第十四話

 不貞寝から本寝となってから時間経過は早いもの。

 朝まで目を覚まさず、起きた彼は両腕を天井に向けて思い切り伸ばし、ベッドから降りようとして何か柔らかいものを踏んだことを認識。

 寝惚け眼で確認してみれば炭と化した元人間が一人、己の欲望のままに何かを掴み取ろうと手を伸ばした状態で倒れ伏している。

 寝起きの影響で脳が反覚醒状態であったものの、直感て落ちているのが実の妹だと察した彼は何事もなかったように彼女の背中を踏みつけて一階へ降りる。

『おはようございます、マスター』

「ああ、おはよう一号。ところで俺の部屋に大きな炭が放置されていたんだが」

『申し訳ございません。少々、五月蠅くなってしまいました』

「いや、構わない。安眠妨害にはならなかったし。ただ、汚いから炭のカスは掃除しておいてくれ」

『畏まりました』

 手洗いうがいに洗顔を済ませ、トーストと目玉焼きを二人分作っては食卓の上に並べ、復活を果たした紗菜と向かい合う形で椅子に座る。

「頂きます」

「頂きまーす!」

 両手を合わせて食前の儀礼を行い、トーストと目玉焼きを半ば一気食い。

 別に速さを競っているわけではないのだが、なんとなく早食いを行った兄妹は揃ってトーストを咽喉に詰まらせ、冷蔵庫のミルクを飲んでトーストを流し込む。

「フゥ。死ぬかと思った」

「甘いわね、あにぃ。私なんて昨日と今日で三回は死に掛けているわよ」

「その割には無傷に見えるが」

「女の子はいつでもプリンセス。そしてプリンセスたるもの、いつでも優雅に上品に。故に女の子という生き物はどれほどの傷を負おうと一瞬で治せるのよ!」

「そうか。それは知らなかった。後で保険医に詳しく調べさせてみるか」

「私の負けです。それだけはやめてください。お願いします」

 棒読みの敗北宣言の謝罪を受け、何処まで本気なのかわからなかったので訝しむような瞳を向けるも紗菜は無垢な笑顔を返す。

 兄としてその笑顔を純粋に可愛いと感じつつ、気を許せば食われると最大限に警戒しながら彼女の頭を撫でる。

「おお、あにぃが私の頭を撫でるなんて。コレは食べていいというサイン?」

「一号、電動ノコギリを準備してくれ。なるべく良く切れるやつ」

『了解しました。少々、お待ちください』

「あにぃ、朝っぱらから大工仕事? それともあの九尾校長からまた無理難題でも吹っ掛けられたの?」

「直感で今日辺り、まーた面倒な仕事を押し付けられそうな気がするが、まあ電動ノコギリと仕事は関係ない。ただまあ、本当に女の子が不死身の存在なのか、確かめるために真っ二つに両断してみようかと」

「あにぃ、忠告しておくけど、私以外の女の子は結構繊細だから、電動ノコギリで両断しちゃったら中々元には戻せないと思うわよ」

「むしろお前以外の女の子に分類できる奴の中で真っ二つにされて復活できるような奴はいないだろう」

「スライム娘とか」

「そういう奴等は女の子に分類されない。雌ではあるかもしれないが」

「あー! そういう偏見の目はいけないと思います! 学校でも男子が時々、種族が違うクラスの女の子をイジメたりするんだから!」

「お前のクラス事情など知らん。だがお前、そういう現場を見ていながら放置しているのか? 珍しいことも」

「放置するわけないじゃない。イジメっ子もイジメられっ子も傍観していた子たちも、まとめて美味しく頂きました」

 年不相応な妖艶さを漂わせる唇舐めを見て、仁は見ず知らずの彼女のクラスメイトたちに純粋な祈りを捧げる。

 何のための祈りなのかは彼自身も理解していない。けれど祈らざるを得ず、そして祈ることしかできない自身の無力さに綺麗な涙を流す。

『で、お二人はいつまで寛がれているのですか? そろそろ出発しなければ遅刻してしまいますが』

「むっ、一号。空気を読まない発言は感心せんな。後片付け、よろしく!」

「あ、あにぃ! 待ってよ! 先に行くなんてズルいわ!」

 一号の忠告を聞き、玄関を蹴り破って猛烈な勢いで外に出た彼は手ぶらであることを思い出して家の壁をよじ登り、拳で窓ガラスを粉砕してから自室に潜入。

 机の上の鞄を持って階段を駆け下り、同じく鞄を忘れた紗菜とすれ違いながら急いで学校を目指す。

『……本日の仕事が増えてしまいましたか。まったく、いつものことですが、マスターにも困ったものです』

 苦笑する一号の言葉は既に姿が見えないほどに遠ざかった仁の耳には届かず。

 校門前にいる風紀委員たちを飛び越え、勢い余って着地に失敗、顔から地面に激突して数度跳ねてから停止。

 地面に砂利が多かったのか、顔中すり傷だらけになって結構な流血をしているのだが彼は気にせずに昇降口で上履きに履き替え、すれ違う生徒たちの驚愕顔を無視して自身のクラスの扉を開ける。

「おはよう、諸君! 本日もいい天気だな!」

「ああ、おはよう、影月――」

 振り返った次光が途中で言葉を止めたのは彼の顔を見てしまったから。

 直視するのも憚られる、ある意味では顔芸の域に到達しているほどの酷い顔。

 当然、止血など施していないため、彼が通って来た廊下には血の痕跡がハッキリと残されており、血の痕を見た他生徒たちは戦々恐々している。

 尤も、仁は廊下のことも固まった次光のことも気にせずに己の席に座り、鞄を開けて教科書などを取り出す。

「HAHAHAHAHAHA! 本日も快晴で何よりだ!」

「……ああ、うん。まあそれは良いんだが、影月」

「なんだね、次光君」

「その、痛くはないのか?」

「うん? 質問の意味がよくわからないのだが。ところで理香ちゃんや東間君は何処にいるのでしょうかな?」

「二人。トイレ。仲良く」

「成る程、連れションか。確かに東間君なら女子トイレに入ってもそれほど怒られなさそうだし、理香ちゃんも男子トイレに入っても割と受け入れられるかも?」

「本人。聞く。激怒――顔面。重傷?」

「そんなに怒られるようなことではないと思うのだが。あと、誰の顔面が重傷なのだね、神凪君?」

「バカ?」

「何を今更なことを。神凪君よ、君は俺のことがバカだとわからなかったのかね。ところで次光君、一つ、尋ねてもいいだろうか?」

「あ、ああ、なんだ?」

「擦り傷用の薬というか痛み止めの薬、持ってなイカ? さっきから顔中が痛くてたまらないんだが」

「やっぱり痛かったんだな! 何故わざわざ誤魔化そうとした!?」

「男の子の傷跡は勲章だからだよ!」

「叫ぶな!」

「バカ?」

「だから神凪君よ、俺がバカなのは周知の事実だろう。治して欲しいな、この傷」

「塗る傷薬をお持ち致しました」

「ありがとう」

「いえ、効能は確かですが、少し沁みますのでご注意を」

「そこは男の子だから我慢する――あれっ?」

 手元にある傷薬に首を傾げた仁は首を動かし、三百六十度全方位を確認してみるが、傷薬を手渡してくれた誰かを発見できず、疑問符を浮かべる。

 代わりに見つけたのはトイレから戻って来た幼馴染み二人。

 彼等の方も仁を発見し、その凄惨な顔を見て色々なことを察したらしく、東間は呆れながら肩をすくめ、理香もまた呆れながら若干憤慨したように何処からともなくハリセンを取り出して仁の頭をはたく。

「うむ。ハリセンとはまた古典的なツッコミだな。結構痛いけど」

「で、今度は何をやらかしたの?」

「かくかくしかじか」

「まるまる。ぐまぐま」

 事前に打ち合わせをしていないというのに息の合った連携を見せた仁と神凪は硬い握手を交わし、友情を確かめ合う。

 ただし互いに相手が何を言っているのかは理解しておらず、両の目を皿のように見開いて相手の真意を探ってみるが、目が充血して涙が零れ落ちそうになったのでまばたきを繰り返して涙の流出を抑える。

「神凪君、なんだか以前よりバカになった気がするんだけど」

「そうか? 元々、こんなものだろう。変人度は影月より上な面もあることだし」

「まあ神凪君がバカかどうかは置いておくとして、仁、それじゃあ何の説明にもなっていないよ。ちゃんと一から言葉で説明してくれないかな?」

「しょうがないなー、東間君は」

 ポケットから明らかにポケットに入りきらない大きさの機械を取り出し掛けた仁の頬を掠めるのは超速の拳。

 音を置き去りにした拳を放つは戦慄の笑顔を持つ少女、理香。

 これ以上の悪ふざけは鉄拳制裁に繋がると、出し掛けた道具をポケット内に入れ直した仁は校門での出来事を簡潔に――むしろ説明できることが少な過ぎるため、無理やり引き延ばさない限り長い説明は不可能なのだが――説明を行う。

 彼の話を聞き終えたクラスメイトたちの反応は彼が予想していた通り、大小の違いはあれど一括して冷ややかな呆れ。

 自らの予想が当たっていたことに密かにガッツポーズを取る彼はなんとなく虚しさを覚えて窓際に移動し、血塗れの顔で黄昏れる。

「……痛いでやんす」

「傷薬、貰ったんだから塗りなよ」

「染みるらしいでやんす。怖いでやんす」

「東間」

「うん」

 理香の指鳴らしに合わせて背後から仁を羽交い締め。

 抵抗する間も与えず、理香の手で強制的に傷薬を顔中に塗られた仁は忠告された通り、しかし少しどころではない沁み具合に絶叫を上げる。

 一瞬だけだがクラス中の視線が集まるほどの雄叫び。

 窓を開けていた影響で他のクラスにも彼の絶叫が轟いたのだが、授業中ならいざ知らず、叫び声程度では騒ぎは起きず、仁のクラス内もすぐに平穏を取り戻す。

 一方で当事者たる仁は沁みる薬に涙を流し、塗り終えたことで解放されると同時、膝から崩れ落ちては全身から絶望の気配を漂わせる。

「う、うう、理香ちゃんに犯された」

「そこ! 変なこと言わない!」

「じゃあ理香ちゃんに穢された」

「同じよ、同じ! むしろ酷くなっているわ!」

「酷くなっているのかな?」

「さあな。そこは受け取る側の感性次第じゃないのか?」

「外野! 五月蠅い! まったく、もう高校生のくせに、沁みる傷薬くらいで泣かないでよね! みっともない!」

「だってすっごく沁みたんだもん。なんというか、こう、心の奥底まで汚染されるような、形容し難い痛みが傷口から溢れ返って。もう俺はこの痛みなしじゃ生きていけない的な感情に支配されちゃったような?」

「あっ、本格的にヤバい方向に目覚め掛けているのかも?」

「理香、どうするつもりだ? これ以上、仁は変な方向に突っ走ってしまったら誰にも止められなくなるぞ。そして保険医も止められなくなるぞ」

「そ、そんなこと私に言わないでよ! そ、そうだ、仁。さっき校長に会ったんだけど、なんか今日の昼休み、校長室に来て欲しいそうよ」

「嫌です。と、お伝えください」

「断ったらありとあらゆる伝手を使ってアンタを凶悪な犯罪者に仕立て上げるとも言っていたわね」

「おい、教育者」

「まあ本気じゃないとは思うけど、行ってあげたら? 確実に面倒事を押し付けられるって確信を持って断言できるけど、万が一の可能性で起こる奇跡があることも僕は信じてみたいんだ」

「まあ厄介事を解決すれば食券が貰えるんだ。貰った食券をどう扱おうがそれは生徒の自由。そう考えれば損ばかりというわけでもない」

「学園。仕事人。労働。運命」

「うう、俺の周りは敵だらけ。俺は今、猛烈に孤独を感じている」

「皆さん、もうすぐホームルームが始まりますから、おしゃべりはそのくらいにして席に座りましょうね」

『はーい』

 黒澤の特に大きくもないお願いのような命令に逆らう者は誰一人おらず、そして彼女の言葉通り、数秒後に扉が開き、担任が教室へ入室。

 ホームルーム及び午前中の授業は滞りなく進み、昼休みが始まる頃には仁の顔の傷が完治。

 お昼ご飯を食べようとするが、朝と同じく幼馴染みやクラスメイトたちに促されたので渋々校長室に足を運ぶ。

「もしもーし、校長せんせー、貴重な昼休みの時間を潰すことに愉悦を覚えているクソを付けても無問題な教師様ー、貴女の愛しい使い走りが入りますよー」

 返事は聞かず、扉を開けて中に入ってみると、何処かの庭園が如き和風な外の景色が視界一杯に広がっている。

 即座に妖狐特有の幻術であることを見抜くも、わざわざ幻術を解く理由もなく、背を向けて堂々と佇んでいる校長に歩み寄る。

「おい、クソ虫。さっさと用件を言え。さもないとその尻尾を四本切り落とす」

「いつにも増して年上かつ目上の者に対する礼節がなっていないな。腹が減って気が立っているのか?」

「うむ。その通りである。お腹ペコペコなのである。だからお昼ご飯の時間を少しでも取りたいのである」

「昨夜の件について、妖狐たちから報告を受けている」

 仁の戯言を無視して資料を片手に淡々と本題に入った校長は背を向けているためにその顔を確認することはできない。

 が、仁はなんとなく彼女が今、薄く微笑んでいると思い、その笑みが何を意味しているのかがわからないことと実際に空腹であることの二種の理由により、余計な茶々を入れずに黙って話を聞く。

「夜にのっぺらぼうと遭遇、誘拐されそうになったので迎撃、その際に局地的な豪雨を発生させた。間違いはないか?」

「大体合ってる」

「そうか。ならこの件は終わり。もう一つの本題に入るとしよう」

「むむっ?」

 背を向けたまま告げられる仕事の内容。

 聞いている途中で面倒事であることを確信しつつ、わざわざ昨夜の出来事を話題に出してから仕事についての説明を始めたことを訝しみ、断ることのできない状況を作り出してから仕事の話に入ったと想像。

 理事長が仕事の内容と報酬を話し終えると二つ返事で了承し、心身に悪影響を与え続けている空腹を満たすべく、急いで校長室を後にした。

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