第二十話
緑色の液体に蹂躙された屋敷内を徘徊してから数十分が経過。
屋敷内のほとんどの部屋の探索を終えても手掛かりも罠もない、無害な廃屋と化した屋敷に理香は不思議そうに首を傾げる。
「変ね。気配は残っているのにここまで何もないなんて。もしかして私たちを油断させるための罠とか?」
「悪霊如きに罠を仕掛けるだけの知恵があるとは思えん。そもそもアイツ等は死んでも捨て切れない執着から悪霊と化しているんだから、天使やら悪魔やらと契約を結んだとかいう例外を除いて知恵も知識もないだろう」
「そういう油断が命取りに繋がるんだよ。仁だってわかっているんだろう?」
「油断しているつもりはない。いい加減、廃屋探索にも飽きてきたから真面目に解決するべく行動している」
「だったら最初から真面目に行動しなさい」
「そう言われるとやる気をなくす微妙なお年頃?」
「封印していた右ストレートを解き放つ時が来たかしら?」
「うわっ、理香がなんか変なことを言っている。東間、もしかしなくても理香はヤバい薬でも使っているのか? 一応、成分さえわかれば対処法は見つけられると思うが、完全に破壊された脳細胞までは元に戻せんぞ。機械で補強すればなんとかなるかもしれんが、流石の俺も愛しの幼馴染みを魔改造するのは気が引ける」
「黙りなさい」
「うい。すんません」
「返事ははい!」
「はいは一回?」
「わかっているならいちいち訊かない!」
「ヘイヘーイ」
「やれやれ」
機嫌を損ねてしまった理香の後ろに付いて回り、彼女に気付かれないよう多分に嘲笑らしき感情を含んだ邪悪な笑顔を浮かべている仁に東間は肩をすくめる。
尤も、本気で隠れる気は毛頭ないらしく、すぐに見つかって鉄拳制裁を受けてしまうも二人共に幸せそう――少なくとも東間はそう判断した――だったので口を開かず、最後の部屋の扉を開く。
他と同じように傷んだ扉は、しかし開けた瞬間に他の部屋とは異なる濃密な気配を漂わせ、何かがいることを三人の体に伝える。
「仁、理香」
「わかっている。半分以上は真面目モードだからふざけるのは無しだ」
「せめて八割くらいは真面目モードになりなさいよ、ったく」
三人全員が足を踏み入れた直後、扉が閉まったので仁が回し蹴りで扉の粉砕を試みるも小揺るぎもせず。
他に出口はなく、完全に密閉された闇の空間を無数の人魂の明かりが照らしながら部屋の中央に集まっていく。
集合した人魂はやがて一つの巨大な頭部を形成。
青くて白い塊は髪のない初老の男性のような顔をしており、大きさと人のものとは思えない醜悪な表情を浮かべていることを除けば生首に見えなくもない。
「なんつーか、まあ妥当なところか?」
「倒しやすくはありそうだね。流体じゃないから聖水の効果で触れそうだし」
「まあ進んで触りたいかと訊かれると触りたくはないわ。不健康そうな肌の色しているし、放置された欠けた歯とか如何にも不衛生っぽいじゃない?」
「衛生環境を気にする悪霊なんていたら滅するよりも捕縛して物好きな富豪とかに売却したくなる」
「本気なのかしら?」
「さあ? 余裕があればするだろうし、余裕がなければさっさと滅する――ッ!」
恨みと妬みの眼差しを生者たちに向け、漂っていた巨大な頭は不意に三人目掛けて突撃を仕掛ける。
種も仕掛けも罠もない普通の突撃。速度があるので命中すれば吹き飛ばされる危険があったため、散開して回避。
実体を持たない幽体は床に衝突することなくすり抜けて姿を消し、警戒する三人の内、東間の立っている床下から出現してその体を噛み砕く。
けれど実際に噛み砕かれたのは空気のみ。東間自身は自らの直感に身を委ね、巨大な頭が出て来る寸前で身を翻していたので無傷。
避けられたことに対して巨大な頭は何も思わない。
というより何かを考えるような機能を持っていないだけか、生者への憎しみの念のみを剥き出しにしながら再び壁の中に姿を隠す。
「つーか、コイツは一体何なんだ? この屋敷の主人とかか?」
「如何にもそんな感じの風貌をしているけど、確証はないから何とも言えないね。仁、貰った資料には写真とか入っていなかったの?」
「知らん。そんなことは俺の管轄外だ」
「依頼を受けて資料を貰ったんだからそれはアンタの管轄でしょう」
「まるで意味がわからんぞ!」
「真面目モードになったんだよね?」
「はいです。ゴメンナサイです。資料の中には写真とかは入ってなかったです。家族構成とかも不明です。ただ、あまりいい噂は聞かなかったとのことです」
「まあ拷問部屋とか用意しているくらいだから、素敵な趣味を持っていたとしてもそれほど不思議じゃないかもしれないわね」
「それもそっか。じゃあ君がこの屋敷のご主人様だったとしても、滅するのに躊躇う必要はないってこと?」
「東間きゅん。元々、悪霊を滅するのに躊躇う必要はないぞよ。どんな事情があろうと未練がましくこの世界に執着している連中なんざ、力で地獄に叩き落とすのがルールであり、礼儀というものなのだよ」
「なんでもかんでも力で解決するのは僕の趣味じゃない――」
大きく開けられた口が東間の頭を呑み込まんと上から落ちて来る。
歯が食い千切らんとしているのは彼の首。胴体と頭を繋いでいる部位を破壊されれば人間は生きることができない。
それを知っての行いか、はたまた東間の頭が気に入ったのか、あるいは生前に特殊な趣味を持っていたのか。
いずれにせよ、おとなしく食べられる理由がなかったので東間は閉じられようとしている歯を両手で掴み、力で対抗する。
「グギ、ギギギギギギ……!」
「おー、東間きゅんに対抗できるなんて老人にしては中々の顎の力。生きていた頃はきっと硬い煎餅が好物だったんだろう」
「呑気なこと言っていないで、早く東間を助けるわよ」
「無論だとも」
抵抗する東間の首を食い千切らんとしている巨大な頭に炸裂する二人の蹴り。
横から加えられた飛び蹴りの衝撃で吹き飛ばされる巨大な頭は壁に衝突することなくすり抜けたことで姿が見えなくなってしまい、壁の向こうに消えた悪霊に向けて仁は唾を吐き捨てる。
「チッ、根性無しが。少し蹴られたくらいで壁の中に引きこもるとか、情けなくてお父さんやお母さんが涙を流すZE!」
「蹴り飛ばしておきながらその物言いはどうなのかしら?」
「それ以前にあの巨大な頭にお父さんやお母さんがいるのかな?」
「大丈夫だ。もしもいなかったらその辺の人形や草花にお父さん、お母さん役を押し付ければ万事解決!」
「また上から来そうだから気を付けて」
「そういう時は大体下から来るんですよ!」
仁の言葉通り、床の中から現れた巨大な頭は自身を蹴り飛ばした生者の一人である理香の下半身を食い千切るべく開いた口を閉じ掛ける――が、理香が抵抗する前に割って入って来た仁が悪霊の歯を拳で粉砕。
瞬く間に全ての歯を粉々に砕き、歯無しの口を掴んで引きずり出すと原形を留めないくらい固めた拳を振るう。
それは口に出すのも憚られるような凄惨なる光景。加えて殴り続ける仁の顔に浮かんでいる感情は無。
同情の念はもちろんのこと、悲しみも怒りも何もない、純粋無垢とも取れる無表情無感情な暴力の嵐に晒された巨大な頭は必死に逃げ出そうとする。
しかし逃げることは叶わない。巨大な頭が何処に逃げようとしても仁は先回りして行く手を塞ぎ、天井や床、壁などをすり抜ける暇は与えられない。
「えーっと、東間、どうして仁はあんなに怒っているのかしら?」
「君が食い殺されそうになったからだよ、理香」
「あのくらい、私だって切り抜けられるわよ。それに少し時間を稼ぐだけでアンタたちが助けてくれたでしょう?」
「僕に訊かれても。まあ真面目にやるって言ってたし、いい加減に帰りたがっていたから有言実行しているだけかもね」
「……同情するつもりはないけど、あの頭には思わず憐みを覚えちゃうかも」
「いいんじゃないかな。実際、あそこまでボコボコにされると少し可哀想に思えてきそうだし。可哀想に思っても助けるつもりはないけど」
東間や理香に生温かく見守られる中で三分ほどの時が流れ、もはや抵抗する気力さえ失われ、力なく宙を漂うだけとなった巨大な頭に炸裂する終わりの一撃。
顎から脳天に達する衝撃は巨大な頭を細かな破片に変え、地に落ちる前に霧散してこの世から消滅する。
「良し、無事除霊完了。他にはいないよな?」
「毎回思うけど、これって除霊なのかしら?」
「細かいことは気にしない。東間きゅん、レーダーに反応は?」
「レーダーなんて何処にあるの?」
「心の中のレーダーを使いたまえ。持っているのだろう? 何も言わずとも私にはわかるゾイ。終わった後はビールを飲みに行きますか!」
「お酒は二十歳になってから」
「育ての親の教育方針上、五歳の時から既に飲んでいますが、何か?」
「保険医って子育てには向いていないわよね」
「真っ直ぐには育たなかったけど、ちゃんと育ったのは事実だから案外、子育てそのものはできるのかもよ。……仁だったから耐えられただけかもしれないけど」
「グチグチグチグチつぶやいていないで、さっさと帰ろうそうしましょう!」
無意味に意気揚々と扉を開けようとし、閉ざされたままの扉を蹴り破る。
大本である悪霊を葬ったことで扉に彼等を閉じ込めておくだけの力はなく、強引に開け放たれた扉の先に躍り出た彼は片足立ちで回転。
直後に老朽化した床の一部が崩壊し、一階へ落ちて頭をぶつけ、悶絶するのを見下ろしながら東間と理香は階段を降りる。
「は、薄情者共め……! この俺を助けないとは何事か! 恥を知れ!」
「まだ安全を確認できたわけじゃないから、自爆しない方がいいよ」
「どうせ自爆するなら帰りの電車――いいえ、魔境に帰って帰宅してから自爆しなさい。そうすれば一号が後始末してくれるでしょうし」
「やめてください、一号が本気で怒ったりしたら俺の心がブロークンっぽいんで」
「僕の方では何も感じられないけど、そっちは?」
「私も同じ。さっきので最後だったみたい。これで無事、お仕事完了ね」
「無視かよ」
「じゃあようやく帰れるのか。まあ母さんは今夜も帰って来ないみたいだから、何時に帰ってもそれほど問題ないけど、理香の方は大丈夫なの?」
「お義父さんには事前に連絡を入れておいたから。実戦経験を積むのも大切なことだって納得してくれたみたいだし、大丈夫でしょ」
「わからんゾイ。師範は結構な親バカだから、あまりにも遅い帰宅だと雷が落ちて道場が焼け落ちてしまう危険があるんだゾイ」
「確かに師範なら物理的に雷を落とすこともできそうだけど、朝帰りでもない限りその心配は無用じゃないかな?」
「っていうか、呑気に話している間に終電を逃しちゃうかも! ほら、仁もさっさと立ちなさい! 駅まで走るわよ!」
「えー? 結構疲れたから歩いて帰りたいんだけど」
「右に同じ」
「文句を言わない! とっとと走る!」
理香に急かされ、渋々ながら駆け出す仁は同じく駆け出そうとしていた東間の足を払って転倒させる。
はずだったのだが、彼の行動を先読みしていた東間は跳躍で足払いを避け、挑発の笑顔で手を振りながら仁を置き去りに進む。
動きを先読みされたことに面食らいつつ、東間の成長を喜ばしく思うと同時、出し抜かれたことに腹を立てた彼は即疾走。
風のように走っては彼を追い抜き、後ろを走る東間を小バカにするように極めて醜悪な顔芸を披露。
バカにされても東間は笑顔を崩さない。
といってもそれは表面上の話であり、内では暗い炎を灯し、焼け付くような熱さを燃料に両足へ力を注ぐ。
あっという間に屋敷を出て森の中を突き進み、姿が見えなくなってしまったバカ二人を見送った理香は背後へと振り返る。
彼女以外は誰もいない、気配のないボロボロの元豪邸。
理香自身、この屋敷は無人と確信を持っているにもかかわらず、彼女は己の中にある女の勘に従って言葉を紡ぐ。
「どうして助けてくれたのかはわからないけど、ありがとう。貴女がいなかったら私も仁も東間も殺されていたかも」
誰もいないのだから当然、響き渡る理香の声に対する返答はない。
彼女も返事など期待しておらず、口を閉じて真っ直ぐ屋敷の外に出る。
理香が去ったことで完全な無人となった屋敷。
元々朽ちている上に緑色の液体に荒らされたことで限界を迎えてしまった木製の手摺が乾いた音を立てて床に落ちて砕け――手摺の破片を拾ったメイド服の少女が遠ざかっていく彼女の背中を見つめていた。
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