第二十一話
旧華族の屋敷に巣食う悪霊たちの除霊に成功した翌日の早朝。
朝早くから電話で校長に呼び出された仁は座り心地が良さそうな豪華な椅子に腰掛け、キセルを片手に紫煙を吐き出す校長と相対していた。
「――フゥー……」
ご機嫌とも不機嫌とも取れる曖昧な表情で人体に悪影響をもたらす煙を吐き出す校長は仁と目を合わせようとしない。
対する仁もまたいつものように目上の者の前で行うべきではない、不良染みた態度と顔つきで校長――ではなく歴代校長の写真を睨みつけている。
傍から見れば――否、当人同士でさえ何をやっているのか把握していなさそうな絶妙に微妙な空気。
第三者の介入を許さず、かといって自分たちだけで事を進めるつもりがない様子の二人は黙したまま時間を浪費する。
「で、だ。一体何の用だ。仕事はキッチリこなしたはずだが、俺たちが去った後に何か問題でも見つかったのか?」
口火を切ったのは仁の方。
歴代校長の写真を睨むのに飽きたのか、はたまた時間を浪費することの無意味さに気付いたのかは定かではないが、声を掛けられた校長は目を閉じて再び煙を吸い込み、校長室内に紫煙の臭いを充満させる。
「臭いぞ。第一、校内は煙草禁止のはずだ」
「煙草じゃない。キセルだ」
「喫煙具って意味じゃ変わりないだろう。ちなみに俺は葉巻も煙草の一種だと考えているっていうか煙草系統はほぼ全て同一の物と認識している。煙草、嫌い」
「やれやれ。これだから大人の味を知らないガキは困る。煙草の違いもわからないとは、それでもお前はあの二人の子供なのか?」
「あの二人の子供だから酒の違いはわかるぞ。なにせ物心ついた頃には既に酒を飲まされていたからな。急性アルコール中毒で死ななかったのが奇跡に思えるZE!」
「教育者の前で堂々と飲酒について語るな、高校生」
「文句なら親であるあの二人に言ってくれ。旧友である校長の言葉なら少しは聞く耳を持つ可能性が無きにしも非ず」
「構わないが、今は何処にいるんだ?」
「胡散臭い豪華客船で一儲けしているそうだぞ。ついでにウイルスの影響でゾンビっぽいのが蔓延るようになったから駆逐して国から賞金を頂戴しているとか」
「よく知っているな。もしやどちらかから連絡があったのか?」
「昨日、仕事中に電話が掛かってきたらしくて、一号が事細かに会話の内容を録音してくれたから間違いない」
「やれやれ。あの二人も自由奔放過ぎる。ほんの少しだがお前に同情するよ」
「同情するなら――」
「食券をくれてやる」
投げられた封筒を空中で掴み取ろうとして失敗し、地面に落ちた封筒を拾った仁は誤魔化すように咳払いを行い、封筒を掴んだままアクロバティックな動き披露。
如何にも空中で見事にキャッチしましたとドヤ顔を浮かべるも校長は仁のことを眼中に入れておらず、資料に目を通している。
「教育者ならもう少し生徒に目を向けるべきだと思います」
「あらかじめ言っておくが、食券の枚数は八枚だ。理由はわかるな?」
「ちょっと少ない気もしますが、自分たちの力だけで解決できず、貞娘先生の手を借りなければ死んでいたかもしれない以上は言い返さないでおきますでやんす」
「好判断だ。次も頼むぞ」
「報酬次第でございます。我々とてタダ働きは御免でやんすので」
「無論、仕事をこなすなら報酬は支払う。それじゃあ、今日も授業を頑張れ」
「ういうーい。と、ところでその資料は仕事に関する資料なんですかい?」
「ああ。安心しろ。仕事を終えたばかりのお前に続けて仕事を押し付けるつもりは今のところはない。他の者たちの手に負えないようなら遠慮なくお前を頼るが」
「あんまり買い被られても困りますので、そういう事態にならないことを祈ります。それと最後に貞娘先生は既に出勤済みですかいな?」
「職員室にいると思うが――律儀だな、お前も」
「これもご両親と育ての親様の教育の賜物ですので」
微笑を漏らす校長に優雅な一礼を捧げ、校長室の扉を閉めた仁はその足で職員室を目指し、音を立てて扉を開ける。
教室同様、音を立てて扉を開けたことで教員たちの視線が一瞬、仁の元へ集まるが、彼を視認した教員たちは興味をなくしたように自分たちの作業に戻る。
「むう。この俺の来訪に対して冷たい反応。中々の強者たち。侮れぬ」
本気か冗談か、間違いなく後者と断言できる戯言を発した彼は貞娘先生の机の前に移動し、気配に気付いて振り返る彼女に深く頭を下げる。
「昨日はありがとうございました」
「……どういたしまして」
「つきましては食券を二枚ほど受け取っては頂けませんでしょうか」
「……ええっと」
「受け取るべきですよ、貞娘先生。やましいことがなければ生徒の厚意を無碍に扱うものではありません」
「喧しいぞリューグ、誰が口を開いていいといった」
「いっそ清々しいが、職員室内でそういう言葉を吐くのはやめておけ。あと、いくら俺でも我慢の限界はあるからな?」
「フッ。甘いぞリューグ。お前の我慢の限界などとっくに超えている! 俺が超えさせた! それでも爆発しないのはひとえにお前の精神力が並外れているからだ!」
「褒められているのか?」
「……仁さんが褒めるなんて、リューグ先生は凄い先生なのですね」
「凄さだけなら俺――私より上の先生なんていくらでもいます。貞娘先生だって私程度では遠く及ばないような凄い先生ですよ」
「……謙遜なさらないでください。それに私はそんなに凄い先生じゃありません」
「いえいえ。貞娘先生は十分過ぎるくらい凄い先生ですとも。如何なる不良も貞娘先生の前では更生以外の道は歩めない。更生、この一点において貞娘先生は間違いなく高校最凶の教師!」
「……褒め過ぎですよ、仁さん」
「褒めて――いるよな。うん。たぶん」
「というわけで命の恩人たる恩師様に食券二枚をプレゼントした俺は華麗に職員室を去るのであった!」
「華麗でも構わないからせめて静かに――」
呆れるリューグの苦言を最後まで聞くことなく、床に這い蹲ると黒光りするGが如くカサカサと高速で職員室を後にする。
見慣れた教員たちは反射的に叩き潰したくなるような動きの何処に華麗さがあるのか、尋ねるべきかを幾ばくか逡巡するも無意味と断じて忘れることに。
教室に戻った彼を出迎えるのはクラスメイトたちの雑談。
想像以上に長く校長室に留まっていたことでホームルーム開始までそれほど時間は残されていないが、這う体勢から跳躍してみせた彼は顔面から机に衝突し、鼻血を垂れ流しながら自席に座る。
「おはよう、諸君。今日もいい天気だね」
「仁、食券は?」
「結構大変だったようだから、それなりに貰えたんだろう?」
「八枚貰って二枚は貞娘先生に渡してきた」
「じゃあ僕と理香は二枚ずつだね。物足りないけど、我慢するよ」
「うむ。受け取るがいい、愚民ども」
「食券は受け取るけど、それよりまず鼻血をどうにかしなさいよ。まったく」
何も見ていないような態度で食券を受け取る東間と比べ、理香はポケットティッシュで仁の鼻をやや乱雑に拭く。
痛みを伴う拭き方ではあったが、以前に比べれば成長が感じられると腕組みしながら頷いたことで彼の鼻の穴の奥を理香の細い指が抉る。
止め処なく溢れ出る鼻血。刺激的な光景を目の当たりにした思春期の男子よりも勢いのある鼻血の噴出に理香の顔から大量の汗が噴き出すと共に顔色が真っ青になり、彼女とは別の意味で仁の顔も青に染まっていく。
「おお、仁と仁の机が大変なことに!」
「あらあら。なんだか凄い血の量ですね」
「えー? 仁っちってばやらしい妄想でもしてたのー? やっぱり仁っちも男の子なんだねー!」
「仁。被害者。理香。加害者。QED」
「証明終了か? だが理香が完全なる加害者かどうかはまだわからない。仁が何か余計なことをした結果、自滅の道を突き進んだのかもしれないぞ」
「納得。再調査。結論。自業自得」
「注目を集めるのは気持ちがいいなんて言っている場合にヤバいくらいに血を失ってしまったので誰でもいいから血を吸わせてください?」
「血液型が合わないと拒絶反応が起きて死ぬんじゃないかな?」
「呑気なことを言ってないで、鼻血を止めるのを手伝って!」
「了解」
「仕方がない。だが鼻血を止めるといっても何をすればいい? 数人掛かりで鼻の穴でも押さえればいいのか?」
「逆にやりづらくなるだけだからやめた方がいい。そして理香も慌てるな。これくらいは気合いと根性と時間経過で勝手に止まる。後は体内で血液が生産されるのを待てば自然と回復する」
「そ、そういうものなの? いや、でも、確かに鼻血くらいなら余計なことをしない方がかえって早く治るかも?」
「そうだよ、理香。それにほら、もうすぐホームルームも始まっちゃうから、取り敢えず仁は鼻を押さえて鼻血が酷くならないようにして。で、僕たちは鼻血だらけの机を拭くと。それでいいだろう?」
「承認」
「まあ鼻の穴を押さえるよりはそっちの方がマシか」
掃除用具入れから雑巾を数枚取り出し、東間と神凪と次光が仁の机を綺麗にしている間、彼は鼻の穴を押さえながら窓より外を眺める。
作業そのものは無駄がないものの、時間が足りなかったために掃除中に鐘が鳴り、ホームルームが始まってしまう。
が、何か言われる前に委員長が事情を説明して見逃してもらい、雑巾がけをしている三人を除いて出欠確認開始。
なお、机の雑巾がけが終わったのは出欠確認の最中。
三人それぞれが仁に向けて貸しを一つ作ったことを明言後、各々の席につく。
それから先の時間は平穏そのもの。
血が足りていない仁は騒ぐ気力が湧かず、他の生徒たちも今は騒ぐ理由がないからか、おとなしく授業を受けて昼休み。
不足した血液を補うために食堂へ足を運び、勝ち取った食券の一枚を消費して注文するのはスタミナが付くことで有名な、血気盛んな若者向けの特盛定食。
お値段が少々高めに設定されているのが玉に瑕だが、質、量共に申し分ない上、食券を使えばタダで食べられるのでそこそこ人気。
山のように盛られた大量の肉と、大人なら見るだけで満腹になってしまいそうなくらい詰め込まれたご飯。
丼からこぼれんばかりの米に感謝を捧げ、両手を合わせた仁は肉とご飯を口の中に掻き込み、味噌汁で咽喉の奥に流し入れる。
早食いでも大食いチャレンジでもないので時間は無制限――昼休みという別の意味での時間制限はあるが――なのだが、余程血肉を充填したいのか、噛むことを忘れて爬虫類が如く丸呑み気味に特盛定食を胃に収めていく。
見事な食いっぷりに食堂のおばちゃんや一部の生徒たちの視線を集め、見世物として金を取ればそこそこ稼げると邪念が浮かぶが今は血肉優先と無視。
米や肉の量に比べて圧倒的に不足している味噌汁が尽きると事前に自動販売機で購入していた『午前の紅茶』で肉と米を流す。
ペットボトル入りの冷たい紅茶は効率良く米と肉を流すけれど、味噌汁と比べて相性は最悪に近く、続ければいずれ嘔吐に繋がる予感が走る。
それでも彼は食べる速度を緩めない。一心不乱に肉と米とついでに野菜を食らい、全てを己の糧へと変える。
「アレって確か二年の影月先輩だよな?」
「校内一の変人だって噂は聞いたことがあるけど、実は大食漢なのかな?」
「でもまあ米や肉にゴゼティーはないよな。俺も前にやったことがあるけど不味過ぎだったし」
「もしかして食事方面で変人って意味だったりして」
「食事方面も、じゃね?」
「あっ、そっか」
「でも三年生にはもっとヤバい人たちがいるって噂だぜ?」
「マジで? アレよりヤバいってどんなのだよ」
下級生たちの小さな話を右耳から左耳に聞き流し、しかし彼等の顔はしっかりと覚えていずれ制裁を加えることを心に刻み、最後の一切れを飲み込む。
咽喉に詰まりそうになっている米と肉は『午前の紅茶』で流し込み、山を連想させる肉と米を見事に平らげた彼へ野次馬たちが拍手を送る。
「フッ。久しぶりだぜ。食事で満足したのはよ。これだから学食は侮れねえZE!」
格好つけながら後片付け。
食器を戻して残りの『午前の紅茶』を一気飲みし、空になったペットボトルは分別用のゴミ箱の中へ投げ入れる――寸前で外すことを直感したので直接捨てる。
食事によって回復を遂げた彼は明るい気分で廊下をスキップしながら教室へ戻り、同じ過ちを繰り返しそうになった己を諫めながらもいそいそと着席。
恋に恋する乙女が如く何処か虚ろな眼差しで窓の外を見つめ、流れる大きな雲の中に伝説の浮遊島があるのではと暇潰しの妄想を巡らせた。
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