第十五話
放課後、魔境より電車で旅立ってから早二時間。
郊外の森の中に放置されている古びた豪邸の前で立ち尽くす仁は写真と資料に目を通し、目の前に聳え立つのが目的地であることを再確認。
壊れかけた扉を叩き、返事がないので勝手に開けては土足で中に入る。
明かりも人気もない荒廃したホール。飾られていた花は疾うの昔に枯れ果て、この屋敷に人がいなくなってから久しいことを示している。
「暗いね」
「仁、何か明かりは持ってないの?」
「この程度の暗さなら目が慣れればなんとかなる」
「それはそうかもしれないけど、夜になったらちょっと厳しいんじゃないかな?」
「知らん。少なくとも俺は問題ない。そもそもお前等が勝手に付いてきたんだから準備はお前等自身がやるべきだろう」
「だって気になっちゃったんだから、仕方ないでしょ。大体、放課後になった途端にアンタが出発しちゃったせいで準備なんてしている暇がなかったのよ」
「とっとと片付けてさっさと帰るつもりだったからな。というか真面目になんで付いてきたんだ? いつもならこんな面倒事に付き合わないくせに」
「暇だったから」
「右に同じ」
「暇人どもめ」
呆れるように吐き捨てながら勝手に付いてきた理香と東間を半ば無視するように古びた豪邸の調査を開始。
散らばる窓ガラスの破片は大きい物こそないが、素足で踏みつければ肌に傷跡が残りそうなほど大量に散らばっている。
尤も、彼等全員土足で上がっているので転ばなければガラス片が彼等の体を傷付けるような事態に陥ることはないが。
「気を付けろよ、ドジッ娘理香ちゃん。その顔に傷が残ったら師範たちが泣くぞ」
「誰がドジッ娘よ。そういうアンタこそ、わざとドジして顔中傷だらけになるんじゃないの?」
「アレはもうやめだ。シャレ抜きで痛い。自業自得の制裁は受け付けるが、自爆して延々と痛みが残り続けるのは俺の趣味じゃない」
「自業自得の制裁だってわかっているならそっちも控えた方がいいと思うけど」
「わかっていないな、東間きゅん。俺がバカなことをするのは」
「あっ、向こうに何か人影が見えたわよ」
「なぬ?」
指差された方向に男子二名が目を向ければ花と同じく朽ち果てたヒト○ゲのぬいぐるみが目のない瞳で侵入者三名を見据えている。
「成る程。確かにヒ○カゲがいるな」
「ヒトカ○には違いないけど、人影はないね」
「そんなつまらないシャレを言ったわけじゃないわよ。本当に人影が見えたってアンタたちなら信じてくれるわよね?」
「まあこんな場面で嘘をつく理由もないし」
「僕たちがこんなことで怯えないことは君も理解しているだろうから、たぶん真実を話してくれているんだって判断しているよ」
「ありがと。やっぱり幼馴染みや友達に信じてもらえるっていいものね。それともこれも私の日頃の行いがいいから? あるいは人徳?」
「理香も冗談が言えるんだな。別段、面白くもなんともないが」
「悪かったわね」
犬歯を剥き出しにする理香を無視して人影が見えたらしい○トカゲのぬいぐるみの周辺を調査してみるが、やはりというべきか何の痕跡も見つからない。
強いて言えば壁の塗装が剥がれ掛けている程度。
これ以上調査を続けても人影の正体を掴める可能性は低く、また裂けた腹部から黒く汚れた綿を剥き出しにしているヒ○カゲのぬいぐるみが不気味だったので三人は逃れるようにその場を離れる。
「なんか、今回は面倒っていうよりちょっと気持ち悪い系の仕事っぽいわね」
「同意するが、勝手に付いて来ておきながら文句を言うな」
「それにしてもどうして校長先生は君にこの案件を任せたんだろう? ここは魔境の外だし、本格的に学生は関係ない仕事な気がするよ」
「まあ食券十枚程度じゃ割に合わんかもな。郊外の旧華族の家に住み着いた悪霊の退治なんて仕事は」
「それは悪霊の種類によるんじゃない? 流石に除霊屋でも苦戦するような悪霊が相手だと食券十枚は納得できなさそうだけど」
「いや、今回の仕事はそもそも除霊屋には頼んでいないらしい」
「そうなの?」
「校長からもらった資料によると、魔境に依頼してきた奴はかなりケチな企業の社長らしくて除霊屋に高額の報酬を払うよりも魔境の連中に頼んで安上がりに除霊を済ませたいようだ」
「企業の社長、ってことはこの家自体には思い入れはないの?」
「さあな。まあ何かの計画にこの家が邪魔だから壊したいとかそんな理由だろう。で、実際にぶっ壊そうと工事を始めたら事故や自殺やらが多数発生して、この豪邸には悪霊が住んでいることがわかったと」
「だから魔境に頼んだの? でも、そういう仕事はあまり回って来ないわよね」
「そりゃ魔境には人外も大勢住んでいるからな。化け物には頼りたくないって理由で高額であろうと除霊屋に仕事を頼む連中の方が多い。今回の社長さんも金を払いたくないだけで、同じ値段なら魔境じゃなくて除霊屋を頼っていただろうし」
「……あんまり、愉快な話じゃないよね」
「まあどう見ても化け物にしか見えないような奴等もいるし、実際に命の危機に晒された奴等も少なくないから一概に偏見とは言い切れないけどな――」
壊れたシャンデリアが落下し、派手な音が屋敷の外にまで響き渡る。
粉砕され、原形を留めないシャンデリア。落ちた理由は老朽化なのか、それとも住み着いた悪霊が彼等に対して警告を送ったのか。
どちらにしても三人は気にせず、移動しながら雑談を続ける。
「確か除霊屋さんって安くても数百万は必要なんだよね」
「命懸けの仕事が大半だからな。仕事の内容によっては億を超えることもあるらしいし、上手く行けばぼろ儲けできるぞ」
「その分、道具の方にもお金を使わなくちゃならないって聞いたことがあるけど」
「それも人それぞれだけどな。自作の道具だけで除霊を済ませる奴もいるし、素手で悪霊はおろか、悪魔すら粉砕する化け物染みた奴もいるそうだ」
「……悪魔って素手で倒せるものなの?」
「半信半疑。でもまあ源さんだってハサミとかドリルとか、一般的な道具で邪神どもを狩っているんだから、あり得ない話じゃないとは思うが」
「言われてみればそうね。むしろ源さんは例外中の例外って気がするけど」
「師範は?」
「義父さんも例外よ。ほんと、私はいつになったら義父さんに追いつけるのやら。どれだけ努力しても足りない、高みにいる気がしてならないわ」
「師範代も大概だが、師範も化け物染みているっていうか、化け物を屠る人間だからなー。そんな人だから魔境で道場なんか開けるんだろうけど」
玄関と同じく壊れかけた扉を開けると、広がっているのは学校にあるものと大差ない大きさの図書室。
並べられた本は外国語で書かれた物が大半。
試しに適当な本を何冊か手に取り、音読を試みるが本そのものの劣化が酷く、辛うじて単語は読めるけれど意味のある文章として読むことは不可能となっている。
「むう。難しいな。ここの主は本当にこんな本を読めたのか?」
「読めない本なんて手に入れてどうするのさ?」
「観賞用と保存用と布教用に使う?」
「理香、そっちの本はどうかな?」
「ダメね。こっちの本も劣化が酷くてまったく読めない。まあでも、何の本を持っていたかなんてどうでもいいから、読めなくても問題ないんじゃないの?」
「ダメだよ、理香。こういうところから何か手掛かりを得られるかもしれないんだから、もっと真面目に調べないと」
「そんなこと言われても、私以上に不真面目なバカが一人、部屋の片隅で膝を抱えて座りながらイジケているように見えるんだけど」
「イジイジイジイジ」
「うわっ、面倒くさっ」
「イジイジイジイジイジイジイジイジ」
面倒臭いと明言されたことでイジイジの量を倍加させた彼の肩に優しく置かれるひんやりとした冷たい掌。
体温が欠片も感じられない、冷た過ぎる掌に不安を覚えて振り返ってみると、青白く細い腕が宙に浮いている。
明らかに人間の物ではない腕。脳も脊髄も存在していない体でありながら、己の意思で行動している腕は彼の肩に乗せていた掌を滑らせ、首を絞める。
絞殺目的の掌による締め付け。血の通っていない細い腕が発揮する怪力は骨肉を容易く微塵に砕き、掴んだ者の息の根を止める。
無抵抗のまま殺される選択肢を持たない仁は青白い腕を掴もうとするのだが、霊体であるためか掴もうとした腕は彼の手をすり抜ける。
もがく仁の気配を察知し、事態に気付いた東間と理香が素早く彼の首から青白い腕を引き剥がそうとするが先程同様、青白い腕は二人の手をすり抜けてしまう。
本格的な命の危機に自身の首を掴んでいる手に触れようとするが、青白い手は間違いなく仁の首を掴んでいるにもかかわらず、仁の手は青白い手をすり抜ける。
窒息するまで後何秒か、焦りを覚え始めた頃に何処かから投擲された銀製のナイフが仁の首に――彼の首を掴んでいる青白い手の甲に刺さる。
銀製のナイフが刺さったからか、仁の首を離して暴れ狂うように宙を動き回る青白い腕は音もなく消滅、後には何も残らない。
何が起きたのかわからず、しばし呆然としていた三人だったが、思い出したように仁は呼吸を繰り返して盛大に咳き込む。
「じ、仁、大丈夫?」
「なんとか、な。ゲホッ、にしても、今のは割と危なかった」
「まさか触れることもできないなんて――って、相手は悪霊なんだから当然か。ところで仁、聖水は持ってきたの?」
「ポケットの中に入っている。なにせ悪霊退治に聖水は不可欠。体の何処でもいいからこの聖水を浴びせれば、最低でも一日は幽霊など本来は触れることのできない実体を持たない相手に触れることができるぞ!」
「じゃあどうして使ってないのよ。普通、屋敷に入る前に手とかに付けておくべきじゃないの?」
「忘れてた!」
「威張るな!」
「ま、まあまあ。仁らしいと言えば仁らしいんだし。また襲われたら大変だから今の内に濡らしておこうよ」
「ういー」
ポケットから取り出された瓶より注がれる透明な液体。
一見するとただの水にしか見えない液体に三人が手を触れた瞬間、淡く薄い、儚い光が彼等を包み込む。
「いつ見ても微妙に頼りない光よね」
「幽体に触れられるようになっただけで悪霊たちから身を護ってくれるわけじゃないから、こんなものだろ」
「後は僕たち次第。にしてもあのナイフ、何処から飛んできたんだろう? それにどうして僕たちを助けたのかな?」
「銀は魔を払う力があるからさっきの腕を退けられたのはわからなくもないけど、ポルターガイストだとしたらうっかり同士討ちしちゃったとかかしら?」
「わからないことは考えても仕方がない。心機一転して再調査開始と行くぞ」
「まあ、それもそうだね」
「命令しない。協力はしてあげるから」
「うむ。強力な協力に感謝感激。さて、図書室にはもう何もないと一方的に決めつけて次の部屋へ――」
進もうとした矢先、音を立てて崩壊する本棚が一つ。
シャンデリアと同じく老朽化が原因か、それとも悪霊に仕業か。判別がつかないまま、かといって放置するわけにもいかず、崩れ落ちた本棚と本を調べてみる。
一部、本の中から虫が湧いてきたので理香が殺意の波動に目覚めそうになったのを男二人で押さえ込み、一悶着の末に落ちていた一本の古びた鍵を発見する。
「おお、如何にもな鍵を発見しました?」
「どうして疑問形なの?」
「実は酸素欠乏症に陥ってしまいまして」
「嘘はいけないな。あの程度で酸素欠乏症になるんだったらずっと前に酸素欠乏症になっているはずだよ」
「東間きゅんはこの俺のことをなんだと思っているのかね?」
「変態」
「ド変態」
「訊いていないのに、幼馴染みの女の子から辛辣なお言葉を頂きました。で、この鍵はどうすればいいのか、君たちの意見を聞こう!」
「持っていくでいいんじゃない?」
「僕も賛成。特に怪しいところは見られないし、何かあっても持っているのは仁だから真っ先に被害を受けるのは仁になると思うから」
「HAHAHAHAHAHA! それ以上は言わないでください。割とガチで泣きたくなりますので。俺の心はボドボドダ!」
「はいはい。中途半端に異界の言葉を使ってないで、さっさと行くわよ」
「何処に?」
「……何処かによ!」
「なんで唐突にキレるのさ」
「もしやそういう日」
「殺すわよ?」
「ゴメンナサイ」
本来は静かにするべき図書室で騒ぎ立てる若者たち。
その騒ぎを聞きつけたのか、定かではないが、開け放たれた扉の奥より宙に浮いている上半身のみの裸の女性が睨むような目で三人を見据えていた。
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