第二十三話

 森の中から響き渡る叫び声に正気を取り戻した仁は華恋の姿がなくなっていることと、島中に轟いている鬼の雄叫びから彼女が敵の手に落ちたと誤認。

 救出に向かう前に増援を呼ぼうと木製ボートに乗って引き返そうとするが、木製ボートが既に海の藻屑となってしまっていることを思い出して膝から崩れ落ち、鬼の雄叫びに負けまいと巨大な声で号泣する。

「おお、神よ。貴方様は何故俺にこのような過酷なる試練をお与えになられたのですか。恨みます。憎みます。殺ってやります。欲しがりません、勝つまでは。俺は俺の勝利を祈っておりますのでどうかさっさと負けてください、神様」

 正気を取り戻した直後に狂気に堕ちた彼へと辛辣なツッコミを入れてくれる者はいなかったので心を虚しさで満たした仁は立ち上がりながら砂を払い落とす。

「さて、冷静に考えてみたらどうせ華恋ちゃんのことだから、神凪君のことで独り言でもつぶやいて、自分の発言に照れ臭くなって暴走でもしているんだろうな。とはいえ、敵地なんだからもう少し慎重に行動してほしかったが、言うだけ無駄か」

 神凪がここにいると仮定し、特殊な事情がなければ仕事で失敗した――すなわち今回の標的の手に落ちたと考えるのが自然。

 最悪、返り討ちに遭って殺された可能性も否定はできないけれど、死体を見つけない限り断定は不可能。

 彼にできるのは友を信じて、友のために行動を起こすことのみ。

 柄にもないことを考えて気恥ずかしくなったのか、内心の誤魔化しのために煙草を咥えようとするが喫煙者ではない彼が煙草を携帯しているはずもなく、代わりに落ちていた砂塗れの枝を拾い、口に咥えて一服のマネをする。

「口の中がジョリジョリする。食感的に銀紙よりはマシだけど、酷いZE」

 口いっぱいに広がる砂の味。

 間違っても美味しいとは言えない、海水を何度も浴びせられ、何度も人々に踏みつけられてきたであろう砂を吐き出し、口直しに触手を齧る。

 柔らかくも弾力があり、塩気のある触手は彼に齧られたからか急に蠢き出し、噛み難くなった触手に苛立ちを露わにする彼は触手の先――目算で全長5mを超える巨大イカと目が合う。

「……ほはほうほはいはふ」

 巨大イカの瞳は仁を真っ直ぐに見つめ、余っていた触手の一本が彼の体に巻き付いて空中へ運送。

 思わぬところで空中浮遊という貴重な体験をすることになった彼は感激すると共に現状打破の方法を考えるが、触手に縛られて身動きが取れなくなっている現況でできることはないので現実逃避気味に別のことを考える。

「触手プレイか。あまり好きではないが、理香や華恋ちゃんと海に来た時は是非とも見てみたいな。委員長は後が怖いし、黛はネタを求めてきそうだし、美鈴――」

 発育の良い悪い関係なくクラスメイト(女子)たちが触手を持った、あるいは触手状の生物に襲われている姿を想像した天罰か、真っ逆さまに砂浜へ叩きつけられる。

 かなり勢いがあったのか、上半身が完全に砂に埋まり、露出した下半身はまったくと言っていいほど動かない。

 仕留めた獲物に興味がなくなった巨大イカは海へ帰ろうと触手で砂浜を移動し、爆発音と浴びせられる大量の砂に体の向きを変える。

「あー、今のはビビったー。予想より砂が柔らかくて助かったぜー。もしも砂が硬かったら流血くらいはしていたかもなー。砂じゃどれだけ硬かったとしても頭がカチ割れたりはしないだろうけど」

 上半身を砂塗れにし、口と鼻と耳から砂を追い出そうと色々試している彼に再び触手が巻きつくが、宙吊りにされる前に触手を食い千切る。

 先程とは比較にならない顎の力。触手の一部を食い千切られた巨大イカは僅かに狼狽を示し、締め付けが緩んだその瞬間に脱出を果たす。

「調子に乗った奴には天罰が下るってな。お仕事とは関係ないが、俺と遭遇した時点でこういう運命だったと判断して諦めるんだな」

 もう一度、触手で彼の体の拘束を試みるが、走り出した仁は巨大な触手を掻い潜りながら胴体に接近。

 懐に潜り込まれた巨大イカは苦し紛れにイカ墨を吐き出すも目暗ましという名の悪足掻きにさえならず、拳で風穴を開けられる。

「これも自然の摂理。自然界は弱肉強食。食おうとした相手に反撃されて死ぬのなんて野生の世界じゃごくありふれた現象なんだから、迷わず逝きな」

 蹴り上げられた巨体が空中を舞い、跳び上がった仁のかかと落としによって砂浜に叩きつけられ、爆発したように肉体が四散。

 大半が海の中に落ち、一部を空中で掴み取った仁は跳ねるように動いている肉片を齧り、己の糧として取り込む。

「うん。やっぱり味は悪くない。久しぶりにイカ刺しが食いたくなってきたかも。他にも酢イカとか、酒に合うかもな。酒はあんまり飲まないけど、保険医とか校長とかにお土産として持っていけば少しは感謝されるか? 感謝するなら金をくれって要求したいけど、たぶんタダ飯食らいされて終わるんだろうなー」

 もったいない精神を発揮して砂浜に散らばる巨大イカの欠片も回収。

 咀嚼し、嚥下しながら砂浜を歩き出し、神凪に繋がる手掛かりを探し始める。

「神凪くーん。何処だー。俺の声は聞こえなくてもあの凄まじい怒声と破壊音は聞こえているはずだろー。怒られないけど殺されるから出て来ーい。蘇生魔術とかは使えないけどー、機械化させて生き返らせることはできるからー。メモリを残せるかどうかはお前次第だけどー、根性次第できっとできるさー」

 大木が倒れるような衝撃と振動音。

 少し恥ずかしがり屋な鬼による環境破壊を一刻も早く終わらせるため、生贄として差し出すべき友人の姿を探すも砂浜に手掛かりらしい手掛かりは発見できず、華恋に倣って森の中を調査すべきか思考する。

 木が倒れる音がどの方向から聞こえてくるかに注意すれば暴走した華恋との接触は避けられるので物理的な危険を考える必要はほぼない。

 反面、常に巨大な音の方角に注意しなければならないため、捜索が困難となる。

 かといって森に入らなければ余程運が悪くない限り、華恋と遭遇する可能性は低いものの、何もない砂浜を延々と歩き回ったところで事態の進展は望めない――

「おや?」

 思考を中断した彼の視線の先に建っている一軒の古びた小屋。

 第六感が働いたのか、興味が湧いただけか、何気なく小屋の中に入った彼は床に落ちている食べかけのきゅうりを見つける。

「んー。こんなところにきゅうりが一つ。誰の食べかけなのかは考えなくても答えが出ているが、あの神凪君がきゅうりを食べかけの状態で捨てるなんて考えられないからここで何かあったということかね?」

 巨大イカの肉片を齧りながら食べかけのきゅうりを手に取り、間近で観察。

 尤も、どれだけ見つめたところで食べかけであること以外には何もわからない。

 体臭は残っておらず、歯形が神凪と一致するのかも目視では解析不可能。

 しかし小屋の中には他に目立った物もなかったので取り敢えず食べかけのきゅうりを手掛かりとして袋の中に入れ、小屋を後にする。

「まあこれはこれで何かの役に立ちますかね――?」

 外に出た彼を襲う頭から全身へ伝わる痺れるような感覚。

 鈍い痛みから後頭部に硬くて重い何かをぶつけられたことを知った仁は流れに身を任せるようにうつ伏せに倒れて目を閉じる。

 彼が倒れてから数秒後、砂の中から現れる緑色の表皮を持った人型の生物たち。

 指と指の間には薄い水かきがあり、胴体には大きな亀の甲羅を纏うその生き物は頭に一枚の皿を乗せている――否、乗せているのではなく頭部と融合し、完全な肉体の一部となっている。

 神凪とは異なる容姿を持った河童と思しき生物たちは動かない仁の前で気色の悪い笑みと濁声を上げ、人語とは程遠い言語でハイタッチを交わす。

「フーン。俺の知っている河童たちとは違うけど、世界は広いって言うし、川と海っていう違いもあるからこういう連中がいたとしても不思議じゃないかもな」

 下から聞こえる声に河童たちが固まった瞬間、仁の傍にいた一体の河童の胴体を鋭い貫手が打ち貫く。

 亀の甲羅を軽々と貫通し、甲羅に守られていた脆い胴体に風穴を開けられた河童は緑色の体液を口から漏らしながら白目を剥いて息絶える。

 不意の一撃で仲間がやられたことに動揺する河童たちを次から次に惨殺。

 逃げようとする者にも容赦なき一撃を加えて絶命させ、最後の一体に殺害したばかりの新鮮な仲間の死体を投げつける。

「さて、あっという間にお前だけになってしまったわけだが、俺の言葉がわかるなら意思疎通を取って欲しい。ああ、それと念のために言っておくが、これはちょっと過激な正当防衛なので俺を責めるのは筋違いだぞ」

 自身の後頭部を撫で、付着した血を見せつけながら浮かべるのはとても優しくて、一欠片の慈悲も感じさせない冷酷な笑顔。

 逃げれば殺すと言外に告げている、野性を生きる動物にもわかりそうな野獣の笑みに河童は意表を突くことさえせず海へ逃げ込もう砂中を潜行。

 火事場の馬鹿力を引き出し、水中に匹敵する速さで砂中を移動する河童の首を掴んで砂の中から引きずり出し、人差し指と中指で咽喉の肉を抉る。

「やれやれ。俺の話を聞いていなかったのか、話を理解する知能もないのか。それとも河童を模しただけの別の生物だったのかもな」

 抉り取った咽喉の肉片を砂の上に捨て、抵抗を許さず傷口に研がれた手刀を叩き込んで首を切り落とす。

 動かなくなった河童の死亡を確認後、物言わぬ死体を投げ捨てて緑の体液に汚れてしまった自身の両手を海水で洗う。

「危うく死ぬところだったから本気で殺ったけど、ちょっとやり過ぎたかねー。この場には俺しかいないから、リカバリーが利かないのが痛いよなー。華恋ちゃんがいればもう少し加減したり、ふざけてやっても良かったかもしれないんだが」

 目を閉じれば瞼の裏に浮かび上がる幼馴染みや友人、クラスメイトに先輩や後輩その他大勢の人間及び人外たちの姿。

 中には彼以上のボケや変人、変態がいるけれど、半分以上はツッコミを入れてくれるので誰もいないこの場では重宝する。

 今ならほんの少しだけ優しくなって上げることもできるかもしれない。青々とした大空に思いを馳せながら照れ臭くなって後頭部を掻く。

 今なお出血している傷口を海水で洗った手で。

「――アアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!」

 野獣の雄叫びか、悪魔の咆哮か。

 人間の出せる限界を超えた、人間の出していい音域ではない叫び声を上げて転げ回ったことで砂が傷口を激しく刺激し、痙攣と悶絶を交互に繰り返す。

 口から霊魂のような物を吐き出し、天に昇っていく魂を他人事として眺めていた肉体は機能を停止させ、悠久の眠りへと誘われる。

 恥ずかしげもなく裸体を露わに、トランペットを吹き鳴らす小さな天使たち。

 天に昇る者にとっては幸福の象徴なのかもしれない彼等は、しかし大事なところが丸出しであることが彼の美意識に反したため、正面から殴り飛ばされ、機嫌を損ねた仁の魂は平泳ぎで地上を目指し、半開きになっている口から体の中に戻る。

「――ハッ!? ここは何処? 私の名は仁。この星は狙われている」

 跳ね起きた仁は記憶を遡って現況の把握を試みるも、河童のような生き物を皆殺しにして以降の記憶が曖昧。

 ぼやけた頭を微かに過ぎるは天使の羽根を生やした丸裸の子供たち。

 一部の愛好家たちに高値で売れそうな彼等を一人でもいいから捕獲しておくべきだったら悔恨の念を抱くも気を取り直すように深呼吸。

「うむ。過ぎてしまったことをいちいち気にしても仕方がない。明るく前向きに考えよう。そう、例えば華恋ちゃんと神凪君が再会した時、二人を祝福するためのファンファーレを鳴らす準備をするとか――」

 名を口にしたことで存在を思い出し、もうそろそろ自然破壊をやめさせないと無人島の木々が全滅してしまうことを危惧。

 が、先程まで確かに島中に響いていた雄叫びと破壊音が聞こえないことを知覚したことで頭を横に傾け、脳内に疑問符を浮かべる。

「自力で我に返ったか、あるいは本当に敵の手に落ちたのか。色々いるみたいだし、後者と考えて行動した方が良さそうだな。アイツ、時々だけど俺以上にやらかすことがあるし」

 傾けたままの首を動かして一回転。

 腕や脚を軽く動かして筋肉をほぐし、自身の状態を確かめる。

 結果、後頭部以外は無問題。そして何故後頭部が痛んでいるのか、その理由がわからず、思い出すことを脳が拒否しているので無視を決め込み、指を鳴らしながら何者かと困難が待ち受けているであろう森の中へ足を踏み入れた。

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