第二十二話

 昼食を食べて完全回復を果たした――かに思われた仁は午後の授業を爆睡。

 奇行が日常な彼の行為は授業をしているリューグに温かく見守られ、後に相応の罰を受けることになったがそれはまた別の話。

 放課後、全身を駆け巡る壮絶な痛みに顔を顰めさせながら鞄を取りに教室に戻って来た彼は普段ならこの時間帯に教室にいないはずの友人を発見。

 彼もまた仁が死地より帰還したことを視認すると共に合掌して祈りを捧げる。

「待て、神凪君よ。それは一体何の真似だ?」

「成仏。未練。念仏。地獄。旅路」

「俺はまだ死んでいないから。ここにいるのは悪霊じゃなくて本体だ。生霊でもないから安心するといい」

「死人。皆。同じ。発言」

「死んだ奴は自分が死んだことを自覚していないってか? 安心しろ。俺が死んだら潔く地獄に行って閻魔様を相手に国盗り合戦を仕掛けるからよ」

「安心。不変。仁」

 微かに笑った神凪は封筒を開け、中に入っていた紙を広げる。

 目の前で何かを読み始めたなら覗き見しなければ嘘になる、などと自身に言い聞かせて背後から神凪の頭に顎を乗せて堂々と書かれている内容に目を通す。

「ほほう。これは校長からの依頼か。成る程。今朝の仕事を神凪君が引き受けたということだな。感心感心」

「邪魔」

「そう邪険にするな。手伝う気はないが、内容を把握しておいた方が後々何か役に立つかもしれないぞ」

「役立つ。意味。不明」

「いやいや。例えばそうだな。神凪君が下手を打って敵にやられてしまった時、現場を知っていれば骨を拾いに行けるかもしれないではなイカ」

「縁起。悪い。発言」

「まあまあ。気を悪くしたのなら謝ろう。しかし場所は海に浮かんでいる元観光地で現在は無人島か。池に住んでいる神凪君とは相性が悪いんじゃないのか?」

「問題。無し。多分」

「自信ないんだな」

「海水。苦手。淡水。得意」

「じゃあなんで引き受けたし」

「食券。きゅうり。魅了」

「要するに食の誘惑に負けたと。神凪君らしいといえばらしいが。それで、一人で大丈夫なのか? 誰か連れて行った方がいいんじゃないのか?」

「水。適性。低い。足。引っ張る。単独。気楽」

「おいおい。俺はどんな場所でも大丈夫なオールラウンダー的な性質を持っているんだZE! 嘗めちゃいけないんだZE!」

「協力。要請」

「やだめんどい」

 瞬間的に人差し指から飛ばされた水の弾丸が仁の額を撃ち抜き、衝撃で体を仰け反らせながら赤い痕を残す。

 激痛にまでは及ばないけれど後から鈍く痛み出す額を押さえ、神凪に文句を言おうとするが、体を起こす頃には既に教室から出ようとしている最中。

「じゃあなー、神凪君。気を付けろよー」

「感謝。仕事。旅立つ」

 やる気を表現するかのように鼻の穴から息を噴射。

 気合い十分で帰宅していく彼の背に手を振り、姿が見えなくなってから教科書などを詰め込んだ鞄を片手に帰宅する。

 神凪が帰宅していないことを知ったのは夜遅く、風呂から上がって歯を磨いている途中のことだった。



 翌日の放課後、帰宅後に私服に着替えた仁は電車に揺られながら窓から見える壮大な海に思いを馳せる。

 あらゆる生命体は海から誕生した。ならば終わりを迎えた時に命を還すべきなのは大地ではなく海なのではないのか。

 しかし海が海として成り立っているのは空気や大地、果ては宇宙という全ての生命の故郷であると同時に墓場でもある世界のおかげならば真に命を還すべき場所は地上ではなく宇宙なのではないのか。

 真剣な顔で本心からどうでもいいと思える妄想を展開させる彼は改めて地図で現在位置と目的地を確認、停車した電車より降りる。

 潮の香りが漂う海沿いの駅。

 少し歩けば砂浜にたどり着き、砂浜からでもハッキリと見える位置にかつては観光地として賑わっていた無人島が浮かんでいる。

 遠くから見る限り、異常らしい異常は見られず。

 だが無害そうに見えてその実、有害であったなどのオチは今も昔も珍しくなく、神凪が消息を絶っている以上、危険地帯であることに疑いの余地はない。

「ってなわけだ、華恋ちゃん。気合いを入れろよ」

「誰に向かって言ってんだ、影月。てめえこそ、ふざけた真似をしやがったら叩き潰すぞ」

 強気な口調に余裕はなく、見るからに焦燥感に駆られている少女は学生服。

 日差し対策に被っている帽子の真実は頭に生えた二本の角を隠すため。

 焦りを誤魔化すためか、何かしていないと落ち着けないのか、鬼の少女、華恋は近くの木に拳をぶつけて真っ二つにへし折る。

「おいおい。森林破壊なんてダメじゃなイカ。自然は大切にしないといけないぞ。壊していいのは花粉症の原因となっている腐れ植物だけだ」

「五月蠅え。黙ってないとぶちのめすぞ」

「いくら神凪君が心配だからって暴力はいけないと思います」

「だ、誰があのバカの心配なんてするか! 私はただ――そう、てめえがまたバカをしねえかどうか、見張りに来たんだ!」

「河童の集落を訪れて河童たちに話を聞き、手掛かりがないとわかると魔境中を走り回って神凪君の行先に関する情報を集めていた鬼さんが何か言っております」

「黙らねえとぶちのめすって言ったぞ!」

「それなのに一番怪しい校長を最後に回すというのは何故なのでしょうか」

「ぶっ殺されてえのか!」

「おお、怖い怖い。恋する乙女を弄るのはいつでも何処でも命懸けー」

 大振り故に避けやすい反面、直撃すれば怪我では済まない威力の拳を寸前で避け、かすった頬から流れる血を舐め取り、舌を赤く塗らす。

 直接攻撃は最後の警告。憤怒と敵意と殺意を放ち始めた華恋をこれ以上、弄るのは危険と判断して近くの貸しボート屋を尋ねる。

「すんませーん、ちょっとボート貸してくださーい」

「あいよ。どれもこれも壊れ掛けだから漕ぐ際には注意してね」

「ういういー。注意一秒怪我一生。怪我には十分お気を付けをってねー」

 料金を支払い、泥船の方がまだ長く海に浮かんでいられそうな壊れ掛けの木製ボートに向かい合うように腰を下ろして備え付けてあった櫂で漕ぐ。

 無人島までの距離はそれほどないため、泳いで行った方が速いのではと華恋が気付いたのは漕ぎ始めてから十数分後、船幽霊たちに囲まれてしまっている最中。

 放っておいても沈みそうなボロ舟でも自らの手で沈めなければ気が済まないのか、柄杓を求めてボートの周囲を埋め尽くしている。

「おい、影月。どうするんだ?」

「大丈夫だ。こんなこともあろうかと既に聖水で処置済みだ。ほれ、華恋ちゃんも手に掛けておけ」

「そりゃいいが、このままここで立ち往生しているとその内、何もしなくても沈んじまうんじゃねえか?」

「まあひしゃくなんてあるわけないし、こんなところで時間を無駄にしたくもないので強行突破一択だ。異論は?」

「ねえよ」

「じゃあ、行きますか!」

 海を覆い尽すほど大量の船幽霊たちの中へ高速で突っ込む、こじんまりとしたオンボロボート。

 どれだけ求めても柄杓を与えられなかった船幽霊たちは声なき怨嗟の声を上げながら激昂。その手でボートを沈めるために仁たちへ襲い掛かる。

「影月!」

「はいはい。漕ぐのは私にお任せを!」

 群がる船幽霊たちを薙ぎ払い、ボートを直接沈めようとする船幽霊たちを剥ぎ取って握り潰す。

 しかし華恋にできるのはそこまで。

 自身とボートは守れてもボートを漕ぐので手一杯な仁を守ることはできない。

「でも相手が神凪君なら愛と恋の力でどうにかしてしまうだろうから、ちょっぴり不公平さを感じてしまう今日この頃の出来事」

「何か言ったか!?」

「独り言を少々。それはそれとしまして華恋ちゃん、船幽霊って不味いんだな」

「そりゃこんな不健康そうな色の肌をしてんだし、ずっと海水に――って!?」

 聞き逃せない単語に仁の口元を注視した華恋が目撃してしまったのは彼の口の中からはみ出し、外へ出ようともがいている船幽霊の腕。

 蟻地獄が如くもがけばもがくほど仁の口の中に呑まれていく船幽霊の腕はやがて完全に華恋の視界から消え、代わりに映るのは咀嚼の動き。

 次いで顔付近に飛んできた船幽霊の腕にも齧り付き、情け容赦なく胃袋の中へ流し込んでしまう彼の動きに変わったところは――全身を船幽霊に掴まれ、海の中に引きずり込むべく引っ張られているにもかかわらず微動だにせずに粛々と、それでいて中波が生まれるほどの速さで櫂を動かしている。

「てめえ、やっぱ化け物だな」

「鬼に化け物呼ばわりされたくない。特に次期酒呑童子さんには」

「まだ決まっているわけじゃねえ。第一、てめえをぶちのめせねえような情けない奴に酒吞童子の名を継ぐ資格なんざねえ」

「こだわるねえ。まっ、継いでも継がなくても苦労はするだろうけど」

 雑談ができる程度に船幽霊の数が減り、結果的に包囲網を突破するのに掛かった時間は僅か一分足らず。

 だが限界を超えた運動を強制されたボロ舟が原形を留めていられるはずもなく、無人島に到着した直後に自らの役割を終えたように砕けて散り、最後まで自身の役目を果たしてみせた木製のボートに敬意を表し、直立不動体勢を取った仁は海に浮かぶボートの木片に敬礼する。

「変なところで律儀な奴」

「道具は大切にする派ですから。そして作品はそれ以上に大切にする。あのボートは紛れもなく作品だった」

「知らねえし、理解するつもりもねえ」

「冷たい女。神凪君にあることないこと吹き込んで」

「この場で私と決着をつけてえのか?」

「到着早々戦闘不能になりたくないのでやめておきます」

「だったら無駄口叩いてねえで、早くあのバカを探すぞ。ここにいるってことに間違いはねえんだろうな?」

「神凪君が何もかもを放り捨てて自分探しの旅にでも出ていない限りは」

「なら問題ねえ。アイツが私やてめえ、他のダチに黙ってどっか行くことなんて河童がきゅうり嫌いになることよりあり得ねえからな」

「河童の中にもきゅうり嫌いな奴はいるんじゃないのか?」

「ありえねえって言った。鬼と河童の付き合いの長さ、嘗めんじゃねえぞ」

「種族の付き合いが長いからって全ての河童の好き嫌いまで把握しているわけじゃあるまいし、突然変異できゅうり嫌いの河童が生まれても不思議じゃない」

「そういうのはカウントしねえから安心しな。んで、どうすんだ? ジャングルみたいな森の中を調べりゃいいのか?」

「その前に砂浜の調査だねー。森に入ってミイラ取りがミイラになるのは砂の間食を十分に楽しんだ後でもいいのさー」

「迷子になること確実かよ」

「地図がなければ地形を把握できてもいないからねー。未知の領域に足を踏み入れればー、迷子になる確率が非常に高いって有名なゼミナールでも教えていたよー」

「何処のゼミだ?」

「知らん。俺、ゼミになんて興味ないから」

「だよな。無駄に頭がいい奴にんなもん必要ねえだろう」

「そんなことより華恋ちゃん、この前、次光と青田の奴が一つしか残っていなかった学食の焼きプリンを巡って熾烈な攻防を」

 調査のために動き出そうとせず、今この場で話すべきではない時間潰しの雑談を始める仁を視界から外して砂浜の調査を開始。

 波の影響で足跡は綺麗に流されており、到着したばかりの彼等二人以外の足跡は残されていない。

 この時点で華恋は砂浜に手掛かりなしと判断し、早々に調査を打ち切って一人、鬱蒼と生い茂る森の中に足を踏み入れる。

 熱帯林を彷彿とさせる蒸し暑い森林地帯。見たこともないような虫や鳥たちが侵入者である華恋を警戒してか、彼女の周囲から離れていく。

 元来、鬼として、そして酒呑童子の娘として威厳と実力を身に着けようと弛まぬ努力を積んできた彼女が動物たちから恐れられるのは至極当たり前。

 犬と向かい合えば全力で吠えられ、猫は彼女の接近を感じ取ると逃げ出し、動物園に行けば野性を失い、見世物となっている動物たちが揃って服従の体勢を取る。

 鬼としては誇るべきことなのかもしれないが年頃の、それも動物のことが好きな女子からしてみれば警戒されるか逃げられるかのどちらかしかない事実は心に突き刺さる鋭利な突撃槍。

 無人の野を行くが如く突き進む彼女の瞳から小さな涙の雫が零れるが、元々の目的を思い出して涙を引っ込め、悲しみの代わりに闘志を漲らせる。

「……私が助けに来たって知ったら、アイツはどんな顔をするかな」

 ここに来た目的を思い出したことで半ば無意識の内の零した言葉の意味を数秒後に自覚し、真っ赤になって首を左右に振り、照れ隠し気味に近くの木を殴り倒す。

 年若いといえど鬼の剛腕より繰り出される一撃に耐えられるほどの硬度を誇る巨木は無人島内に生息しておらず、恥ずかしさのあまり熱暴走でも起こしたのか、華恋は島中に響き渡るくらいの大きな声で否定の言葉を叫びながら森林破壊に努めた。

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