第五十一話
掌の中に残るは植物の蔓。
本体から切り離されたためか、瞬く間に枯れ果て、利用価値のなくなった植物の蔓の残骸を仁と東間は払い落とす。
掴んだのは勝利。勝ちを拾ったのは紛うことなき事実なのだが、撃退はできても撃破することはできなかった事実が重く圧し掛かる。
三対一でこの体たらく。除草剤を用意できれば数秒掛からず滅することは可能だったが、それは除草剤が強力なだけ。
倒すことが目的の東間はそれで構わず、二人の協力者的立ち位置から脱しようとしない仁も除草剤で瞬殺することを考慮していたが、理香だけはまともに立ち向かっても勝てない可能性がある悔しさに拳を握り締める。
無手での戦いでは話にならない。せめて繰り出す拳から炎を噴き出せるほどの達人になれれば相手が植物であろうと関係なく焼き尽くせたのだが、達人の域には程遠く、妖術を習得していない、習得できない理香にそのような真似は不可能。
悔しさをばねに成長することはできる。それが不完全で未完成な人間の強み。
それでも強くなるためには時間が必要。
一朝一夕の努力で到達不可能な高みへは数年から十数年、数十年の歳月が要る。
いずれたどり着くとして、今は絶対にたどり着けない。
素手で勝つことを諦めざるを得なくなった彼女は握り締めた拳を電柱に叩きつけてへし折り、周りに迷惑を掛けないために電柱が横倒しになる前に回収及び応急処置程度だが修理した仁の背を見つめる。
「……仁」
「どうした、理香」
「この近くで武器を売っているお店ってあったかしら?」
「骨董品屋の爺さんが趣味で呪術の書かれた本やいわくつきの代物、果ては人切り包丁とかを集めているって聞いたが」
「じゃあ私の手に馴染む武器もあると思う?」
「結構な種類があるから、探せば見つかるかも――おい、理香。まさかお前」
「ちょっとくらい寄り道してもいいでしょう? 東間も構わないわよね?」
「まあ素手だと色々心許ないし、武器があってもいいんじゃないかな?」
「……仕方がない。ただ、欲しいものは自腹orツケだぞ。間違っても俺の奢りを期待するんじゃないぞ。おねだりされると嬉しいからって頼ったりするんじゃないぞ!」
「わかっているわよ。おねだりなんてしないから、早く行きましょう」
「…………」
何処か寂し気な背中を見せる仁の背中を叩き、気合いを注入して記憶の中にある道筋を辿り、骨董品屋に立ち寄る三人。
店の中に明かりは点いておらず、昼夜関係なく薄暗くて物々しい雰囲気と生臭さを漂わせる店内は来訪者に生理的嫌悪感を催わせる。
一分でも一秒でも早く店の外に出たい衝動に駆られながら明かりのない道を進む彼女の嗅覚を刺激する腐ったような臭い。
闇に目が慣れるまで少しの時間を必要とするので、嫌々ながら歩み寄った彼女の両腕に植物の物とは異なる触手が巻き付き、クラゲのような生物の大口が理香の頭を丸ごと呑み込み、首から下と切り離す――
「ジジイ、悪趣味が過ぎるぞ」
割って入った仁の手が異形の何かの口を押さえ、握り潰す。
悲鳴を上げて触手を理香の両腕から外し、闇の中に身を隠す異形。
数秒して代わりに現れたのは外見年齢十歳程度の白髪犬耳の少年。
子供らしい快活な笑みを浮かべた少年は手にした本を閉じ、事態の移り変わりに付いて行けてない理香に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか、お姉さん。お怪我はありませんか?」
「……大丈夫、ですけど」
「それは良かった。お姉さんをキズモノにしてしまったら仁お兄さんに叱られてしまいますから。ああ、それだけで済まず、言葉では言い表せないようなことをされてしまうかもしれませんね」
差し出された手を掴み、立ち上がる理香。
その手の甲に軽く口付けを行おうとする少年の頭を掴み、引き剥がしながら二人の間に仁が割り込み、犬歯を剥き出しにしながら少年を睨む。
「ふざけろ。挨拶代わりに店を訪れた客を殺そうとするのはやめろっていつも言っているだろう。その内、本当に通報されて潰されるぞ?」
「大丈夫ですよ。仁お兄さんやあの人がいますから、死んだところで生き返れる安い命に潰されてしまうほど、このお店の価値は低くありません」
笑顔を崩さず断言する少年に理香は空恐ろしさを覚えて身震いする。
今の彼の言葉は紛れもない本心。
少年は本気で店の方が客の命よりも価値があると確信を持っており、そして客、すなわち自身と無関係な他人が死んだところで興味を持たない。
仁や保険医に生き返らせるよう頼むことにも面倒事を避ける以外の目的はなく、面倒事が起きないのならば死んだ客を放置するか、先程の化け物の餌にするか。
止め処なく内から湧き出す恐怖に怯える理香の手を掴み、彼女の震えを止めながら仁は親しみのない口調で少年との交渉を開始しようとするが、口を開こうとした直後に少年の手で遮られる。
「要するに武器が欲しいんだよね。それも結構強力な奴」
「……勝手に俺の心を読むな」
「読んでないよ。読んだのは過去だけ。心は読んでないからセーフセーフ」
「勝手に俺の過去を読むな」
「読んでないよ。読んだのは心だけ。過去は読んでないからセーフセーフ」
堂々巡りの予感を覚え、早々に少年の存在を無視して手を繋いだまま、見せの中を歩いて回り、武器となりそうな品を探す。
一人、完全に蚊帳の外に置かれていた東間は店の外で待つことも考えたが、理香と同じく彼の危険性を素肌で感じたので邪魔をしないよう数歩後ろを付いていく。
「にしても君が武器を欲しがるなんて珍しいねー。あの植物ってそんなにヤバい奴等の集まりなのー?」
「ヤバいかどうかはまだわからないが、眷属っぽいババアを取り逃がした。素手で立ち向かうには少々面倒な相手なのは確実だろう」
「そんな貴方たちにはこちらの魔導書など如何でしょう。多少の生贄が必要になりますが、従順な化け物共を使役できますよ?」
「召喚するのはもちろん、視認するだけでSAN値が削られそうな化け物を使役する魔導書なんて要らん。つーか、何処で手に入れた?」
「全部写本だよー。でもでもー、ちゃんとこの目で見てー、しっかり書き写したからオリジナルと同等の威力を発揮するはずだよー」
「……俺の目には魔導書が十数冊あるように見えるんだが、その全てを書き写したのか? 内容を理解した上で?」
「もちのろんろん! 伊達に歳月を重ねていないのさー。褒めて褒めてー」
「相変わらず、ふざけたジジイだ」
呆れを通り越して感心すればいいのか、感心を通り越して呆れればいいのか。
見るからに危なそうな、特殊な皮で作られた魔導書を自慢げに広げている彼と視線を合わせず、適当に並べられている剣を手に取った瞬間、凄まじい嘔吐感に襲われ、全力で剣を投げ捨てる。
「お目が高いねー。それは昨日発掘されたばかりのー、とっても呪われた魔剣なんだよー。掴んだ人はー、問答無用の殺人衝動に憑りつかれてー、周囲の人々を手当たり次第に切り殺しちゃうようになるんだー。この店は二号店でー、本店は諸事情で移転しましたー。だからー、僕は雇われ店長でー、本来の店長とは関係ないんですよー、わかりましたかー、東間さん?」
「――へえー、そうなんだ。知らなかったよ。教えてくれてありがとう」
「いえいえ」
考えていたことへの回答に一瞬、挙動が止まり、平静を装いながら感謝の言葉を述べる東間の額を流れる一筋の汗。
乾いた咽喉を唾で潤そうとしても逆に乾きが増し、二人の邪魔することに罪悪感を覚えつつも急いで駆け寄る。
「仁、あの子、何者なの?」
「知らん。俺は白髪だから俺はジジイと呼んでいるが、いつ、何処から来たのかは俺はおろか、雇った先代の爺さんさえ知らないらしい」
「それなのに店長を任せたの?」
「俺も疑問に思ったが、当人たちさえ不思議に思っているから敢えて俺が口を出すようなことじゃないと何も言わなかった」
「……それでいいのかな?」
「知らんと言った。ただ、得体の知れない奴なのは確実だ。個人の交友関係にまで口を挟むつもりはないから気を許してもいいが、何かあっても自己責任で頼むぞ」
「ご忠告ありがとう。直感だけど、あんまり仲良くなれそうにないかも」
「えー? 僕はもっと皆さんと仲良くなりたいのにー。仲良くなってー、もっと色々なことをして遊ぼうよー。色々なことをして」
殺意か敵意か、好意か善意か。
測ることのできない真意を前に理香の震えが強くなり、繋がれている仁の手を必死に握り締める。
必死過ぎて仁の手の骨が砕けそうになるが、痛みを気にしている余裕は無く、彼等にできることはなるべく子供店主を気にしないように努めること。
武器捜索に専念する彼等を眺めながら厭らしく笑う少年は三人の周りをうろつきながら適当な商品を手に取って頼んでもいない商品の説明を始める。
「この槍はかの大将軍の首を討ち取った際に使われたそうだよー。まあ首を取った翌年にその武将は不慮の事故死を遂げてー、ついでに一家はもちろん、国そのものが不可解な死を遂げたそうだけどねー。世の中って不思議なこともあるもんだー」
「かの大将軍って誰だよ」
「さあ? かの大将軍さんはかの大将軍さんなんでしょー。所詮は逸話だから真に受けない方がいいかもねー。この槍の持ち主は全員、非業の死を遂げたそうだけど」
「じゃあお前もいずれ死ぬのか?」
「そうなんだよー。怖くて怖くてたまらないんだよー。だからさっさと誰かに買い取ってもらいたいんだけどー、誰かいい人いないかなー?」
「今度、紹介してやるよ。呪いを受けても平然としていられそうな奴を」
「すごーい。君は呪いを跳ね返せるフレンズを知っているんだねー」
「跳ね返せるとは言っていないが」
脳に浮かび上がるリューグの顔。
呪いに耐性などなく、蝕まれながらも強靭な精神力で抗い、最期には打ち勝つと信じて疑わない彼に少年は嘲笑を漏らす。
「何故嘲笑う」
「別にー。でもでもー、伊達や酔狂で科せられた呪いじゃないからー、その人でも耐えられるとは限らないんじゃないのー?」
「耐えるさ。アイツなら絶対に。何なら、俺の命を賭けても構わないぞ」
「へー?」
理屈などない無条件の信頼は理香や東間たちに向ける信頼とはまた異なる、心の強さへの信頼を察した東間が僅かばかり発言を躊躇う後ろめたい気持ちを抱く。
そんな薄暗い感情を少年は見逃さない。
視線と意識を仁に向けたまま、仄暗い感情を心の隅に発生させた東間を射貫くような眼差しで捉え、投擲されたフォークに眼球を刺し貫かれる。
噴き上がる血飛沫が視界を真っ赤に染め上げ、大切な商品を自身の血で汚しては叶わないと眼球ごとフォークを引き抜き、食す。
自らの眼を貪り食らう少年に流石の仁もしばし呆然とし、食べ終わった直後に新たな眼球を生やした彼にドン引きする。
「酷いなー、そんなに下がられると僕も傷付くよ?」
「目の前でグロい光景を見せつけられた俺の気持ちにもなれ。そもそもどうしていきなりお前の目をフォークが貫いたんだ?」
「ああ、見えてないのか。まあそこまで感覚を研ぎ澄ませることができていたら、わざわざこんな店に寄る必要もないだろうから、気付かないのも無理なイカ」
「わけのわからんことを言ってないで、質問に答えろ」
「お勧め武器はこちらのガントレットですかねー。両腕に装着すると皮膚に寄生し、筋肉や骨と一体化して凄まじい怪力を発揮できるようになりますよー」
「副作用は?」
「寄生した瞬間からエネルギーを吸われ続けますからー、短い間隔でエネルギーを補給する必要があるってことですかねー。でもまあ、さっき紹介した商品よりはデメリットが少なくて扱いやすいでやんすよー」
「だって。どうする、お前等?」
訊いても反応しない二人は黙々と己の手に合いそうな武器を探しており、店主を意識せず、視界に入れないように努めている真っ最中。
必然的に仁のことも無視せざるを得なくなってしまい、かといって店主を自由にするのは危険過ぎるためか、勧められる商品の話に相槌を打ちながら適当に聞き流しつつ、自身に合いそうな武器を求めて店内を見て回る。
「こっちの鋭爪も中々の一品ですよー。装着者の戦闘意欲を極限まで上げてー、闘争本能の塊にしちゃうんですー。まあすぐに制御不能に陥りますけど」
「そうか」
「こっちの眼鏡はビームが出せるんでっせー。眼球が光に焼かれてしばらく見えなくなる上に三分の一の確率で眼鏡が爆発して頭が吹き飛びますけどー」
「へえ」
「まあそんなわけでー、本体が地中深くの球根というのは今は昔の話でー、改造された結果、木を隠すには森の中的な感じに花の一輪が本体なんですよー」
「はいはい、そうなのか。それは良かったな」
「まったくっすねー。おかげでとっても倒しやすくなりましたー。この情報を知っていればの話ですけどねー。あっ、その鎧もお勧めですよー。着けると全身の穴という穴から針が伸びて、装着者と近くにいる奴等を全員、串刺しにするんですー」
他者の気分を害す、悪辣な笑みを浮かべて語る少年は新しい重度に呪われた武器を勧め、仁は話半分な態度で冷淡に突き放す。
何を言おうと淡白な対応を取る仁に表面上、辟易した様子を見せながら誰の姿もない闇の中に嫌味と好意の混じる眼差しを向けては意地悪く微笑んだ。
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