に彼等の顔から表情が消える。

「…………」

「…………」

 無言の時間は僅かに数秒だが、花たちが距離を詰めるには十分過ぎる時間。

 だがしかし、もはや二人の目に花も蔓も映っておらず、緊迫した空気が男女間に張り巡らされている。

「……仁? 理香?」

 不穏な空気を察して掛けられた東間の声が始まりの合図。

 襲い来る花や蔓などそっちのけで組手の如き戦いが始まり、一打ごとに白熱していく戦闘の熱に比例して争いが激しくなっていき、仲裁のために乱入した東間を含めた激戦の幕が切って落とされた。

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