第十六話

 開いた扉の先から睨みつけるだけで動くことのないのは下半身と呼べるものが存在しない、上半身だけの裸の女性。

 動かないのか動けないのか、定かではないけれど誰が見ても罠としか思えない光景に仁は不敵な微笑みを浮かべる。

 彼が笑ったのを気配だけで察した東間と理香は次いで彼が何をしようとしているのかを察し、止めても時間と労力の無駄と判断して仁が動いた後に備えて待機。

 案の定、見えている地雷を踏みに行った彼は躊躇いなく上半身を浮遊させている女性との距離を詰め、作動した落とし穴によって姿を消す。

 罠に掛かるのは予想通りだが、落とし穴は予想していなかった二人は一瞬動揺。

 地下へ落ちてしまった彼を心配して声を上げようとするが、彼等が悲鳴染みた叫び声を発する前に開かれた床の穴から仁が姿を見せる。

「あー、ビックリした。まさか落とし穴とは。俺の予想を上回るお茶目具合は悪くないぞ、悪霊ども」

「……なんで堂々と生還しているのよ」

「落ちた直後に頑張って壁を駆け上ったから?」

「ああ、そう」

 ツッコミを入れても疲れるだけだったので東間も理香も半ば諦めるように彼から視線を外し、片や天井を見上げ、片や床を見つめる。

 意気消沈する幼馴染みたちを励ますべきか、待ち構えている女性に近づいて何が起きるのかを確かめるべきか。

 数秒、悩んだ彼は取り敢えず幼馴染みたちを元気付けようと励ましの言葉を送り続け、二人の気力が回復したのを見届けると女性へと突貫する――

「待ちなさい」

「何かな、理香ちゃん」

「アンタの激励のおかげで回復した気力を再び萎えさせるつもり?」

「だが放置というわけにもいくまい。あんなに意味ありげに佇んでいる以上、恐らくは避けては通れないイベントの類いだと僕は思い込んでいる」

「まあ仁が何を思い込もうと勝手だけど、今回は僕に行かせてもらうよ」

「ほう。常日頃から女性に追いかけ回されているユーが上半身だけとはいえ裸の女性にアタックするとは。写真撮っていい?」

「ねえ、仁。君が部屋の中に隠している」

「後ろは任せろ東間。俺はお前の信頼に応えるナイスガイ!」

「ありがとう」

「?」

 困惑する理香は仁の秘密を探ろうと訝しみの眼差しを両者にぶつけてみるが、仁は吹けない口笛を吹いて必死に誤魔化し、東間は苦笑するだけで無言を貫く。

 判明したことは部屋の中に何かを隠しているということのみ。

 しかし例え幼馴染みといえど、流石に年頃の男子の部屋の中に土足で上がり込んで物色するのは養父の教えに反する行為であるため、実行することは叶わない。

 叶わないので問い質すしかないと、睨みと懇願の入り混じる上目遣いで仁の瞳を真っ直ぐに見つめ、自白を促す。

 複雑な想いが込められた上目遣いに気圧された仁は半歩退き、冷や汗を掻きながら対抗手段を必死に思考。

 背後で面白そうなことが繰り広げられていることを気配で察するものの、これ以上、浮遊している裸の女性を放置するのは憐れと感じた東間は落とし穴に注意を払いながら女性の傍に近づく。

「もしもし、どうかしましたか?」

 罠である可能性が極めて高いけれど万が一のことを考え、可能な限り優しい口調で話し掛ける彼の両肩を掴む女性の腕。

 逃がしはしないという意思表示をした彼女の顔の表皮が崩れ、剥き出しになる腐肉と腐食した骨が醜悪な顔を形成し、開かれた口が彼の顔に噛みつかんと迫る。

 肉を食い千切ることが目的なのか、それとも骨すらも噛み砕くつもりなのか、剛力によって抵抗を許さない女性型の悪霊の頭に仁の飛び蹴りが炸裂する。

 仮面をつけた変身ヒーローが如き必殺の飛び蹴り。

 直撃した女性型の悪霊は大きく仰け反り、東間の両肩を掴んでいた手を外してしまったことで自由を取り戻した彼が放った掌打をまともに食らい、壁に激突――することなく、壁をすり抜けて消えてしまう。

「今ので倒せたと思う人」

「無理ね」

「ダメージは与えたと思うけど、祓えた感覚はなかったよ」

「同意。想像していたよりもしぶとい悪霊に俺は戦慄を覚えるかもしれない」

 壁の向こう側に女性型の悪霊が姿を消してから臨戦態勢を維持したまま待機。

 十秒経過しても動きはなく、真っ先に臨戦態勢を解いて気を抜いた仁が不用意に壁との距離を詰める――どころか、女性型の悪霊が姿を消した壁に背中を預ける。

「任せるぞ」

「了解」

 肉体を弛緩させ、緊張を解いた彼の頭上、不意を突く形で現れる女性型の悪霊が油断する彼の首に両手を伸ばす。

 見え見えの罠だと気付けなかったのは壁の向こう側にいたせいで彼等の姿が見えず、会話の内容が聞き取れなかったからか、あるいは女性型の悪霊に思考する機能が備わっていないからか。

 姿を見せた女性型の悪霊の顔に今度は理香の飛び蹴りが炸裂。

 嫌な音と共に顔面を砕かれた女性型の悪霊は狂ったように雄叫びをあげながら宙をさまよい、はじけるように霧散する。

 完全に気配を消失させた悪霊に向けて合掌。

 消滅と同時に音を立てて床に落ちたのは輝きを失った石が嵌め込まれている古臭いペンダント。

 傷付き、色褪せ、宝石としての価値のないペンダントだが、骨董品屋にそれなりの値段で売れそうと回収する仁の頭を理香が小突く。

「ネコババしない。調査の手掛かりになるかもしれないでしょ」

「思っていたよりも時間が掛かっているでござる。コレは一旦、家に引き返して後日改めて調査に来るべきかと考えているんでござる」

「その意見に反対するつもりはないけど、ホラー系のお約束として一度入ったら解決するまで外に出られないんじゃないかな?」

「無理が通れば道理が引っ込む。例え脱出不可能と言われようと、諦めずに脱出するための手段を探し続ければいずれ脱出できるはずと信じているでごわす」

「脱出のための手段を講じるより、大本の悪霊を祓う方が手っ取り早いでしょう」

「だって面倒くさくなってきたんだもん。今の奴だって雑魚だったけどそれなりに面倒くさかったし、たぶんボスの悪霊はもっと面倒くさいはずだ!」

「引き受けた仕事に文句を言わない! 不備があるならともかく、悪霊退治なんて面倒くさい作業以外の何物でもないでしょうが!」

「面倒くさい程度で済むような相手なら、ね」

「そこまで殺傷力の高い悪霊が相手だったら俺たち、無傷で済むとは思えないのでまあここに住み着いた悪霊はそれほどたいしたものじゃないだろう」

 足元から生えてきた悪霊らしき青白い人型の何かの顔を踏み砕き、先程の女性と同種の叫び声を発しながら消滅する男の悪霊へと煩わしそうに唾を吐き捨てる。

「ケッ。話をしている最中に襲い掛かってくるとは。ふてえ野郎だ」

「初めに出て来た手だけの奴を含めると今ので三体目か。予想していたよりも悪霊の数が多いみたいだね」

「最初からいたのか、後から住み着いたのか。もしかすると悪霊の正体はこの屋敷の元々の所有者だった旧華族ってオチかもしれないわね」

「自分たちが死んだことにも気付けず、屋敷に土足で上がり込んできた生き物を片端から殺しているとか? よくある話だが、迷惑千万だ」

「もしそうだとしたら、向こうは罪悪感なんて感じていないんだろうね。何せ屋敷に上がり込んできた侵入者を殺しているだけなんだから」

「自分たちがとっくに死んでいて、既にこの屋敷が自分たちの物じゃないってことを理解していない奴等にまともな思考を期待する方が間違っているのよ」

「っていうか、悪霊が何かを考えるなんてことはほとんどないぞ。魂だけの存在が現世にへばり付いているのは大抵、未練に執着しているだけだからな」

「同情できる存在だと思う?」

「事情次第。強盗とかに理由なく殺されたとかならまあ同情してやってもいいかもな。手を抜くようなことをしたら俺たちの方が危ないが」

「そうね。可哀想だとしても私たちが殺されていい理由にはならないもの。で、次は何処を調べるつもりなの?」

「適当。何処に何があるかわかってないし、屋敷中を調べて回らなきゃならなくなるかもしれん。というわけで俺の直感に委ねてGO!」

「はいはい」

 先頭に立ち、大股で廊下を突き進んでは見掛けた扉を片端から蹴り破る。

 中には鍵が掛かっているからか、悪霊が何かしているのか、蹴り破れない扉もあるがそちらは後回し。

 蹴り破れる扉の中だけを調べてを繰り返し、やがて三人は中庭に出る。

 広々とした中庭は手入れさえ怠らなければ素晴らしい景観が広がっていたかもしれないが、長年放置された結果、見るも無残な荒れ果てた庭が広がる始末。

 小さいが少人数なら十分に遊べる大きさのプールも汚れだらけ。

 中を埋め尽くしている液体は水と呼ぶにはあまりにも濁り切った緑色の液体。

 ペンキのような粘り気のある緑色の液体に興味を持った仁を東間が羽交い絞めして押さえつける。

「東間きゅん。俺は科学者として純粋に興味を引かれてだね」

「わかっているけどダメだよ、仁。見るからに危なそうだから、屋敷に住む悪霊を片付けてから調べよう」

「しかし事態が解決した後ではあの緑色の液体も消滅してしまうかもしれん。そうなっては調べようがないではなイカ」

「その時は縁がなかったと思って諦めなさい」

「むう。仕方がない。ここは仕事を優先する」

「と、見せ掛けてって言いながら飛び付きそうだから、まだ放すつもりはないよ」

「……フッ。俺の行動を先読みするとは、流石は東間だ」

「ありがとう」

「というわけで諦めましたので放してくださいませんか?」

「ダメ」

 降参の意思を示しても羽交い絞めからは解放されず。

 信用されていないことにショックを受け、自業自得とすぐに認めて哀と楽を混ぜた表情を顔に張り付ける。

 ただし東間も理香も仁の後ろにいるため、彼が顔芸を披露しても目撃者は誰もいないのでどのような表情を浮かべても無意味。

 そのことに気付いた仁は自らの行いを嘲笑い、熱い涙を流す。

「ところでこの中庭、何処かに繋がっていないのかな?」

「向こうの方に扉があるわよ。行ってみましょうか」

「ヘーイ」

 熱い涙を流しても相手にされなかったので我に返った仁は東間の拘束から逃れ、二人よりも先に指し示された扉に手を掛け、慎重に開ける。

 暗闇に包まれた部屋の中にはやはり光源はないが、既に闇に慣れた目を持つ彼等の活動に支障を来すことはない。

「ここは――」

「どうやら厨房みたいね。料理道具や冷蔵庫が置いてあるわ」

「まあ電気が通ってないから冷蔵庫はただの箱で、手入れもされていない調理道具なんてほぼ無価値だがな」

「骨董品屋には売れるかもよ?」

「二束三文にもならないような物、交渉が必要になる上に売れてもたいした額にはならない。つまりは時間の無駄だ」

「はいはい。売れるか売れないかなんてどうでもいいから、早く調査を始めるわよ」

「ういー」

「了解」

 厨房内に足を踏み入れた直後、開いていた扉が大きな音を立てて閉じる。

 振り返る三人の周囲が急激に明るくなり、闇に慣れていたせいで急激な光に瞳を焼かれた仁たちは狼狽えながら目を閉じる。

「な、なに? 何が起きたの?」

「なんだかよくわからないけど、やっぱり罠?」

「まあ慌てず騒がず視力が回復するのを待つべきだろう。心眼でも開いていない限り、音と鼻だけで行動するのは危ないからなー」

「余裕だね、仁」

「それなりに修羅場を潜っている故」

「そんなの、自慢にもならないわよ」

「おや、嫉妬ですかな、理香ちゃん。大丈夫だ。経験なんてこれから積んで行けばいい。だから道場の箱入り娘であることを恥じる必要などないぞ」

「恥じてないわよ。経験不足なのも否定できないけど」

 雑談で気持ちを落ち着かせ、焼かれた視界を回復させることに専念し始めてから早十数秒の時が流れる。

 痛みが残されているものの段々と視力が回復していき、ぼやけた視界が周辺景色の輪郭を取り戻していったことで現状確認が可能となる。

「どんな感じだ、お二人さん」

「まだ完全じゃないけど、だいぶ回復してきたわ」

「同じく。それにしても、急に明るくなったのはなんでだろう。何処かから電気が送られてきたとか――じゃなさそうだね」

 辺りを見渡す必要もないほどの数の人魂が厨房全体を照らしている。

 光源となっている人魂に悪意は存在せず、時折、自分たちが人魂であることを思い出したかのように不規則に揺らめく程度。

 光を得たことで調べやすくなった厨房。が、悪意無き人魂とは別に、いつの間にか現れていた肉を切り裂くための巨大な包丁を手にしたコックらしき格好の男性が腐った肉を壊れたまな板の上に敷き、猛烈な速度で両断した。

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