第五十話

 樹冥姫(じゅめいき)。

 政府公認の危険妖怪の一体。

 元は無害な人面樹であったが、数千年の歳月を重ねたからか、はたまた環境破壊の影響を受けたのか、根の一部が突然変異を起こし、地上の本体を切り捨て、地下深くに巨大な球根となって潜伏。

 人面樹の時に蓄えていた養分を用いて大量の花を咲かせ、地上の生物たちの養分を吸収して成長を続け、その力を飛躍的に高めていった。

 が、あまりにも急激に力を付けたために他種族はおろか、同族たちさえ見下すようになり、その横暴さが仇となって最期には妖怪たち、ハンターたちの両方を敵に回し、激しい戦いの末に討ち取られた。

「その後、徳の高い僧侶がその魂を浄化し、死体は土に還ったという。ここまでがネットに書かれている情報だ」

「樹冥姫、ねえ」

「随分詳しいけど、その情報は信用できるのかい?」

「自称妖怪マニアのサイトだからな。この手の奴等は情報を集めるのに手段を選ばない傾向にあるから、信用していいだろう。俺も知らない人外たちの秘密もいくつか書かれているし、実際確かめてみたらその通りだった」

「それはそれで怖いわね」

「どうやって情報を入手しているのかはわからないけど、あんまりやり過ぎると本当に危険な存在を敵に回しかねないんじゃないかな?」

「さあな。そうなったらそうなったで本望なんじゃないのか? ちなみに樹冥姫の花は下半身が植物と化している見目麗しい女性らしいぞ。男女問わず色香と花粉で惑わして、近づいてきた奴の養分を吸い取るんだとか」

「ありきたりだけど有効なやり方だ。……下半身が植物の女性に誘惑される人がいるのかが疑問だけどね」

「甘いな、東間。昨今ではスライムやら虫けら、魚にさえ欲情できる奴等がいるんだぞ。下半身が植物程度、何の支障にもあるまいて」

「そうね。少し前に凄い結婚式も見掛けちゃったし」

「あー」

「アレかー」

 三人が同時に思い浮かべる華々しい結婚式。

 招待されたわけではなく、たまたま見掛けたその式場で微笑む新婦は人間だったが、寄り添う新郎は不定形のブヨブヨとした液体。

 新婦の父親が号泣していたのは果たして娘が結婚したからか、それとも結婚相手が人の形をしていなかったからかは定かではないものの、様々な意味で衝撃的な光景は今も彼等の脳裏に刻み込まれている。

「まあ要するに、この街に住んでいる私たちも似たような感じでしょう。それにそもそも誘惑に引っ掛からなかったとして、植物とお友達になろうって近づくことはあり得るんじゃないの?」

「そっか。その可能性を忘れていたよ。欲情するのも仲良くなろうとするのも、樹冥姫からすると餌がのこのこやって来ただけなのか」

「うむ。あっ、ついでに倒し方についても載っていたぞ。えっと、樹冥姫の花はその体の何処に触れられようと触れた相手から養分を吸い取れるが、樹冥姫本体は花からしか養分が吸収できず、花を作ることにも相応の養分を必要とするため、養分を吸い取る前に花を散らされた場合、地中深くで枯れて死ぬ。とのことだ」

「なんで倒し方まで知っているのよ」

「もしかして実際に倒した人がそのサイトを作ったとか?」

「ちなみに管理人の名前は『ガチャ○ン』になっている」

「誰よそれ!?」

「なんだか聞いたことがあるような、聞いたことがないような、不思議な名前だ」

「まあ有用なサイトであることに変わりはない。この情報が真実なら、本体を無視して花だけ狩り続けていればいずれ本体は力尽きることになる。ついでに花はヘルシーなサラダの味がして結構美味しいらしい」

「味の話のせいで一気に胡散臭くなったけど、倒し方を真実と仮定して、問題は花が作れなくなるほど養分を減らしてくれるか、だけどね。僕だったら全ての養分を使い果たす前にある程度残しておいて、ほとぼりが冷めた頃に花を咲かせて無害な動物でも襲うだろうね」

「卑怯者!」

「そんなこと言われても、死にたくないならそうするしかないよ。それに討伐されたはずなのに生きていたってことは、僕の言ったことと似たようなことをしてなんとか死を免れたんじゃないの?」

「でも、それだと保険医が動揺していた理由がわからないじゃない。確かに敵の正体はわかったけど、裏で糸を引いている黒幕がいても不思議じゃないわよ」

「それもそうっか」

「黒幕、か」

 腕を組んで考え込むこと十数秒。

 師範代の地獄の特訓を終え、外から戻って来た門下生たちが死んだように道場の床に倒れ伏し、道場内の温度が一気に高まる。

 彼等の休憩の邪魔をしてはいけないと外に出た三人が見たのは死屍累々な景色。

 元気なのは師範代と師範の二人。豪快に笑っている師範の隣でほんのり汗を掻いている師範代が生徒たちを介抱している。

「師範代、かーなーりやり過ぎたみたいだな」

「お義父さんから悪い影響でも受けちゃったのかしら。今度、注意しないと下手すると死人が出るかもしれないわね」

「まあ師範がいるから最悪の事態は免れると思うけど、門下生の数が減っても仕方がないって受け入れるしかないかも――?」

 助けを求めて東間の体にすがり付く門下生の一人。

 彼を介抱しようと足を止めた東間がふと周りを見回してみると、ゾンビのように地を這う門下生が元気を有り余らせている彼等を取り囲んでいる。

「……もしかして、結構危険な状況だったりするのかな?」

「あー……うー……」

「……えー……」

「……かゆ、うま……」

「まー……まー……」

「……めー、でー……めー、でー……」

「ふん……ぐるい……むぐる…………うな……くとぅ……るう…………るる……いえ……うが…………ふなぐる……ふたぐん…………」

「なんかゾンビ化している奴等がいるんだが」

「寄生虫じゃないだけマシとか?」

「生きたまま死んでいるって意味じゃどっちもどっちだよ。それと若干一名、別の意味で狂気を宿している気がしてならない。で、どうしよっか。師範も師範代も気付いているけど助けてくれそうにないよ」

「そりゃ、正面突破で逃げるしかないだろうが!」

 群がる後輩たちを押し退け、正門まで走る彼等の前に立ち塞がる門下生の山。

 全員が地を這い蹲っていながら機動力は二つの足で立っている時以上。

 同じく四つ足でカサカサと動くことが趣味の一つな仁は彼等の機動力の高さに感服すると共に嫉妬の念を覚え、黒く蠢く例のG用の罠を設置中、理香に蹴られる。

「何をする」

「状況わかって――わかった上でボケているんでしょうけど、何よりも後輩たちを例の虫扱いしない!」

「俺は割とそんな風に扱われているけど」

「アンタの場合は自業自得!」

「そんな、酷い」

「夫婦漫才している暇があるなら――ああ、そうか、二人して僕を逃がすために囮になってくれているんだね! ありがとう!」

「させるかァァァァァァァ!」

 駆ける東間の腰にしがみ付き、引きずられながらも正門から脱出。

 次いで正門から出た理香は門を閉じて追手を足止めしつつ仁のせいで満足に動けない東間の手を掴み、門下生たちが追って来られない距離まで逃げる。

「り、理香、ちょっと、苦しいんだけど」

「文句は言わない! それと仁、いつまでも東間の腰にへばり付いてないで、自分の足で走りなさい!」

「むう。しかしだな、理香ちゃん。これは東間が勝手に逃げ出そうとしたことへの罰であって、決して俺が好んでしがみ付いているわけでは」

「ああでも言わないとアンタがまともに逃げようとしないからでしょ! むしろ足止めして自滅する道を選ぶじゃない! それくらい自力で気付きなさい!」

「いや、気付いていたけどノリで足止めしてみました?」

「今すぐ殴られるのと、謝って自分で走るのとどっちがいい!?」

「すみませんでした!」

 一秒たりとも逡巡せず、謝罪と駆け足を選んだ仁を二人はそれ以上、責めない。

 ただ、あくまで言葉では責めないだけなので視線は険しく、非難の眼差しを向けられた仁は走りながら小さくなる。

「ったく、本当に馬鹿なんだから」

「そこが仁の魅力の一つでもあるけどね。美点がそのまま汚点にもなっているのが玉に瑕だけど」

「どのような美点も反転させれば汚点となり得る。俺はその体現者!」

「調子に乗らない!」

「すみましぇん」

「やれやれ。で、話を戻すけど、黒幕のことはどうする? 樹冥姫を復活させたのがその黒幕だとしたら、樹冥姫を倒してもあまり意味がないよ」

「いや、黒幕は放置する」

「その心は?」

「情報が少な過ぎる。そもそも黒幕の存在は保険医や校長の態度からの推測の域を出ていない。黒幕がいると仮定して、俺たちだけでどうにかなる相手なら校長がいつも通りに仕事として依頼してくる。何より、深入りしてもロクなことにならないのは世の常だ。後手に回るしかないのは癪だが、この程度の騒動は今までにも何度もあったことだし、機会があれば潰す程度で考えていればいい」

 慎重策、取り方によっては逃げ腰と揶揄されるかもしれない提案に理香が賛同の意を示すように頷く一方で東間は不満気味。

 門下生に手出しされたものの、直接的な被害をもたらされていない理香とは異なり、帰るべき家を壊された東間が憂さ晴らしの一種として犯人及び真犯人に相応の報いをもたらせようと考えるのは当然か。

 同じく家を植物の妖怪に侵食された仁は共感を示しつつ、湧き出す怒りを抑えるよう説得を試みる。

「東間」

「わかっているよ。不安は拭えないけど、今回が初めてじゃないっていうのは大きいからね。また頼らせてもらっていいかな?」

「無論だとも。お前の家は俺にとって緊急避難場所の一つだからな。破壊されたまま放置されては非常に困る」

「別にいいけど、私物を増やし過ぎるのはやめてよね。空き部屋が倉庫と化した時なんか本当に驚いたんだから」

「その程度のことで驚いたという事実に驚かされた。荷物が多いくらいで驚くなど、肝っ玉が小さいぞ」

「腐敗寸前の生肉とか、蛆が湧いた死体を見たら――驚かない人も中にはいるかもしれないけど、僕は驚く人に分類されちゃうかな。なんだったの、アレ」

「実験材料」

「理香、下から来るよ」

「言われなくてもわかっているわよ。仁、無視されたからってイジけるのは禁止」

「うーい」

 鳴動と共にコンクリートの地面を突き破る太い触手。

 幾本もの蔓が集まり、形成された人型は確かに女性型であり、下半身が植物であるのだが蔓のみで構成されたその体は美しさとは程遠いもの。

 美人ではないどころか、お婆さんと形容するに相応しい人型植物の外見に、年頃の少年の礼儀として多量に非難を含んだ眼差しで睨む仁と東間だったが、何かに気付いた仁がスマホを弄る。

「一応、戦闘前だけど、何をしているのかな?」

「見ての通りの調べもの」

「よりにもよってこのタイミングで?」

「このタイミングだから。……うん。予想通り、コイツは樹冥姫じゃない。コイツは蔓婆(つるばばあ)だ」

「蔓婆?」

「聞いたことのない名前だけど、何処の妖怪?」

「出身は知らんが、複数の植物の蔓が絡み合って長い年月を得たことで生まれた、いわば雑種の妖怪みたいだ。知能はあるにはあるが、犬よりは頭が悪いらしい」

「フーン。で、それがどうかした、の!」

 振るわれる触腕を掻い潜り、胴体に跳び蹴りを放つ。

 真っ直ぐな跳び蹴りに対し、蔓婆は自らの体を形成している蔓を解き、直撃を避けたところで即座に体を再構成。

 空振りしたことで大きな隙を作ってしまった理香はすぐさま体勢を立て直しに移るも、完全に立て直す前に片腕を複数の蔓に絡め取られる。

「チッ、セコい手を使うわね。犬より馬鹿だったんじゃないの?」

「犬より悪いってことと知能がないってことはイコールじゃないぞ。取り敢えず猪突猛進していれば勝てると思い込まない方がいい」

「そこまでアホのつもりはないわ。私も、コイツも!」

 複数の蔓との力比べ。

 地に根を張り巡らせていることで半ば大地と一体化している蔓婆を動かすことは困難を極める。

 しかし幾本もの蔓が重なり合ってできている蔓婆本体はともかく、蔓の強度はそれほどではなかったため、引っ張り合いをしている内に限界を迎えて千切れ、両者共に体勢を崩したところで仁が懐に潜り込んだ蔓婆に掌底を叩き込む。

 強烈な一撃、けれど核と呼べる部位が存在しないおかげで一発では沈まなかった蔓婆は形勢不利を判断し、開けた穴から大地に潜って逃走を図るも、東間と仁に体を掴まれて逃亡を阻止される――ことはなく、掴まれている部分の蔓を本体より切り離すことで拘束を解き、間を置かずに地中深く潜って姿を晦ませた。

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